平素に在り

2007年06月09日(土) 鎌倉2

鎌倉は、お寺巡りや海水浴も良いが
シーズンによっては観光客が多すぎて
辟易するときもある。

それでも、地元の人だけが知っている
密かな絶景ポイントなどがあり、
そこをブラブラと歩くのもいい気分だ。

特に鎌倉山は、雷亭(おそば)・ローストビーフ鎌倉山
・山椒洞などの趣のある食事処(値段は超高い)があったり
なんといっても材木座海岸・江ノ島・富士山が一望できて
格好のお散歩スポット。

が、が、先日、子供のころから慣れ親しんだ鎌倉山
の小径をあるいていると、絶景ポイントに大きな
フェンスが囲ってあり、なにやら豪邸建設の予感。

建築看板をみると、御法川法男・・・
これって、みのもんた!!

地元住民や小町通りの商店街でも聞き込みをしたが
間違いない。

はっきり言って、顰蹙を買ってます。総スカン。
なぜか小屋に1名常駐していて厳重に警備している。

関東ではコマーシャルで「普通の人が普通に働いて
家が建てれる・・・」ってなことを言っていたが。

彼が自力で働いて、稼いだお金でどこに家を建てようが
彼の権利であり、だれも阻止できない。

でも、あの場所は少なくとも私にとっては、
幼いころミヤマクワガタを採った林であり
幻の昆虫といわれるハンミョウを母と目撃した
想い出深い場所なのです。

しかも、本当に狭いその小径は鎌倉山周辺に住む
人が鎌倉山に上る場合に必ず通る道なのです。

地元住民のエゴかもしれない。
文士とか有名俳優なら許してしまうのかもしれない。
すぐ隣に山椒洞という会席料理屋がある。
著名人が昭和初期に建てたものが、やはり昭和の
有名女優に受け継がれ、今は山の中に調和を保って
風情のある佇まいである。(私はここで結納しました)

そのとなりに、みのもんたはないでしょう。
六本木でも麻布でも田園調布でもどこでもあるでしょう、他に。

山を削って豪邸ですか。江ノ島の花火大会も自宅から
よく見えるでしょう。夕方には江ノ島の右肩に富士山
そして夕日。

銀座で遊んで車で帰り、早朝車でまた送り迎えですか。
CO2削減にもよくありません。
近辺に住む大手企業の重役さんがたも
電車(グリーン車ですが)通勤です。

鎌倉文士の一人、立原正秋はある小説で、
酔って鎌倉駅からタクシーで鎌倉山の豪邸に帰ってきた
主人公の父親にこう言わせています。
「飲んで自分の足で帰れない奴はここに住むな!」

鎌倉山は、そこで仕事をし生活をし、そこの歴史を
知る真の文化人が住むところなのです。
銀座でのんで車で帰って、またワイドショーの司会に
早朝出かける、という貧乏臭い生活パターンの人間
がすむところではない。


金さえあれば、なんでもできるのでしょうか。
歓迎されない住民は、必ず不幸になります。
今からでも思いとどまって欲しい。

彼の住民税が無くなる逗子市もよろこびませんよ。
小町通りのビルも買ったとか。。。

数日鎌倉に戻りましたが、市民の反発はかなりのものです。
ほとんど憎しみに近い発言者が多かった。



2007年06月06日(水) 鎌倉

鎌倉の実家へ帰ってきた。
いつも通り、やさしく迎えてくれた両親。

そして、芳醇な空気、緑の山、穏やかな海。
江ノ島海岸は、ほとんど湖のように静かで
海の家の建設が少しだけ始まっていた。

30年前と同じ海岸線を走る。足が砂に埋もれる。
だが、波打ち際を走ればコンクリートの上を走るより
ずっと楽に、膝にも負担無く走れる。

あんなに広く感じた海岸線も大人になったら少し
小さく感じた。走る、走る。まるでロッキーの
ように全速力で走った。いつ以来だろうか全速力。

海岸から実家までとぼとぼと歩いて帰った。
それは中学時代の通学路と同じ道で帰った。
あまりにも何も変わっていない。中学の校舎。
買い食いをしたパン屋。川沿いの細い道。

あのころの仲間がすぐそこにいるような錯覚に
襲われた。あまりに鮮烈に思い出の場所があるのは
嬉しい反面、ほろ苦い。もう戻れないという悲しさ
のせいかもしれない。



2007年06月03日(日) 親ばか

長男を大手進学塾に通わせて4ヶ月。
初めてのクラス替えがあった。

学校では学年トップの成績でも、入塾時は
6クラスあるうちの最下位のクラスにやっと
すべりこんだ。
何度も言うようだが、公立小の教科書は
遊びみたいなものなのだ。

そこで、妻と休職中の私がかなり熱心に
塾の勉強のフォローをした。
自分はワインに生ハムをかじりながら
家庭教師をする。

どこから隔世遺伝したのか、息子はあれよ
あれよと成績を上げ、何度かあった試験も
偏差値平均65(最高72)という快挙をなしとげ、
こんどは選抜1クラスという最上級のクラスへ編入となった。

ちなみに、最下位クラスから最上位クラスへ一気に上がった
生徒は開校以来3人目とか。

一方、テニスの方はフォアハンドを両手から片手へ変えた
影響で、まだ体の使い方がつかめていない様子。
昨日も塾の終了後、1対1で一時間特訓をしたが
まだまだである。7月の初試合目指して道は険しい。

自分の復職は諸般の事情で人事部で調整が長引いている。
仕方が無いので、しばらくは家庭教師&テニスインストラクター
に精をだすしかない。



2007年05月28日(月) 自殺

今日は、朝からどうやって自殺しようか、と
考えながら街を歩いていた。迷惑をかけずに
一瞬で死ねる方法はないだろうか?

いや、人間どんなに自尊心が傷つこうが、
身も心もボロボロになろうが、死んではいけない。
かっこよく生きられなくたって、出来が悪かったって
死んではいけない。

いろいろ考えて、年老いた親より先に死ぬことは
できない、小さな子供にはまだ父親は必要だ。
と歩きながら涙して帰ってきた。

すると松岡農相の自殺ニュース。
坂井泉水・・これも自殺かな。

自殺に関しては、過去の体験から
自分を殺人するという「悪」と思っていた。
が、少しその考えがぐらついてきた。

石原慎太郎が農相の自殺を「武士道」と評して
いたが、それは美化しすぎだろう。
疑惑に対する農相の答弁はあまりに稚拙であった。
であるがゆえに、絶対に口にできない「悪事」
をしていたのだろう。今の時点では遺書の内容も
わからないので何ともいえないが。

彼はおそらく、お金を「私腹を肥やす」ために
不正に取り扱ったのではない、のではないか?
結婚式や葬式での祝儀や香典、熊本の後援者へ
仕事を作ったり・・すべては彼を取り囲む人のために。
政治と金の問題は、奇麗事では語れない。

・・・おれは死ぬのも面倒になった一日。





2007年05月24日(木) 中学受験

遅くとも小学3年生の2月から進学塾へ
行くのが、中学受験の定石らしい。

息子がある大手進学塾へ通い出して
4ヶ月になる。
もともと、中学受験など考えてもいなかった。
妻も私も公立中・高であったし、そのほうが
いろいろな人と過ごせてよいのでは、とも思っていた。

ところが、ここ数ヶ月その方面の情報収集をすると
私たちの育った公立校といまの公立校とでは
まったく違うものであることに驚かされる。

教育の質(教師・施設・カルキュラム)が雲泥
の差。

また、小学校の授業と塾の授業ではまったく
レベルが違う。(息子によると全く接点が無い、
学校は遊びに行っている感覚だと・・)

高い金を払って、塾に通わせるのが好ましいとは
思わない。が公立がそういった教育サービスを
提供しない以上仕方が無い。

塾の勉強は、決して詰め込みではなく実験が多かったり
先生も教え方が旨かったりで、内容も正統的なもの。

だが、一応「文武両道」が家訓(勝手に作った)なので
テニススクールにも行かせている。こちらの方もトーナメント
クラスに選抜されたので最低週3日は練習せねばならぬ。

土曜日は、塾の週例テスト後に塾の校舎のすぐ近くの
コートをキープして私が教えていたりする。

息子には、苦しくなったり嫌になったらテニスも塾も
いつでもやめてよい、と言いきかせながら手探りで子育て中
である。



2007年05月19日(土)

以前ブックオフに大量に本を持ち込んだ。
個人的な思い入れもあるが、本にはそれぞれ
何らかの価値査定があるものと思っていた。

ところが、文庫本・ハードカバー本・引き取れない(0円)
の3種類で不当に安く買い取られた気分だった。
そして買って間のない2000円の新刊が1700円くらいで
売っている店内を見て、「もう二度とブックオフには持ち込まない」
と決めた。(おかげで自宅では本が積み上がっている)

神田の古本街だとどうなのだろうか?わからないが、
あまりにも本を馬鹿にしたやり方がちょっと気分悪かった。

今日は人の悪口ばかりで申し訳ないが
ワタミの社長、・・・これも「怪」。
120%前向き、苦労人、経営者。
ここまでは十分評価できる。

ただ、「夢」とか「教育」とかそういう部分まで
語るのはどうかと。本業だけやっていればよいのでは。

彼は「商道」の成功者で、その人生観を事業展開するのは
ちょっと危険な気がする。彼みたいなハイテンションで
優秀な経営者や上司に出会ったこともある。

ただ、政府の「教育再生会議」のメンバーになったり
学校の理事長になったり・・・

迷いが無い・夢に日付・世界で一つの教科書
はっきり行って鳥肌が立つくらい嫌悪感を覚える。
彼の教育哲学も???

成功体験者が成功体験を語るのは勝手だが
全く違う価値観で自分を「成功」と思い
安っぽい居酒屋チェーンの経営者なんて「品が無い」
と思っているものがいることを認識して欲しい。

まだ若い彼が余りに「成功」しているので
成功体験への埋没から道を誤らないことを願おう。



2007年05月14日(月) 復職か?

3ヶ月以上も休職している。
もう随分前から、体調が回復しているので
山ほど本を読んだ。CDも買い込んで聴いた。

息子の家庭教師とテニスコーチ(息子の)などを
していた。

いよいよ、復職が決まりそうである。
職場の上司からは、「早く戻ってきてくれ!」との
嬉しい反面多忙な業務を予感させる言葉をいただいて
いるが。

 私
   「年収は下がってもいいから、タイトでない部署に
    異動できないですかね?」
 産業医
   「ああ、昔の窓際族って奴ですね。いまはああいう部署
    なくなっちゃったんだよね。といっても業務には
    責任の軽重やプレッシャーの強弱があるでしょうから
    人事部と相談してください」





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こうたろう [MAIL]

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