あきらめずに、少しだけ 努力を続けよう。
同じ失敗や、どうしてもうまくいかない事 もあるけれど。
みんな、そうやって生きているんだ。
仕事・家族・お金・勉強 自暴自棄になってはだめだ。
まずは、自分自身に誠実でないと。 自分が「ダメなやつだ!」と思うことが 多いけど、何故だめなのか、解決方法はないのか。
解決できないことも多いかもしれない。 それが自分を不安定な気持ちにさせるのだ。
それでも、明日はやってきて 生きていかなければいけない。
自分の「心」と対話して、本当に今やろうとしている ことが、本心からやりたいことなのか。 素直な気持ちを大切にすれば、意外と生きるのは もっと軽やかになるかもしれない。
自分は何かに急き立てられている。 誰も私にそんなものは求めていないのに。 そして、自分を傷つけ回りも傷つける。
内側から変えていこう、毎日1ミリだけ進歩 するような、無理をしないけど立ち止まらない 少しの習慣から変えて行こう。
たしかに、やっかいな病気だ。 ここんところ、若干調子がよくなく。
昨日、本日と会社を休んだ。 このペースでいくと 今年も年休が足りなくなる。
明らかに躁状態であったのだ。 おかげで、仕事はかなり進んでいたので 別に休んでも支障は無いが・・
散財(飲み代が銀座や青山、有楽町・船橋で 今月だけで30万弱。ファッション関係が インターネットで20万強。パチンコが10万)
仕事もそれなりにバリバリできて なのに疲れなく、次々にいろいろな発想や やりたい事などが頭をめぐり、一睡もしない日 が何日かあった。
精力も絶倫で、女性とみれば・・・・ 人格が疑われるのでやめときます。
とにかく、突然自分は「まずい状態」と 気づき医者へ駆け込んだ。 薬のさじ加減に、この病気はかかっている。
とにかく、自覚できただけでも 進歩です。との医者のコメント。
自分は元気で、ハイテンションなうえ 気分も楽しいのだから、本当はこういう生活 も嫌いじゃないが、このままでは、経済的にも 家庭的にも、社会的にも破綻してしまう。
しかし、困ったものだ。 仕事をバリバリやりだすと 酒も女も賭け事もやりだしてしまう。 エネルギーがあふれ出て、理性のブレーキ が、きかない。
薬で抑えると、仕事は人並み、 遊ぶ元気は全くなし。
ああいやだ、あんまり突き詰めて 病気のこととか、自分の性格のこととか 考えると、何もできなくなる。
ただ、目の前の生活に集中しよう。
・・・欲望は、消そうと思うと纏わりついてくる! 淡々といこう!
で飲んだ。
激務でかなり疲弊している様子。 体調も崩している。 何より、精神的に参っているようだ。
泰然としていているイメージの彼が これほどまでに繊細であることに ちょっと驚くとともに、激務がかなりの 程度であることを察した。
合併に伴う、旧会社間のいざこざ が、かなり渦巻いているらしい。
さてさて、昨日は成田山別院の深川不動堂へ 護摩焚きへ行ってまいりました。
火の勢い、太鼓、読経が予想以上の迫力で 圧倒されてしまった。 本尊も立派で、都会の下町で仏教文化が 根付いていることに安心しました。
そして、お札を頂き、何故か心洗われた気持ち になるのが不思議です。
・・読経は聖歌のようなイメージでした。
先ほど、かなり気合をいれて 日記を書いたが、突然エラーメッセージ が発生し、消えた。
もはや気力なし。
お休み。
今日は深川不動にお護摩へ行ったよ!
妻が原宿まで 髪のお手入れにいくので 2人のこどもと過ごした。
我が子ながら、可愛くて 仕方が無い。 親子の情は、何者にも勝る ものだろう。
時には、事を成すのに 不自由に感じることがあるかも しれないが、そもそもそれ以上に 大事なものがあるだろうか?
おそらく、あるのだろう。 だがそれは,二律背反なものではなく 身をもって子に示すべき、勇・義・仁 ・誠などに尽くすときだろう。
話は変わるが、NHKでアメリカの イラク派兵に関して、その本人・家族 などの生の声が放送されていた。
「自由のため」「国のため」という 言葉の前に、皆が思考停止状態であるのが 恐ろしい。頼むから、あんな戦争のために 日本を巻き込まないで欲しい。
原因があって、結果がある。 テロは憎むべき卑屈な行為だが、 それを生んだ背景に目をそむけ 力で押さえつける。それがあらたな テロの原因になる。
超大国がサル顔のサル程度の知能指数 の大統領を首にしないかぎり、 アメリカも世界も平和になれない気がする。
日本に原爆を落とした事を正当化する国民が 自国の兵士の500や1000、ましては 他国の民衆の10000や20000殺すのは なんともおもわないんだから・・・ (日本人でも、原爆が仕方ないと洗脳されて しまっているお人よしがいるから世話ない。)
そもそも、一神教のキリスト教は、神の前において 平等であり、神(キリスト)を信じない人間には 人権さえ認めていない。イスラム原理主義しかり。
ここは、日本固有の仏教思想をもう一度 思い巡らし、殺生を戒める、そして あらゆるものに神が宿るという謙虚な思想 に、日本人として回帰すべきではなかろうか?
世の中のことなど、まるでわからん。
自分の事も全くわからん。
あることをすると、 納得したり、後悔したり。
よく「納得のいく仕事がしたい」 「納得のいく人生を送りたい」 ていう言葉を聞くが、自分には到底 ありえない世界の話なんだろう。
何でもやり過ぎ、はしゃぎ、後悔し つまらんことをうじうじ考え、 迷い、落ち込みあるいは、自信過剰になる。
もう、そういう自分でいこうと思う。 自分を変えるのでもなく、許すのでもなく どうしようもないこの男とせいぜい死ぬまで 付き合ってやるか、という覚悟をするのだ。
だから、うまくバランスをとる人生とか 仕事バリバリとかでなく、 全く統一性の無い、後悔だらけで自己嫌悪 に塗れた自分を否定はしない。
何年後の自分の姿を思い浮かべて そこから自分の人生を逆算する、なんてのは よくある成功談に書いてあるが、少なくとも わたしにゃ、所詮無理な話。
今日は、息子とサーカーをした。 ここのところ、急に上達した。 子供の成長を感じると嬉しくもあり ちょっぴり寂しいのはなぜですか?
前回・最終回と感涙に咽ぶ私はイカレテますか?
そうです。「エースを狙え」こそ 私の原点だったのです。
体が弱く(今でも見かけによらず弱い) いじめられっ子だった自分が、 テニスというスポーツに劣等感と 有余るエネルギーをぶつけた。
それが見事にはまってしまって 妻と涙してしまった。 普通の人には理解できないだろうなぁ。
とにかく、頭も悪く・仕事も出来ず ・何の取り得もない自分が テニスによって救われたのは 紛れも無い事実であるのだ。
湘南地方では、結構「エースをねらえ!」 は受けているようだ。(メール交換による)
コーチの無私の情熱・厳しい練習 それらは、ちょうど自分達の世代の テニス部に当てはまり、とにかく 泣けてきた。
・・受け取る人によっては全く判らないだろう・・・
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