脱線。(モラトリアム)

2002年02月24日(日)
きのう、久しぶりに高校の時からの友達と会った。
久しぶりって言っても2ヶ月ぐらいだけど。

彼女たちは短大生だったり専門学生だったりで、あと1年で社会人にならなくてはいけない。
1年後自分が何してるか解んないよ…そう言う彼女たちの表情は明るくない。

私にはまだ猶予がある。
あと3年もある。
ギリギリの力で手に入れた4年間。

1年前、この4年間を手に入れた事がどれ程嬉しかったか。
ずっと行きたかった学校で過ごす4年間。
その内の1年がもう終わってしまった。
私は学校で何をしただろうか。
何を学んだだろうか。
才能溢れる同級生がたくさんいた。
良い先生もいた。
学校の環境は、私の憧れを裏切ることはなかった。

1年間を充実感いっぱいに感じられないのは何故?

新しい環境に身を置いても、自分が前へ進まなくては何も変わらないのだ。
私はその一歩を踏み出さないまま1年を終えた。
いや、踏み出したものも引っ込めたのかもしれない。

いろんな課題や授業を通して、私は自分の力の無さを嫌というほど思い知らされた。
その時「なにくそ!次こそは!」というやる気が生まれてこなかった。力の無さに落胆し落ち込んでいき、やがてはそれを忘れようとする。
その繰り返し。

悪循環だと解っていても抜け出せない。
要は自分の甘さなのだ。

社会に放り出されるという同級生の現実。
私は残された猶予の間、放り出されるのではなく自らの力で社会に歩み出て行ってやる、という気持ちになれるだろうか。





ライブ映像。

2002年02月23日(土)
 ライブでの空気はあの日のものでしかなくて、例えどんな
 カッコイイ映像でも忠実な再現にはならないのだけど。

…と言ったのは水曜日の私。

この一文を書く時、実は私の中で様々な想いが交錯していた。

我ながら酷なこと言いやがる。

忠実な再現にはなり得なくともライブ映像には様々な意味があるのに。
良いライブを形として残しておく為であるとか、ライブを観た事のない人に行きたいと思ってもらう為であるとか。

それらの意味を成す映像をつくる事は、とても難しい。
どうしたら、そのライブを一番良い状態で映像に残せるか。
それには表現の工夫が必要なんだ。
躍動感や息遣い、そういう臨場感を「再現にはなり得ない」映像で「伝える」のは、とても力量の要ることなんだ。

つくり手の意識がなくてはいけない。
つくり手の意識が入りすぎてもいけない。

私はGRAPEVINEのライブ映像を見て、あの日の興奮をよみがえらせる事が出来た。
それはつまり、つくり手の想いが伝わったという事だ。
彼らのライブを多くの人に届けたい。

そう思って働く人が彼らの周りにたくさんいる。
その人達がいるから私たち、多くの彼らの音楽を好きな人間に、今日も彼らの音楽が届くのだ。

そんなことを思いながら音楽を聴く(あるいは映像を見る)のは、もしかするとあまり良い見方ではないのかもしれない。

でも考えちゃうもんは、しかたない。
彼らと、それを支える人がいて、なんつーか幸せ…っていうか、良かった…とか思うわけでして。
特に映像で伝えるっていうのは音楽にとっては必要だ、と私は思うし。でもそれには、いろんな人の手が必要なんだ。

なんかそういうの言いたかった。
言い足りないような気もするし、言い過ぎたような気もするが。

私は音楽が好きだし、映像も好きだし、それを伝えようとする人たちを尊敬できる。とても。





一週間です。

2002年02月22日(金)
にんにん。

日付2並びということで。

このエンピツ日記を始めて一週間が経とうとしている。
昨日の投票数が4票だった。自己新記録。
バンプ効果かバイン効果かは不明。
でも嬉しい。
自分の書いた文章を読んでくれた人がちゃんといるんだなあ。
という目安になる。数字は。

メールも頂いた。
これは、かなり予想以上に嬉しかった。
私の日記を読んで嬉しい気持ちになったと言ってくれた。
全然知らない人から、あんなに嬉しい言葉が頂けるなんて。
エンピツ、ちょっといいじゃない。
そんな始まりの一週間。


きのう、『jupiter』聴きながら寝たら今日の朝方、もんのすっごい怖い夢を見た。
バンプのせいじゃないよねえ。
幸せな音楽が悪夢をもたらす訳ないわ。
怖い夢を見なくなる方法が知りたい…




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