ある日のできごとつれづれ。
テロ的に長いかも(笑)
わたしは若い頃、ヘッセ・シュトルム・ゴールズワージー・おおまかにまとめた主にスペースオペラのSF・森茉莉・中村真一郎・福永武彦が好きだった。
まあ、もろもろに他にも好きな作家さんはいたけれども、おおまかにはこんなところだった。そのころの秋田書店の編集さんに「あなたの好きな作家は誰か」と聞かれ「福永武彦」と答えると「あなたも女性だったんだね」と言われたことがあって、今考えるとそれは突っ込みどころ満載なお言葉なんだけれども、その当時弱冠(?)20歳の私は、そういうものなのか、と思ったのだった。(それでも今でもこれを覚えているということは、けっこう、その当時から首をひねった言葉だったのだろうなあ)
さてある日のわたしは、ここ最近なかった、「なにか本が読みたい病」にかかって、休日の午後を本屋でだらだらすごす贅沢日を作ろう、と思い立つ。
これはほんとにここ最近なかったことで、なんとほぼ5年くらいは、本を読みたいと思ったことがなかった状態だった。
もちろんHOWTO本は読んでいたけれども、いわゆる小説、というものをほぼ読んでいなかった。
なんとなく、よその世界に自分を置く、ということができない気分が長らく続いていた。
それがほんとにひょんな拍子というのか、突然、「小説が読みたい」と思うことになった。
そもそもの発端は、雑誌を探しに職場近くの本屋に寄ったことだった。
なんとなく店内を見ているとなにやら面白いコーナーがあった。
「あるかしら文庫」
………なんじゃそりゃ。
……本を手に取る。
シリーズと言うわけではなく、いろんな人の本を、面白い部門分けをして、総じてこの「あるかしら文庫」というものにしたらしい。
ポプラ社。
その本たちをなんとなく見ていて、その中にひとつ、行間や字間書体級数がなんとなくものすごく好きな感じ、と思える一冊があった。
「活版印刷三日月堂」
書いている人はぜんぜん知らない人だった。
ほしおさなえ。
まああたりはずれはあるよねーと思いつつ
買った。
オムニバス。読みやすいかもしれない。短い時間でも休憩時間や通勤時間でも読めそう。いいかげん、いつもスマホばっかり文字読みしているのもつまらない。ここ最近、なんとなく情報を追いかけることがばかばかしい。なんだか意味がない。人の揚げ足取りばっかりの世界。わたし個人が情報ばっかり知ってていったいなんの価値があるんだろう、などなどスマホに疲れていたので、活字の文字読みもいいかもしれない、とかなんとか、まあそんなような中途半端な状態で久しぶりに小説を読んだ。
……ひとことでいえば、いいものに出会った。
ここ最近ないような、なんだろう、誰かに似ているんだけど、誰にも似ていない、村山由佳でもないし、有川浩でもないけれども、そんなような、どちらかというと、そんなタイプのような、ちょっとどこか、たとえば青く晴れた日の丘の上の遠くの樹々や森の中の木陰、音もなく流れる透き通った小川、そんなふうななにか、いろいろ静かで透明ななにか、遠いどこかを風が流れていくような、そんななにかを感じる小説だった。
この人は他になにか書いてないのかな。
そう思って、わたしはある日、おおきな本屋で時間を持って、好きな本を探してみる、という贅沢な計画を立てた。
……つづく