謎は解いてもいけないし



文ちゃんへの手紙メモ(記録)

2016年02月24日(水)


ひょんなことから、皇室関係のムック本を三冊買ったんですよ。
ジュンクで。
んで、そういや、せっかくジュンクだし、コミック本を見てこようと思って、そこに新しいわたしが欲しそうな本(コミック)は、なかったんだけど、突然目に入ったのが竹宮恵子の本。いまは学長さまの本。
いやいやタイトルが「少年の名はジルベール」というとんでもなくベタなタイトルだったんだけど、ちょっと立ち読みしたら、上京から風木連載までの話がほとんどで、大泉サロンのあたりの話が多かったので、買っちゃいました。
今年は図書カードが三万円あったので、ちょっと奮発。(もう、半分しかないけども)
そして、しみじみとねえ………
あの時代のことを考えたわけ。
ほんとなら、竹宮さんとわたしたちはあんまり歳は変わらないよね。
で、読むとね、結局、すっごい萩尾さんにコンプレックスがあったのね。
わたしは萩尾さんはすごく好きだけれども、とっつきが良かったのは竹宮さんで、その彼女がこんなに右往左往していたとは(笑)
そしてわたしがすごく好きだった「ウエディングライセンス」とか、「ロンドカプリチオース」がほぼほとんど本人的意向に沿っていなかったこと、わたしがきらいな(笑)風木が、なんかほんとにほんとにやりたかったことらしいけれども、この本を読んで、この人はぜったいに、三原順は理解できなかっただろうなあ、ということ(笑)
でも、実にいろんなことにトライしていて、彼女のいうことはよく分かる。
なぜ、そこまでの努力をしなかったのか、今、思うけれども、これから先だって、まだまだ時間はある。
だから、わたしは、描くことは続けると思う。
そして、趣味で、終わる気はない。
今のままでは画力がないので、まあ、立て直しは必要だなあと思うけれども
この間、長い夢を見て、それがぜんぶ、コマ割だったのよね。
それを、紙に描いてみた。
うん、描けるよね、と思って。
んでね、わたしは描きたいのは、顔でもなく、ストーリーでもなく、空間なんだなあ、とまた改めて思ったわけ。
でも、その空間は、ストーリーもキャラもないと、創ることは不可能なことだよね。
わたしは「間」が描きたいんだよね。
それを改めて感じたわけです。
だからそのために描いていきたいです。
するとやっぱりマンガなんだわね。
イラストではなくてね。
うーん、いや?
イラストでも、できなくはない、かな。
そこのところは、ちょっと、チャレンジしてみるとして、そんなわけで、面白いよね、描くって。いや、なにかを、創るって。
結局、中身はなんでもいいけれども、わたしは空間が描きたいので、そのための手段がいるということなんだけれども、だからやっぱり、竹宮さんじゃないけど、貴種流離譚でいくことになると思うですよ。そして、脚本概論もやるですよ(笑)
まあ、もともと、この本を読む前から、そういうものになると思ってたんだよね、まさか、いまの現代物は描けないしね(笑)
SFとかミステリーとかはやれると思うけども、わたしはねえ、鋼くらいのファンタジーをやりたいんだよね。キャラはある程度、あるんだけども、って、それはもともと、いままでに出していたキャラでもあるんで、知ってると思うけれども、それをまとめて、ひとつにしてしまいたい。
まあ、70までは大丈夫として、やれることをやってみたいと、改めて思ったわけ。
それは竹宮さんの本を読んでなので、やっぱり、なんとなく巡り会ったのかもしれないなあ。(て、ことにしよう・笑)

まわりを見ると。
同人誌を創っていた人たちが一般に仕事をしていても、結局、書けないことに、ジレンマを感じて、結局は創ることから離れられないので。
そういうものかもしれないなあ、と。


まあ、今日は、つまり、改めて、描くよ、ということを思い出した、という手紙です。
ここに宣言しなおしておこうと。

文ちゃんとは10代に知り合って、なんと、ここまで来たね。
それはジュリーのおかげかもしれないし、やっぱり、別ななにかがあったのだろうと。

続くものは、続くね。
続けると、思う気持ちが大事だよね。

自分の、最後の同人誌を見てね、それは御手洗本の最後だったんだけど、四つの季節のお話なんだけど、うん、こういうのって、やっぱり自分だよね、と妙な感心をしてしまって。
やっぱり、こういう世界を描きたいよね、って。

そんなわけで、文ちゃん、これからも、よろしくお願いします(笑)


新年おめでとうございます

2016年01月05日(火)


新年の決意。
(と、いいつつ、今日は5日)


毎日、ひとつ、ルーティン以外のことをする。
まあいいか、とすぐできることを後回しにしない。


昨年は本当にいろいろと出だし病気ばかりしていた。
60歳の膿みだしと思えばそんなこともありだけど、まあ、ちょっと大変だった。後半はなんだか新人も入り(これがまたちょっと大変な人で)あっという間に終わった。

そして、doTERRA を使い始め、健康に気を遣うようになった。
そしてもうひとつ、ちょっと今はまずい状態だけれども、ノエビアに嵌まり買い物をした。
このふたつが高額品で、そのうちノエビアは肌に合わず、今日これから返品可能かどうかを確認の予定だけれども、年末はそんなことでどたばたとすぎた。

今年は、毎日、ここに記入してみようかとも思う。

そんな一年の始まり。





おおっと6月!

2015年06月01日(月)



ふと気がつくと5月が終わっている(^^;)
前回の整形のその後なんですけど、実は、違う病院に行ってみましたよ。
なんとやっぱり肩甲骨の薄いところ(と言う言い方だったそこの先生は)が折れてましたよ。でも、あの前の整形から、というか、落ちてから20日ぐらい過ぎていたので、もうくっつきつつあります、ということでそのまま放置で治すことに。
思うに整形外科というくらいだから、骨って結局、固めてくっつくのを待つしかないんだなあ、としみじみ。
で、毎月なにか病気している今日この頃のわたしですが
5月はヘバーデンと手あせもでした。
これが実は痛いんですよねー……;
てことで、こういう痛みもあるんだよね、と思い出したりして。
6月に入ってもまだ手あせもと前に診断されたものはなかなか治らず
両手のてのひらだから、なにを触っても痛いんですよねー……
もうすぐ治ると思うけれども……
5月はそんな感じで終わりました。

さて、今日、めがねを替えました。
PCの光をカット&紫外線カットがグラスについているそうです。
最近のってすごいねー。
そういや、通信教育の英会話始めました。
英会話? かな?
なんでもただいま絶好調の東進ハイスクールの先生の監修だそうですよ。
どうなんでしょう。
まあその……第一週目としては……こんなものなのかなー。
会社の返金目指してがんばるです☆
ということで、記録。


雑多な記録

2015年04月24日(金)


4月18日
右肩とそのあたりの背中が痛く北赤羽整形外科を会社早退で受診。
午後3時半ごろに着く。
この医院に来ると待つことになるのは十分承知なのでその予定で来院。
そしてやはりこの日は混んでいた模様。

まず、しばし時間がすぎて診断前面談有り。
階段を落ちて一週間すぎても痛みが取れない旨で受診を伝える。
落ちた状態などの問いに答える。
概略。

4月12日AM1:00に自宅階段の三階から二階まで
一番上から下まで落ち、背中と太もも・腰・おしり・左右の腕・右足のつま先を強打。
あまりにリアルに落ちたので、一段ずつの階段の角が背中にどんどんと当たるのを認識。
左手でもともと手すりを持っていたが、滑った際、体が先に落ちて、左手では体を支えきれず、たぶんはおかしな格好で落ち続け右手をひねったかもしれないけれども、認識できたのは、背中の階段一段分づつの強打。
廊下まで落ちて、あまりのあちこちの痛さに動けず、そのまましばらく俯けで倒れたまま静止状態。
しばらくして手足の先を動かし、肩も動かしてみると、どこも動いたので、骨折はなしと判断。そのまま夜中だったので寝る。
翌日は一日お休みだったので、ほとんど寝てすごす。
打ち身と判断したので様子見。
右足の先は突き指らしく思えたので湿布をして様子見。
その後、両太もも、右足の親指、腰は内出血が表に出始め、その後一週間くらいでじわじわと拡散。内出血の状態の場所は痛いのは痛いけれども、目に見えるのでまだ良くなっていると感じられるが、左腕とその背中あたりは、内出血もないのにずっと痛い状態から一週間後にはより痛くなったため、これは打ち身ではないと思い北赤羽整形外科を受診と伝える。

その後左腕がどのぐらい動くのか確認有り。
痛さの確認有り。
そして「全身をレントゲン撮るとすごくかかりますけど、どうしますか」
との問い。なにがかかるのかは不明でしたが、雰囲気が「そんなに撮っても意味ないんじゃ」という感じを受けたので「体は動くので、痛い肩をお願いします」とお伝えする。
かかるもの、という意味が「費用か、わたしの時間か、そちらの時間か」の確認をしなかったことを後で後悔したが、この時点で、体全体で落ちたということはお話していたので、それは医師に伝わるものと理解。
(結果なんにも伝わっていなかったらしいのは後日22日に「肩の後ろがへこんでいると思うが、なんともないか」と聞いたときに、それは些末なこと、と医師から言われたことで知った。全身で落ちて肩の後ろが痛い、とは面談で言い、そしてレントゲンは撮る必要があるのか的な言葉でいったんは止めたけれどもそこは個人的にはずっと知りたかったことだったが、医師はたぶん、わたしが鍵盤損傷の話をしているはずなのになぜ突然そんなところを言い出したのかと解釈した模様。そこで些末という言葉と、どうしたいのか、という言葉が出たと思っている。そこは階段から落ちて打っているがなんともないと思っていいのかの再確認だったのだが。前日に実際、主人から、そこがへこんでいるので必ず確認したほうがいいとも言われていたし、18日には聞けなかったことだったから)
「レントゲンを撮るときに服を脱ぎますか」に、そうですね、の答え。
(結果脱ぐことはなかった。脱ぎ着は肩が痛いときに大事なことだから聞いたのになぜ間違った返事が返ってくるのか)

その後しばらくすると女性が
「血液検査をするので」と来る。
「今は骨粗鬆症の薬を飲めていないので、検査をする意味がありますか」と答えてひとまず拒否。
その後に、代わりの方が来て(そちらで婦長さんと呼ばれている様子の人。名前は不明)
「飲んでいる時と飲まない時の比較の検査をしますので」と言って、それならば、と採血することに。
(結果、再度診察の22日には医師から「飲んでないのに検査しても意味はない。あとは半年後しか検査できない」と言われる。じゃあ、なぜ採血を強行したのか。医師の判断はなしで勝手にやったのか。この今いろいろとけがをしていて血液が必要な時に!)

そのあとにレントゲンを撮る。
しばらくして診察。

レントゲンでは骨が折れている様子はないとのこと。
ただ腕はあがらないので「鍵盤損傷」の可能性があるのでMRIを撮るように言われる。
その間は安静で固定がいいとのこと。
こちらで手配します、とのことで、後は女性に頼むが、わたしの仕事都合とまったく合わないので、やはり休みの日を指定。
この時点で、MRIを撮ればすぐに北赤羽整形で診察できるものとのわたしの認識だったので、その日でもGW前には十分間にあうと判断していた。
実際、個人医院でCTとかを撮れないところが紹介してくれる病院は、たいていその場でフイルムをくれて、診察の医院に持って行くように言われるのが多かったので、ここもそうだとの認識があり、また、医師もその予約を撮ってくれる女性も、MRIを撮った後郵送で一週間もかかり、なおかつ、整形からの連絡をまって診察に行くということはひとことも言われなかったので、最終的に診察代を払う時に書類を渡された女性から「フイルムが一週間くらいで届くのでそれからこちらからご連絡します」と言われたときにはびっくり!
木曜日23日に撮って一週間もかかりそれから診察をするのならまさしくGWに入っていてまったく意味がないではないか?
なぜ、そこのところを誰も言わないのか?
医師が「GWの前にわかった方がいいでしょうから、すぐに予約をいれましょう」と言ってくれていたのに、実際にはまったく意に沿ってない状態に。
そしてわたしも、今痛いのだから早く結果を知りたいのは当然で、でも、予約と合わせるとしたら遅くてもしょうがない木曜日で、と何度も連絡させるのは悪いから決めたのに、そんなに診察が遅くなるならまったく話にならない。
診察代を払う時に、「ええ? どういうこと?」と言ったけど、まあ、その女性は受付だからそれ以上言ってもしかたがないと思い、不審だったけれども、「わかりました」と書類を受け取る。その間、わたしも不機嫌だけれども、その受付も不機嫌。
そもそも10年前と違ってだいたいが受付は不機嫌。
変わったなあと5年前に思い、一年前に思い、今回はもっとひどいなあと思う。
そもそも診察券を出す時に「今日(きょう)は?」しか聞かないのはなんなのか。
きょうは、って、で今日は、の後には、ふつうなにが来るかわかる人は、何度も通っている人ではないだろうか?
たとえは、「今日は診察ですか、リハビリですか」とは聞けないものだろうか?
それはともかく、その日は診察代を払い、帰宅。
夜に考えて、それでは、翌日の空いている時間を自分で確認してMRIの受付をしてもらおうと決める。
実際、翌日に休憩時間の合間を少し足して貰う時間でなんとか予約は取れ、一応「整形さんから連絡して貰わないとだめでしょうか」と聞くと、このまま受け付けますとのことで、ここはすんなり行く。

できれば木曜の整形のお休みまでに届くといいと思っていたら、都合良く休み前、22日に整形より連絡が入る。フィルムが届いたとのこと。
電話がかかってきたらすぐに会社に連絡をくれるように主人に頼んでいたので、22日当日来たとの連絡を受けてそのまま少し早く退社させてもらい、午後7時までの時間内になんとか整形に着く。
この日は思ったより患者さんが少なく、割と早い内に診察に。
MRIでも結局は腱版の損傷(棘上筋腱損傷)などということで、
「痛いときは安静にして痛くないときは暖めて動かす」
ということでした。
でも、今は結果、痛いわけで、痛いときと痛くないときとの区別はないわけで、そうするとまったく動かす機会がなくなってしまうので、再度確認。
実はよくわからない結果。
そうして、その前の血液検査のことがでるわけですが、わたしとしては全く、不本意。
たぶん、先生は、骨粗鬆症はたいへんだし、治す(治ることはないが進行させないことを目的とした治療)をちゃんとやることが大事ということでお話はされていると思うけれども、ただ、歳を取ると、簡単には体が動かないのも事実。
たぶん、もっとお年寄りも、自分の体のことだから、ちゃんとしたいのだけれども、そして一日家に居て病院にくるのはできそうなものだと思われるかもしれないけれども、実はそれがとても大変なことだと今の私は思うわけで、今回、一月から毎月やっていた病気は、聞いたところではたいしたことがないと先生は思われたことだろうけれども、本人は本当に大変で、ただ、病院に薬を取りに来るだけがなぜできないんだ、それは整形を後回しにしていることだろう、とおっしゃいましたが、結果たしかにその通りですが
別口で先生が「背中は些末で今は肩の損傷を治すことが大事」と言われましたけれども、それと同じように、どうしてもできないことというのは、ちゃんと薬を飲みたいと思っていてもたかが病院に薬を取りに来るということができない状態もあるというのも事実です。
軽視するというよりは今目の前の病気に精一杯になるということもあります。
結果三ヶ月薬のために通院していないわけですが、それまではちゃんと通っていたし、なにより具合の悪いときに、こちらの病院はかなり待つというのがデフォなので、それもなかなか具合の悪い時にそれを考えただけで動けません。
それでも、一応、先生の言っている意味はわかりましたので、そこは反省するとして
その後、「後で肩の動かしかたを教えます」と言われたそのたぶんはリハビリ医師の高橋さんは(すでに同名なのが大変イヤになるけれども)
「前の肩の時と同じです」だけでしたが。
どこが教えるんでしょうか。
この方は5年前の肩を折ったときにはいなかったと思いますけれども。
面識があったでしょうか。
いきなり前と同じと言われても。
すでにさっぱり覚えていませんが。
あのときは、整形で、機械をあてて肩をやわらかくしてもらって、リハビリの担当の肩に伸ばしてもらって、先生の意向でほかの近くのところでも暖めて貰って、プールにも通い、針にも行き、といろいろやって今の治った右肩があるわけで、同じようにといっても
そのやったことは覚えているけれども、どうやったのかは覚えていない。
なので、こちらからいろいろ聞けば
「腕を柱にすこしづつ上げて」
「後ろはタオルとかで動かして」
とか。
どうみても上から目線。
横には動かさないように、というのはほんの付け加え。
そういえば前もそんなことは言われたなあと思ったけれども、今、ちゃんとなぜ言ってくれない。いちいちこちらから聞かないとひとつも教えないというのは、もう、終了の時間だったからか、とにかく、こちらが聞かない限り、なにも教えないというのに、最初はやんわりと聞いていたけれども、最後はなんだか、とっても、ばかばかしくなりました!

こんなにわたしの思っていることとすれちがいがあってその上この上から目線のしゃべりというのはこれはこれで給料を貰っているひとなのか。
わたしにはわかりません。
とにかく、最後のちゃらんぽらんな対応で、(高橋先生と言われていたからそれなりなんでしょうが、いままでの3人のほうがよっぽどちゃんとやってくれてました!)
だんだんとわたしのキャパはなくなりました。

わたしは素人です。
ネットで検索すればそこそこ出てきますし、今は予習をしていかないと、医者が言っていることが理解できないくらいに進められるから、一応、わたしはネットは調べて行きます。
だからといって専門職ではないので、詳しくわかるわけではない。
それはそちらで教えて貰えると思って病院に行くわけです。
だいたいでいいので、全治はぜひ、知りたいところです。
今回はそれも言われなかったし、どう対処すればいいのかも言われなかった。
それでは通院している意味がありません。
「どうして欲しいですか」
なんて、そりゃ、痛みを取ってもとにもどしてもらいたいですが。
それをどうやったらなるかを教えてもらいに通院しているんですが。
なにやらまったく私にはわからない通院となりました。

わたしは提箸先生が好きで通ってました。
もともと勘もよくて仕事も早いしわかりやすかったからです。
今回はまったくそれがわかりませんでした。
そしてスタッフのひとりひとりがバラバラでまったくわたしが言っていることがちゃんと先生に伝わっているか、また、それぞれに伝達がいっているのか、まったくそれも感じられませんでした。
バックや服を持ってくれるのも、診療室に入る時だけ、というのが笑えます。
その後はどこも自分で持つのに、なぜ、診療室に入る時だけ持ってくれるんでしょうね?
先生のいないところではそれはないですよね。
まったくわけがわかりません。
そんなに心配に持ってくれるのなら、ほかの時もやってくださればいいのに。
これはすでに笑えるくらいです。

さて、長々書きましたが、今回はいろいろ納得できていません。
なにかを返していただきたくはないですが、わたしの心情は書かせていただきました。



こうなるともはや

2015年04月12日(日)


なにかに呪われているのか、なにかのお知らせなのか
ほんとわからん。
でも、やっと、難聴が良くなってきて
これからは5月の健康診断の前までに
オアシスのプールに通って、あとは池袋までウォーキングをして
ちょっとやせた方がいいよね、などどのんきに考えていたら
昨日、自宅の階段の三階から二階まで
一番上から落ちてしまいました。
すごくリアルに腰とか背中とかを階段の角でどんどんと当たりながら
十数段、落ちました。
いやー、さすがに痛かったわ……
落ちてからしばらく動けなかったもん。
特に背中が痛くて。
のちのち痛いところは
右足の親指、右手の甲、右の腕、左手の付け根、おしり、背中
とあったわけですが、一番最初に痛かったのは背中で、あと左手で、そして右足の親指。
……10分くらい落ちたところに寝っ転がっていて、ようやく起き上がれるようになってから、これはもはや寝るしかないと。
なにしろ、夜中の12時を回っていて……夜中の1時くらいという時間。
ほんとうは夕食の後片付けや持ち帰り仕事とかやろうと思ったことはいろいろあったけど、もう、しょうがない、寝ました。
とりあえず、整形で貰った、やわらかめの湿布薬があったので、それを右足の親指あたり全体に貼り、ほんとは左腕もやれると良かったかもだけど、どーやっても貼れないところなのであきらめ、あとは右手の甲のすりきず(意外と痛い)にキズパワーを貼り、一日寝ました。
今が午後5時すぎ。
最初が良かったのか、すぐに寝たのが良かったのか、足の親指はだいぶんいい感じ。つか、あまり痛くないけれども、歩くにはちょっと支障あり。
はー。
まあ、でも、ほんと、骨折しなくて良かったわー……
これで背骨とか股関節とかやっていたら、ほんとうに、どうしようもなかった。
そしてすごく心配だったのが、母親がちょこっとずつ小さなけがや病気を繰り返している内に体力がなくなったのか、そのまま肝臓が悪化して、亡くなったこと。
たぶん、こういうのって、そういう前触れではないかと、ふと不安になったのさ。
ちょこちょこ繰り返しているのはなにかのお知らせかもしれなくて、このままもうダメなのかなあ、とか。
元気ではあるけれど、それはちょっと心配なところで、でも、考えたら、会社の先輩もこんなトシの時期にお風呂で転倒してすっごい青あざ作ってたし、親戚も階段から落ちて青あざ作ってたし、いろいろ続いてはいるけれども、日頃注意して生きればいいのかなあと、ちょっと盛り返して思う。
しかし、あんまりにも、いろいろ続くとなんかだんだんと凹む。
もともとはライトな性格だけれども、さすがにちょっと凹む。
年を明けてなにかしらに体調に異常があるんだもん。
さて、このあとはどうなるのか、とりあえず、仕事には行けそうで良かった。
運動は無理だな……
なにかいい話はないもんだろうか。
まったく、そんなわけで、事故というか病気には事欠かない2015年今日この頃。





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