2003年06月20日(金)
やっとそろそろ収まるべきところにモノが収まりそうな気配。 腰が痛いので、休みながらやっていて、結局突然やってきたプチ夏休みは片づけのみで終わってしまいそう。 痛いけど、良い夏休みだった。 三日間くらいは、なにもしない会社のことはまったく考えない、そんな日が欲しかったから、場所の空間を作りつつ、こころの空間も作れたようで、気持ちはちょっと落ち着いたかもしれない。毎日毎日、考える時間もなく過ぎていくから。めずらしく、息をついた、三日間。腰を痛めてなければ、山中湖に行っていたはずの三日間。 自然に触れるのはそれはそれで安らぎもあったかもしれないけれども、やはりせわしない日々だったと思うので、降ってわいたこの日々はとてもたすかった。少々の痛みはよしとしよう。(少々?)
合間にベットで「都の子」というのと「温かなお皿」というのを読んだ。江國香織。 読んでいてふと思ったのだけれども、わたしはこれに似た感覚を以前萩尾望都のエッセイで感じたことがある。 彼女の漫画ではなく文章で。シンプルでわかりやすく上品でちょっと異世界な感覚。 わたしの日常とは違う世界のこういう感覚は、わたしは好きだ。 なんだか児童文学的に読めたのだけれども、「都の子」はあとがきに『ミセス掲載のエッセイ』とあった。あ、そうですか。児童文学じゃあないのね。 それで言えば理論社から出ている「温かなお皿」のなかに、ぜったいに以前どこかで読んだというお話がふたつあって、それは〈冬の日、防衛庁にて〉と〈とくべつな早朝〉というのだけれども、これこそは初出がどこなどの記載がなくて、後書きもなくて、いったいいつどこで読んだものかすっきりしない。はてどこで。気になる。書いておいてください、出版社さん。それともわたしの勘違い? そんなはずはないのはたしか。わたしには超能力はないから、先を知っているはずはない。 さて文章的にもそう感じたのだけれども、児童文学的とわたしが思った印象に本の装丁とイラストがある。大きさを文字にしてしまうとなんの感動もないので書かないけれども、ちょっとやさしい印象になる本だった。それとイラスト。もし、これが同人誌の表紙なら、これは手をだせないある意味ヘタとも言えるイラストだけれども、こういう本だと良い印象になるのはどういうわけだろう。挿絵も、いまどきのトーン三昧の絵ではないのだけれども、やはり児童図書館によく置かれている本の挿絵風なのだ。 この挿絵はいつのころだったか読んだ本を呼び起こした。 作者は覚えておらず翻訳本だったという記憶がかすかにあって、タイトルはたしか「四月三十一日」だったと思う。アリスのように時の狭間に落ち込んでいろんな経験をする男の子の話だった。それはとても印象深い楽しいお話だったのだけれども、こういうお話を描ければいいなあと思った覚えもあるのだけれども、もうわたしは探せない。こういうものは思い出が大切なのだ。
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