六本木ミニだより
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2002年04月14日(日) |
カッターを振り回す女 |
昨日、土曜日は、伴侶が我が家に来る予定でした。 しかし、昼頃、「今日も出勤」の連絡が。待ちついでに、布裁断を始めました。 今回、手順に関して、新しい手法に挑戦してみることにしました。それは、一枚経ったら縫うのではなく、裁断だけ、まとめてやる、ということです。その方がリズムができて効率的な気がするので、やってみたかったのです。 2枚のシャツを裁ち終わりました。しかし、カレから連絡はなし。 じゃあ、もう1枚裁とうかな。しかし、連絡なし。 もう一枚、もう一枚……。ついにメールが。
「今夜、泊まりです」
気がついたときには、シャツ5枚と、実物大型紙2着分の切り抜きが終わっていました。もちろん、深夜でした。 えー、そういうわけで、表題の「カッター」というのは布裁断用ロータリーカッターのことです。カッターナイフで頸動脈を切ったとかいうわけではありませんので、ご了承下さい。(「ご安心ください」だろ!)
以前、掲示板で話題になった英語のお話ですが、その後、みなさま、着実に勉強されてますか。 あれから半年ほど経ったと思うので、今までの私の英語道の軌跡を披露しようかと思います。 ちなみに、私が過去1度だけ受けたTOEICの得点は、忘れたい過去なんで正確に覚えていないんですが、280点ぐらいだったと思います。 最近ヤバイと思うのは、映画監督や俳優が来日したときの記者会見に行くことがあるのですが、その席で、彼らのジョークにみなウケているのに私だけ笑えない、っていうことがよくあるんですよ。他の記者さんたちも、質問するときは日本語だし、決して英語が堪能ってわけじゃないと思うんですけど。それなのに、私だけ、短いセンテンスが聞き取れていないの。 そりゃー奮起しますよ。
『英語は絶対、勉強するな』(サンマーク出版) もう一度まじめにやってみようかな、と思うきっかけになった本です。 how to本とCDのついた実践編があり、how to本を読んだ後、実践編を1ヶ月ぐらい聞きました。「とにかく耳から聞きましょう」という趣旨は納得できたし、早さや単語の量も自分にあっていたと思うのですが、いかんせん、内容が通り一辺倒すぎました。いくら日常会話といっても、「お昼に何を食べるか」「シャツはどのサイズを買うか」だけで会話がなりたっているわけではないと思うのですが。 あと、このCDは、「アメリカのホワイトカラーの典型的な一日」を英語で表現している、というのがウリなんですが、アメリカの典型的なホワイトカラーって、奥さんがひとりで朝食作ってダンナのお弁当まで作って、ダンナは、コーヒー一つもいれないもんなのでしょうか。 そういうこと考え出しちゃうと、英語の勉強にならないんですよねー。
『英会話・絶対音読』(講談社) 上の本で、「英語の勉強は中身に興味がもてないとダメだ」と強く感じたので、書店に、自分のレベルに合って内容にも興味がもてるものを探しに行きました。で、選んだ一つがこれ。 中学2〜3年の教科書から、大人にも興味のもてる内容を選んで、何度も音読することをすすめたものです。「インターネットとは?」「誰がコンピュータを発明したか」「アフリカで支援活動をした日本女性」「キング牧師の生涯」など、なるほどおとなが読んでも興味のもてる内容がピックアップされています。 ほんとうは、すべてのトピックを読むことを5周ローテーションするように書いてあったのですが、3周ぐらいで飽きて、次に行きました。
『ネイティブと話がはずむ オシャレに話す英会話』(語研) これも、「興味のもてる内容」をポイントに選んだ本。「ダイエット」「恋愛」「美容」「旅行」「ビジネス」「アートと趣味」といったカテゴリー別に、女性が興味をもって話したい内容が並んでいます。
I'm wondering what hairstyle will suit me. (どんな髪型が私に似合うか悩んでいるんです。)
If there are any unresolved issues between you and your hasband-to-be, you two should realy talk them out. (もしアナタと婚約者との間に未解決の問題があるなら、ふたりで徹底的に話し合うべきだと思うわ
なーんて、日本語でもいってみたくなるもんね。面白く2〜3回読んで全部覚えてはいないんですが(汗)、とりあえず次に行きました。
『速読速聴・英単語』(増進会出版社) 英字新聞から採録した100ワードぐらいの文章を聞き、読みしているうちに、中学レベルの基本単語1800を身につけようというもの。 これ読んで、自分の弱点はなんといっても語彙。それから、長いセンテンスを聞き取る力だとわかりました。何しろほとんどわからないんですもの(涙)。そのうえ分厚い本で、「大丈夫かよ、こんなの」と思ったんですが、内容が面白いせいか、意外とずんずん読み進んでいます。続編も出ているので、これが終わったら、それに行こうと思います。
読むのはもっぱら電車の中。ぶつぶつ音読し続けても、周囲の人は、「英語の勉強をしているんだな」ということがわかると、あまり気にしないものです。 CDは、寝る前に聞きますが、服を縫いながら聞いていることもあります(ただし、手順が完全に頭に入っている服だけ。よって、多くはない) それにしても、英語の勉強は今がやりどき、そしてこれからは、もっとやりやすくなると思います。なぜなら、CDの登場で、教材の値段がものすごく下がったからです。昔の英語教材は、テープを買うと5000円とか8000円とか平気でしたんですよね。上記の教材は、すべてCD付ですが、定価が2000円を超えるものは一つもありません。どれも大きな書店で手に入ると思います。 なお、上記タイトルをクリックすると、さらに詳細が見られます。
アディクションと家族と映画更新しました。
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もう金曜日ですねえ。今週は、一日祖母の家に行って通院につき合った以外は、黙々と映画を見て、黙々と小説を書いて、黙々と服を縫ってました。 ずっとひとりの作業なので、誰かに何か発信したい→日記に書きたいことも多かったのですが、もうそれどころじゃない。パワー残らない。
小説を書くというのは、完全に別の世界に行っちゃう(その世界を作る)ことだから、そっちに行っちゃうと、なかなか元に戻って来られません。ちょうど、オカルト映画で、向こうの世界が見えちゃっている人のような状態になります。ああいう人って、終わった後、ぐったりしちゃうことが多いですよね。ほんとに、あれと同じ。書き終わると、肩で息しちゃう。 子どもをもつ多くの小説家の人たちが、真剣に仕事をしているときに、子どもが近寄ってきて、「うるさいっ!」と怒鳴りつけてしまった経験があるようですが、そして、そういう話を耳にするたびに、「それって仕事中毒じゃないかなあ、子どもの気持ちはどうなるのかなあ」などと内心面白くなく感じていたのですが、今、誰かに寄って来られたら、私も確実にそうなると思います。 行っちゃったきりならいいんですよ、多分(笑)。でも、一日中、それだけってわけにもいかないでしょ。いったん帰ってきて掃除したり銀行行ったり、ゴハン食べたりしなくちゃいけないわけですよ。向こうの世界のことを引きずってくると、社会性失います。
毎日、遠い国に遠距離通勤しているみたいですね。ということは、移動だけで体力使うんです。
+GS式買物手帖+ 小説作法/スティーブン・キング(アーティスト・ハウス) 自分を知る力がつく 自分史のドリル/自分史のドリル編集委員会・編(扶桑社)
アディクションと家族と映画更新しました。
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ちょっと洋裁もしています。以前、ふるやまさんにいただいた「ローチャコ」、粉チャコより断然使いやすい!
「今日の一日、やるべきことはいっぱいあるが、果たして何をするか?」いろいろ考えて、結局『ファンシィ・ダンス』と『シコふんじゃった』の2本をビデオで見ました。 明日、映画評論のクラスの課題が『Shall we ダンス?』なんですが、最近、クラスに出すものはあきらかに手抜きなんですね。受講し始めた頃は、誰にも言われなくても、課題で出た監督の作品や関連作品を、最低2本見てから書いていたのに、最近は忙しくて、課題1本だけ見て感想を書くのがやっとになっていました。 でも、たとえ趣味で書く作品であっても、書くからには自分で納得いく原稿を書きたいと思い、あえて借りてきました。
プロ・デビューして半年経ちましたが、映画を見る取捨選択には悩みます。最初は、試写室に入れてくれる会社も少なかったので、案内が来たものはとにかく全部見る、という見方をしていましたが、それだと、自分が求めているテーマとずれてくる可能性もあるし、見終わった後の思索もおざなりになりがちです。 また、多くの映画会社とおつき合いしてもらえるようになったのはいいのですが、今度はこちらで情報を選んでいかなければなりません。これが非常に難しいのです。「来てください」といわれているものを、あえて断るというのは、とても勇気がいることだし、焦りも感じます。 でも、やみくもに新作ばかり追っかけていると、公開中の作品で試写に行けなかったものや、ビデオで昔の名作を勉強する時間がなくなってしまうんですね。 私は、あまり「プロ」と「アマ」を分ける考え方は好きではありません。自分で納得できるか、できないか。その基準が、プロになったから変わった、とは思えない。というより、基準がずれてしまうと、自分を見失ってしまって、ヤバイと思うんですよ。これが、「自分が看板」であることの楽しさでもあり、キビシサでもあるのでしょう。
小説を書くとき、「1日2枚だけ書こう」と決めました。それ以上書くと神経ブチきれそうだし、長丁場だから持たない、と思って。ところがその2枚が書けず、ぐだぐだする日が続きました。襲ってくる真っ黒な自己嫌悪に耐えてました。 今日、やっと、連続で1日5枚書けた。 長文がなぜ大変かというと、短文というのは、日常生活の中で使っている思考回路だけで比較的書けるんです。「歩く」のと同じね。でも、長文は「走る」のと同じ。ふだん使わない筋肉使わなくちゃいけない。ヒーヒー痛いです(笑)。
2002年03月27日(水) |
声に出して歌いたい日本語 |
例の喪服の打ち合わせの後、夜、声楽家の知人のミニ・コンサートに行って来ました。 とても良かったのは、「中田喜直」「團伊玖磨」「山田耕筰」など、日本の古き良き作曲家の歌をじっくり聞ける機会だったこと。歌詞も谷川俊太郎、北原白秋など、日本語の美しさを追求する詩人たちがつけています。 今、「癒し系」という言葉が頻繁に使われるようになって、それはいい面も悪い面もあると思うのですが、昔の音楽は、「癒し系」なんていわなくても「癒し系」だったのですね。 クラシックのコンサートですから、じっと集中して聞くタイプの音楽会だったのですが、できれば、一曲ぐらい、一緒に歌ってみたかった(不遜)。 生のソプラノを聴いていると、自分のお腹の中まですっとしてくるという、気持ちのいい機会でした。 それと、例のスーツもそうなんですが、例え西洋生まれのものであっても、日本で育って日本ならではの良い個性が生まれる可能性はたくさんあるのだと感じる機会でもありました。
余談ですが、中田喜直や山田耕筰が今、生きていたら、金子みすゞの詩に曲をつけてみたいと思うのではないだろうか。さて、どんな曲ができたでしょう……。
(今日は午前中に25日分の日記を書きましたので、更新は2回目になります)
小学校の入学式の日、私の前の席に座った「みやこちゃん」は、四代続くテーラーの娘さんでした。 四代って明治から続くってことですから、日本に「洋服」というものが輸入されてから、ほぼ同時期を洋服作り続けているお家なわけです。 そのみやこちゃんが、「中小企業なんとか公庫」からお金借りて自分の店を持ったのが七年前のこと。当時から「ぜひ見に来てね」といわれたり、「雑誌にのせてもらいたんだけど、どうしたらいいだろう?」という相談にのったりしていました。
とはいっても、自分にとって「オーダーのスーツを頼む」など、縁がないことだと思っていました。 ところが、彼女のデザインする服は、私にとっても、「そうそう、こういうものを欲していたのよ、私は」と思えるものだったのです。というのは、紳士服の素材を使って、女性用のスーツを仕立ててくれるのです。従来の、いかにもフェミニンな素材を使った「洋装店」というイメージとは、まるで違いました。 しかし、具体的に着る機会もありませんでしたし、金銭的にもそれなりの勇気がいりますから、実際に頼むことはなく、七年間が過ぎました。
このたび、大学の時に買った喪服がさすがにもう着られないので、ついにオーダーすることしました。 今、先日退院した祖母は、日常生活を楽しめるほど元気に回復しているんですね。ですから、今のタイミングをはずしたくないと思ったのです。 実は、一昨年、祖父が死んだときも、買いに行くタイミングを逃してしまって、手近の紺のスーツで間に合わせてしまったのです。 そして、喪服ではありますが、他の機会にも着られる服にしたいので、「黒でない色を」ということで頼んでみました。すると、「グレーは霜降りが入るのでどうしてもカジュアルになる。喪服にするなら濃紺でほとんど黒に近いのがある。それがいいのではないか」との返事。先日、見本を見せてもらいに行きましたら、これがすばらしいので、この色で作ってもらうことにしました。 素材は、イタリアの「ロロ・ピアーナ」という会社の布地を使って作ってくれます。「ロロ・ピアーナ」というのは、「アルフメネド・ゼーニヤ」、(もう一つ何か忘れた)と並んで、イタリアの三大テキスタイルメーカーだそうです。もちろん、立体裁断です。
気になるお値段ですが、私が92年に結婚したときのホテルでのウェディングドレスのレンタル代と、ほぼ同じぐらいのお値段です。(私はドレスブラックで既製品を買っちゃったので、それよりさらに安かったんですが) 「結婚」「誕生」というおめでたい席に、お金や手間暇をつぎ込むのってて楽しいし、話題にするのも楽しいですよね。でも、「死」という俗にいう「不幸」の席でも、学ぶものはたくさんあるし、それなりの気持ちをもって臨みたい、という気持ちが、今回の決断の背中を押したような気がします。
実は、この日記によく出てくる祖母というのは死んだ母の母で、母は一人娘だったんですね。そして、私は子どものなかで長子です。 ということは、祖母が死んでも、父が死んでも、セオリー通りにいくと、私は「喪主」なんですね。 このHPに訪問してくださる方は、私より歳下の方が多いようですし、冠婚葬祭の中で話題になるとすれば、圧倒的にウェディング、つまり「婚」ですよね。でも、私は、もう一つ先のステップ、「葬」の方を気にする歳になってきたようです。 みんなより、ちょっとだけ人生の先の方を、一足先に歩ませていただきます。
なーんていうカッコいいタイトルで、続きを書くつもりでいたのですが……。 金曜日みたいな長文を書いてしまいますと、それだけでスケジュールが押せ押せになってしまって、火曜日まで何も書けない、なんてことになってしまうのですね。昔は日記だろうが掲示板だろうが、何倍もの長文を書いてたんだけどなあ。しょうがないので、はしょって書きます。
「今、小説を書いてます。長編は大変です。体力と根気と勇気がいります。でも、私にもっとも必要なのは、リラックスだったのかもしれません。リラックスできないと、集中はできないのかもしれません。ニヤニヤしながら1年ぐらいかけてやっていきます」
なんだ、ちゃんとまとめられるじゃん。
前にもちょっと書きましたが、バンバン買い物するようになっちゃったのと、小説を書き始めたのとは関係があります。 「小説売れたら大金持ちなんだから、買っちゃえ〜」と思っているからではありません(一冊の小説で執筆者が手にする金額は、サラリーマンの年収より低いのが相場)。そうじゃなくて、これでダメなら、すっきりと次の人生に行けるので、〜ライター仕事増やすなり再就職するなり〜、腹が据わったからなんです。書くことができなくて、動きがとれずに苦しんでいる状態というのは、現実的にも精神的にもいちばんキビシイ。みんなが働いていて、自分ひとり、空を眺めていると白い雲が流れていくというのはね。
「買い物手帖」をつけるようになってよかったのは、書いたときに、「これは本当に自分の欲しかったものか」確認できるということ。本当に欲しかったのか、必要なのに買えずにいたものか、それともヤケで買い物しちゃったのか、自己確認できるのです。 で、明日、この「買い物手帖」に書き加えても絶対に後悔しないと思える、「すごい買い物」をしに行きます。 何を買うか公表しようかどうしようか……、あ、もう出かける時間だ。決断しなきゃ。オーダーのスーツなの。 (一応、『ニヤニヤ生きる』シリーズはここで終わり)
2002年03月22日(金) |
やっとシリーズの続きです |
(この稿は以前からの続きです。初めての人はindexから「ニヤニヤ生きる」をクリックしてね)
さて、「ニヤニヤ生きる方式」を取り入れようと思い立った私は、さっそくあれこれの生活シーンの中で試してみました。 まずしょっぱなは、かなりくだらないんですが、「階段を下りる」です。私は地下鉄の階段を下りるのが遅くて、彼の家から一緒に出勤したときなど、「早く下りてよ〜」と、かなりイライラされます。なんとなく脚がこわばって、もつれてしまうんですね。 で、ニヤニヤしながら下りてみました。 すると!「タタタタター」、まるでレレレのおじさんのごとく、脚がスムーズに動くではありませんか。 次は、もっとくだらないんですが、「歩く」ことです。私は歩くのも遅いです。ところが、ニヤニヤしながら歩くと、足取りが軽やかになるのです。
先日、ボウリングに行ったときも、もちろん、ニヤニヤしながら投げました。うむ、スペア取ったぞ。ガーターも出したけど。 ちなみにこの日、連れ合いは、3連続ストライク、いわゆる「ターキー」というものを初めて出しました。 (私はそれを「ターキー」ということもそのとき知ったんですけど)。私は興奮して、 「ね、ニヤニヤして投げた? ニヤニヤして投げた?」と聞いたら、彼はちょっと考えて、 「うーん、きりっとした顔で投げた」 やっぱり、すべてがセオリー通りにはいかないようです。
そうこうしているうちに、この「ニヤニヤ生きる方式」が、自分の基本的な「生きる姿勢」みたいなものに染みこんできたことに気づきました。 mplの型紙に手を入れよう、と決断したのも、その延長なのです。うまくいえないんですけど、その作業をしたとき、「迷い」がなかったの。そして、自分が納得できるときは、「正解を出したとき」じゃなくて、この「迷い」が感じられなくなったときなんだ、ってことがわかりました。
さらに、この「ニヤニヤ生きる方式」は、私の生活に、ついに大きな変革をもたらし始めました。 それは、長編小説を書き出した、ということなのです。 (この稿さらに続く)
+GS式music+ oops!...I did it again/Britney Spears
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