〉〉〉只今編集中
『光と陰』
おやじ、あんたが死んでから5日が過ぎたよ。今、あんたはどこにいるんだい? 何だか不思議なもんで、俺のすぐそばにいるように感ずるんだ。生きてる間はすれ違いばかりだったのに。本当に皮肉だよな。あんたが死んでこんなに涙が出るとは思わなかったぜ。 母さんは、気の毒なくらい落胆してるよ。「こんなことなら、お父さんにもっとよくしておけばよかった」って、そう言ってたの、あんたにも聞こえただろ? 何か言ってやってくれよ。「母さんがいたお陰で、自分はここまでやってこれたんだ」って言ってあげてよ。だって、そうだろ、おやじ。あんたにはできすぎなくらい、よくできた妻だっただろ。あんたはわかってるはずだよ。少しぐらい誉めてやれよ、と何度思ったかしれないぞ。頑固者のあんたは簡単には認めないかもしれないけどな。 あんたの頑固さには、何度も音を上げたよ。「くそおやじ、早く死んじまえ!」、心の声がつい口に出ちまったりしてな。だって、あんたの言ってること、むちゃくちゃだったぜ。生きてる間は母さんを泣かせて、死んでまた母さんを泣かせてる。 そんなあんただけど 、周りの人たちがしきりに誉めるんだ。最初は「おやじは、外面がよかったからな」って思ってたけど、来る人、来る人が異口同音に誉めちぎるんだ。「あなたのお父さんは立派な人だ。あんなこと、マネできるもんじゃない」ってね。 あんたは、毎日少しずつ地域のなかを草取りしたり、掃除したりして回ってたな。地味に地域貢献してたんだな。ちりも積もればじゃないけど、「曽根さんが毎日せっせと掃除してくれたお陰で、地域がきれいになった」って感謝されたりしてな。確かに、ズボラな俺にはマネできることじゃないけどな。 あんたは損得勘定では動かなかった。死んでから、今さらながら気づいたけど、それはすごいことだよね。損得勘定じゃなかったから、来る日も来る日も続けられたのかもな。地域を愛し、誰かの役に立てることに喜びを感じてたのかもな。 俺は、あんたのダメなところをたくさん見てきたから、目が曇ってたのかもしれないな。おやじ、あんたはすごいよ。 自閉症の兄貴のことも、あんたなりに心配してたんだよな。あんたの愛情の表し方、じれったいくらいに不器用なんだよ。 あの時の言葉が、いま強烈によみがえってくるよ。「司くん(注:兄のこと)、お母さんや攻(注:私のこと)の言うことをよく聞くんだよ」 それが、あんたが俺たち家族に語りかけた最後の言葉になるなんて、その時は思いもしなかった。その言葉のなかに、あんたの愛情が凝縮されてるのを、今はイヤと言うほどに感ずるよ。 おやじ、あんたはいつもズルいよ。俺たちに黙って、天国に行っちまうんだもんな。それはないだろ、おやじ。 なあ、おやじ。そこにいるんだろ。いま、どんな気持ちでいるんだい? 俺はどんな息子だった? 悪いな、もう少し優しい言葉をかけてやれたらよかったよな。許してくれよ。いや、許してくれなくたっていい。だけど、頼むから、母さんと兄ちゃん、守ってやってくれよ。なあ、おやじ、おやじ。 嫌いだったけど、好きだぜ、おやじ。やっぱり、俺のおやじだからな。いつかまた必ず話をしような。おやじ、おやじ、おやじ・・・
お題として募った「笑顔」「絆」「トマト」「道」という4つのワードを使っての曲づくりに挑戦。何とかギリギリで約束を果たすことができて、ホッとしています。 タイトルを『夜明けを探しに』としました。
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〈夜明けを探しに〉
「2011年3月11日、時計の針はあの日のままだけど、確実に十年の月日が刻まれた。11分の3(3/11)のためらいを抱えたまま、俺は今もまだ、ここにいるんだ」
もういいかい まあだだよ 夕暮れの 夕暮れの かくれんぼ 君も ふるさとも 何もかも 目をこらしても こらしても 見つけられず
きれぎれに きれぎれに なっていく 思い出を 思い出を かき集めて 失われたふるさとの絆を取り戻すために 俺が俺自身であるために
近くて遠い 遠くて近い 届かない しゃぼん玉 飛んで はじけて 消えていく
有刺鉄線の向こう側 すっかり大人になった君が歩いてくる かくれんぼは いつの間に いつの間に 終わってしまったのだろうか
黒々と日焼けした君が笑顔で差し出す手の中に 赤々と燃えるようなトマトがひとつ 手を伸ばしても 伸ばしても 届かない 夏色に彩られた世界が 光を失っていく
消えないで 消えないで いちばん星に願いをこめて 夜明けへと続いていくこの一本道に 初めの一歩を 初めの一歩を 今ここに 刻んでいくのだ
「有刺鉄線の向こう側、笑顔の君が赤々と燃えるようなトマトを差し出す。近くて遠い。遠くて近い。ふるさととの絆を確かめたくて、夜明けへと続くこの一本道をただひたすらに歩いていく」
(詞・曲:夏撃波)
〈十九歳の地図〉 (詩:夏撃波)
夜明けとともに この街を 新聞配達の少年が 駆けぬけてゆく 郵便受けには今日も 時計仕掛けの爆弾が 詰め込まれていた
※中上健次の小説にはまってた時期がある。『十九歳の地図』は幾度となく繰り返し読んだなあ。この小説が書かれた時期とは街の風景もだいぶ変わってしまったけれど、十九歳の心の風景は時代の変化ほどには大きく変わってないのかもしれない。 ※ブックレビューを残すのも悪くないけど、「書評詩」とでも言うべき表現も悪くないかなあって思って書いてみたよ。本のオビに書かれるようなキャッチフレーズに近いものなのかもしれないけど。 ※夏撃波(カ・ゲキハ)は、俺の筆名であり、「芸名」でもあります。
2021年04月27日(火) |
〈歌のつづき 夢のつづき〉 |
〈歌のつづき 夢のつづき〉
うたを届けるということ それは幼な子に物語を読み聞かせること それは大切な誰かに手紙を手渡すこと 歌には必ず歌のつづきがあるということを 夢には必ず夢のつづきがあるということを あなたに そして私に さあ今すぐ 伝えに行こう
2021年03月23日(火) |
〈春、何かが始まろうとしている〉 |
ねえ、君 弱い自分を全否定しなくていいんだよ 弱さも含めて自分だろ それに弱いのは君だけじゃないんだ みんなが自らの内に弱さを 抱え込んで生きてるものなのさ コンプレックスは大切にしたほうがいい コンプレックスってやつはいつか必ず 君を後押しする力になるはずだから
悩んだっていい 時にはとことん悩めばいい でも忘れないでいてほしい 君は生きてるだけで とても価値のある人間なんだよ 君がいるだけで 幸せを感じてる人間がここにもいるんだ
悩んだっていい だけど 決して自分を追い詰めないで 時には弱い自分を許してあげて
もうすぐ春だね 生命が動き始める季節だね 心をざわつかせる季節でもあるけど でも ざわつかせる季節だからこそ 自分が変われる季節でもあるんだ
ねえ、君 花吹雪舞うなかを 軽やかにスキップしてみないか 新しい世界が手を広げて 君のことを待ち受けているのさ
※詩のようなものが浮かんできました。いろんな人を思い浮かべながら作りました。誰か他者に対するメッセージではあるんだけど、同時に俺自身へのメッセージでもあるんですよね。
2021年03月21日(日) |
〈十代の僕へ 十代の君へ〉 |
三十年前 何もかもを自らの内に秘め ひとり苦しんでいた僕 大切な人を絶対に 傷つけたくなかったから すべてを胸のうちにとどめ 歯を食いしばって 嵐の行きすぎるのを待っていた
傷あとはだいぶ小さくなったけど あの頃の痛みと苦しみが 今でも思い出され 時々うずくんだ
膝をかかえてうずくまる君 君を助けられるなんて 大それたことを 思っちゃいないさ
だけど 十代の君は かつての僕自身を 思い出させるのさ
あの日 助けを求めて 光ある方へ 手を伸ばしていた僕
だから君に言うんだ 死にたいと思っても 絶対に死ぬな 君が向かうべき場所は そこじゃないよ
手を伸ばすんだ 思いきり手を伸ばすんだ 君は君がなりたいと思う君に なれるはずだから たとえ光に届かなくても 伸ばした手の先に 君の向かうべき場所があるはずだから
道の先には 未だ見ぬ世界が 君を待ち受けてるはずさ
その美しい風景のなかで いつか必ず 君と再び出会いたいんだ
※このところ、詩を書きたくなって少しずつ書いてます。 『十代の僕へ 十代の君へ』は夜中に一気に浮かんできました。冒頭で30年前と言ってますが、現実の私は50代半ば。40年前というより30年前と言ったほうが詩的と感じられたので、そこはフィクションです。ていうか、詩そのものもフィクションと言えば、フィクションですが。現実の出来事から発想されたことは間違いないけど、虚構のなかに本質的な何かを映し出せたらいいなあって思います。
小学生の頃、家族連れで甲府の街なかに出かける時、俺にはなんとも憂鬱な気分があった。おばあちゃんの家(母の実家)に行くのは全然大丈夫なんだけど、ね。 街なかに出ると、道行く人は必ず兄や俺たち家族を振り返って見た。落ち着きのない兄の行動は、人々の視線を集めさせた。俺は恥ずかしさのあまり、身がすくむ思いだった。 でも、母は決して兄の存在を隠そうとはしなかった。あの頃の俺にとっては苦痛を伴う時間だったけど、今となっては母に感謝しているよ。兄の存在は何ら恥ずかしいものではないんだと、今では自信を持って言える。そして、俺自身も、家族に障害を持つ者がいようと堂々と生きていけばいいんだ、と心から思えるようになったのだから。 障害があるということが生きづらさにつながってしまう現実があることは確かだ。でも、障害があることは恥ずかしいことではないはず。 兄を含めて障害を持って困難さに立ち向かってる人は、もしかすると、時代の先をゆくパイオニアなのかもしれない。そんなふうに考えるようになったよ。
2021年03月16日(火) |
〈あるいは、詩ではなくともいいのかもしれない〉 |
冬の大三角形、夜空に大きく白いため息。 僕は、おうむ返しでしか言葉を返せない。だから、ママを悲しませてしまっても、僕はただおろおろと立ち尽くすばかりさ。大好きなママが泣いていても、何もしてあげられないなんて、そんな時、僕は本当に泣きたくなるんだ。 ある時、僕は発見したのさ。僕が笑ってる時、ママも一緒になって笑ってるってことをね。その瞬間はとても幸せだったから、僕は決めたんだ。楽しいことを考えて、できるだけ笑っていようと。でもね、辛いことがあると、ついそんな誓いも忘れてしまうのさ。 ママ、ごめんね。ママは僕にこう言うのさ。「お前のことが大好きなんだよ」ってね。ありがとう、本当にありがとう。こういう場合にその言葉を言えばいいのかな? ママのやさしさも、星の瞬きも、僕の心をふるわせ、揺さぶっていく。その感動を言葉にしようとしてもうまく形にはならないんだけど。 たとえ詩にならなくたっていい。とぎれとぎれになってしまうかもしれないけれど。けれど、いつも後回しにしてる大切なその言葉を、今こそ大切な人に伝えてみようと思うんだ。
※自分以外の存在になりきってみて、詩のようなもの、詩片を綴ってみました。
2021年03月12日(金) |
〈今年も3月11日は過ぎ去っていくけれど〉 |
11分の3(3/11)のためらいを胸に抱えつつ、前に一歩踏み出す勇気を持ちたい。
不意に思いついた言葉の断片だけど、
たいていは行動を起こす時、最初から自信などはなくて、ためらいが先に立ってしまいます。でも、ためらい、迷い、葛藤し続けながらも、小さな歩みを重ねていこうと思ってます。時に勢いをつけて疾走することが必要なことはありますが(実際に迷いを振り払って突進することもありますし、その時の自分は嫌いじゃないけど)、葛藤しながら前進することを私自身の人生のテーマとして考えています。失敗もし、カッコよくない自分もさらしながら、精一杯闘ったということを、後から来る人たちに示せたらいいなあって思います。
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