夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2010年07月25日(日) 名駅薪能2010

 夏バテ気味の私であったが、名古屋駅桜通口駅前広場で行われた「名駅薪能」を観に行ってきたよ。今年は「全国学生能楽コンクール」優勝グループによるエキシビション演技も併せて行われた。
 能を観るのも久しぶり。楽しみにしていたが、あまりの暑さと疲れとで、集中できず、だいぶ居眠りしてしまったよ。もったいないことしたな。
 
 それにしても、能の舞台空間というのは、現代的視点からすれば、斬新だよな。今更ながら再確認したのは、能の舞台には大道具とかセットというようなものがほとんどないという点だ。何もない空間が一瞬にして意味ある空間に変容するわけだ。何もないのにあたかも何かがあるように感ずる。その場にいる人間(観客)が皆おなじ幻を見ているとも言える。観客が共通の幻想を見るという点は現代演劇にも言えることだが、能は特にその原始的な形態と言えるだろう。また、中世に始まった形式でもある能の舞台は、私たちを異空間に誘ってくれる。
 なかなか観る機会に恵まれないが、また能楽を観てみたいな。



2010年07月24日(土) 辺野古節

 今夜、沙羅とともに、栄の沖縄居酒屋「結」に出掛けていった。今日は、名古屋三線クラブのメンバーによる発表の場が設定されていた。当然ながら三線をフィーチャーした演奏が大半を占めていたが、我ら<沙羅双樹ふたたび>はギター、ミンミン、アコーディオン、ピアノ等を使って楽曲を発表。
 まずは、私のクラリネット演奏からスタート。クラリネット歴1年弱だが、まだ1曲すら満足に吹けない状態。今回は「恥はかき捨て」とばかりに演奏。やはり聴き苦しい点は多々あったが、それが現時点での実力なのだろう。
 2曲目は、沙羅のピアノ&ヴォーカルで、『Key To The Highway』というブルースのナンバー。私は、ギターで参加。沙羅は「ヴォーカルに自信がない」と言っていたが、ブルースを自分のものにして歌うというのは並大抵のことではない。
 3曲目は、沙羅のアコーディオンと私のミンミン&ヴォーカルで『辺野古節』(ソウル・フラワー・ユニオン)を演奏。続けて4曲目も、ソウル・フラワー・ユニオンの曲で『そら』。こちらは、沙羅のアコーディオン&ヴォーカル、私のギター&ヴォーカルで演奏。ソウル・フラワーの曲は、哀調を帯びつつも心を元気にしてくれる名曲揃いだと思う。
 5曲目は、アンコールに応える形で、ビリー・ジョエルの『Goodnight Saigon』を演奏。沙羅のピアノにのせて、私がヴォーカルをとった。ベトナム戦争がモチーフとなった曲だ。
 それから最後は、私一人で、ミンミンの演奏にのせて、宮沢賢治の詩『永訣の朝』を朗読。初公開ながら、まずまずの出来。
 「結」は気楽に居られる店であり、その安心感からリラックスして演奏できたように思うね。



2010年07月07日(水) 七夕のスローブルース

 2ヶ月ぶりに、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加してきた。
 今回は、3曲プラス1曲を演奏。1ステージ目は、オリジナル曲のメドレーで<星ヶ丘3部作>を披露。自作詩『現代能・隅田川』を朗読した後で、中島みゆきの『うらみ・ます』を演奏。2ステージ目では、『朝日楼』(浅川マキ)を演奏。
 久しぶりのステージで若干の緊張もあり、ミスもあった。やはりブランクがあるといろいろとね。ソロも久しぶりな気がしたが、デュオとはまた別の楽しみがあるものだとあらためて思ったね。



2010年07月03日(土) モア・エ・トワ & ノースリーブス(?)

 栄の沖縄居酒屋「結」に出掛けた。
 今夜、モア・エ・トワ(トモちゃん&キューちゃん)とタカ&ヨッシーのジョイント・ライブがあった。
 モア・エ・トワは、70年代和製フォーク、それも男女デュオの曲をカバーするというコンセプトの2人組。ユニット名のモア・エ・トワは、トワ・エ・モア(70年代フォーク・デュオのひとつ)をパロったもの。昔懐かしのフォークを聴き、しばしタイムスリップ。
 タカ&ヨッシーは、内外のブルースやロックのカバーやオリジナルも演奏していたが、ブルージーでカッコよかった。途中、マッキーがピアノで参加し、さりげなく卓越した演奏を披露。ノースリーブで颯爽と現れたマッキーの爽やかなお色気にも男達は反応。いずれにしてもカッコよかったな。
 2組の演奏後は、腕に覚えある人々のセッションが始まって、ついつい長居して、あげく終電を逃し、タクシーで帰宅することとなった。



2010年07月02日(金) 宝石

 今夜、矢場町「クラブクアトロ」にタテタカコのライブを観に行ってきた。
 タテさんのことを知るきっかけとなったのは、是枝裕和監督の映画『誰も知らない』(柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞)だ。あの映画自体が非常に優れた作品であるが、挿入歌でタテさんの『宝石』という曲がとても効果的に使われていたように思った。あの映画は絶対のおすすめなので、DVDででも観ていただきたいと思う。
 今回のライブでも『宝石』は演奏されたが、映画のワンシーンが鮮やかに甦ってきて、感動的だった。最新アルバムからも何曲か演奏されたが、ストレートに心に響いてくる曲ばかりだった。ほどよい緊張感が会場を包んでる感じ、その雰囲気もよかった。
 タテさんのステージは数年前に一度観ており、その時はその時で感動的であったが、今回はそれを上回る感動を覚え、即座に最新CDを購入。タテさんのサインをもらいながら、少しだけ言葉を交わした。
 タテさんの歌、また聴きに行きたい、すぐにでもまた聴きたい。そんなふうに思わされるライブだった。



2010年06月24日(木) 悩ましい選択

 来月、いよいよ参院選が行われる。と言っても、どことなくシラケた感じがあるよな。
 昨年「政権交代」があり、有権者は鳩山政権に多大なる期待を寄せていた。ところが、「普天間問題」が引き金となって、鳩山総理と小沢民主党幹事長がダブル辞任。かわって菅さんが総理に就任すると、支持率はV字回復となったが、支持率って一体何なんだと思う。トップの顔が変わっただけで、まだ何の実績もないのに。期待感だけで、支持率はそんなにコロコロ変わるものなのだろうか。
 「普天間問題」だって何も解決してないのにね。「普天間問題」に関して言えば、今回の「日米合意」という結果を、国民は一体どうとらえているのか。沖縄県民以外はやはり他人事でしかないのかな。民主党政権になってからのこの問題の迷走ぶりには目を覆いたくもなるが、じゃあ、自民党政権の頃の方がよかったかと言うと、そんなことはない。俺は、民主党政権になって、少しはマシになったとは思っている。「普天間問題」が国民的関心事となっただけでも(それが一時的だったにせよ)政権交代はあってよかったんだと思う。日本が正真正銘の独立国ではなく、アメリカの属国であることが白日の下に晒されたということだけでも、意味はあったんだろう。ただ国民的議論は中途半端で終わってしまったけどね。鳩山さんの総理としての資質にも疑問符はあったが、俺には鳩山さんに同情する部分もある。鳩山さんを総理に担ぎ上げるだけ担ぎ上げ、本来であれば支えなくちゃいけない立場の人間が、最後には鳩山さんだけに責任を被せて、知らぬフリを決め込む。まったく政治家たちの厚顔には反吐が出るぜ。
 でもって、参院選。今回、民主党に投票したくはない。けど、民主党に投票しないってことはつまり自民党を利することにしかならない。現在のシステムではそれが現実であり、そこが問題ということでもある。選択肢はいくつかあるようで、事実上2つから1つを選べという現実。あと選挙結果によっては、民主党と自民党の大連立などという悪夢も現実になりかねない。ということで、非常に悩ましい選択を迫られているってわけさ。



2010年06月19日(土) 浪曲師・国本武春

 名古屋南文化小劇場に、浪曲師・国本武春さんの公演を観に行ってきた。
 第1部は浪曲「紺屋高尾」。古典落語の演目のひとつとしても知られているが、花魁の最高位である高尾大夫と一介の紺屋職人との純愛物語が、沢村豊子さんの三味線と武春さんの語りとで、鮮やかに表現された。
 第2部は、三味線弾き語りスタイルで、「忠臣蔵」などが演じられた。武春さんの軽妙なおしゃべりも加わって、とても楽しいひとときを過ごした。
 私自身、音楽的活動のなかで、語り物も多く取り入れているが、客席との間合いなど難しい側面も少なくないと感ずる。やはり武春さんは場数も半端ではなく、随所に名人芸を披露してくれる。そもそもプロの浪曲師と比べること自体に無理があるが、自分なりに研究し、私は私なりのスタイルを構築していけたらと思う。



2010年06月13日(日) 篠笛体験 & 金山セッション

 あるフリーペーパーに掲載されていたイベント情報を見て、今日の午前中、沙羅とともに瑞穂区内の中学校で行われた<篠笛体験>に行ってきた。まず、プラスチックの篠笛と教則本を購入。基本的な吹き方を教えていただき、童謡『ひらいたひらいた』を練習。そして、最後には、『ひらいたひらいた』の演奏発表。うまくいかないところも多かったが、一応の形にはなったのかな。かっこよく吹けるようになるにはまだまだ程遠いが、面白かったな。

 一度家に帰り、午後は金山の某・カラオケボックスへ。沙羅はアコーディオンを、俺はミンミンとピアニカを持って、出掛けた。カラオケに行くのに何故楽器持参なのかって普通は思うよね? 実は、我々の目的はカラオケではなく、セッション。本当は鶴舞公園で行われる予定だったが、雨のため、場所をカラオケルームに変更という次第。
 沖縄曲を中心に4時間弱、ギター、三線、ハーモニカ、鳴り物などが入ってのセッションを楽しんだ。十数人での演奏はさすがに音の厚みがあって、とってもパワフル。それぞれの個性も随所に聴かれたが、おおぜいで演奏することである種のグルーブ感が生まれた感じだね。我々<沙羅双樹ふたたび>を中心に『竹田の子守唄(元唄)』『美しき天然』『辺野古節』の3曲をチンドン・バージョンで演奏することもでき、うれしかったな。楽しい時間はあっという間に過ぎ、後には爽快感と心地いい疲れとが残った。



2010年06月02日(水) BUTOH

 2010年6月1日、舞踏家・大野一雄さんが亡くなられた(享年103歳)。土方巽さん(故人)とともに暗黒舞踏という新たなスタイルを確立し、世界的にも「BUTOH」の名を知らしめた人物だ。最晩年はアルツハイマーを発病、闘病しながらも生涯現役を貫いた。
 大野さんの舞踏は二回観たことがある。初めて観たのは、大野さんがおそらく80代の頃だったと思うが、匂い立つような色を感じさせる、強烈な舞台であった。二回目は既にアルツハイマー発病した後のことだったが、踊らずにはいられない、自然と身体が踊り出してしまうとでもいうべきか、初期衝動のようなものを感じたし、その凄味に圧倒されたね。
 かつて演劇をやっていた私にとって、大野一雄さんは憧れという以上に、その生きざまも含めて遙か高みに存在するアーティストであった。今はただ、大野さんのご冥福をお祈りするばかりだ。
 



2010年05月27日(木) 公園に行けば

 最近、我々<沙羅双樹ふたたび>は、天白公園を練習場所のひとつに当てている。夏・冬に屋外練習はつらいけど、今の季節なら大丈夫だからね。
 練習曲に昔なつかしい抒情歌なども入れているせいか、散歩中の中高年の方などから声をかけられることもあるんだね。「なつかしい曲だね」「いい演奏を聴かせてもらいました」「また時々ここで演奏して下さいよ」等々。沙羅が演奏しているアコーディオンの楽器自体の力(沙羅の演奏力とは関係なく(笑))もきっとあるんだろうな。
 で、今日だが、ご近所にお住まいの50代の男性(Mさん)が「ここで聴かせてもらっていいかな?」と声をかけてきたので、「下手な演奏ですが、よろしければ」と応じた。Mさんご自身は昔トロンボーンをやったことがあり、息子さんがピアノを弾くというような話も交えつつ、我々の演奏を横で聴いてらした。我々が朝鮮民謡の『アリラン』を演奏し始めると、Mさんは『アリラン』について熱く語り始めた。聞けば、在日韓国人二世とのこと。奥さんがチャンゴ(韓国の太鼓)をやるというお話も聞く。「もしよかったら、ウチに遊びに来ませんか?」とのお誘いも受け、夜にご自宅に伺うことを約束し、いったん別れる。
 夜あらためてMさん宅を訪問。Mさんご夫妻とMさんのお母様、そしてピアノを弾くという息子さんに出迎えられ、グランドピアノの置かれた部屋に案内された。息子さんのピアノの演奏レベルは相当に高く、その後で我々が演奏するのもためらわれたが、下手は下手なりに楽しければいいと演奏させてもらった。あまり夜遅くならないようにお暇したが、音楽は人と人との垣根を低くするということをあらためて感じた夜だった。


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