今夜、星ヶ丘「スローブルース」に行って来たよ。沙羅のピアノの先生でもあるペコちゃんのライブがあるっていうんで、沙羅と一緒にね。 早めに到着して、まずは食事を摂る。開演8時の予定が、8時の時点で出演者は誰もいない。まぁ、遅れて始まるのも想定内だったので、ひたすら待つ。ところが、待てど暮らせど、出演者は来ない。そのうち、マスターからアナウンスがあり、出演者が「スローブルース」が入っているビルのエレベーターに閉じこめられていることが判明。 結局、ライブのスタートは1時間近く遅れ、9時前に。まずは、<こばちゃん2>(ピアノ:ペコ小林、ギター:チャビー小林)の演奏から。流れるようなジャジーなサウンドは、カッコいい。 次に登場の、<NO!GROOVE>は大阪からやってきた音楽集団。ここでも、ペコちゃんはピアノで参加。トランペットやトロンボーンも入って、ジャジーかつファンキーなサウンドを展開。一人ひとりの演奏レベルは高く、とってもグルーヴィー。特に、タブさんのエモーショナルなヴォーカルは素晴らしかった。 ハイレベルな演奏を聴いた後、気持ちはとても解放されていた。
今夜、星ヶ丘「スローブルース」にライブを観に行ってきた。 まずは、われらがえみちゃんのアコーディオン演奏からスタート。彼女のエモーショナルなピアニカ演奏もいいが、アコーディオンのより重厚な響きも素晴らしい。 その後、京都からやってきた二人組「ふく★やま」(ギター&ボーカル:福島かっちゃん、スティールギター:やまちゃん)による演奏。アメリカ南部を思わせる響き。かっちゃんの低音の声もいいが、みんなスティールギターの独特の音に耳を奪われていたみたい。 人の演奏をライブで聴くのもいい刺激になるね。5日後には、また別の人のライブを聴きに行く予定。
2009年03月08日(日) |
クロスカントリースキー |
仕事は今、忙しさの真っ只中。スキーをやってる場合じゃないかもしれないのだが、長野県の白馬にやってきちまった。スキーと言ってもゲレンデを滑るスキーではない。アルペンスキーも悪くはないけど、俺の興味は山スキーとかクロスカントリースキーにある。 白馬村観光局の主催で「クロスカントリースキーでオリンピック競技場のコースを滑ってみませんか」という企画があるのを知って、はるばるやってきたというわけだ。そのクロスカントリースキーだが、斜面を滑り降りるという要素もあるが、逆に山道を登っていったり、平らな雪道を滑って進んでいったり、感覚的にはトレッキングあるいはハイキングに近い感じもあるかな。だけど、アルペンスキーとは勝手が違うし、ややバランスがとりづらい。最初はよく転んだし、思うように滑れない。 途中、クロスカントリーの選手が、俺たちを追い抜いていく。その颯爽とした滑り。俺とは明らかに違う。およそ同じスポーツとは思えない。というか、俺の滑りはスポーツ以前だな。それでも2時間半にわたる講習(?)を経て、だいぶ気持ちよく滑れるようになったよ。 心地よい疲れ。今夜は、とてもよく眠れそうだ。
2009年02月28日(土) |
はじめてのゴーヤムーン |
今夜は、仕事が終わってから、いりなかのライブハウス「ゴーヤムーン」に直行。 店に着くと、既にシノノメソラのステージが始まっていた。どこかしら郷愁を呼びさますような彼らのサウンドには心なごまされる。シノノメのバイオリニスト・かなでさんに教えられて、今夜のライブに出掛けていったが、出演者の音楽ジャンルはバラバラ。シノノメソラの後は、女性一人のギター弾き語り。その後が、ロックバンドで。トリが、アイリッシュ音楽の演奏。でも、こういう取り合わせも、まぁ、たまにはいいか。
今夜、本郷「アルマジロ」のアコースティックナイトに、<沙羅双樹ふたたび>として参加。『夢の島』(どんと)、『荒野の風』(ヒートウェイヴ)の2曲を演奏してきた。 私たちの他、全9組が出演。カバー曲演奏の組もあったが、オリジナルを演奏する人が多かった。 私たちもオリジナルを作れるといいんだけど、カバーしたい曲はどんどん増える一方で、なかなか演奏技術が追いつかず、消化しきれていない。結果として、オリジナルまで手が回らないでいる。でも、今夜出演の智美ちゃんやgakoちゃんは自分の言葉をしっかり持っていて、それが演奏を通じて伝わってきたから、「やっぱりオリジナル作りたいな」って思ったね。 カバー曲を演奏した人たちも(P.P.M.だったり、70年代フォークだったりしたが)、それぞれにその曲への思い入れが感じられ、それはそれで悪くなかった。変わり種では、藤井誠二さんのボイス・パーカッションが圧巻だったな。 今夜はなかなかに聴き応えのある演奏が多かったと思う。
2009年02月11日(水) |
勝手にしやがれpart2 |
年末から痛めていた手首がなかなか治らず、ギターの練習もままならなかったが、だいぶ回復してきたので、最近こわごわと練習を再開していた。 で、今日は、3ヶ月ぶりの「スローブルース・生音くらぶ」。夏撃波ソロで4曲披露した。 まずは、オリジナルで、『ー10℃の恋だから』、『勝手にしやがれpart2』の2曲。『ー10℃の恋だから』は確か3年前の冬だったと思うけど長野県の白馬に行った時にできた曲。『勝手にしやがれpart2』は、小学6年の時に流行っていた『勝手にしやがれ』(沢田研二)と『プレイバックpart2』(山口百恵)の両方から題名をとってつけた作品(作品というほどのものではないか)で、曲の長さは1分に満たない。まぁ、小学生のたわいもない遊びだわな。 あと、ユーミンの『瞳を閉じて』と平井堅の『瞳を閉じて』のメドレー。最後は浅川マキの『朝日楼』。 だいぶブランクがあり、また左手首も完全に復調しているわけでもなく、なおかつ緊張して、うまくいかない点も多々あったが、ひとまずステージに立てたことに喜びを感じた。やはりスポットライトを浴びていたいと心から思ったね。
今夜、「月の庭」(三重県亀山市)でソウルフラワー・モノノケ・サミット(阪神・淡路大震災を機にスタートしたソウルフラワーユニオンとは別名義のバンド。戦前戦後の流行り唄や壮士演歌、ヤマト民謡・沖縄民謡・朝鮮民謡・アイヌ民謡などをレパートリーに、チンドン・アレンジで演奏)のライブが行われるというので、出掛けていった。去年暮れに亡くなられた「月の庭」の前店主・岡田昌さん(舞踏家・歌舞伎昌三の名で知ってる方もみえるかな?)の追悼という意味合いもあったようだが、よりによってこの寒い時期に野外ライブとは・・・。でも、そこには彼らなりの思いもあるようだった。「14年前の1月17日に近畿地方を襲った震災の被災者に対する<出前慰問ライブ>を始めたのも真冬。その時の初心を忘れないためにも、あえて野外でやることにした」と言う。 完全防寒スタイルでライブ会場に向かったが、それでも寒いことに違いはない。けれども、その寒さを忘れさせるほどに、彼らの演奏は熱かった。『満月の夕』はいつ聴いても名曲だと思うし、その他にもカバーしてみたい曲が次々に演奏された。心震わせる響きがそこにあった。 帰りの電車の中でたっぷり余韻に浸っていた。
仕事の傍ら、細々と音楽活動を続けている私だが、行く先々で出会うのはほとんどが男性。特にロックのジャンルでは弦楽器・打楽器の演奏者は男性が圧倒的に多い。女性のみで構成されるガールズバンド(略して、ギャルバン)は、男性のみで構成されるバンド、男女混合バンドと比べてその数はきわめて少ない。アイドルっぽさとポップさを売りにしているバンドが多いが、男性だけのバンドに劣らないロックで魅せることもある。 で、今日は2組のギャルバンと1組の男女混合バンドのライブを観に、矢場町「クラブ・クアトロ」に出掛けていった。「単に女の子が好きなだけじゃないの」って突っ込まれそうだけど、それについては敢えて反論はしないでおく。 さて、1組目は、女子高生バンド「SCANDAL」。ひとことで言うなら、アイドル・グループ「SPEED」のバンド版といったところか。元気で若さいっぱいの演奏は爽やかさを感じさせた。 2組目は、沖縄出身のエレキギター&ベース&ドラムスの女性トリオ「BLEACH」。パンキッシュで面白くはあったけど、数曲で飽きてきちゃったな。 トリは、ミドリ。キーボード&ウッドベース&ドラムスの男性3人に、エレキギター&ボーカルの女性が絡む。それぞれに演奏技術は優れ、それぞれに爆音を発するが、いまいち私の心に響いてくるものがない。結局、ミドリは最後まで聴かずに帰って来ちゃったよ。 今夜の出演バンドはそれぞれに演奏技術は高いと思う。けれど、私の好みではなかったってことかな。心に響いてくるものがあまりなかったね。まぁ、こんな体験も面白いと言えば、面白いけど。
2009年01月25日(日) |
<四面楚歌>2009年新年会 |
今日は昼過ぎから<四面楚歌>初練習。4人での練習曲の他、<沙羅双樹ふたたび>の練習曲に<まっちゃん&えみちゃん>も加わって厚みの増した演奏を楽しんだり、遊び感覚でピアノの連弾を楽しんでみたり・・・。楽しい時間は瞬く間に過ぎ、気がつけば夜8時近く。 練習後はそのまま、近くの居酒屋で「新年会」。俺だけはソフトドリンクで運転手役。夜中まで4人で楽しく酒を飲み交わす。アルコールが入らなくても、ゴキゲンな夜だった。
2009年01月21日(水) |
『山谷ーやられたらやりかえせ』 |
今夜、名駅「シネマスコーレ」で公開中のドキュメンタリー映画『山谷(やま)─やられたらやりかえせ』(佐藤満夫・山岡強一共同監督。1985年発表)を観てきた。 日雇い労働者達の過酷な労働と生活で知られる東京都の下町・山谷を舞台にした作品で、彼らの生活の実態や闘争が描かれている。1984年、山谷の闘争にも携わっていた佐藤満夫氏により撮影が開始された。しかし労働者たちの生活に暴力団が介在していることを描いたことから地元のヤクザに狙われるようになり、佐藤氏は暴力団・日本国粋会(後の六代目山口組國粹会。日本国粋会は暴力団であり、右翼団体でもあった)系金町一家西戸組の組員により刺殺された。撮影は中断を余儀なくされるが、佐藤氏が遺したフィルムを元に有志により制作上映委員会が発足した。委員会により映画制作は、実際に山谷の労働者で全国日雇労働組合協議会(略称は日雇全協)の創設メンバー山岡強一氏に託され、翌1985年より制作が再開された。佐藤氏の腹案にあった釜ヶ崎に加えて笹島(名古屋市中村区)、寿町(横浜)、筑豊など他地域での撮影も行われ、同年11月ごろには完成し12月には初上映が行われた。 しかし明けて1986年1月13日、今度は山岡氏が暴力団日本国粋会系金町一家金竜組の組員に射殺された。 制作過程において2人の犠牲者を出した作品だが、労務者の生活の実態に迫った他に類を見ない映画として、現在も全国各地で有志の手によって自主上映会が開かれている。映画のなかで描かれていた労務者たちの過酷な現実は、「派遣切り」など昨今の労働者の置かれた厳しい状況とも、問題の根は一緒である。人間扱いされず使い捨てにされているという点において、全く変わりないのだから。20年以上も前の作品であるにもかかわらず、リアリティーをもって迫ってくるのが何とも不思議というか皮肉というか。 人権は当たり前のように与えられるものではなく、常に権力と闘う姿勢を持って獲得していくものなのかもしれない。そんなふうにも思った。いろんなことを考えさせられる作品であった。
ちなみに、映画のなかで音楽を担当しているのが、大熊亘氏(現在「ソウルフラワー・モノノケサミット」のクラリネット担当であり、「シカラムータ」のリーダーでもある)であることを、はじめて知った。大熊氏のクラリネットに憧れてクラリネットを衝動買いしてしまった私にとっては、ちょっとした驚きでもありつつ、一方で「なるほど」とうなずけることでもあった。
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