夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年11月10日(土) 三線サークルへ

 今夜、友人のまっちゃんから誘われて、沙羅とともに彼の参加している三線サークルにお邪魔した。会場は、伏見駅から歩いて5分ほどのところにある「名古屋市短歌会館」。
 三線サークルなのに、まっちゃんはギターを携えている。私もミンミンを持参。で、三線の方々とセッション。手ぶらの沙羅は、三線を借りて沖縄民謡・沖縄ポップスに挑戦。三線を弾くのは初めてという沙羅だが、他の方々に混じって演奏。わがデュオ・パートナーの身内自慢になってしまうが、「この人、なかなかスジがいい」。他の人も「初めてとは思えない」って驚いていた。
 サークル終了後、近くの沖縄居酒屋で二次会(?)。そのうち誰からともなく演奏しはじめる。我々<沙羅双樹ふたたび>もリラックスした状態で何曲か演奏。すっかり酔っぱらって、気がつけば、すでに日付が替わっているではないか。タクシーを拾って、帰宅。そのまま熟睡、であった。



2007年10月31日(水) 中島みゆきライブ

 中京大学市民文化会館へ、中島みゆきライブを観に行ってきた。数年前に「夜会」(みゆきさんが自らの曲を盛り込んだドラマ仕立てのショー)を観てはいるが、みゆきさんのライブは今回が初体験。
 約2時間半のライブで20曲近くを演奏。歌とMCの落差が大きいとは聞いていたが、MCはラジオのディスク・ジョッキー風。今回のライブ・ツアー開催に当たってファンクラブ会員に「ライブで聴きたい曲」についてのアンケートを取ったが、「ほぼ全曲」があがってきたという。
 で、肝心の歌のほうだが、新しい曲が多かったかな。それと、『地上の星』ははずせないみたいだね。私の好きな曲も何曲か歌ってくれたけど、やはり好きな曲のイントロが流れると血が騒ぐね。『ララバイSINGER』と『アザミ嬢のララバイ』のメドレーとか、『誕生』とか。あと、『ファイト!』は、彼女が歌うと名曲だね(下手な歌手が歌ったら名曲には聞こえない、と思う)。吉田拓郎の『唇をかみしめて』を歌い出したのはちょっとしたサプライズだったけど、拓郎ソングとみゆきソングは重なる部分も多いとあらためて思った。
 とにかく、みゆきワールドにどっぷり浸かった2時間半だった。



2007年10月28日(日) 山口洋ソロライブ in 月の庭

   イエス イエス イエス 滅びていくのさ
   イエス イエス イエス 仕方ないのさ
   きれいなものも うす汚れた悲しみも
   受け入れるのさ いつだって
   イエス イエス イエス

   ハピネス ハピネス ハピネス 君がいなくては
   ハピネス ハピネス ハピネス 君が祈らなくては
   ハピネス ハピネス ハピネス 君の手のひらが
   繋いでゆくのさ どこまでも
   イエス イエス イエス

   ガールフレンド ガールフレンド

   サッドネス サッドネス サッドネス 滅びていくのさ
   タフネス タフネス タフネス 仕方ないのさ
   暗い夜が いつか終わることを
   信じてゆくのさ いつまでも
   イエス イエス イエス

   ガールフレンド

   (ガールフレンド/「山口洋・詞・曲 )

 三重県亀山市のオーガニック・レストラン「月の庭」へ、ヒートウェーブの山口洋さんのソロライブを観に行って来た。「月の庭」は歌舞伎昌三こと岡田昌さんの経営するお店。古い蔵を改造したお店の2階がライブ会場となるが、最前列はステージから1メートル未満、最後列でも5メートルと離れていない。こんな近距離で山口さんの演奏が聴けるなんて、とても贅沢だ(実は、去年「K.D.Japon」で行われたソロライブでは最前列で聴いたのだが、今回は後方の椅子席に陣取った)。
 ライブ前にレストランのおいしい食事をいただく。そして、前日にできあがったばかりというCD「made in ASO」(山口洋ソロアルバム)を購入。このCDは、阿蘇山麓に機材を持ち込んで、自然の音も盛り込みながら(虫の音、雷など)録音したというものだという。
 夜6時半、ライブはスタート。オープニングアクトのライブに引き続き、山口さんは7時くらいから登場。観客は約50名。音響の調子は万全ではなかったが、山口さんのステージは最高だった。「音響の調子が悪いとか、天候がどうとか言っても、人間の力ではどうすることのできないことについてはそれを受け入れるしかない」などと語る山口さんのその言葉に共感を覚えた。曲のよさ、演奏技術の高さはあらためて言うまでもないのだが、山口さんの人間的魅力がビンビンと伝わってくるステージだった。
 ライブの後半、黒ずくめの衣装で歌舞伎昌三が登場し、山口さんの演奏に合わせて踊った。冒頭で紹介した「ガールフレンド」という曲で踊りたいという昌さんのたっての願いということで、二人のコラボレーションが実現。とても印象的で、一遍に好きな曲となった。
全体的に和やかな雰囲気のなかでのライブであったが、とても感動的でもあった。今回のライブを通じて、山口さんの歌が今まで以上に好きになった。それと「月の庭」というお店も今回初めて行ったのだが、また行ってみたい場所となった。心洗われる休日であった。



2007年10月24日(水) 今夜は静かな<生音くらぶ>

 今夜の<生音くらぶ>はとても静かな雰囲気のなかで進行。しかも演奏者は男ばかりで色気はない。変に盛り上げようとかいう気持ちは無用だったようで、笑いをとろうとオリジナル曲をつくっていったのも徒労に終わったようだ。
 今夜演奏したのは、『明日になれば』(オリジナル)、『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』(ビートルズ)、『誕生』(中島みゆき)、『イムジン河』(フォーク・クルセダーズ)の4曲だった。



2007年10月10日(水) 久しぶりに、<詩のあるからだ>

 久しぶりに、詩の朗読会<詩のあるからだ>に参加。と言っても、われわれ<沙羅双樹ふたたび>は詩の朗読ではなく、タンゴの名曲『リベルタンゴ』(アストル・ピアソラ)を演奏してきた。



2007年09月30日(日) ポカスカジャン

 コミックバンド・ポカスカジャンが今夜、今池「TOKUZO」にやってきた。彼らのことはずっと気になっていたので、ライブに行って来た。
 最近NHKのお笑い番組に出演していた彼らは、その番組のなかで『俺ら東京さ行くだ』(吉幾三)のボサノバ・バージョンというのを披露していた。それがすごく面白かったので今回のライブを観に行くことにしたのだが、ちょっと期待が大きすぎたようだ。というか、面白いものとそれほどでないものとの差が大きかったということなのかな。
 でも、帰りには彼らのCDを購入。CDのなかで秀逸だったのが、『村田ディランの王将』という一曲。「もしも村田英雄の『王将』をボブ・ディランが歌ったら、こんな感じになるんだろうな」と思わせるようなコミックソングだ。彼らの音楽センスのよさを思わせる作品だった。
 ライブはアッという間に終わってしまい、物足りなさが若干あったが、それでも勉強にはなったと思う。



2007年09月24日(月) アルマジロ

 今夜、本郷(名古屋市名東区)にあるライブハウス「アルマジロ」で行われた「アコースティック・ナイト」に参加し、3曲演奏してきた。
 このお店、カントリー・ミュージック主体のライブと、アメリカ南部料理の店ということらしい。初めて行ったが、なかなかいい雰囲気の店だ(星ヶ丘の「スローブルース」とはまた一味違うけど)。
 さて、「アコースティック・ナイト」について。「スローブルース」の「生音くらぶ」と同じようなコンセプトのイベント、つまり、約10組が参加し、2〜3曲ずつを演奏していくというスタイルだ。
 店にはライブ・スタートの夜8時よりだいぶ早くに到着。店に着いて「夏撃波です」と名乗ると、店員の一人が「え〜っ、夏撃波さんですか?」「僕、星ヶ丘で観たこと、ありますよ」「すごく楽しみです」などと話しかけてくる。そして、他の店員に「この人、すごくいいですよ」と言いまくっている。私は「そんなにハードル高くしないでよ」と応じた。どうやら一番乗りということで、出演順は1番手らしい。多くの人は1番手を敬遠しがちだが、私はむしろ1番手が好きだ。なんだかんだ言っても、演奏前は緊張するもの。演奏自体は楽しいのだが、緊張感からは一刻も早く解放されたいという思いが強い。だから、1番手はほとんど苦にならない。
 で、8時過ぎに、ライブ開始。私は、『雨ニモマケズ』(宮沢賢治の詩)の朗読と、『ティアーズ・イン・ヘブン』(エリック・クラプトン)、『朝日楼』(浅川マキ)の演奏を行った。それなりに満足のいくステージではあったが、初めての場所はやはり緊張も強かった。思わぬところで(一度も間違ったことがないようなところで)小さなミスも出た。
 でも、早々と出番を終え、あとは他の出演者の演奏をリラックスして聴くだけ。他人の演奏を聴くのもいろいろと勉強になるし、楽しい。「スローブルース」の「生音くらぶ」の常連さんも2組出演していたが、初めて聴く演奏者がほとんど。演奏は十人十色で、それぞれに個性があって面白い。それと、「スローブルース」以外も経験しておくと、また演奏の幅も広がるような気がした(先月は、滝ノ水「アランプーサン」に行ったけど)。
 11組の演奏が終了して帰ろうとすると、今日の出演者のひとり、20代の女性が寄ってきて、「ライブの予定とかないんですか?」と聞いてくる。特に予定がないのでその旨を伝えると、「演奏、すごくよかったです」という感想を伝えてくれた(その瞬間、私の心のなかでは、「俺に惚れるなよ」と呟く自分に対して「もうひとりの自分」が「バカなこと言ってんじゃねえよ」とツッコミを入れていた)。わざわざそんな感想を伝えてくれる人がいたのは、とても嬉しかった。ほろ酔い加減で、機嫌良く家路につく私であった。



2007年09月22日(土) 「乱れ髪」上演会

 「劇団pH-7」公演の「乱れ髪」上演会を観に行ってきた。
 今回の公演は、「みだれがみ」プロジェクトの一環として、映画プロダクション「STONE ENTERTAINMENT」と「劇団pH-7」がタッグを組んだものだという。この「乱れ髪」上演会は、映画「みだれがみ」のワンシーンに組み込まれるらしい。実際に上演会場であるpH-7アトリエにハイビジョンカメラが潜入し、俳優たちと人形を記録。2次元の虚像(映像)と3次元の虚構(舞台)とがいかなる融合もたらすのか(人形と俳優、そして映画と演劇、このパラドックスの間に生まれるものは何か?)という実験でもあるらしい。ちなみに映画の完成予定は来春という。
 さて、今日の上演会についてである。人形や舞台セットが効果的に用いられ、劇中でも幻想と現実とが交錯する展開があった。次々に繰り出されるイメージシーンとそのテンポのよさとで、見事な舞台空間が創り出されていたと思った。ただ、セリフのシーンが若干弱く感じられ、虚構の中に十分に入り込めなかったようにも思えた。



2007年09月19日(水) リベルタンゴ

 今日の昼、久しぶりに<沙羅双樹ふたたび>の練習を行った。個々では日々練習していたが、もう1ヶ月以上音を合わせていなかった。今日は3時間みっちりと練習。その余勢をかって、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加した。

 8時すぎに店に入るも、すでに大勢の人。ペコ小林率いる「ピアノ軍団」が店の中央に陣取っており、奧からはえみちゃんが出て来るではないか。その後も続々と出演者やお客さんが来店。スタート時点で店は満杯に近い状態。
 まずは、ペコ小林(ピアノ)&チャビィ小林(ギター)のジャジーな演奏からスタート。「ピアノ軍団」とチャビー小林のコラボがしばらく続いたが、途中「ピアノ軍団」の一人の女性が実のおじいさんと共演。80代というこのおじいさん、ただ者ではない。この人の吹くサックスはとても色気があって、無茶苦茶渋かった。ジャズのスタンダード曲「モーニン」の演奏に、会場はまさしく「興奮のるつぼ」。
 興奮醒めやらぬままにその後もステージは続いたが、「ピアノ軍団」の演奏がひととおり終わった後、えみちゃんがアコーディオンで「黒あめナメナメ」と奏でながら登場(この人、数年前に春日井製菓の「黒あめ」のCMソングを作ったそうな。この人もやはりただ者ではない)。『見上げてごらん、夜の星を』『サン・トワ・マミー』を演奏、最後は私も大好きな『ビア樽ポルカ』でノリノリの演奏。腕前が凄いのはもちろんのことだが、「この人、本当に音楽が好きなんだなぁ」という感じが強烈なまでに伝わってくる。素晴らしいエンターテナーだと、あらためて感じた。

 そうこうしているうちに、われわれ<沙羅双樹ふたたび>の出番がまわってきた。まず1曲目は、ソロで『星ヶ丘ロケンロール』(オリジナル)を演奏。そこそこ盛り上がったところで、沙羅とその後の2曲を演奏。
 2曲目は、『アスタ・マーニャ〜明日への子守唄〜』(ディアマンテス)。私は沙羅のギター演奏に歌をのせ、最後ミンミンを演奏。ちょっと音をはずしてしまったのは残念だった。
 気を取り直しての3曲目。無謀にも、アストル・ピアソラのタンゴの名曲『リベルタンゴ』(数年前に、ヨー・ヨー・マがチェロで名演奏をして有名となった)に挑戦。沙羅がアコーディオンを、私がギターを担当。つたない演奏ながら、気持ちよく演奏でき、最後には大きな拍手もいただいた。『リベルタンゴ』が名曲であることをあらためて思った。今回のステージでは、『リベルタンゴ』の曲そのものの持つ力に助けられた気がした。

 私たちが終わった後も、何人もの演奏者が控えていた。でも、自分たちの演奏が終わってしまえば、あとはリラックスして純粋なお客として楽しむだけだ。結局すべての演奏が終わったのは、深夜1時近く。
 次の日も仕事は控えているが、いつもにも増して楽しい夜だった。



2007年09月15日(土) 短篇小説『モノローグ』(夏撃波・作)

   治、かわいそうに。お前のお母さんも
  あんなふうに言わなくてもいいのにね。
  知ってるかい、お前のお兄ちゃんがあん
  なふうになったのも、元はと言えば、お
  母さんのせいなんだ。お兄ちゃんがお腹
  にいる時に、お母さんが転んじゃったん
  だよ。だいたいね、うちの家系に自閉症
  なんて障害者は一人もいなかったんだか
  ら。司みたいな子が生まれるなんてね。

 夢、だったのか。なんて嫌な夢を見てしまったんだ。実際のところ、祖母は幼い私にあんなことを言ったのだろうか。このところ、本当に悪い夢ばかりを見る。昨日は、義理の伯父がわが家にどなり込んでくる夢、「司のせいで、俺たち親戚は本当に迷惑している」などと口走っていた。その前の日は、私自身が兄の死を秘かに祈っている夢、その夢のなかで母は嘆き悲しんでいた。
 やはり病院の簡易ベッドがよくないのか、いや、隣に眠る兄の病状が思わしくないのが不眠の何よりの原因に違いなかった。昨夜も、夜中に嘔吐を繰り返す兄の背中を何度もさすった。今朝のご飯も結局手つかずで、兄はそのまま寝入ってしまった。
 午前八時、父が病室にやってきた。付き添い交替の時間だ。
 「治、大丈夫か」
 「俺は大丈夫だけど」
 「本当にすまない。まあ、俺も退職した後
 だったから何とかなるけど、仕事してたら、
 母さんの負担は大きかったな」
 「父さんも母さんも大丈夫なのか」
 「母さんはずっと泣きっぱなしだ。『なん
 であんないい子が白血病なの』ってな」
 「俺も最初は現実感なかったよ。でも、兄
 貴は今、生きようとして闘っているんだな」
 「こいつはずっと闘ってきたんだよ」
 「えっ」
 「病気になる前から、見えない巨大な敵と
 な。お前のお兄ちゃんはずっと闘ってきた
 んだよ」
 父が泣いているのがわかった。人前で涙など見せたことのない人なのに。私は気づかないふりをして、「仕事、行ってくるよ」と声をかけ、病室を出た。
 病院を一歩外に出た時、朝日があまりにまぶしくて、目がくらみそうだった。
 闘い、か。父にとっても、母にとっても、私にとっても、それぞれの闘いがあった。けれども、私たちのなかで兄がいちばん激しい闘いの人生を生きたのかもしれない。多くの傷を負いながら、何度も何度も立ち上がり、生きてきた。三十年以上にも及ぶその闘いにも、間もなく終止符が打たれようとしているのか。
 生きることは闘いだ。多くの援軍を得て勢いに乗る時もあれば、裏切られ、深く傷つくことだってある。けれども、誰もが死ぬ時は一人。その時、誰にもその一人の人間を助けることなどできないのだ。
 大きなくしゃみをひとつした後で、めいっぱい息を吸い込んで、私は今日という一日の第一歩を踏み出した。


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 今日は「短編小説」講座の最終日。受講者が創作してきた短篇について批評することに多くの時間が費やされた。
 今回、創作に当たって十分な時間をつくることができず、結局ギリギリまで悩んだ。何とか無理矢理にでも創り上げた作品であり、出来については不満な点もあった。受講者のなかから不足な点についての指摘もあったが、それは私自身にも十分に納得のいく批評であった。それでも、私の作品について、おおむね好意的に受け止めていただけたように思う。受講者のひとりが、「私は、この作品、好きです」という感想を言ってくださり、今回はそれだけで十分満足だった。できれば、この先、自分の追求するテーマで、小説に取り組んでみたいと思っている。


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