夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年09月13日(木) ザ・無責任

 参院選での惨敗後も退陣せずに政権にしがみついてきた男が、まさかの辞意表明。しかも国会で所信表明演説を行った直後だなんて。一国の首相がまるで幼児レベルの行動ではないか。ああ、日本人としてあまりに恥ずかしいよ。
 まあ、俺は一度だって、安倍さんを支持したことはなかったし、自民党に投票したこともないのだけれど。でも、現実には自民党が政権の座にあって、自民党総裁たる安倍さんがこの国のトップだったわけだ。間接的には国民が選んだ人がこのていたらくなわけだから、歯がゆいよな。国民はもっと利口にならなくちゃ、いつまでたってもバカにされると思うね。



2007年09月08日(土) 桐野伴秋写真画展&ケン・コシオLIVE

 昨日に引き続き、日中は「短篇小説」の講座を受講。
 講座が終わってから、一度家に戻り、塩釜口のギャラリー「ネスパルド雅」で開催中の「桐野伴秋写真画展」を観に行った。撮影の際に何らかの仕掛けを施してできあがってきた写真は絵画のように見える。その不思議な世界を堪能した。
 そのイベントについては、ケン・コシオさん(アメリカ・アリゾナ在住の、シンガー・ソング・ライター。愛知県出身)から紹介された。実は、今日の午後、私の職場でもある福祉施設にケンさんが来てライブをやってくださっていた。私は、短篇小説」講座を受講していたため、残念ながらそのライブを観ることはできなかったのだが。そのかわりに、今夜、桐野さんの展覧会のオープニング・パーティーで、ケンさんがミニ・ライブをされる、との情報を得ていた。で、それも目当てで出掛けていったわけだ。オリジナルの他、ロックのスタンダードのカバーも熱唱。1時間弱のライブは大いに盛り上がりを見せていた。ケンさんのスピリットが伝わってくるようだった。
 明日の夜勤を思うと気が重くなるが、しばし楽しい時間を過ごすことができ、ハッピーだった。帰りに、八事のベトナム料理店で食事を済ませてきた(本当はジャマイカ料理店に行きたかったのだが、臨時休業だった)。



2007年09月07日(金) 短篇小説創作ワークショップ

 今月7日・8日・14日・15日の4日間にわたって行われる『短篇小説創作ワークショップ(4日間集中)』(NHK名古屋文化センターと愛知淑徳大学の提携講座)を受講。講師は、作家の堀田あけみさん。1980年に発表した『アイコ16歳』でデビュー(当時、高校2年生)、その後作家活動も続けながら、心理学者として研究者の道も歩む。最近では、自閉症の子を持つ母として『発達障害だって大丈夫〜自閉症の子を育てる幸せ』という本も発表している。
 さて、今回の短期集中講座では、前半は認知科学的アプローチ(「言葉とは何か」「コミュニケーションの手段としての言葉」)、後半は創作へのアプローチ(「文体を考える」、「評価と討論」)という内容での講義と演習が行われるとのこと。
 幼い頃から小説を書きたいという思いだけはあったが、今回はそのきっかけづくりとして受講することにした。4日間の講座の間に果たしてどんな小説ができるのか、楽しみである。



2007年09月05日(水) ティアーズ・イン・ヘブン

 今日も、星ヶ丘「スローブルース」で開催の「生音くらぶ」に参加してきた。
 今夜は、友人の<まっちゃん&えみちゃん>も参加し、楽しい演奏をしてくれた。まっちゃんとは職場の同僚を介して知り合ったが、その後コンサート会場で偶然に顔を合わすことが3回もあり(友部正人、ソウルフラワーユニオン、ソウルフラワー・モノノケサミット)、音楽的な趣味を共有する仲間でもある。えみちゃんとは先日のソウルフラワー・モノノケサミットのライブで知り合った。彼らの演奏(ソウルフラワーユニオンの『満月の夕』と、スタンダード曲『スタンド・バイ・ミー』)は、とてもホットで楽しかった。えみちゃんのエモーショナルなピアニカ演奏と、それを包み込むようなまっちゃんのギター&ボーカルは、素敵だった(まっちゃんのボーカルは、どことなくBEGINのボーカリスト・比嘉さんを彷彿させた)。<まっちゃん&えみちゃん>とは近いうちに、<沙羅双樹ふたたび>と同じステージに立っていただいて数曲合わせてみたいとも考えている。
 その他常連メンバーに加えて、バンジョーで参加の方や、ピアノを始めて1〜2ヶ月というのが信じられないほど上手な方の演奏も聴くことができ、楽しい夜となった。
 私自身は、ソロでの演奏。まずは、宮沢賢治<雨ニモマケズ>にミンミンで音をつけ、朗読。ギターに持ちかえて『ティアーズ・イン・ヘブン』(エリック・クラプトン)を演奏、間奏ではホーメイ唱法(?)も披露。最後は『朝日楼』(浅川マキ)で締めた。
 「生音くらぶ」には演奏技術の高い方々が多く出演されるが、私は自らのスタイルに更に磨きをかけていこうと思っている。



2007年09月03日(月) 1週間 もたなかった

   遠藤武彦農相は3日、午前自身が組合長理事を
  務める農業共済組合が国から補助金を不正受給
  していた問題の責任を取り、首相官邸で安倍晋
  三首相に辞表を提出、受理された。安倍内閣で
  の閣僚交代は5人目。後任には若林正俊前環境
  相が決まった。
    (9月3日付 中日新聞 夕刊 より) 

 内閣改造後わずか1週間での農相交代とはあまりにお粗末だ。任命権者にあたる首相の責任は当然重い。というか、今回のような事態を招いた元凶は首相自身の身の処し方にある、と言って過言ではあるまい。そんな簡単なことをこの国のトップは全くわかっていない。あるいは、わかっていてもなお首相の座にしがみついている。あまりに醜くて、逆にこちらが恥ずかしさを覚えてしまうくらいだ。
 今の自民党には特に自浄能力がないみたいなので、今は野党側の闘い方に期待するしかない。でも、その野党にしてもどこまで期待できるのか、疑問符は残り、この隔靴掻痒感はなかなかなくなりそうにない気がしている。



2007年08月31日(金) 被害者は二度殺された

 「闇サイト」も絡んだ、名古屋市千種区の「女性拉致殺害事件」について、再び言及したい。まずは、8月30日付の中日新聞朝刊(社会面)から引用する。

   殺害された名古屋市千種区の磯谷利恵さんがブロ
  グを開設していたことが報じられた28日。そのブロ
  グに、匿名の投稿者からの心ない中傷の書き込みが
  相次いだ。犯人を擁護する内容や、舌を出して万歳
  をした文字絵などもあった。

 そんな書き込みをする人間が信じられない。本当に信じたくない出来事だが、これが今日の社会の現実なのだ。実際の殺人と同等、いや、それ以上に罪深い行為だと思う。もちろん、そのような書き込みをするのはごく一部の心ない人間だけだろう。けれども、たとえ少数であれ、今回の拉致・殺害事件の加害者たちと同じメンタリティーを持った人間が一定数存在するという現実を突きつけられ、戦慄を覚えずにいられなかった。
 とてもとても病んだ社会のなかで、私たちは生きている。絶望的な現実のなかで、けれども、どこかに希望を見いだしていきたいとも思う。



2007年08月30日(木) 韓国でも「自己責任論」?

   アフガニスタン旧政権タリバンによる韓国人拉致・
  殺人事件は28日、タリバンと韓国政府が人質19人の
  全員解放で合意し、事件はようやく全面解決に向か
  う見通しとなった。解放条件は駐留韓国軍の年内撤
  退と同国のキリスト教宣教団の活動中止とされるが、
  身代金の支払いなどの裏取引も交わされたとの見方
  は根強い。タリバンの「面目」を立て、韓国政府が
  「実」をとった可能性が高い。
   (中日新聞8月29日朝刊.国際面より)

   今回の事件をめぐっては、韓国内でネットを中心
  に「自己責任」論争がわき起こり、青瓦台の報道官
  が記者会見で被害者に対する批判への自粛を呼びか
  ける一幕もあった。
   (中日新聞8月29日朝刊.国際面より)

 タリバンによる「韓国人人質事件」はここに来て解決に一歩踏み出したわけだが、今回のようなケースで韓国においても「自己責任」論争が起きたというのはちょっとした驚きであった。3年前にイラクで起きた「日本人人質事件」、そして人質3人に対するバッシングが思い出された。あれと同様なことが韓国でも起きたわけだ。ただ、そうしたバッシングに対する政府の対応ということでは、日韓のあいだに大きな違いがあった。当時の日本政府は自らの責任に言及せず、「人質3人」に責任転嫁するという対応をとった。その点、今回、韓国政府はもう少し冷静に対処したように思われた。
 もうひとつ、日本も韓国もすっかり「ネット社会」になったんだな、と実感もした。



2007年08月29日(水) 今池デ、アフリカヲ、踊ル!

 今日、「午後4時半から、今池ガスビル前で、カメルーンのバンド<エリク・アリアーナ&コロンゴ・ジャム>が路上演奏する」との情報を得て、出掛けていった。どことなくユッス・ンドゥール(セネガル出身のミュージシャン)を彷彿させる、リズミカルで解放的なサウンドと踊りに魅了された。至福の40分間だった。
 その後、庄内通(かつて住んだこともある所)まで移動して、某・韓国焼肉料理店にて夕食を摂る。本場の焼肉に、キムチ、トック(韓国風お雑煮)等を食べつつ、マッコルリ(韓国の濁り酒)を飲んでほろ酔い気分。ちょっと食べ過ぎて苦しかったが、楽しい気分のまま帰宅。



2007年08月28日(火) 「美しい国」の卑劣な犯罪

   名古屋市千種区の会社員磯谷利恵さんが男3人
  に拉致され殺害された強盗殺人・死体遺棄事件で、
  死体遺棄容疑で逮捕された3容疑者は、インター
  ネットを通じて知り合ってから犯行に及ぶまでの
  約1週間、ほぼ連日、夜中に市内を車で走り回り、
  金を奪うために襲う女性を物色していたことが
  愛知県警特捜本部の調べで分かった。
   (中日新聞28日夕刊 より)

 世相を反映するようなイヤな事件は年がら年中発生しているが、あまりに多すぎて一つひとつの事件を覚えていられないというのが正直なところだ。でも、上記の事件は私にとっても大変ショッキングな事件であった。同じ市内で起きたということもある。が、それ以上に、自分の身近な人が(場合によっては自分自身だって)殺される可能性もあったという思いが浮かんできて、とても恐ろしくなった(「女性なら誰でもよかった」と容疑者も供述しているらしく、つまりは名古屋近辺にいた女性なら誰でも可能性があった。その時の状況によっては、男性だって可能性ゼロではなかったと思う)。それと、「あまりに残酷な殺人」であるにもかかわらず「とてもお手軽な犯罪」に見えてしまう点が、逆に恐怖を呼び起こしたということもあるのだろう。それにしても、殺害された女性が味わったであろう恐怖や苦しみ、無念さを思うと、胸が締めつけられる思いがする。
 私は「死刑廃止論者」ではあるのだが、このような事件が発生した時、「死刑廃止」というポリシーが一瞬揺らいでしまう。たまたまそこを通りかかったというだけで拉致し、金品を盗み、命乞いする女性を無惨にも殺害する。どうしたら人間はそこまで非情になれるのだろうか(加害者もまた私と同じ人間ならば、私のなかにもそんな残酷さが眠っているのだろうか、というふうにも考えてしまった)。どう考えてみても「許し難い犯罪」である。けれど、いや、だからこそ「死刑」(犯人の死)をもってその罪を償うことなど到底できるものではないと思う。それに、殺人に対して国家が合法的とはいえ死刑という名の「殺人」を行うことが許されていいのか、という疑問はどうしても残る。いかなる極悪人であっても殺されてはならないし、殺人を犯した者は一生その罪を背負って生きていくべきだと、私は思う。
 
 ところで、中日新聞28日夕刊の1面、「女性拉致殺害・1週間女性を物色」という記事の隣には、「ネットカフェ難民5400人、厚労省・半数が非正規労働者」という見出しが並んでいる。
 2つの記事の間には、直接的な関係はない。けれども、まったくの無関係かというと、そんなことはないと思う。「ネットカフェ難民」が社会問題化する時代の空気のなかで、今回の「女性拉致殺害事件」も起きたのだ。だからと言って、「社会が悪くて、加害者に責任はない」などという暴論を言うつもりはまったくないので、誤解なきよう(念のため)。ここで言いたいのは、「格差社会の是正」「セーフティー・ネットの拡充」等の政策の実行が一方では求められている、ということだ(ピントはずれの現政権には到底期待はできないのだが)。



2007年08月27日(月) 「美しい国」の茶番劇

 「美しい国」の茶番劇、言うまでもなく、安倍改造内閣のことである。
 この前の参院選で事実上の不信任を突きつけられたはずなのに首相の座に居座る人間も恥知らずなら、そんな内閣の大臣になって喜んでいる人間も相当な恥知らずだ。そのことをマスコミはなぜ指摘しようとしないのか。「どこまで国民をバカにする気なんだ?!」と、俺は本当に怒っている。
 国民の皆さん、こんな子供だましの目くらましに騙されてはならない。選挙前にあった諸問題(「年金問題」「コムスン問題や介護・福祉の問題」「事務所費問題など政治倫理の問題」等々)は、何ひとつとして解決されていないのだから。怒りを忘れてはいけない。「日本国民は忘れっぽいから、時間を稼げば何とかなる」と思っているのが、権力者どもだ。だからこそ、奴らの思うようにさせてはならないのだ。


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