夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年08月24日(金) 暑気払い

 連日厳しい暑さが続いているが、「暑い、暑い」とばかり言っていてもしょうがない。真夏ならではの楽しみは何かないかと考え、ビア・ガーデンに行くことを思いついた。沙羅さんを誘って、中日ビル(栄)の屋上ビア・ガーデンに出掛けていった。
 ビア・ガーデンには毎年行きたいと思いながらも、その機会を逃してきた。家で飲む場合とも居酒屋で飲む場合とも違った雰囲気のなかで、飲食を楽しみ、会話を楽しんだ。沙羅さんとは自然と音楽の話題になり、「曲名しりとり」「音楽クイズ」などで遊んだ。楽しい時間はアッという間、ほろ酔い気分のうちに制限時間の2時間を終了。
 まだまだ暑い日は続くが、何とか元気を出していきたいものである。



2007年08月22日(水) 青春の後ろ姿

 今夜、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加してきた。いつも思うことだが、ここでの演奏者はなかなかレベルが高い。ギターの演奏技術は本当に高い人ばかり。演奏技術のない私は、アイデアと表現力で勝負するしかない。
 で、今夜は、『ヘイ・ジュード』(ビートルズ)と『心の旅』(チューリップ)のメドレー、そして独自のアレンジで『あの日に帰りたい』(荒井由美)を演奏。
予想以上に盛り上がったので、とてもうれしく思った。

 今夜の「生音くらぶ」の模様は、余語さん(水曜日のセッション・リーダー)のブログ(「水曜日のスローブルース」。下記)で、ご覧になれるので、一度ご覧あれ。(「スローブルース」で検索すると、「スローブルース」のホームページに行き着けるはずなので、そこから「水曜日のスローブルース」をクリックしてみてね)

   http://slowwed.exblog.jp/6024258/



2007年08月20日(月) モノノケサミット

 今朝は、夜勤明け。家に一度帰り、休憩を取り、夕方には今池「TOKUZO」へと出掛けていった。
 今夜は、以前から楽しみにしていたソウルフラワー・モノノケサミットのライブ。モノノケサミットは、ソウルフラワー・ユニオン(「日本が世界に誇るべきロックバンド」と、私は強く思っているのだが)のチンドン・バージョン。阪神淡路大震災後、被災地で、沖縄・アイヌや日本各地の民謡、また戦前・戦後のはやり唄などを取り入れた独自の演奏活動を始めたのがきっかけで、以後3枚のアルバムを発表。不定期で(?)ライブも行っている。
 ソウルフラワー・ユニオンのライブには過去3,4回行っているのだが(去年も行った)、モノノケサミットは今回が初めて。ユニオンの現メンバーの他にも、伊丹英子、内海洋子、大熊亘といった実力派が加わって、非常にレベルの高い演奏を展開してくれた。特に、大熊のクラリネットには大いに魅了された。もちろん中川敬の力強いボーカルがあればこそ、独自の世界にどっぷりと浸ることができたわけではあるが。ほとんどは民謡やナツメロのカバーだったが、彼らのオリジナル曲『満月の夕』の演奏もあり、大いに盛り上がった。
 モノノケサミットは最高だったが、オープニング・アクトの桃梨(唄・語り:上村美保子、ベース:JIGENのふたりユニット)の演奏も非常に楽しく(語り物のところでは、夏撃波がやりたいと思っていることと少し重なる面もあった)、一度で二度おいしいライブであった。



2007年08月17日(金) ダンス白州2007

 昨年に引き続き、今年も「ダンス白州」(舞踏家・田中泯さんを中心に組織された「ダンス白州実行委員会」主催の、ダンスやその他表現のイベント。山梨県北杜市で開催)に参加してきた。自然の森のなかに作られたいくつかの舞台、そのなかで公演やワークショップが行われた。
 16日夜、「森の舞台」(まさに、「森の舞台」。野外劇場)で行われた田中泯さんの独舞からは圧倒的な迫力が感じられた。虫の音、森の発する音が、ひとつの効果音となって、舞台を盛り上げた。これは、通常の劇場ではあり得ないシチュエーションだ。その夜は、会場で貸し出されたテントのなかで寝袋に包まれて明かした。
 明けて17日。朝7時、「赤土広場」(畑の中)で行われた舞踊「ドン・キホーテ」早朝公演(演出・出演:玉井康成、ウラジーミル・ヤヴォルスキー)を観る。ユーモアたっぷりに演じられた作品であった。
 そして、午前10時から、トゥバ・ホーメイのワークショップ(講師:巻上公一さん)に参加。まず身体をリラックスさせるために気功、そして発声練習。身体や喉が暖まったところで、巻上さんが一人ひとりに対して指導。それから巻上さんが奏でる楽器をバックに、参加者全員でホーメイのセッション。これがなかなか楽しかった。第三者から見れば、われわれの集団はあやしい集団に映ったことだろう。でも、ホーメイはクセになる。帰りの電車待ちの時間にも、ついついホーメイをやってしまう自分がいた。
 正午過ぎに「ダンス白州」会場を後にして、名古屋に帰ってきた。明日一日休んだら、夜勤の仕事が待っている。8月中は「飛び石」で休みが続く。「飛び石」って疲れるけど、まあ仕方がない。
 厳しい暑さも続いているが、楽しい時間もないわけではないのだから、元気を出していこうと思う。


(注)
 ホーメイ Khoomei, xoomeiとは
 :ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる喉歌。もともと声に含まれている倍音の高音部を声帯の力で意識的に強調させて口笛に似た音を出し、舌や口腔を微妙に動かして美しい倍音を紡ぎだす。非常に低い倍音を出したり、音を細かく震わしたりと、発声法が7種類以上(28種類という説も)ある。馬や豚や蛇の皮を張ったさまざまな楽器や、口琴などと共に演奏される。
 また、この他にもアルタイ山脈周辺地域には類似した喉歌が伝えられ、モンゴル国ではホーミー、アルタイ共和国ではカイ、ハカス共和国ではハイと呼ばれている。  



2007年08月15日(水) 2007年の敗戦記念日

 14日、夜勤の仕事を終えた後、自宅に戻り、洗濯や部屋の片付けをする。少しせわしなかったが、夕方実家の山梨に向けて出発。中央線を乗り継いで甲府へ。
 わが故郷は1年ちょっと前までは甲府市の隣町・「中道町」であったが、市町村合併で甲府市に吸収されてしまった。未だに自分の実家が甲府市だとの認識が薄いのだが。
 年に2回の帰郷の度に、ご近所の方が一人また一人と亡くなられており、さみしい思いが湧いてくる。いつものことながら、両親が年老いているのも実感できる。そしてまた、自分自身の「親不孝」を思わずにいられない。かつては踏み越えていくべき存在であった両親も既に年老いた。私が若い時分には、私の生き方に反対し道をふさぐ存在でもあったのだが、結局は反対しつつも認めてくれた(いや、今でも不満はあるに違いないのだが)。兄が障害を持っていたこともあり、私への期待は大きかったのだが、私は親の敷いたレールの上を歩きたくはなかったのだ。今にして思えば、「これでよかったのだろうか」という思いもないではない。でも、自分で選び取った道なのだから、これから出てくるであろう困難な問題にも自らの責任において対処していかなければならないのだろう。
 とは言うものの、仕事のことではついつい愚痴もこぼれてしまう。この国において年々「福祉切り捨て」の方向は強まり、それは「現場」にも大きな負担を強いる形となっている。「福祉」という仕事を選択したのは間違いではなかったのか、という思いさえ浮かんできてしまう。
 62年目の終戦記念日、いや敗戦記念日と本来は言うべきなのだ。「美しい国・日本」と恥ずかしげもなく口にするこの国の首相は、今日のあまりに醜い日本の象徴ではないか。
 格差社会を是認する現政権といい、「勝ち組」「負け組」などという品のない言葉が飛び交う世の中といい、なんてイヤな時代の空気だろう。でも、どんな時代であろうと生き抜いていかなくてはならない。私は両親や兄よりも早く死ぬわけにはいかない、そんな思いを日々強くしている。



2007年08月12日(日) 旅するマダン

 今夜、韓国・光州マダン劇団<ノリペ・シンミョン>による来日公演『立ち上がる人々』を白川公園まで観に行ってきた。野外劇だ。
 マダンには「広場」とか「人々に開かれた空間」といった意味があるそうだ。マダン劇というのは、1970〜80年代にかけて、韓国の若者たちが創りあげた演劇のスタイルで、その根源は朝鮮半島で古くから民衆に愛されてきた芸能に由来する。風刺劇やタルチュム(仮面踊り)、農楽(チャンゴ、ケンガリ、プク、チンの4種類の打楽器を用いた演奏)等を西洋から入ってきた舞台演劇に取り入れ、民衆の伝統的な文化の楽しみ方を再現したのがマダン劇である。マダンの周りを観客がぐるりと取り囲み、演者と観客が声をかけあいながら、一体となって楽しむのだ。風刺と笑いを存分に盛り込んだマダン劇は、70年代から80年代にかけて、街頭や大学キャンパスで演じられ、当時の韓国軍事独裁政権への対する異議申し立てとして、民主化運動の学生や市民、労働者によって担われた。
 さて、今回の『立ち上がる人々』だが、これは光州事件(1980年5月18日から27日にかけて韓国の全羅南道の道庁所在地であった光州市で発生した、民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件)をモチーフとした作品である。重いテーマを含んだ作品だが、これが演劇的にも非常に面白く、最後まで目が離せなかった。
 冒頭は滑稽な踊りや掛け合い漫才のようなテンポのいい芝居。2場は一転して躍動的な群舞、力強いミュージカルを見ているかのよう。そして、緊迫の3場、クライマックスへとなだれ込む。エピローグでは、何台もの太鼓が加わり、農楽隊と共に、マダンを圧倒的な音の渦に巻き込み、そこに祝祭的空間を創り上げていく。最高の芸能を目の当たりにして、終演後もしばし放心状態の私であった。
 前座の朝鮮舞踊もとても美しくステキな踊りだったということを、付け加えておきたい。



2007年08月10日(金) アランプーサン

 今夜、緑区・滝ノ水のライブバー「アランプーサン」に行き、第2金曜日の「アコースティックDEナイト」に初参加。「スローブルース」の「生音くらぶ」はだいぶ慣れてきているが、見知らぬ場所でも演奏してみたいと「アランプーサン」へ出掛けていったわけだ。行く前はやや緊張していたが、敢えてトップバッターで演奏。『雨ニモマケズ』(宮沢賢治の詩)の朗読パフォーマンスと、『朝日楼』(浅川マキ)の演奏を行った。
 自分の演奏を早々と終えてしまえば、後はリラックスして人の演奏を聴くばかり。技術的には上手い人ばかりとは言えなかったが(夏撃波が技術の事なんか言えた立場でもないだろうけど)、演奏者それぞれに個性が感じられ、面白かった。
 イベント後、店のマスターから突然の出演依頼。嬉しかったけど、仕事の兼ね合いで断念せざるを得なかった(残念!)。



2007年08月09日(木) どんと院まつり

 鶴舞「K.D.Japon」で開催された「どんと院まつり」に行って来た。
 どんとが亡くなって7年。毎年のように、どんとを偲んでミュージシャンたちがライブを行っている。どんとにゆかりのある曲を演奏するのだ。どんと(一般的にはボ・ガンボスのボーカリストとして知られているのかな)は、今もなお多くのファンやミュージシャンたちに愛され続けている。
 どんと(あるいはボ・ガンボス)は、私にとって好きなアーティストの一人(ひとつ)であった。というか、今でも好きだ。何がいいって、音楽に対する姿勢だね。彼(彼ら)は誰よりも音楽を愛し、すごく音楽を楽しんでいた。その音楽に触れた時、聴いている側であった私も、いつしかもの凄く幸せな気分で彼(彼ら)と音楽を共有していた。
 享年36才、あまりに早い死であったが、どんとの魂は今もなお生き続けている。今宵のライブで、あらためてそのことを感じさせられた。



2007年08月08日(水) 希望という名のあなたを訪ねて

 仕事の後、星ヶ丘「スローブルース」に出掛け、「生音くらぶ」に参加。
 『夏まつり』(井上陽水)、『希望』(岸洋子)の2曲と、寺山修司の詩『力石徹よ』の朗読パフォーマンスを行った。こうしてみると、俺って、つくづく暗いのが好きなんだって思う。人間の感情の喜怒哀楽のうち「哀」の部分が強く浮き出てしまうという感じだね。楽しい歌も好きだけど、暗い歌ほど感情移入してしまう。選曲からすでにその人となりが出るみたいだね。



2007年08月05日(日) 少年王者館公演「シフォン」

 今日もまた、大須に出掛けてしまった。夏祭りの雰囲気を感じつつ、七ツ寺共同スタジオに入っていった。そこでは、少年王者館の新作「シフォン」の公演が行われていた。今回、脚本は天野天街ではなく虎馬鯨が担当し、天野は演出に専念。まあ、でも結局はいつもながらの天野天街的な劇的世界が展開されていたように感じられた(いや、悪口ではないんだよ)。矢継ぎ早に発せられる数多の言葉から紡ぎ出される数々のイメージ世界。とても不思議で、どこか郷愁を感じさせる少年王者館の芝居が、私は好きなのだ。実際、今回の芝居もすごく面白かった。
 観劇後、大須夏祭りのハイライトとも言うべきサンバ・パレードを探し求めて、大須の街を行ったり来たり。やっと見つけだしたサンバの集団の後を追いかけていった。サンバのリズムに合わせてダンサーたちが魅惑的な踊りを見せてくれたのだが、人だかりでよく見えないではないか。心のなかで舌打ちする私。でも、この熱い感じはいい。よく見ると、見知った顔がギターを弾いている。Hさん、「スローブルース」でボサノバやショーロといったブラジル音楽の演奏をしているあの人ではないか。リズム隊も楽しそうだから、来年はリズム隊で参加させてもらおうかな、などと一人で勝手に思い描いていた。
 もっともっと祭りの雰囲気を味わっていたかったけど、夏バテ気味でもあったので、まだ明るいうちに家路についた。


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