夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年01月08日(月) 樋口涼二郎一座公演

 今日は、大曽根にある大衆演劇の劇場「鈴蘭南座」に出かけていった。
 劇場入口で1700円の前売券を見せて中に入ると、畳敷きの客席に50名弱の観客が座布団に腰掛け、開演を待っていた。年齢層はだいぶ高い。座布団レンタル代50円を払い、適当な場所に陣取った。
 正月公演は、樋口涼二郎一座。唄と踊りのショー、それにオリジナルのお芝居(その名も「奥飛騨慕情」)。ある程度予想のつく展開ながら、気がつけば、私も芝居に入り込んでしまっていた。「予定調和」には違いないが、十分に楽しんで、アッという間の3時間だった。



2007年01月06日(土) 笑門来福

   尾張万歳は、地元の伝承によれば,鎌倉時代,
  正応の年号(1288〜1293)の時に,現在
  の名古屋市東区矢田町にある長母寺の開山,無住
  国師が『法華経万歳』を作ったのが始まりとされ
  る。
   室町時代には,長母寺の領内であった知多半島
  にまで広がっていった。江戸時代になって四つの
  儀式的演目『六条万歳』『神力万歳』『地割万歳』
  『御城万歳』が加わり”五万歳”として尾張万歳
  の基本ができあがったとされる。この”五万歳”
  は宗教的・儀式的色彩が強いものであった
  が,一方では近世を通じて『福倉持倉(ふくくら
  もくら)』『入込(いりこみ)』『三曲万歳(さ
  んきょくまんざい)』『御殿万歳(ごてんまんざ
  い)』などの娯楽的な要素を持った演目が加わり
  芸能性が高められていった。多く,尾張万歳は農
  民たちの農閑期の出稼ぎ芸として行われるように
  なったため,家々の軒先で演ずる門付(かどづけ)
  万歳や得意先の座敷の上で演ずる檀那場(だんな
  ば)万歳という形で,正月を中心に,関西,中部,
  関東地方一円の津図浦々をまわり稼ぎをするよう
  になって尾張地方にとどまらず活動範囲も広がり
  全国に知られていった。
   明治維新後は,遊芸稼人の鑑札を受け,さらに
  娯楽性加えられ,各地を巡業する一座も出現する
  ようになってくる。のちに漫才(まんざい)と文
  字を変え,演芸館やラジオなどで大流行するもの
  のルーツとなった。
   尾張万歳は,扇子を持った太夫と鼓を持った才
  蔵との二人一組で,才蔵の鼓にあわせて太夫が祝
  言を述べて舞ったり,言葉の掛け合いをしたりす
  るのが基本となっている。演目によって,太夫一
  人に才蔵が複数ついたり,三味線と胡弓が加わる
  ものもある。
   (尾張万歳保存会ホームページより)

 昼過ぎ、徳川園に出かけ、そこで尾張万歳を観た。これが思いのほか面白かった。現在の漫才のルーツとも言われるが、とても素朴な笑いというのか、ほんわかとした笑いを醸す芸能なのだ。明治以降、三河万歳が神道色の強いものになった一方、尾張万歳はより芸能的に変化を遂げたという。また、小沢昭一『日本の放浪芸』(岩波現代文庫,2006)などによれば、万歳は日本各地にあるともいう。いずれにしても一見の価値はあると思う。

 尾張万歳の実演が終わってからは徳川美術館を観てまわり、その後、近くの喫茶店「ぱんとまいむ」で開催の「ぱんとまいむ寄席」を観に行った。素人に毛が生えた程度とタカをくくっていたが、さにあらず。竜宮亭無眠、道落亭かね平、川の家河太朗のお三方は、なかなかにレベルが高い。たっぷり笑ってワンコインていうのは非常に安い。
 毎月第一土曜日の夕方に開催の「ぱんとまいむ寄席」、こちらもまた一見の価値あり。

 といった具合で、とてもよく笑った一日。「笑う門には福来る」の言葉通り、この一年、幸福でありますように。福の神の皆々様、よろしゅう頼んまっせ。



2007年01月04日(木) <沙羅双樹ふたたび>2007新年会 

 昨日まで仕事だった私、今日になってやっと、<沙羅双樹ふたたび>のパートナー・沙羅さんと今年初めての顔合わせ。
 日本酒(「久保田萬寿」)と餅とほうとう(山梨の郷土料理)を携えて、沙羅さん宅におジャマした。沙羅さんもおせち料理でもてなしてくれ、今年も昨年に引き続き固いパートナーシップで<沙羅双樹ふたたび>を盛り上げていくことを確認。
「まぁ、難しい話は後にして、まずは呑もうやないか」という点では見事に一致して、酒盛りを敢行。てなことは何も新年に限った話ではない。<沙羅双樹ふたたび>解散の危機っちゅう話は今んとこなしで、まずはめでたし、めでたし。
 <沙羅双樹ふたたび>は今年も前進あるのみ、というか後退しては後がない。日々精進してまいる所存でありまっせ。



2007年01月03日(水) 『獄窓記』『累犯障害者』

  鬼となり この手で消した 命の火
   明日は命日 遺族を思う

  残されし 母は世間の 中傷に
   耐えつつわれを 励ましに来る

  以前より 優しい目付きに なったねと
   面会の母 われ見て微笑む

  出所日の 話題弾める 人の輪を
   そっと離れる 無期囚のわれ

  ハハキトク たった五文字の 電報を
   何度も眺める われは無期囚

   (山本譲司『獄窓記』より)


 年末から年明けにかけて何冊かの本を乱読しているが、なかで山本譲司(秘書給与事件で実刑判決を受けた元衆議院議員)の著作は衝撃的で、一気に読み上げてしまった。
 『獄窓記』(ポプラ社.2003)は、著者自身の獄中体験を通じて刑務所の実情や秘書制度などについてリポートしたドキュメンタリー。冒頭に記載した短歌は、刑務所内の機関誌に掲載された受刑者たちの作品だ。『獄窓記』では、障害を持つ受刑者の実情にも触れられている。

  「(前略)山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、
  俺たち障害者は、生まれながらに罰を受けてるよう
  なもんだってね。だから、罰を受ける場所はどこだ
  っていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていい
  んだ」
   (山本譲司『獄窓記』より)

 著者が獄中で出会った障害者の語ったショッキングなひとこと。その言葉からは障害を持つ人たちの深い孤立感、絶望感が伝わってくる。
 また、最新作『累犯障害者』(新潮社.2006)では、「障害者が起こした事件」の現場を訪ね歩き、「ろうあ者だけの暴力団」「親子で売春婦の知的障害者」「障害者一家による障害者の監禁致死事件」など驚愕の事実にスポットを当てている。何故に犯罪を犯さずにいられなかったのか、障害者をめぐる社会の側の問題があぶり出される。福祉の仕事に従事する私たちに対する警告の書とも言える。
 問題解決は決して簡単ではなく、非常に重い現実を突きつけられた形となったわけだが、そうした現実から目を逸らすことなく見つめていきたいと思った。



2007年01月01日(月) 明けまして、2007年

 新年あけましておめでとうございます。
 と言っても、あまり正月という気分でもない。何せ元旦の今日、私は午後から仕事だ。
 勤務先である知的障害者入所施設には、正月もそこで過ごす十名ほどの入所者が残っている。それぞれに事情はあるが、施設で迎える正月を彼らはどんな思いで過ごすのだろうか。近所の神社に初詣に出かけたりはするものの、他にこれといって予定はなく、元旦の午後は静かに流れる。
 私は三が日とも仕事になっているので、気持ちの上でゆったりできるのは4日以降ということになろうか。
 ともかくも、2007年はスタートした。



2006年12月31日(日) さらば、2006年

 29日から今日まで、郷里の山梨に帰っていた。帰省中には、いつも様々なことを考えさせられる。どんどん年老いていく両親を目の前にして、自らの今後の人生を思わずにいられない。でも、先々のことは考えられないな。
 新年はどんな一年になるのだろうか。過ぎゆく2006年にいま別れを告げる。



2006年12月28日(木) ヒートウェーブ最新CD

 待望のヒートウェーブ最新CDが手元に届いた。
 このCDは、従来とは違う方法によって制作された。それは、レコード会社の資本に頼ることなく、自らの手により制作前から、アルバムを熱望するファンから賛同金を募り、制作資金に当てて作品を作り上げるという画期的なプロジェクト。
 ヒートウェイヴはこれまで、メジャー/インディーを問わずレコード会社の資本により音源を制作してきた。しかし、従来のやり方では自身の楽曲を自由に使用できないという制約があった。例えば初期のアルバムを新たなファンにも聞いてほしいのに提供できない、また発表している全ての楽曲を配信したいのに叶わないなど。そこで今回、独立した形で音源を制作したいという考えに立ち至り、このプロジェクトを立ち上げた。そして数多くの賛同を得て完成した作品が、今回のアルバム『land of music』。私たち<沙羅双樹ふたたび>も賛同者として名を連ねている。
 というわけで、一回聴いてみたのだが、その出来はまずまず期待通りといったところか。これから何度か聴いていくと、また違った印象を持つかもしれない。
 2006年の暮れに、ステキなプレゼントが届いた。



2006年12月24日(日) 全日本総合ハンドボール選手権大会

 今日は、愛知県体育館で行われた「全日本総合ハンドボール選手権大会」の決勝(男女各1試合)を観に行ってきた。
 なぜかメジャーになりきれないスポーツだが、昔から私はこの競技が好きだ。とってもエキサイティングで面白いスポーツだと思うのだが。
 実際に会場に足を運んで観戦してみたところ、面白さをあらためて実感できた。スピーディーかつ迫力あるゲーム展開に一瞬たりとも目が離せないのだ。
 白熱した好ゲームの結果、男子は大同特殊鉱、女子はオムロンが、それぞれに優勝した。



2006年12月20日(水) 2006年の歌い納め

 2006年もあと10日ほどだが、年末という実感が未だにない。とはいえ、まぎれもなく、年の瀬。「スローブルース」の「生音くらぶ」出演も、今日が今年最後となりそうだ。
 で、今回は沙羅とのユニット<沙羅双樹ふたたび>で出演。1曲目は、『夏撃波のクリスマス・メドレー〜キラキラ星ヶ丘バージョン』。2曲目は、ピアノ・沙羅、ボーカル・夏撃波で『雪の華』(中島美嘉)。3曲目は、ピアニカ&ボーカル・沙羅、ギター&ボーカル・夏撃波で『そら』(ソウル・フラワー・ユニオン)。細かな点で気になるところはあったが、気持ちよく演奏でき、観客の反応もまずまずだった。
 毎回、参加者によって雰囲気は少しずつ違ってくるが、今回もいい演奏が続いていた。他の人の演奏から学ぶことも多く、また単純に楽しめるのが「生音くらぶ」のいいところだろう。来年、さらに進化した夏撃波、そして<沙羅双樹ふたたび>を見せていきたいと思う。



2006年12月16日(土) pHー7忘年会

 今日の昼は、私の勤め先でもある福祉施設で「クリスマス会」が開かれたのだが、そこで思わぬ再会を果たした。ゴスペル・グループがボランティアの形で「クリスマス会」に参加してくれたのだが、グループの中心メンバーのまきえいこさんとは以前ポエトリー・リーディングのイベントで一緒になったことがあった。まさかそのような形でお会いするとは思いもよらなかった。

 「クリスマス会」が終了してから、急いで「劇団pHー7」の忘年会会場へと向かった。より正確には「劇団pHー7地下劇場」を支える人達の忘年会だが。
 「pHー7」主宰の菱田さんからは事前に「よかったら、みんなの前で演奏してみないか」との話もいただいており、デュオ・パートナーを伴って、「劇団pHー7地下劇場」へと出かけていった。
 『そら』(ソウル・フラワー・ユニオン)の演奏と『嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜』(夏撃波・詩)の朗読をデュオで、『星ヶ丘ロケンロール』(オリジナル)の演奏と『力石徹よ』(寺山修司・詩)の朗読をソロで行った。「面白かった」「『嵐を呼ぶ男』を聴いている時、小沢昭一の語りを思い出した」(これって、最高の誉め言葉だよな)などという感想も聞かれ、単純に喜んだ。
 それとは別に、自主制作映画の監督から出演依頼もあり(と言っても「チョイ役」みたいだが)、いよいよ「映画デビュー」することになりそうだ。
 来年「劇団pHー7」やその周辺にどのような変化が見られるかはわからないが、私もそれらの動きとも関わりつつ、自らの活動自体のより一層の充実を図っていこうと思う。


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