夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2006年08月18日(金) ミンゼミ

 「ダンス白州2006」というイベントのなかの、「大衆演劇ワークショップ」に16日夕方より参加。17日夜に大衆演劇の「初舞台」を踏みました(17日の「日記」参照)。17日の本番終了後も、「ダンス白州」会場内に設置されたテントに宿泊。
 明けて18日、田中泯さんのワークショップ「ミンゼミ」に参加。会場は、なんと「畑」(作物は植わっていませんでしたが)。泥んこになりながら、約2時間を心から楽しみました。参加者は30人ほど。世界的に有名な泯さんの活躍の幅を物語るかのように海外からの参加者も多く混じっていました。
 「ミンゼミ」では、まず3人1組になり、それぞれ身体をほぐすことからスタート。次に、1人が目を閉じたまま、他の2人の指示に従って身体を動かしました。その後、2人1組となり、「立った状態からいきなり倒れる、それもじっと見ているペアに倒れる気配を察知されないように」という課題が出され、それぞれに取り組みました。最後は、再度3人1組となって、土中に首から下を埋められた1人に対して2人がパフォーマンスを行うという課題。いずれも、自分の現在の身体の状態を見つめさせてくれる内容でした。
 今回のイベントのなかで泯さんのパフォーマンスを観る機会は得られませんでしたが、ふだんの佇まいから只者ではない、人々を魅了する不思議な力を感じさせる方でした(数年前、映画『たそがれ清兵衛』での名演も話題になりましたが)。私もああいう60代になりたいものだと思いました(まだ20年ありますが)。
 「ミンゼミ」終了後、私は会場をあとにして、実家へと戻っていきました。



2006年08月17日(木) 「赤城の山も今宵かぎりか」

 ついに、私、大衆演劇の舞台を踏んじゃいました。『ご存知!名月赤城山 国定忠治』に、国定忠治の子分「三ツ木の文蔵」の役で、ね。20分程度の舞台でしたけど。
 まあ、順を追ってお話しましょう。
 山梨県・旧「白州町」(現・北杜市)で開催されている「ダンス白州2006」というイベント(舞踏家・田中泯さんらが中心に企画・実施している)のなかの、「大衆演劇ワークショップ」に16日夕方から参加。実際の稽古は、17日午後から。若葉しげる座長率いる「若葉劇団」の方々と稽古をし、17日夜に「森の舞台」(木立のなかに作られた野外劇場)で本番の舞台を踏みました。
 大衆演劇の芝居には台本がなく、口立てという旅役者独特の稽古があります。まず配役が決められ、氏名、年齢、職業、性格の確認。それから座長は、登場人物の台詞、仕草はもとより、上、下手の出入りを、照明係、音響係(役者が兼ねる)への指示も出しながら、猛スピードで喋ります。これを受けて役者はノートに走り書きしたりして、1時間程度稽古。簡単な殺陣も教えていただきました。
 本番では、緊張して、わけがわからないうちに終わってしまっていたという感じ。もう少し余裕を持って舞台に臨めるとよかったと反省しています。でも、なかなかできない経験ができ、楽しかったのは確かです。



2006年08月13日(日) ブライアン・ジョーンズ

 名駅「ゴールド劇場」に、映画『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』を観に行ってきた。
 ローリング・ストーンズの初期のリーダーであるブライアン・ジョーンズの「謎の死」に迫る作品としての触れ込みだったが、結論から先に言えば、「あまりに表面的すぎて、つまらない作品」だった。制作にたずさわった方々がこの映画で何を伝えようといたのかがさっぱりわからなかったのだ。映画のなかのブライアンは麻薬中毒の偏屈な暴力男という面でしか描かれていなかった。仮に「麻薬中毒の偏屈な暴力男」だったとしても、そこに至る背景が描かれていればいい。そうした丹念な描写が一切なされていなかったことが、この映画の最大の失敗であると、断言してしまおう。
 私は、ブライアンの存在をリアルタイムでは知らない。ストーンズと言えば、ミック・ジャガーやキース・リチャーズの名前が即座に浮かぶ。けれども、ブライアンの音楽的才能を高く評価する声は多い。様々な楽器を弾きこなし、ルーツ・ミュージックにも深い関心を持っていたようだ。初期のストーンズを牽引していたのは間違いなくブライアンであり、若くして亡くなったロック・スターたち(ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン等)とともに今では伝説の人となっている。ストーンズが成功を手にしていくにつれ、バンド内の力関係に変化が生まれ、主導権がミックやキースに移っていき、バンド内で孤立を深めていったとされるブライアン。
 もしブライアンが生きていたら、などと無駄な想像もしてしまう私だが、亡くなって30年以上経った今もなおストーンズの音楽に大きな影響をもたらしているように思われるのだ。
 「なぜ、今、ブライアンの映画が制作されたのか」もよくわからなかったが、一ファンとして映画館に足を運んだのだ。多少は期待していただけに、あまりに出来の悪い映画に落胆する私であった。
 



2006年08月12日(土) 夏を笑う

 本日夕方、鶴舞「K.D.Japon」で、詩の朗読イベント『Bird-6 夏を笑う』(みおよしき・企画)が開催された。出演は、関西から池上宣久・土屋智行の両名、東海地区からは加久裕子 ・鈴木陽一レモン ・若原光彦、そして我々<沙羅双樹ふたたび>。
 それにしても、今回のテーマ「夏を笑う」は難しかった。関西詩人勢はもともとそうしたキャラなのか、会場全体を笑いに包んでいたのだが、東海詩人勢はテーマを意識しすぎていまひとつこなれていないように感じられた。我々<沙羅双樹ふたたび>としても、反省点はあったのだが・・・。前半のオープンマイク(飛び入りの朗読)はなかなかの粒揃いだったね。
 さてさて、我々<沙羅双樹ふたたび>だが、まずは往年のコミックソング『水虫の唄』(カメ&アンコー)からスタート。次に、夏撃波の詩『嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜』を、沙羅のミンミン伴奏にのせて朗読。つづけて山崎方代の短歌を、私のギター伴奏にのせて二人で朗読。最後は、中島みゆきの名曲『永久欠番』を演奏。そうしたラインナップでの20分弱だったが、思いのほか緊張した。でも、発表の機会があるというのはうれしいもの。
 <沙羅双樹ふたたび>としては反省点も多々ある。けれども、沙羅という得がたいパートナーを得て、夏撃波ソロとは違った表現ができることに喜びを感じてもいる。次なる機会に向けて精進していきたい。



2006年08月09日(水) 恩師・鶴見和子さんを悼んで

  萎えたるは萎えたるままに美しく
   歩み納めむこの花道を
    (鶴見和子歌集『花道』より)

 7月31日、私の大学時代の恩師・鶴見和子さんが亡くなられた(享年88才)。南方熊楠や柳田国男の研究、地域住民の手による発展を論じた「内発的発展論」などでも知られる社会学者。1979年に『南方熊楠』で毎日出版文化賞、1995年に南方熊楠賞、1999年に朝日賞をそれぞれ受賞。1995年に脳出血でたおれ左片麻痺となり、車椅子生活を送りながらも、これまで書かれた著作をまとめた『鶴見和子曼荼羅』や、生涯の中でかかわりのあったさまざまな人物や学問上の関心が照応する相手との対談をまとめた『鶴見和子 対話まんだら』というシリーズを刊行。和歌や日舞、着物などの趣味の豊かさでも知られ、その方面の随筆、写真本などの刊行物もある。
 鶴見さんは、学問に対する姿勢には厳しかったが、キモノのよく似合う美しいおばあちゃん先生だった。その生き方に学ぶところも多かった。冒頭に短歌を紹介したが、その歌からは常に前向きに生きてこられた鶴見さんの生きざまが伝わってくる。
 生前に鶴見さんが詠まれた短歌を紹介したいと、今夜は八事「POPCORN」で開催されている「詩のあるからだ」に参加。鶴見さんの短歌数首を朗読。それと、『竹田の子守唄』をミンミンで演奏した。「詩のあるからだ」では、参加者個々の朗読の後、中島みゆき『あたいの夏休み』の詠みくらべスラムも行われた。
 話は前後するが、最後に鶴見さんの短歌をいくつか紹介しよう。

  みんみん蝉生命(いのち)のかぎり鳴きつぐを
   我が歌詠(うた)うリズムとぞ聴く

  生命(いのち)細くほそくなりゆく境涯に
   いよよ燃え立つ炎ひとすじ

  おもむろに自然に近くなりゆくを
   老いとはいわじ涅槃とぞいわむ

 鶴見和子さんのご冥福をお祈りします。



2006年08月06日(日) 大須夏祭り

 夏本番!大須が熱い!!
 今日、大須の夏祭りに行って来た。大須観音を中心に大須の街全体がお祭一色。サンバ・パレードに興奮し、カポエイラの実演に息を呑み、盆踊りで夏の情緒を味わい、クライマックスの手筒花火と大治太鼓のコラボレーションには血が騒いだ。
 てな具合で、夏を満喫した一日であった。



2006年07月29日(土) 『青ひげ』 

 スーパー一座の大須オペラ『青ひげ』を観に行ってきた。
 『青ひげ』は、妻を殺しては又、次の妻を娶り、次々と妻を殺してゆく、残忍な青ひげ侯爵の、身の毛もよだつ恐ろしいお話(ペローの童話や伝説でお馴染みの作品だが、寺山修司もこれをモチーフに『青ひげ公の城』という舞台作品を残しているね)。しかし、どんなに恐ろしい物語も、大須オペラではハッピーエンドになってしまう。その結末は、ある意味でとってもアンビリーバブル! でも、文句なしに楽しいお芝居なのだ。200席程度の小さな芝居小屋にオーケストラの生演奏つきというのもうれしい限りだ。
 やはり大須オペラを観ないで夏は越えられないね。
 



2006年07月28日(金) はいた

 はいた。
 「吐いた」でも、「ハイター」でもなく、「歯痛」。顎から耳にかけて頬の内側が強烈に痛み、鎮痛剤もろくに効かない状態で、大いに体力を消耗した。ちょうど宿直業務にもあたり、だいぶ難儀した。歯医者に行き、抗生物質を投与することで、徐々に快方に向かいつつあるようだが、薬の副作用で下痢にも苦しんだ。体調を回復させるまでにはあと数日要する見込み。気が滅入るよ。



2006年07月26日(水) 愛は愛とて何になる

 久しぶりに、星ヶ丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加。前は月3回くらいのペースで出演していた「生音くらぶ」にも、最近は仕事とかち合ったり、体調が思わしくなかったりで、月1回ペースになっている。
 今日出演のメンバーは5〜6組。私は、フォークの名曲を中心に4曲をカバー。
「竹田の子守唄」(赤い鳥)をミンミンで、「青空と小鳥と終身刑」(南正人)、「赤色エレジー」(あがた森魚)、「胸が痛い」(憂歌団)をギターで、それぞれ演奏した。



2006年07月21日(金) <沙羅双樹ふたたび>出演情報(’06.8.12)

 来る8月12日(土)午後6時半から鶴舞『K・D Japon』にて開催される詩のイベント『Bird-6 夏を笑う』(みおよしき・企画)に、われわれ<沙羅双樹ふたたび>の出演が決定。詩の朗読と演奏とを織りまぜながら15分ほどのステージを予定。出演は他に、加久裕子 ・鈴木陽一レモン ・若原光彦・池上宣久・土屋智行の皆さん。よろしければ、観に来て下さい。
 なお、詳細は下記のホームページなどでご確認下さい。

『Bird-6 夏を笑う』イベント広報ページ
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~pocom/img-keep/news/Bird6.html

『K・D Japon』ホームページ
 http://www2.odn.ne.jp/kdjapon/



 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]