夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2006年04月30日(日) 「続・ぽえ茶」&「ち〜One」

 今日の昼下がりは、毎月恒例の「続・ぽえ茶」(熱田「coffee TOSHI」にて)。今回は関西からみきさん、関東からあしゅりんさんも参加。人数も多く、いつも以上の盛り上がりを見せた。
 私は、沙羅双樹ふたたびの連詩「続・梅林バラード」、夏撃波最新作「うんこ出んのだわ」(後に改稿し、「嵐を呼ぶ男〜山本秀雄の場合〜」と改題)を発表。

 「続・ぽえ茶」終了後は、藤が丘「WEST DARTS CLUB」にて開催の「ち〜One」なるイベントに出演。15分の枠内で、音楽、演劇、詩の朗読、ダンス、お笑い、パフォーマンスなど表現方法は自由、とのこと。弾き語りが多かったが、バンド&タップダンス、ポエトリー・リーディングなどの表現も見られた。
 私は、まず挨拶代わりに自作詩「うんこ出んのだわ」を朗読。次いで、オリジナルソング「星ヶ丘ロケンロール」、ゴスペルの名曲「アメージング・グレース」を演奏。初めての場所でもあり、非常に緊張したが、いつもと違った客層を相手に刺激的な時間を過ごした。やはり何事もマンネリ化を破ってこそ、進歩があるんだよね。身体は疲れたが、一方でとても気持ちよかった。



2006年04月29日(土) 「Birdー5 そこを越えて」

 夕方、鶴舞「K.D.Japon」へと出かけた。ポエトリー・リーディングのイベント「Birdー5 そこを越えて」が開催されていたのだ。
 加久裕子、若原光彦、ツバキ嬢、鈴木陽一レモンといった、おなじみのメンバーに加えて、弾き語りの平林明生、そして現役中学生のこうみれいが出演。みんながそれぞれにメッセージを伝えるべく工夫したステージングを展開。平均年齢23.5歳と伝え聞いたが、若々しさがいい形で現れたイベントだった。
 私自身は、オープンマイクで参加。ミンミンを演奏しながら、自作詩「雨の柳ヶ瀬」を朗読し、続いてスタンダード曲「アメージング・グレース」を歌った。



2006年04月28日(金) 連詩「続・梅林バラード」(by沙羅双樹ふたたび)

 (沢田研二「TOKIO」より)
  空が飛ぶ 街が飛ぶ
  雲を突き抜け 星になる
  火をふいて 闇を咲き
  スーパーシティーが舞い上がる
  TOKIO TOKIOが二人を抱いたまま
  TOKIO TOKIOが空を飛ぶ

 (みおよしき)
  むにゃむにゃと言葉をかわす二人
  「あれって、ジュリーだよね」
  「僕、知らない」
  「私、知ってるけど。ごめんね、年上で」

 (双樹)
  「だいぶ歩いたね。どこかで休もうか」
  「どこかって?」
  「えっ、何か誤解してない? 別にホテルとかじゃなくて、どっかベンチにでもって・・・」
  「そうね。私、[くたくた]だし、この辺で[お花見]するのもいいよね」

 (沙羅)
  「ねえ、あれ見て。すごくきれい」
  「ああ、いい色だね」
  「何て言うんだろう」
  「ハナミズキだよ」
  「あ、そうそう。・・・あれ? なんだか去年も同じ事きいた気が・・・」
  「ん? 去年の今ごろはまだ、僕たち、知り合ってないよ」
  「・・・」 彼女は[びくっと]した。

 (双樹)
  でも、彼のほうはさほど気にとめるふうもなく、[がさごそ]とかばんから[野球]のグローブふたつとボールを取り出した。
  「あなたと心のキャッチボールをしようかと思って」
  などと言った後、顔を赤らめる彼。

 (沙羅)
  彼は、物事を悪い方向には決して考えない人だった。それは、想像力に欠けるという見方も充分に可能ではあるが、人の悪意を「悪」とはとらえず、「弱さ」としてまずは許容する力を無意識にも秘めているのだろうと、彼女は感じていた。時々、会話の途中でふと黙り込む彼は[ぽーっと]した顔を見せたかと思うと、とんでもない方向に話を切り出す。友人は「テンネン」と密かに呼んでいるらしい。つまり[認定書]発行済みのキャラらしい。
  「私のミットめがけてボールを投げてよ。これ、キャッチボールの基本でしょう」
  彼女は心の中で突っ込みを入れる。だが、それは言葉にはならず、必死でボールの行方を追う彼女。
  「こう見えても運動神経はいい方よ。のがさず取ってみせようじゃないの」

 (双樹)
  彼女のほうは何かしら彼を[ぎゃふん]と言わせてやろうとおもっているふしがあるようだが、彼のほうはどこ吹く風。彼の手を離れたボールは、彼女を高く飛び越えて、どこまでもどこまでも飛んでいく。ボールの行方を追ったが、ついに見失い、二人して空を仰ぎ見る。

 (沢田研二「TOKIO」より)
  空が飛ぶ 街が飛ぶ
  雲を突き抜け 星になる
  火をふいて 闇を咲き
  スーパーシティーが舞い上がる
  TOKIO TOKIOが二人を抱いたまま
  TOKIO TOKIOが空を飛ぶ

*5つの擬態語・擬音語(「くたくた」「びくっと」「がさごそ」「ぽーっと」「ぎゃふん」)と3つのキーワード(「お花見」「野球」「認定書」)を用いて、連詩『梅林バラード』(3月26日の日記を参照)の続編を沙羅さんと一緒に作ってみた。その結果できあかったのが、上記の作品である。



2006年04月21日(金) 山本竹勇ライブin国分寺

 新幹線で東京へ。津軽三味線奏者・山本竹勇さんのライブを聴きに、国分寺「cafe giee」まで行って来た。ついでに、宝塚の「ベル・バラ」も観たかったのだが、そちらはチケットが取れず、断念。
 それにしても、太棹の三味線の音色はとてもいいものだ。今回は、津軽民謡の他、北海道・東北地方の民謡も演奏された。お弟子さんの手塚勇月さんとの三味線二重奏もまたよかった。休憩時間には、私が持ち歩いていたミンミンを竹勇さんが見事に演奏。
 今回の上京は何ともせわしなかったのだが、ほどよいストレス発散になった。
 



2006年04月19日(水) スローブルースに春が来た!?

 今夜、「スローブルース」の「生音くらぶ」に参加。店のドアを開いたとき、ステージ側の机を数人のうら若き女性たちが囲んでいるのが目に入った。いつになく華やかな店内、演奏する男性陣が浮き足立っているように感じられた。いや、何のことはない、私だって十分すぎるほど浮き足立っていたのだ。格好良く見せようと、変に力も入っていた。それでも、一応はノーミスでできたんじゃないかな。
 「星ヶ丘ロケンロール」(オリジナル)にオフコース・メドレー(「さよなら」「Yes-No」「時に愛は」)を絡ませたバージョン、初お披露目の「なぜか御器所」
(オリジナル)、そして最後はスタンダード曲「アメージング・グレイス」をギター&ミンミン&カズー&ティン・ホイッスル&サウンド・ホースで演奏。
 他の方々の演奏もよかったはずなのに、女性陣の演奏以外はあまり覚えていない。健忘症か?単なるスケベおやじになっちまったか?もしかして、その両方、つまり「色ボケ」だったりして?
 とにかく春を感じさせる今宵のライブだった。



2006年04月18日(火) 詩「なぜか御器所」

  名古屋に越して来てはじめて君に出会ったのは
  御器所交差点、信号待ちの時

  君をひとめ見た時、
  僕のなかを電流がかけぬけた
  思わず君を追いかけて、アパートを突き止めた

  それからは毎日、
  君の家のそばの「サークルK」で、
  君の帰りを待ちわびる
  まるで夫のように

  そんなある日のこと、
  レンタルショップの「TUTAYA」で、
  DVDを探していたら、
  君と鉢合わせ

  ドキ、ドキ、ドキ、ドキ、ドキ
  胸がたかなる
  勇気を振り絞り、
  君の前に歩み出た

  (セリフ)
   あの〜、こんにちは。
   実は、その、あの、
   僕は、あなたを、つまり・・・

  それから、なぜだか二人は付き合ったけど、
  君はもういない
  この街に君はいない

  それでも、僕は忘れない
  きっと忘れないよ
  君と交わした
  「スガキヤ・ラーメン」キスの味

*名古屋に来て約15年、御器所に住み始めて6年が経過して、この街にも愛着を感じるようになった。そこで、ご当地ソングを作ってみた。たぶん名古屋圏に住んでいない人にはピンとこないだろうな。名古屋の一地域でしかない、しかもさほど有名でもない「御器所」を題材にしているからね。でも、「伊勢佐木ブルース」(青江三奈)なんて曲は、横浜の一地域が舞台になっているんだよな。そう考えれば、別に悪くはないのかも。あまり深くは考えないでおこう。



2006年04月07日(金) ノー・ディレクション・ホーム

 今日、仕事を早めに切り上げて、今池の映画館「シネマテーク」に急行した。目当ての作品は、マーティン・スコセッシ監督がボブ・ディランの貴重なライブ映像・インタビュー映像を交えて構成した映画『ボブ・ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」』。上映時間は3時間30分にも及んだが、全く退屈しなかったどころか、非常に面白かった。ディランのファンならば泣いて喜びそうな映像の連続だからね。
 ディランはマスコミ嫌いなどと言われ、ファンに対しても決して愛想良く振舞ったりしない。でも、映像に出てくる記者会見シーンなどを見ると、ディランに同情したくなる。だって本当にくだらない質問のオンパレードだからね。
 時代的な背景もあるのだろうが、ディランは最初「メッセージソング」の代名詞的存在として、人々の前に登場した。ディランがアコースティックギターからエレキギターに持ち替えた時、コンサート会場はブーイングの嵐。でも、ディランは音楽をやりたかっただけなんだよね。ディランに言わせりゃ、「僕の歌は、すべてメッセージソング」だ。音楽を愛する人にはその意味が十分にわかるはずだ。結局、今日に至るまで活躍し続けているディランの実力は突き抜けている。
 ディランは、ローリング・ストーンズとは違った意味で、多くの名曲を生み出していると思う。何年か前に海外のコンサート会場で(詳しくは知らないが)ディランとストーンズが一緒に「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったことがあったそうだ。「その場に立ち会えた人がうらやましいよな〜」と、ディランと誕生日を同じくする男は思うのだった。



2006年04月05日(水) はじめてのアリーナ

 今日は、待ちに待ったローリング・ストーンズ名古屋公演。よく考えてみると、コンサートでナゴヤドームに行くのは初めてだ(野球観戦はあるけど)。デュオ・パートナーの沙羅さん、そして沙羅さんの愛娘・Iちゃんも一緒だ。Iちゃんとは10年ぶりくらいで再会したがすっかり大人になって、思った以上にべっぴんさんだったので驚いてしまった(失礼!)。
 アリーナ席というのも私には初体験。メインステージからはやや離れているが、ほぼ正面だし、スタンド席より見やすいことは確か。それに、サブステージがだいぶ近い位置にあるではないか。
 オープニング・アクトの演奏が終わって、ストーンズの登場を心待ちにしていると、夜8時客電が落ちて「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」の演奏からスタート。ドーム全体がヒートアップ。ライブではあまりやらない曲も演奏して、ファンにはたまらない選曲。
 そして、いよいよストーンズのメンバーがサブステージに移動する瞬間を迎えた。ミックが、キースが、ロニーが、チャーリーが、間近に迫ってきた。約15メートルほどの距離にまで近づいた。顔のシワまではっきりと見える近さだ。私たちはすっかり興奮状態。感激のあまり、身体がふるえた。
 約2時間にわたるステージ、ミックはとても60代には見えない若々しい動きで観客を魅了。最後を「サティスファクション」で締めた。
 とてもとても満足のいくライブだった。



2006年03月29日(水) 寒の戻り  

 だいぶ暖かくなってきたと思いきや、急にまた寒くなってきてしまった。加えて、職場も何かと落ち着かず、疲れを感じる今日この頃。それなら今日の「生音くらぶ」はやめにしておけばいいものを。やはり、「スローブルース」での演奏なくしては、私の人生の楽しみも激減するというもの。
 で、今夜も演奏してきたよ。「星ヶ丘ロケンロール」(オリジナル)に「なごり雪」(イルカ)、「太陽がくれた季節」(青い三角定規)を挿入したバージョン、「柳ヶ瀬ブルース」(美川憲一)の替え歌で「嫌がらせブルース(?)」(所ジョージ)、「Satisfaction」(ローリング・ストーンズ)、「Paint It Black」(ローリング・ストーンズ)、「満月の夕」(ヒートウェーブ)の5曲だね。
 来週は、ストーンズ名古屋公演を観に行くので、「生音くらぶ」に行けないが、ナゴヤドームで弾けてこようと思う。

<参考:「嫌がらせブルース(?)」の歌詞>
  雨の降る夜は 傘に穴あけて
  雨やどりをしている人に
  親切そうに傘を貸す
  あ〜あ〜 嫌がらせ
  誰か泣いている



2006年03月28日(火) 事実とは何か〜二つの裁判から

  仙台市の北陵クリニック(閉鎖)で2000年、筋
 弛緩剤を混入した点滴を5人の患者に投与したと
 して1件の殺人と4人の殺人未遂の罪に問われた
 准看護師守大助被告(34)の控訴審判決公判で、仙
 台高裁田中亮一裁判長は22日、無期懲役とした
 一審仙台地裁判決を支持、守被告の控訴を棄却し
 た。弁護側は即日上告した。
  (2006年3月23日「中日新聞」朝刊より)
  田中裁判長は主文言い渡しを後回しにし、判決
 理由から朗読。守被告が大声で異議を唱えて裁判
 長から退廷を命じられたほか、執拗に弁論の再開
 を迫った弁護人4人や傍聴人の支援者らも次々と
 退廷させられるなど、異例の公判となった。
  (2006年3月23日「中日新聞」朝刊より)

 「冤罪」の可能性もささやかれる「北陵クリニック事件」。控訴審で弁護側は一審判決を「科学的裏付けがない」と批判して無罪を主張。また、守被告が逮捕直後にいったん自白したことについても「捜査官の誘導があった」と信用性に疑問を呈したが、弁護側主張は退けられた形だ。
 控訴審判決について、私は非常に違和感を覚える。守被告が罪を犯したか否かはわからない。けれども、田中裁判長のやり方にはまったく誠意が感じられないのだ。一人の人間を「有罪」とすれば、その人間の一生は言うまでもなく大きく左右されることになる。「有罪」と判断するに値するだけの「裏付け」は当然必要だ。しかし、控訴審において審理が十分になされたとは言い難い。「裁く」という行為は非常に重いし、大変恐ろしいことでもある。その自覚が田中裁判長にあったとは考えにくい。
 そもそも「事実関係を明らかにする」ということは気の遠くなるような作業である。「裁判の迅速化」も大切なことではある。だが、審理が尽くされないうちに「罪に問われた人間(無罪の可能性も大いにある人間)」の一生が大きく左右されるとしたら、そちらのほうが問題ではないだろうか。
 
 さて、もうひとつ裁判の話となるが、こちらは世界を震撼させた「オウム真理教事件」についてである。

  地下鉄サリンなど13の事件で起訴され、死刑
 判決を受け控訴していたオウム真理教(アーレフ
 に改称)の元代表麻原彰晃被告(51)=松本智津夫
 =について、東京高裁(須田賢裁判長)は27日
 「訴訟能力に問題はない。弁護人が控訴趣意書を
 提出しないのは正当化されない」として、麻原被
 告の控訴を棄却する決定をした。決定は控訴審判
 決とは異なり上告ができず、弁護団は同高裁に異
 議申し立てをする方針。最高裁への特別抗告の道
 も残されるが、争われるのは手続きの妥当性に限
 られるため認められる可能性は低く、一審死刑判
 決が確定する公算が大きくなった。
  (2006年3月28日「中日新聞」朝刊より)

 世間一般の「感情」としては「麻原=極悪人」、「麻原は当然死刑」ということになるのかもしれないが、それほど単純な問題ではないように思う。仮に麻原被告が「極悪人」だったとしても「裁判を受ける権利」は日本国憲法において保障されている。それと、「死刑」を「妥当」とするだけの「根拠」が必要なはずだ(もっとも、私は「死刑廃止論者」なのだが)。
 さきほどの繰り返しになるが、やはり審理を尽くすべきだ。
 あんな事件がどうして起きてしまったのか、そもそも麻原被告は「極悪人」なのだろうか。私のなかでわき起こる疑問は、どんどん膨れ上がっていく。それなのに何ひとつわからないまま、幕は下ろされようとしているみたいだ。

 事実はひとつなのに、「事実関係を明らかにすること」は非常に難しい。人間は「神の視点」から物事をみつめることはできない。曇りのない目でみつめることなどできないのだとも言える。だから「裁く」という行為は恐ろしい。「神をも恐れぬ行為」と言ってもいい。でも、人間社会を維持していくためには、時に裁かなくてはならないのだ。問題は、その覚悟が裁判官にあるかということ。それと、「一般市民」も決して無関係ではないということ(裁判官は「市民社会」を代表しているにすぎないとも言える)。
 そんなあれこれを考えさせられた二つの裁判に関する記事であった。


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