夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2006年04月05日(水) はじめてのアリーナ

 今日は、待ちに待ったローリング・ストーンズ名古屋公演。よく考えてみると、コンサートでナゴヤドームに行くのは初めてだ(野球観戦はあるけど)。デュオ・パートナーの沙羅さん、そして沙羅さんの愛娘・Iちゃんも一緒だ。Iちゃんとは10年ぶりくらいで再会したがすっかり大人になって、思った以上にべっぴんさんだったので驚いてしまった(失礼!)。
 アリーナ席というのも私には初体験。メインステージからはやや離れているが、ほぼ正面だし、スタンド席より見やすいことは確か。それに、サブステージがだいぶ近い位置にあるではないか。
 オープニング・アクトの演奏が終わって、ストーンズの登場を心待ちにしていると、夜8時客電が落ちて「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」の演奏からスタート。ドーム全体がヒートアップ。ライブではあまりやらない曲も演奏して、ファンにはたまらない選曲。
 そして、いよいよストーンズのメンバーがサブステージに移動する瞬間を迎えた。ミックが、キースが、ロニーが、チャーリーが、間近に迫ってきた。約15メートルほどの距離にまで近づいた。顔のシワまではっきりと見える近さだ。私たちはすっかり興奮状態。感激のあまり、身体がふるえた。
 約2時間にわたるステージ、ミックはとても60代には見えない若々しい動きで観客を魅了。最後を「サティスファクション」で締めた。
 とてもとても満足のいくライブだった。



2006年03月29日(水) 寒の戻り  

 だいぶ暖かくなってきたと思いきや、急にまた寒くなってきてしまった。加えて、職場も何かと落ち着かず、疲れを感じる今日この頃。それなら今日の「生音くらぶ」はやめにしておけばいいものを。やはり、「スローブルース」での演奏なくしては、私の人生の楽しみも激減するというもの。
 で、今夜も演奏してきたよ。「星ヶ丘ロケンロール」(オリジナル)に「なごり雪」(イルカ)、「太陽がくれた季節」(青い三角定規)を挿入したバージョン、「柳ヶ瀬ブルース」(美川憲一)の替え歌で「嫌がらせブルース(?)」(所ジョージ)、「Satisfaction」(ローリング・ストーンズ)、「Paint It Black」(ローリング・ストーンズ)、「満月の夕」(ヒートウェーブ)の5曲だね。
 来週は、ストーンズ名古屋公演を観に行くので、「生音くらぶ」に行けないが、ナゴヤドームで弾けてこようと思う。

<参考:「嫌がらせブルース(?)」の歌詞>
  雨の降る夜は 傘に穴あけて
  雨やどりをしている人に
  親切そうに傘を貸す
  あ〜あ〜 嫌がらせ
  誰か泣いている



2006年03月28日(火) 事実とは何か〜二つの裁判から

  仙台市の北陵クリニック(閉鎖)で2000年、筋
 弛緩剤を混入した点滴を5人の患者に投与したと
 して1件の殺人と4人の殺人未遂の罪に問われた
 准看護師守大助被告(34)の控訴審判決公判で、仙
 台高裁田中亮一裁判長は22日、無期懲役とした
 一審仙台地裁判決を支持、守被告の控訴を棄却し
 た。弁護側は即日上告した。
  (2006年3月23日「中日新聞」朝刊より)
  田中裁判長は主文言い渡しを後回しにし、判決
 理由から朗読。守被告が大声で異議を唱えて裁判
 長から退廷を命じられたほか、執拗に弁論の再開
 を迫った弁護人4人や傍聴人の支援者らも次々と
 退廷させられるなど、異例の公判となった。
  (2006年3月23日「中日新聞」朝刊より)

 「冤罪」の可能性もささやかれる「北陵クリニック事件」。控訴審で弁護側は一審判決を「科学的裏付けがない」と批判して無罪を主張。また、守被告が逮捕直後にいったん自白したことについても「捜査官の誘導があった」と信用性に疑問を呈したが、弁護側主張は退けられた形だ。
 控訴審判決について、私は非常に違和感を覚える。守被告が罪を犯したか否かはわからない。けれども、田中裁判長のやり方にはまったく誠意が感じられないのだ。一人の人間を「有罪」とすれば、その人間の一生は言うまでもなく大きく左右されることになる。「有罪」と判断するに値するだけの「裏付け」は当然必要だ。しかし、控訴審において審理が十分になされたとは言い難い。「裁く」という行為は非常に重いし、大変恐ろしいことでもある。その自覚が田中裁判長にあったとは考えにくい。
 そもそも「事実関係を明らかにする」ということは気の遠くなるような作業である。「裁判の迅速化」も大切なことではある。だが、審理が尽くされないうちに「罪に問われた人間(無罪の可能性も大いにある人間)」の一生が大きく左右されるとしたら、そちらのほうが問題ではないだろうか。
 
 さて、もうひとつ裁判の話となるが、こちらは世界を震撼させた「オウム真理教事件」についてである。

  地下鉄サリンなど13の事件で起訴され、死刑
 判決を受け控訴していたオウム真理教(アーレフ
 に改称)の元代表麻原彰晃被告(51)=松本智津夫
 =について、東京高裁(須田賢裁判長)は27日
 「訴訟能力に問題はない。弁護人が控訴趣意書を
 提出しないのは正当化されない」として、麻原被
 告の控訴を棄却する決定をした。決定は控訴審判
 決とは異なり上告ができず、弁護団は同高裁に異
 議申し立てをする方針。最高裁への特別抗告の道
 も残されるが、争われるのは手続きの妥当性に限
 られるため認められる可能性は低く、一審死刑判
 決が確定する公算が大きくなった。
  (2006年3月28日「中日新聞」朝刊より)

 世間一般の「感情」としては「麻原=極悪人」、「麻原は当然死刑」ということになるのかもしれないが、それほど単純な問題ではないように思う。仮に麻原被告が「極悪人」だったとしても「裁判を受ける権利」は日本国憲法において保障されている。それと、「死刑」を「妥当」とするだけの「根拠」が必要なはずだ(もっとも、私は「死刑廃止論者」なのだが)。
 さきほどの繰り返しになるが、やはり審理を尽くすべきだ。
 あんな事件がどうして起きてしまったのか、そもそも麻原被告は「極悪人」なのだろうか。私のなかでわき起こる疑問は、どんどん膨れ上がっていく。それなのに何ひとつわからないまま、幕は下ろされようとしているみたいだ。

 事実はひとつなのに、「事実関係を明らかにすること」は非常に難しい。人間は「神の視点」から物事をみつめることはできない。曇りのない目でみつめることなどできないのだとも言える。だから「裁く」という行為は恐ろしい。「神をも恐れぬ行為」と言ってもいい。でも、人間社会を維持していくためには、時に裁かなくてはならないのだ。問題は、その覚悟が裁判官にあるかということ。それと、「一般市民」も決して無関係ではないということ(裁判官は「市民社会」を代表しているにすぎないとも言える)。
 そんなあれこれを考えさせられた二つの裁判に関する記事であった。



2006年03月27日(月) 詩「雨の柳ヶ瀬」

 雨の柳ヶ瀬
 けむる街角
 桜舞い散るその橋のたもとに
 黒いコートの女が一人たたずむ

 「君の名は」とたずぬれば
 「幸子」
 と、君の口元が小さく動く
 「幸子、か。いい名前だね」
 「いいえ、私ほど幸薄い女もいませんことよ」
 男の瞳に映る君の身体がかすかにふるえる

 いつしか二人は手に手を取って
 相合い傘で雨ん中

 今日は柳ヶ瀬
 明日はいずこか

 二人の前途に幸あれかしと
 心より願う水戸光圀であった



2006年03月26日(日) 即興連詩「梅林バラード」    

(ほりべえさん)
 梅一輪一輪ほどの暖かさ
 ひそひそと春がやって来ました
 桜が咲くのはいつになるでしょう

(沙羅さん)
 長い間すやすやと眠っていた木の芽たち
 また会えたね

(林本ひろみさん)
 ずるずると引きずってきた暗い冬の着物も
 もう投げ捨てよう

(こうみれいさん)
 ぴーぴ−なびく春の香りにつられて
 山が笑うのももうすぐかしら

(てっちゃん)
 山が笑うまで
 ぐびりぐびりみんなと酒を交しながら
 ゆったりと待とうか

(夏撃波)
 どこからかジャカジャカと
 ギターをかき鳴らす音が

(宮島さん)
 通りすがりのカップルの足が
 ぴたっと止まる

(みおよしきさん)
 むにゃむにゃと言葉を交す二人
 「あれってジュリーだよね」
 「僕、知らない」
 「私、知ってるけど……。ごめんね、年上で」

*今日、日本朗人会主催・日本手酌の会協賛のお花見大会があった。桜はまだ咲いておらず、急遽梅見に変更。桜もいいけど、梅は梅でこれもまたいいものだ。今日の花見は、詩人の集まりでもあり、野外での「朗読」が展開された。ちなみに、私・夏撃波の「花見ルール」は「楽器必携」という一点に尽きる。もちろん、ギターで演奏した。会のクライマックスは、擬音語・擬態語を用いた即興連詩づくりだったかな(上記)。とにかく面白い一日だったな。



2006年03月24日(金) 「ローリング・ストーンズin東京ドーム」

 遠くで電話が鳴ってる
 誰からだろう
 時計は11時を指している
 眠たい
 目をこすりながら電話に出る

 「もしもし、夏撃波さん。あたし、沙羅です」
 「あ、ああ」
 「今ね、東京ドームからかけてるの。
  ストーンズのライブ、終わったばかりで」
 「あ、そう言えば、今日だったっけ」
 「ライブの途中でね、ミックが私の席の近くまで来たの」
 「へえ」
 「一瞬目が合ったみたい」
 「ふん」
 「アンコールの最後で、『サティスファクション』やったよ」
 「はあ」
 「なんか元気ないみたいね」
 「今、俺、寝てたんだ」
 「あ、ごめんね」
 「いや、いいけど」
 「夏撃波さんにもおみやげ買ってくからね」
 「ああ、ありがとう」
 「ねえ、何かあったの」
 「ああ、今日はさんざんだったよ。
  寝坊して、駅まで行くと、いつも乗る電車が来てて、
  駆け込み乗車したらドアに頭はさまれて、痛いやら恥
  ずかしいやら。職場について、『さあ、仕事するぞ』
  とパソコンあけたら、調子悪くて。俺、パソコンのこ
  と、よくわからないのに、何とか直そうとして逆にド
  ツボにはまっちゃうし。そのために仕事が大幅に遅れ
  て、上司からは大目玉食らうし。仕事が終わってから
  も、夕食摂ろうとして入った店で料理が出てくるまで
  30分も待たされるし。帰りの電車には乗り遅れるし、
  家の近くの駅に着くと雨が降り出していて、本当につ
  いてなかったよ。今、ふて寝しているところへ、あな
  たから電話がかかってきたってわけなんだ」
 「そうだったんだ」
 「ごめんね、ついつい暗い話になっちゃって。
  ストーンズ、よかったんだよね」
 「う〜ん・・・、まあまあ、かな」
 「でも、ミックと目が合ったんでしょ」
 「あ、それ、私の錯覚だと思う」
 「でも、楽しかったでしょ」
 「それほどでもないかな」
 「あ、沙羅さん、こんど、また、ストーンズ・ナンバー、
  一諸にやろうよ」
 「でも、また、演奏、うまくいかないかもしれないよ」
 「ああ、この前のことは気にしなくていいよ。俺も全然
  気にしてないし。きっとうまくいくよ」
 「大丈夫かな」
 「大丈夫だよ。たぶん。もし、うまくいかなくても、俺
  は全然気にしないから。楽しく演奏できれば、それで
  いいんだよ。ひたむきに演奏しているあなたの姿、そ
  んなあなたこそがイナバウアのように美しいのだと、
  俺は思ってる」

*デュオ・パートナーの沙羅さんから電話があった。ストーンズのライブ会場・東京ドームからだ。事実は上記の詩とは異なるが、その日の仕事が大変だったことは間違いない。ところで、俺は、4月5日に名古屋ドームでのストーンズ・ライブを観に行く予定。その時は、沙羅さんも一緒だ。



2006年03月22日(水) ジュリー・メドレー他

 今日も、星ヶ丘「スロー・ブルース」の「生音くらぶ」に参加。
 私のオリジナル曲「星ヶ丘ロケンロール」に「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」(いずれも、沢田研二)を挿入したバージョン、「さよならをするために」「白いブランコ」(いずれも、ビリー・バンバン)のメドレー、「満月の夕」(ヒートウェーブ)の3曲を演奏。
 後ほどお客さんから「『満月の夕』、いい曲ですね」と声をかけられる。オリジナルではないが、「私の選曲のセンス、私の歌唱力を褒め称えてくれたのだろう」と勝手に解釈していい気になっている私である。



2006年03月19日(日) 「イナバウアのように」

 沙羅さん、
 今日も演奏、うまくいかなかったね

 でも、気にすることないよ
 俺も別に気にしてないし、
 どれだけ練習していたって
 うまくいかないことはいくらでもある

 安藤美姫ちゃんだって
 オリンピックの本番で
 4回転ジャンプをとべなかったんだから

 俺、別に金メダルとか要らないし、
 だから、気にしなくていいよ

 本当に何度も言うようだけど、
 気にしなくていいよ

 楽器は別にうまくある必要はないんだ
 誰によりかからずともいい
 自信をもって楽しく演奏できればいい

 楽器は魂で奏でるものなんだ

 ひたむきに演奏しているあなたの姿
 そんなあなたこそが
 イナバウアのように美しいのだと
 俺は思っている

*「金メダル」「よりかからず」の2つのキーワードを用いた即興詩。3月19日の「続・ぽえ茶」の席上、「沙羅双樹ふたたび」として演奏する機会があったが、沙羅は緊張のあまり、練習の成果を発揮できず、ティン・ホイッスルの演奏を失敗。「気にすることないよ」との意を込めてパートナーに送った詩は、ビートルズの「ヘイ・ジュード」(ポール・マッカートニーがジョン・レノンの息子・ジュリアンに送った曲に匹敵する、と自信(過信)を深める私なのだが・・・。



2006年03月16日(木) 「満月の夕(ふたたび沙羅バージョン)」

 うたに力はあるのだろうか
 絶望の闇にまで聞こえてくるような歌を
 うたうことが 人にできるのだろうか

 誰も悪くはなくたって
 哀しいことはいつもそこにある

 うたの力はどこにあるのだろうか
 拒絶する魂に届く言葉を
 紡ぐことが 人にできるのだろうか

 闘う相手が誰なのかわからなくても
 静かに立ち上がる人たちがここにいる

*上記の詩は、「満月の夕」(ヒートウェーブ)という曲からインスピレーションを受けて、ふたたび沙羅が作ったものである。



2006年03月15日(水) 「満月の夕(ふたたび双樹バージョン)」

 私は なぜ生まれてきたの
 私だけ なぜ生き残ったの
 遠い空に嘆いてみても
 答えは何も返ってこない

 誰よりも私のことを理解してくれた人を失い
 愛する人に先立たれ
 大切にしていたものも
 心の支えもすべてなくしてしまった

 私がこれまで生きてきた場所も
 瓦礫の下に埋もれてしまった

 激しく降りそそぐ雨よ
 悲しみをすべて洗い流してくれないか
 疲れ果てた身体も 傷ついた魂も
 いつか必ず歩き出せるように

*上記の詩は、「満月の夕」(ヒートウェーブ)という曲からインスピレーションを受けて、ふたたび双樹=夏撃波が作ったものである。


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