2006年01月04日(水) |
<沙羅双樹ふたたび>新年会 |
私のデュオ・パートナーである沙羅さんのお宅におジャマして、新年を祝った。 沙羅さんは名古屋出身、そして私は山梨出身である。お互いに故郷自慢じゃないが、「お雑煮大会」を開催。まあ、開催というか、お互いに郷土のお雑煮を作って食べるというだけのこと。ご当地名古屋のお雑煮は小松菜と餅を醤油仕込みで煮るというもの、対する山梨のお雑煮は野菜をふんだんに入れ餅と一緒に醤油仕込みで煮るというもの。でもね、音楽と酒が好きな二人のこと、酒が入れば、歌ったり演奏したり音楽談義に花が咲き、また酒を飲み、といった塩梅。適当に腹も膨れて、いい気分。 もともと沙羅さんは親友ではあるが、音楽を通じてさらに信頼関係が深まった。 <沙羅双樹ふたたび>結成から1年弱だが、今年もっともっと活動の幅を広げていきたいと思っている。あと、ソロでもさらに飛躍していきたい。
2006年01月03日(火) |
出演決定!<1/29 at.スローブルース> |
ひとつお知らせです。
新年1月29日(日)の夜、星ヶ丘「スローブルース」にて行われるライブに出演することになりました。私・夏撃波(1曲だけ、沙羅とのデュオで演奏)の他、2組が出演します。ライブ時間はPM8:30〜PM11:00(営業時間:PM7:00〜AM2:00)ですが、出演順は未定です。料金は、チャージ500円+飲食代となります。 ちなみに、「スローブルース」のホームページは以下の通りですので、詳細はこちらでご確認下さい。
http://homepage2.nifty.com/slow-blues/index.htm
2006年01月01日(日) |
一年の計は元旦にあり |
大晦日、総合格闘技「PRIDE」の試合を観て、新宿歌舞伎町のホテルにて年越し。 そして、元日の午後、私は下北沢にいた。 ザ・スズナリという小劇場で、新宿梁山泊の公演があったのだ。唐十郎の書き下ろし作「風のほこり」を、金守珍(キム・スジン)が演出。 舞台下手側に水が張られ、下手奧から屋根裏(客席からは見えないが)へと続く螺旋階段がセットされている。時間の経過につれ、唐十郎の幻想的、いや妄想的とも言える世界観に、劇場全体が染め上げられていく。ふと最後列に目をやれば、唐十郎その人が観劇の最中でもあった。新宿梁山泊の役者陣も、最高の舞台を披露してくれたと思う。 芝居が終わってから、お屠蘇が用意されており、下北沢の小さな芝居小屋で新年を祝うことになった。観客のなかに、作家の梁石日(ヤン・ソギル)、役者の六平直政(ムサカ・ナオマサ)も混じっていた。 てな具合で、素晴らしき元旦。芝居小屋を出てからは東京駅へ急行。新幹線で名古屋に戻ってきた。
2005年12月31日(土) |
百八つの煩悩とともに |
朝、私は実家を発って、東京へ、いや「さいたまスーパーアリーナ」へと向かった。総合格闘技「PRIDE」の試合を観るために、ね。メイン・イベントの小川直也vs吉田秀彦の対戦は「平成の巌流島対決」とか「因縁の柔道王対決」などと話題にもなっていたが、他11試合も含め6時間を超える長丁場であった。面白い試合ばかりではなかったが、それなりに楽しめた。去年の「K−1」に引き続いて、今年は「PRIDE」と、2年連続して格闘技で締めくくった。 さらば2005年。新たな年がやってくるという実感はないが、凡夫である私は百八つの煩悩とともに来るべき2006年を迎えることになるだろう。
右左口峠(うばぐちとうげ)にあかり連ねて 炭売りが雪踏みくだる遠きまぼろし (曽根寿子) 冒頭の短歌は、「方代の里なかみち短歌大会」にて特選(4等)となった母の作品である。母の幼き頃の記憶を歌にしたものだが、実際私は目にしたことのない山里の情景が目に浮かんでくるようだ。故郷と古き思い出は、人々に特別な情感をかき立てるものらしい。 と、まずは身内自慢になってしまったが、郷里の山梨に帰ってまず、母の入選のニュースを知らされた。 「実はね、僕もある短歌大会に応募した作品が入選したんだよ」と、今度はこちらから返した。「筑波の里愛の歌百選」に選ばれたのは、次の歌だ。
君となら歩いてみたい雨の道 二人のゆくてに虹をさがして (夏撃波)
と、次は自らの自慢になっちゃったね。でも、沢山応募したなかの一首だけなので、まだまだだと思っている。 さて、郷里に帰った私だが、帰りたいはずの場所が私には同時に帰りたくない場所でもあった。愛すればこそ、いつだって自らの思いは裏切られ、傷心のまま遠ざかっていく故郷。そうなのだ、私は未だに故郷との距離を測りかねているのだ。 ああ、夢は今も巡りて、思いいずる故郷。
2005年12月21日(水) |
Happy Xmas(War Is Over) |
今日もまた、星が丘「スローブルース」の「生音くらぶ」に出演。 で、『舟唄』(八代亜紀)、『Happy Xmas(War Is Over)』(ジョン・レノン)、そして『Amazing Grace』の3曲を演奏。だけど、お客のなかに酔っ払いがひとり、演奏中に調子はずれの歌声を上げるものだから調子が狂ってしまった(まあ、ご本人に悪気はなく、ノッてるつもりのようだったけど)。まあ、そんなのに負けてちゃいけないのだとも、同時に思ったけどね。
雪の降る街を、私は出かけていった。午前中は、知人のダンス公演を観に、午後は詩の朗読会「ぽえ茶」へ。
今月の「ぽえ茶」の課題詩は、「マウンテン」「キャラメル」「白雪姫」の3つのキーワードを用いた詩、ということだった。今回も、私は短歌(2首)でそれを表現。内容は、以下のとおりだ。
キャラメルと白雪姫の毒リンゴ これが噂の「マウンテン」だね
マウンテンバイクに乗ってやってくる キャラメル噛み噛み白雪姫が
2005年12月15日(木) |
詩「新解釈・忠臣蔵(2005)」 |
ある朝、私、グレゴール・ザムザが目を覚ますと、 自分が大石内蔵助に変わっているのに気がついた。
「そんなバカな!」 私は現実に起こっている現象が信じられず、つい つい「我輩は猫である」などと口走ってしまうが、 言うまでもなく私は人間、考える葦、「我思う、ゆ えに我あり」、というわけだ。
知らず知らずのうちに、私は見えない糸にあやつ られ、自らの運命をたぐり寄せている。 もはや逃れることはできない。私は、いつの間に か身も心も大石内蔵助になってしまったのだ。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」 主君・浅野内匠頭の敵・吉良上野介を討ち果たし、 自らも切腹へと向かっていくしかない。 私は、ハムレットの心境になってつぶやいてみる。 「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」
元禄十五年十二月十四日、雪の降りしきる夜、吉 良邸にて上野介のお命頂戴。私は、主君の無念を晴 らした。 けれども、これですべてが終わったのだろうか。 上野介が今際の際に叫んだあの言葉が、今も私の 耳に残る。
「生まれてきてすみません」 「すべては太陽のせいなんだ」
上野介の最期の言葉、その声は紛れもない私自身 の声に他ならなかった。
今夜、俺は出かけた。バックパッカー・ギター背負って、八事へ、そして星が丘へ。 毎月第三水曜は、朗読イベント「詩のあるからだ」開催日。八事「ポップコーン」にて、自作詩「想像してごらん2005」の朗読と、「アメージング・グレース」の演奏を行なった後、足早に立ち去り、星が丘「スローブルース」へ急行。 そう、水曜日の夜は「生音くらぶ」だ。俺は、ギターやボンゴ、カズー、それにサウンドホースなどを使って、『つぐない』(テレサ・テン)、『クリスマス・イブ』(山下達郎)、『アメージング・グレース』(言わずと知れたゴスペルの名曲)の3曲を演奏した。 ライブのハシゴはしんどかったけれど、一方ではとても楽しい経験であった。
途中で、今日が「赤穂浪士討ち入りの日」であったことを思い出すが、時すでに遅し。明日にでも、「忠臣蔵」をテーマにした詩を発表するとしよう。
2005年12月08日(木) |
詩『想像してごらん2005』 |
ジョニー、想像してごらん 地上は地獄の苦しみにあふれている 国家が、民族が、宗教が、 戦争の火種をつくりだす
今日もどれだけの血が流されたのか どれだけの叫び声をきいたことか 恐怖と寒さにうちふるえる兵士たち その一方で権力者はぬくぬくと私腹を肥やす
空爆に逃げまどう子供たち 小さな棺の前にひざまずく母親の後ろ姿
ジョニー、 あなたがかつて夢見た世界は未だ遠い
それでも、僕は決して絶望はしないよ 地平線の向こう側には、 虹色に輝く世界が広がっているのだと、 僕はこれからも想像していこうと思う
ジョニー、 ねえ、ジョニー、 それでいいだろ ジョニー、 ジョニー、答えてくれよ、 ジョニー
けれど、 ジョニーが再び目を覚ますことはない
ジョニーは永遠の眠りについたまま、 今なお終わりなき夢を見続けているんだ
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