夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年11月28日(日) 「フィリピン・ベッドタイム・ストーリーズ」

 東京へ日帰りで行って来た。燐光群がフィリピンの演劇人とともに作り上げた芝居「フィリピン・ベッドタイム・ストーリーズ」を観るために。
 この芝居、3篇の戯曲(「離れられない」「ドゥルセの胸に1000の詩を」「代理母ビジネス」)からなるオムニバスだが、演出(吉田智久)が意図したとおり「笑える芝居」「いかがわしい芝居」「衝撃的な芝居」が実現していた。<ベッド>をモチーフに様々な<関係>があぶり出され、観る者に不思議な印象を与えた。燐光群らしく「社会派」的テイストを感じさせつつも、クスッと笑いが出るような場面も見られた。日本語とタガログ語と英語が交錯する芝居は、時に荒唐無稽な展開も見せながら、観る者の想像力を大いにかき立てるような芝居づくりがなされていたように感じられた。



2004年11月26日(金) フェスゲー

 「フェスゲー」って何のことだか、浪花っ子でもない限り、わかりませんよね。8階建ての建物に立体遊園地、各種飲食店、ゲーム施設、ショップ、シアター・コンプレックス等が入った複合施設「フェスティバルゲート」、それを略したら「フェスゲー」になるみたいやでぇ。その「フェスゲー」は、大阪のシンボルでもある通天閣の立つ「新世界」にあるそうや。日本一の寄せ場・釜ヶ崎も目と鼻の先、大阪のなかでもとってもディープな場所っちゅうわけや。今回泊まったのも、「新世界」にある素泊まり2500円の「ビジネスホテル」。ホテルの隣のキリスト教会では、ドラムスの演奏に合わせて説教が行われていて、まるでゴスペルで説教したりするニューヨーク・ハーレムの教会みたいなイメージやね。なんや知らんけど、さっきから、わいは「にわか大阪人」になってしもうたんかいな。まあ、生粋の大阪人とは違うんで、これ以上くどいのはやめときます。

 ところで、今回大阪までやってきたのは、来月初めに「COCOROOM」(フェスゲーの4階にあるお店)で開催されるイベントの下見というのがひとつ、それと本日「db」(フェスゲー3階にあるアート・スペース)でのダンス公演(大野慶人「魂の糧」+金満里「ウリ・オモニ」)を観るという目的もあった。
 「COCOROOM」代表の上田かなよさん(自ら「詩業家」を名乗る)とは、8月に名古屋で行われた詩の朗読イベントで知り合った。かなよさんが中心になって経営している店「COCOROOM」でいつかライブをやりたいと思っていたのだが、今回それが実現することになった。8月に一度お会いしただけのかなよさんだが、こちらは旧知の友人くらいの気持ちで、イベントについても気軽に相談させていただいた。
 本番前に一度店を見てみたいと思っていたところに、フェスゲーの3階で、大野慶人さんと金満里さんのダンス公演があるとの情報を得た。で、これはもう行くしかないと、大阪にやってきたわけだ。「db」には、かなよさんともう一人のキモノ美人さんと連れだって出掛けてきた。

 さて、肝心の公演の感想だが、金満里さんの舞踏には圧倒されたね。身障者であり、在日コリアンでもある満里さんだが、そのルーツが圧倒的なまでの力をもたらすのかな。満里さんが代表を務める「劇団態変」も優れた舞踏集団であるが、ソロダンスは満里さん自身の自在な身体表現をより鮮明にさせた。「身体障害者」であるはずの、金満里さんの身体表現の何と自由なことか。まったく「障害されていない」ダンスを目の当たりにして、あらためて舞踏家・金満里、そして演出家・金満里の表現力の大きさを感じさせられた。
 一方の、大野慶人さんのソロ・ダンスはいまひとつキレの悪さが感じられたが(私にはそう映った)、満里さんとのコラボレーションでは互いのダンスがプラスに作用し合って二人のよさが引き出された舞台であったと思う。それぞれが<個>でありながら見事にシンクロしている感じ。
 ダンサーの肉体から発せられる気が観客にいかなるメッセージとして受け取られるのか。多くの場合、ダンスは直接的に言語を発しないが、優れた表現というものは非言語のなかにも豊かな「言語」が内包されているものなのだろう。そして、それは「存在の在り方」、もっと言えば生きざまというものとも無関係ではないと思う。
 



2004年11月21日(日) 自らを讃える詩「夏撃波よ!」

  夏撃波よ
  吹きすさぶ嵐のなかで
  君は 暗黒の世界に投げ出された

  果てしなく広がる荒野にひとり
  この闇を照らす光はなく
  ただひとつ
  言葉だけが そこに残された

  言葉は 君に与えられた唯一の武器だ
  さあ 武器を手に取り 闘うがいい

  格闘詩人よ 暗黒の詩人よ
  今まさに 君の時代が訪れたのだ
  決して朽ちることのない
  完全無欠の 黒の時代が



2004年11月20日(土) 2日遅れのボジョレー・ヌーボー

 近所の酒屋で予約していたボジョレー・ヌーボーを今日受け取りに行った。その足で、友人と『ゴッドファーザー&サン』(ブルースとヒップホップのコラボレーションの企画を取材したドキュメンタリー・タッチの映画)を観に行った。
 その後、友人宅で、新酒のワインと、マッコルリ(韓国のどぶろく)を飲みながら、ギターでセッション。「おいしい酒に、音楽があれば、この世は天国」って感じだね。とても贅沢なひとときを過ごすことができた。



2004年11月19日(金) 能天気に暮らしたい

 能天気に暮らせたら、それが一番だと、俺は思ってる。俺だって一応色々と悩みはあるけど、例えばイラク民衆のことを思えば、俺の悩みなんてどうってことはないのだと思えてくる。というか、レベルが全然違うし、正直なところ想像しきれない部分が多いよね。でも、少なくともブッシュのやっていることが不正義であることはよくわかってるつもりだ。
 俺は、自分自身の人生を楽しみたい。でも、「自分が楽しけりゃ、他人がどうでも構わない」と思えるほどには、単純にできていない。特別に正義感が強いということではないのだ。
 俺は単純に人生を楽しみたい。そして、ある程度その機会は与えられてもいる。不満を言い出せばキリはないが、一定の満足は得られている。でも、一方で、生活のゆとりがまったくない、というか生命そのものの危険にさらされている人々がいる。その事実を思う時、俺だけ能天気に生きていていいのだろうか、と罪悪感めいたものを感じずにはいられない。
 俺が発する言葉なんて呟きでしかないのかもしれない。でも、できうる限りの抵抗をしてみたいとは思っている。



2004年11月18日(木) 詩「アマテラス2004」

 しなしさとこを讃える格闘詩シリーズより、「アマテラス2004」を紹介しよう。

  荒廃した時代、
  壊れかけの地球、
  地上を覆いつくす闇、
  そこに女神が降臨し、ひとすじの光が射し込んだ

  その名は、しなしさとこ

  君の、
  明るさ、あたたかさ、強さ、しなやかさ、熱さ、激しさ、
  冷静さ、大胆さ、細やかさ、思慮深さ、ひたむきさ、
  大きさ、高さ、速さ、美しさ、やさしさ・・・
  君のすべてが
  世界の救いであり、明日への希望である

  君のほほえみに、人々はほほえみ返し、
  あたりは歓喜に包まれる

  失われていたものが甦り、
  いま聖なる祭が始まる時・・・



2004年11月17日(水) 詩「これでいいのだ」

 格闘詩人・夏撃波が「天才バカボン」から着想を得、女子総合格闘家・しなしさとこを讃える詩「これでいいのだ」を作り上げた。というわけで、披露しよう。

  西から昇ったお日様が 東へ沈む
  これでいいのだ これでいいのだ

  不可能を可能に変える女
  しなしさとこは今日も行く

  何が彼女をそうさせるのか
  リアル・ファイトに血がたぎる

  迷いはすべて吹っ切った
  格闘人生に悔いはなし

  そして 今日も
  西から昇ったお日様が 東へ沈む
  これでいいのだ これでいいのだ



2004年11月16日(火) スローブルースの夜

 毎週火曜日、星ヶ丘「スローブルース」にてブルース・セッション(飛び入り可能)が行われている。今夜、音楽の趣味が共通する友人を誘って、「スローブルース」へ。私は、パーカッションを持参して、セッションに参加。
 そこらへんにいそうな普通のおっさん(失礼!)が、ギターを、あるいはブルースハープを奏でる時に浮かべる輝かしい表情。それを見ている側も楽しくなってきて、なかなかいい雰囲気になってくる。
 私もパーカッションを打ち鳴らしながら、高揚した気分になってくる。まさに音を楽しんだ夕べであった。



2004年11月11日(木) 世界の滅亡に向かって

 11月11日付・中日新聞夕刊の1面に、「アラファト議長死去」「ファルージャ、武装勢力1,000名死亡か」の見出しが踊る。

 パレスチナ自治政府のアラファト議長が死去、パレスチナ情勢は今後さらに混迷の度を強めるものと思われる。いつになったら、この地域に平和が訪れるのだろうか。

 2期目に入ったブッシュ(アメリカ大統領)は、強気の姿勢で反米武装勢力の制圧作戦を展開しているらしいが、このことがイラクの安定化につながるものとは到底思えない。それどころか世界中をテロの脅威にさらす結果となるのではないか。アメリカ国民はあまりにも愚かな指導者を再選させてしまった。まあ、愚かな指導者はアメリカだけではないけれども。それにしても、小泉首相はどこまでブッシュにつきあうつもりなのか。まったくもって絶望的な状況であるが、絶望ばかりはしていられない。

 世界はいま滅亡に向かって走り出しているのだろうか。いまの状況を変えない限り、明日という日はやってこないのではないか。そんな思いにとらわれている。

 



2004年11月06日(土) ときはなたれて

 今日は、大須「七ツ寺共同スタジオ」に、<燐光群アトリエの会>公演「ときはなたれて」を観に行ってきた。燐光群は好きな劇団のひとつだが、今回もまた、台本、演出、役者の力量など、どれをとっても高い水準を保っており、安心して観ていられた。
 今回は、アメリカ全土でも深い感動を呼んだ話題作(原作は、ジェシカ・ブランク&エリック・ジェンセン)を翻訳しての上演であった。原作は、かつて冤罪によって死刑囚として刑務所に収容された経験を持つ40人と、その家族へのインタビューをもとに、幾度かのリーディングを経て練り上げられた、とのこと。演出は、燐光群主宰の坂手洋二。
 ステージでは、いくつかの話が同時進行的に演じられ、いかにして冤罪が作り上げられてしまうか、そのメカニズムが丹念に描き出されていた。とてもスリリングな展開で、観客を物語のなかにグッと引き寄せていた。すぐれたドキュメンタリー作品に仕上がっていたと思う。
 見応えのある舞台に出会うと、私のなかの芝居心が強く刺激され、心の奥が疼き出すのであった。


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