夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年11月05日(金) スタンドアップ

 あの男が今池に帰ってきた。シンバル漫談、やる気マンマン男・清水宏のスタンド・アップ・コメディー。
 アッという間の1時間半、大きな笑いに包まれた。現代のテレビの笑いがいかに薄っぺであるか、あらためて考えさせられた。忌野清志郎も絶賛する、清水宏のパフォーマンスは、一度味わったらクセになる。また観てみたい、そんな思いを抱かせる数少ない芸人である。

 ライブ終了後、今池の飲み屋で呑んでいるというかつての同僚たちと合流。懐かしさがこみ上げてきて、何だか同窓会みたいな、そんな気分。若く熱い日々が、俺にも確かに存在していた。
 生きている証を、一瞬に通り過ぎるわが人生を、しっかりとつかまえたいと思う。



2004年11月04日(木) オー・マイ・ゴッド!

 俺は悪夢を見ているのだろうか。
 昨日行われたアメリカ大統領選のことだ。ブッシュ再選。まったくなんてこった。確かにケリーはイマイチかもしれないけど、消去法ならケリーになるんじゃないか。ブッシュが選ばれるなんて、この世の終わりじゃないか。
 罪なきイラクの人々を殺戮し、アメリカの敵を多くつくり、自国民をテロの恐怖に陥れた男。こんな男がこの先4年間も、世界に冠たるアメリカの大統領の座にあるのだ。本当にどうかしているよ、アメリカ。
 
 まあ、トップがどうしようもないのはアメリカだけではないけどね。この国のトップ、つまりブッシュの忠犬に成り下がる小泉首相にしても大いに問題ありだ。
 最近では、新潟中越地震への対応、あるいは先日のイラク人質事件への対応にしても、この人が人命をいかに軽く考えているかが窺い知れるよ。

 それにしても、地方の出来事って、どうしてこうも扱いが小さいのだろう。新潟の地震のニュースだって、首都圏で同じようなことがあったら、もの凄い大騒ぎになるだろう。どこか対岸の火事を見ているような、そんな空気があるよね。
 今年8月に沖縄で起きた米軍ヘリ墜落事件(8月13日、沖縄国際大学に墜落。死者はなく、何とか大惨事は免れたが)だって、本当はもっと驚くべき事件だろう。もし、これが東京大学に墜ちちていたら、もっと大騒ぎだよね。

 世界の中心と辺境ということも考えさせられる。2001年のニューヨーク同時多発テロは世界の大ニュースとなったが、今も繰り返される戦闘のなかで死んでいく罪なき人々のことはあまり報道されない。同じ尊い命だというのに。

 俺は今日も悪夢にうなされながら、それでも絶望せずに生き抜いていこうと思う。それが、この世に生を享けた者の務めだと信じているから。



2004年11月03日(水) 詩「虹の彼方に」

  一歩また一歩
  夢は確実に近づいてくる

  遠い遠い遙かな道を
  君はひたすらに歩き続ける
  君自身が信じる何かのために
  いのちの炎を燃やし続ける
 
  虹の彼方に 未だ見ぬ夢を夢に見ながら
  確かな一歩を踏みしめている
  



2004年11月02日(火) 詩「ラウンド・ワン」

 先頃「しなしさとこホームページ」のトップにも掲載された私の詩を披露しよう。この詩は、先月行われたシュートボクシングの試合の際に着想を得、しなしさとこさん(総合格闘技無敗の女子格闘家)の闘う姿をイメージしながら作った詩である。しなしさんご本人も気に入ってくださった。題して「ラウンド・ワン」。

  君はいま 四角いリングのなかで
  ゴングが打ち鳴らされる瞬間(とき)を待つ

  全身に闘志がみなぎり
  するどいまなざしは
  相手にまっすぐに向かっている

  握りしめた拳のなかには何がある
  一戦にかける情熱
  すべてをやり尽くした自信
  トップアスリートとしての誇り
  貪欲なまでの勝利への執念
  そして
  君に寄せられた 多くの人々の愛
  
  小さな君が
  いまは とても大きく見える

  ラウンド・ワン
  いま この瞬間(とき)に
  君はすべてをかける

<イベント告知>
 以前にもお知らせしていますが、何度でも告知させていただきます。
 来る12月5日、大阪・「COCOROOM」(フェスティバルゲート4F)にて開催されます「今日は濃い日だ!原液の逆襲」というイベントに、私・夏撃波も出演することとなりました。私の他にも、ラブハンター熱い肌(「昭和歌謡」を歌うお色気集団!?)、TASKE(忌野清志郎も絶賛、らしい)など、濃い人々のステージが見られるという話なので、ぜひ来てみて下さい。
 「COCOROOM」のホームページでも確認してみて下さい。
  http://www.kanayo-net.com/cocoroom/scedule.html
 チケットをお求めになりたい方、イベントについてご質問がある方は、私のメールまでご連絡下さい。
  osa-mu@h5.dion.ne.jp


 



2004年11月01日(月) 詩「疾走する夏」

 昨日の「日記」で紹介した詩「疾走する夏(我闘姑娘篇)」だが、同じ題名で(しなしさとこ篇)も作ってみた。で、今日はそれを披露するので、読みくらべてみてほしい。題して「疾走する夏(しなしさとこ篇)」。

  神の意志なのか 
  君の意志なのか
  過酷な道を今日も行く
  ただひたすらに 信ずるままに

  道なき道を君は行く
  君の後ろに道ができる
  そこに刻まれた確かな一歩が
  新たな時代をきりひらく

  やがて
  君は辿り着くであろう
  虹の彼方に夢見た世界に
  そして
  長い旅の果てに思い出すだろう
  熱く激しい闘いの日々を
  決して色あせることのない栄光の日々を

  かけぬける夏
  まばゆい光が君のうえに降り注ぐ

  また一歩
  君は王国に近づいた



2004年10月31日(日) プロレス的感動

 今日は、昼夜続けて2つのプロレス興行を観てきた。ひとつは女子プロレス「我闘姑娘(がとうくーにゃん)」旗揚げ興行、もうひとつは「全日本プロレス・武藤敬司20周年記念興行」だ。

 まず、「全日プロレス両国大会」。今回のメインは、武藤敬司・三沢光晴組vs佐々木健介・馳浩組だが、ほぼ予想通りの展開で、最後は武藤が馳にフォール勝ちを収め、大団円を迎えた。やや予定調和的な部分も感じられたが、楽しく観戦することができた。
 でも、私の関心はもうひとつ別のところにもあった。70歳近いアブドーラ・ザ・ブッチャーが現役レスラーとして参戦、あの地獄突きや反則攻撃は健在だった。また、往年の超大物レスラー、スタン・ハンセン(彼の必殺技ウェスタン・ラリアートはかつて日本のマット界を震撼させた)がPWF会長として来場、リングにも上がり、元気な姿を見せていた。というわけで、昔からのプロレス・ファンにとってはこたえられない大会だった。

 さて、昼間観に行った「我闘姑娘」旗揚げ興行だが、これがとてもいい興行だった。
 「週刊ゴング」のなかに、「高橋李佳選手(中学1年生)のデビュー戦」という記事を見つけ、好奇心旺盛な私はノコノコと出掛けていったわけだ。プロレスを始めて間もない選手たちが中心の団体旗揚げ戦ということで、正直言ってあまり期待してはいなかったのだが・・・。思わず涙腺が緩み、涙が出そうなくらいに感動した。
 選手一人ひとりは決して強くはないが、出せる力を存分に出し合って、熱い熱い試合を繰り広げた。彼女たちの闘いにかける情熱は、一流選手にも決してひけをとらない。彼女たちは、いわばダイヤモンドの原石だね。
 零選手や高橋李佳選手が見せた空中戦は観客を魅了していたし、さくらえび☆きっず(小学生4人組)が元気美佐恵選手に挑んでいく姿は可愛らしかったし、他の選手たちのひたむきな闘いも素晴らしかった。そして、
こんな素晴らしい団体を作り上げた、さくらえみ選手には敬意を表したいくらいだ。
 で、感動ついでに詩を作ってしまったので、披露しよう。題して「疾走する夏・我闘姑娘篇」。

  10月31日、新木場 1st Ring
  秋ゆく街で ここだけがなぜか夏なのだ

  照りつける日ざしのなか
  君たちは 四角いジャングルを駆けめぐる
  全身からあふれ出る闘志
  君たちの鼓動が 灼熱の大地を揺るがしている

  額に光る汗
  両の目にひときわ輝く宝石

  一瞬に通り過ぎる季節のなかで
  今こそ 君たちが光り輝く時なのだ

 とてもとてもいい休日であった。



2004年10月30日(土) 「アレグリア2」&<格闘芸術>

 今回、格闘技やプロレスの試合を観て歩くために上京。また、開幕したばかりの「アレグリア2」(シルク・ドゥ・ソレイユのスーパー・サーカス)を観るのも楽しみだった。

 前回の「キダム」の感動から約1年、シルク・ドゥ・ソレイユが再び日本上陸。
原宿の特設テントにて「アレグリア2」を観たのだが・・・。結論から先に言えば、物足りない印象が残った。決してレベルが低いわけではないのだが、前作「キダム」と比較してしまうと、ストーリー性という点で、あるいは技術や演出の面で、見劣りがしてしまう。
 まあ、それだけ「キダム」が素晴らしかったとも言える。あれこそ、まさに驚愕と感動の大スペクタクルだったからね。

 終演後、一度新宿のホテルにチェックインを済ませ、後楽園ホールへと向かった。しなしさとこ選手も出場する格闘技イベント「DEEP 16TH IMPACT」を観戦。
しなし選手は、1ラウンド20秒で、寝技に持ち込み、見事一本勝ちを収めた。また、メインで行われた「DEEPウェルター級トーナメント決勝戦」では、最有力の優勝候補・中尾受太郎選手が優勝し、初代チャンピオンの座に輝いた。
 全試合終了後、後楽園ホール近くの「コロッセオ」(格闘技ファンが集う店)にて行われた「しなしさとこ祝勝会」に参加。しなしさんやファンの面々と楽しいひとときを過ごすことができた。

  10月30日
  後楽園ホールは異様な興奮に包まれていた
  僕には一瞬何が起こったのかわからなかった

  20秒殺
  こんなにも速い決着を誰が予想できたろう

  ともかくも試合は終了した
  しなしさとこは全力で闘った

  打撃練習の成果を出す間もなかった
  もちろん練習は無駄ではなかった
  すべてをやり尽くした自信が
  しなしに勝利をもたらしたのだから

  しなしさとこよ 
  君はこれからも闘う者の道を行くのか
  長く険しい道のりを君は行くと言うのか

  君が闘う意志を燃やし続けるかぎり
  僕らはどこまでもついていこう
  そして
  闘いを前にした君の凛とした表情と
  闘いを終えて満面に笑みをたたえた表情と
  そんな両面の君を
  これからも見続けていきたいと
  僕らは強く願うのだ
  (夏撃波「20秒殺の夜を越えて」)



2004年10月25日(月) Show The BLACK

 今夜、大川興業公演「Show The BLACK」(愛知県芸術劇場小ホール)を観に行ってきた。上演時間1時間50分のうち、1時間30分以上が全くの暗闇のなかでドラマが進行する。
 目を凝らしてみても様子は窺い知れず、自然と聴覚が研ぎ澄まされることになる。突然暗闇のなかに閉じこめられた数人のあいだで巻き起こる奇妙な人間ドラマとでも言おうか。登場人物自身は至極真面目に発言しているのだが、第三者的にはとてもおかしく妙な笑いがこみ上げてくる。役者の発声など、やや難ありとも思われたが、ホンとしてはよくできているように感じられた。「B級遊撃隊」の芝居(ナンセンス不条理劇)に何となく近いような・・・。
 今回の実験的な試みは一応成功と言っていいだろう。大川興業の芝居を観るのは今回が初めてだったが、こんどは明るいところで観てみたいと思った。



2004年10月20日(水) アル・ムルワッス劇団(イラク)

 バグダッド(イラク)からアル・ムルワッス劇団が来日し、今日、千種文化小劇場で「イラクから、船乗りたちのメッセージ」を上演した。民族楽器を使い、歌や踊り、パントマイムを盛り込んだ作品だ。
 演劇技術論的にはやや弱い印象もあったが、一方で演劇の枠に収まりきらない表現の幅が予感され、未知数の可能性を秘めているようにも思われた(うわ〜っ、えらそうな評論家みたいな発言をしてしまった)。
 独裁政権下で「反政府的」とみなされた演劇人たちは弾圧され続けてきたようだが、フセイン体制崩壊後、「イラク人による自前の文化の創造」を目指してアル・ムルワッス劇団は活動を開始。今も戦火の中にあって、表現者にとって厳しい状況は続いているようだが、地に強く根付いていってほしいと思う。
 



2004年10月16日(土) 水俣病関西訴訟

  熊本、鹿児島両県から関西に移り住んだ水俣
 病の未認定患者30人と死亡患者15人の遺族
 が、国と熊本県に損害賠償を求めた「関西水俣
 病訴訟」の上告審で、最高裁第二小法廷(北川
 弘治裁判長)は15日、「国と県が被害の拡大
 を防がなかったのは著しく合理性を欠き違法」
 として、国と県に賠償を命じた大阪高裁判決を
 支持する判決を言い渡した。 
  (2004年10月16日付「中日新聞」朝刊より)

 「水俣病公式発見」から半世紀。「国、熊本県に責任を認める」判決が出され、「画期的な判決」とも言われているようだが、ここに来るまでに費やされた時間の長さを思わずにいられない。一部には訴えを退けられてガッカリしている方もいて、すべてにおいて満足のいく判決とは言い難いようだ。
 確か3年ほど前、「ハンセン病国家賠償訴訟」で熊本地裁から「国家責任を認め、賠償を命ずる」判決が出された。世論の後押しもあり、国は控訴を断念した。
ほぼ同時期に「関西水俣病訴訟」控訴審で「国と県に賠償を命ずる」判決があったのにもかかわらず、国側は上告し、原告側を随分とガッカリさせた。一方の「ハンセン病国家賠償訴訟」では控訴断念、他方の「関西水俣病訴訟」では上告、という何とも整合性のない対応に、小泉政権の正体を見、その薄っぺらさを見抜けない国民の認識の甘さに思わずため息をついた覚えがある。
 今回、最高裁が3年前の大阪高裁判決を支持し、国もその判決を受け入れざるを得なくなったわけだが、この期に及んでもなお環境省は「個別の損害賠償に対する判決と認定制度は別」として「患者認定は見直さない」考えを示している。それに対し、患者・遺族の側は「反省は口先だけ」と怒りを露わにしている。
 水俣病は健康被害をもたらしたばかりではなく、患者や家族からあらゆるものを奪っていった。身体の自由が奪われたがために、生活の糧を得る手段を奪われ、また治療などのために経済的かつ精神的な負担を強いられることになる。そして、地域共同体のなかで差別が生み出され、人々の絆は断ち切られ、そのことがいっそう患者・家族の苦しみを強めていった。そうした苦難の歴史、人間としての誇りを踏みにじられてきた患者・家族の思いを国側は少しでも想像してみる必要があるだろう。
 今回、一応は「原告勝訴」の最高裁判決が出た。とは言っても、患者・家族はこれからも日々闘っていかなければならず、そして奪われた時間は戻ってこない。私とてどこまで行っても「第三者」に違いないが、「水俣病」の「歴史」を心の片隅に置きながら、自らの歩むべき道を誤らないようにしていきたいと思う。


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