夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年10月15日(金) アンチノミー(二律背反)

 「劇団pHー7」20周年記念公演第2弾『アンチノミー』を観てきた。
 今回は、演劇(イヨネスコ『授業』より)と舞踏(江戸川乱歩『盲獣』より)の2本立て興行だ。
 「pHー7」の前回公演『舞踏劇・澱の匂い』が私の嗜好にとても合っていたのだが(そのアングラさ加減が)、今回はそれを上回るものを期待してもいた。単純に比較はできないのだが、舞踏に関しては前回のほうがメリハリがあって見やすい気はした(これは「役者の力量」というよりは「構成」の問題だと思うのだが)。
演劇のほうは、と言えば、(一般的に)「わかりにくい芝居」ではあるのだが、舞台での緊迫感がダイレクトに伝わってきて面白く観ることができた。
 ところで、今日、会場で前回公演『舞踏劇・澱の匂い』のビデオを購入し、早速観た。今年4月に観劇し絶賛した舞踏劇だったが、ビデオであらためて観ると、なぜか違和感を感じた。「劇場でライブを観るのと、映像を通して観るのとでは、そこに流れる空気がまったく違う」ということにあらためて気づかされる。
 私は芝居を観るためにと劇場に足を運びながら、その実、役者たちの身体を通して発せられる空気を感じているだけなのかもしれない。空気のなかに何かを嗅ぎとり、そこに私の感性に訴えかけてくるものがないかと気を研ぎ澄ませているように思えてくる。そして、空気は時々刻々と動いている。そこが、ライブの面白さでもあり、怖さでもある。
 う〜ん、怖いけど、やっぱり芝居やりたいな。舞台を離れて早2年。仕事の都合で舞台に立てない私は、満たされぬ欲求の代わりにと、狂ったように芝居を見続けている。

(追記)
 来る12月5日、不肖・夏撃波は、大阪のライブスペース「COCOROOM」のブッキングナイトに出演することとなりました。約40分間のステージ、楽器演奏を含む「詩の朗読パフォーマンス」を展開してまいります。



2004年10月11日(月) シュートボクシング

 名古屋市公会堂ホールへ、シュートボクシングを観に行った。柔術の試合も含めて10試合ほどを観戦。
 第1試合から激しい撃ち合いがあり、会場全体が大いに沸いた。第2試合では、先にダウンを喫した選手が逆転のKO勝利をおさめるが、試合直後に倒れるアクシデントがあった(ほどなくしてその選手は立ち上がり、両肩を支えられるようにして退場していった)。無名の選手たちが白熱した好試合を展開し、観客からも選手たちに熱い声援が送られていた。大変すばらしいものを見せてもらったという感想を抱いた。
 というわけで、爽快な気分なのだが、一方で最もメジャーな立ち技格闘技・Kー1に出場する元・横綱のことを思い出してしまった。技もなければ、緊迫感もない試合ばかり。それなのに高額なファイトマネーが支払われている。世の中、なんて不条理なんだろう。そこらへん、何とかならないものか。
 無名の選手たちが懸命に打ち込んでいる姿は感動的だが、そうした選手たちをバックアップする態勢ができてくると、もっともっと面白い試合が観られるのではないかと思う。



2004年10月03日(日) 東京の中心で詩を叫ぶ

 久しぶりに東京へ行って来た。今回の旅のテーマは、「東京の中心で詩を叫ぶ」だ。

 2日の昼過ぎ、楽器を携え、新幹線で東京に向かう。いったん新宿のホテルに荷物を置いてから、池袋へ。夕方に開催の「池袋EGPP step13『異教徒のうた』」というイベントに参加。詩の「朗読」をしたのは、主催者である「フーゲツのジュンさん」のほか3〜4人ほどで、「朗読」はさほど盛り上がっていなかったように思う。でも、全員参加のジャムセッションは、ほとんどノイズに近い演奏だったが、楽しかったな。
 私自身の「朗読パフォーマンス」では、「棘はずっと刺さったまんまだ」「現代能『隅田川』」「映画『息子のまなざし』予告編(夏撃波バージョン)」などの自作詩を「朗読」した他、浅川マキの「朝日楼」や、シャンソンの名曲「愛の讃歌」を熱唱。気持ちのいい「朗読」ができて、満足している。

 明けて3日、夜に開催の朗読イベントまで時間があるというので、新宿コマ劇場で上演中の「松平健『暴れん坊将軍スペシャル・唄って踊って八百八町〜フィナーレ・マツケンサンバ』」を観に行った。
 最初から最後までテンポよく文句無しに楽しめる内容だった。まあ、「楽しい」以上のもの、例えば「衝撃」を受ける、といったことはなかったが、まあ、それは最初から期待はしてないからね。下手な「小劇場系演劇」を観るよりははるかにいいことだけは確かだ。
 でも、私がいちばん観たい芝居は「小劇場系」の良質の芝居。この秋、いい芝居に出会えるものと期待している。

 さて、夕方になってから、今夜の「朗読イベント」の主催者・近藤洋一さん待ち合わせ、新宿ゴールデン街の一角にある小さな飲み屋「珍呑」へと向かった。
 雨ということもあってか、集まりは悪かった。8時半ごろから、近藤さんが朗読を始めると、一人、二人とやってきて、私の順番が巡ってきた。前日にもやっている「『隅田川』」「『息子のまなざし』予告編」の「朗読」に、「朝日楼」「愛の讃歌」の「熱唱」を終えた私は、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
 東京駅に急行し、最終の新幹線で名古屋に舞い戻った。
 明日からまたハードな日々が始まろうとしていた・・・。



2004年09月29日(水) あらしのよるに

 またまた台風がやってきました。仕事からの帰り道、完全にずぶ濡れです。帰宅後は家から一歩も出ないつもりで、帰宅途中で食糧を買い込みました。でも、こんな時にもし地震があると、困りますね。まあ、そんなふうに悪くは考えずに、家で楽しく過ごしましょう。恋人がいる人は愛を語らうといいのでしょうが、恋人のいない私はどうしましょ。などと、またしても悪い方向に考えてしまいそうになりますが、一人は一人で悪くはないのです。音楽を楽しみ、読書でもしましょう。そして、できたら詩を詠み、哲学でもしようかな。う〜ん、夜はまだこれからだ。



2004年09月24日(金) 日本プロ野球の落日

 このところ迷走が続く日本プロ野球(以下略して「プロ野球」)だが、はっきり言って、いまプロ野球なんぞ観たいとは全く思わないね。私ももともとは野球ファンだし、今でもアメリカ大リーグには大いに関心がある。本来、野球はとても夢があり、楽しいもののはずだ。それをつまらなくさせている元凶は、読売巨人軍であり、もっと言えばナベツネということになろうか。札束攻勢による選手の引き抜きなど、なりふり構わぬその姿勢は多くの野球ファンを白けさせた。「プロ野球の落日」という現実は、何よりもテレビ視聴率の低迷に現れている。だいたいだね、読売巨人軍とそれに寄生する他球団という構図が変わらない限り、野球人気が戻ることはないと思うね。
 つまらないと言えば、大相撲もまた人気が低迷している。こちらも観ていてワクワク感がまったくない。いわゆる名勝負など望むべくもない。
 夢も感動もないスポーツなんぞ、誰が観るものか。世の中には面白いことがいくらでもあるのだから。面白ければ、自然とお客はついてくるはずだ。そのことを当事者はどう考えているのだろうか?



2004年09月21日(火) スロー・ブルース

 たまたま見つけた星ヶ丘のライブハウス「SLOW BLUES」に出掛けてきた。毎週火曜日は、ブルース・セッションの日。「楽器、テクニックを問わず、ブルースのセッションをしたい人は楽器を持参して集合!」とのことだったので、アコースティック・ギターとパーカッション数点を持って出掛けていった。
 ブルースのセッションに、店の常連さんとおぼしき人々が代わる代わる参加。皆さん、とても弾けてらっしゃった。かく言う私も、パーカッションで数曲に参加。1曲だけ弾き語りもさせてもらった(浅川マキの「朝日楼」)。
 てな具合で、なかなか楽しい夜を過ごした。終電逃して、タクシーで帰ったけどね。まあ楽しかったんで、また遊びに行こう、っと。



2004年09月20日(月) スウィングしようゼ!

 今日はまず、豊田市体育館に空手の試合を観に行ってきた。世界空手道連盟と真樹道場の主催による、オープントーナメント第5回全日本空手道選手権大会だ。
 2分間の試合のなかで、たいていは判定による決着となる(すっきりと一本勝ちとなるケースは、ほとんどない)。選手たちの試合にかける意気込みは伝わってくるが、さすがに30試合以上観戦しているうちにこちらが疲れてしまい、途中退席してきた。

 で、名古屋に戻って、矢口史靖監督の映画『スウィングガールズ』を鑑賞。ひょんなことからジャズのビッグバンドをやることになった田舎の女子高生らの奮闘を描いた作品。前作『ウォーターボーイズ』の姉妹版といった趣か。独特のギャグを交えながら、ラストは観る者の心を熱くする、感動的な作品だ。

 青春て、いいよな。年を経るごとに余計なことを考えるようになり、無垢な心は次第に失われていくものだ。そのことをすべて否定的に考えることはないけど、でも、どこかで青臭さを大事にしたいとも思う。別に年齢は関係ないんだよな。何かひとつのことに打ち込む姿は、他人に何かしらメッセージを伝えていくものだと思う。
 



2004年09月15日(水) 映画鑑賞と、朗読会と

 この夏いちばんの話題の映画、ロジャー・ムーア監督の『華氏911』を観てきた。
 結論から先に言うと面白くなかった。単にブッシュの無能ぶりを笑いの種にしているだけで、本当の意味での「ブッシュ批判」にもなっていないように感じられた。本質的な意味で伝わってくるものは何もなかった。
 とは言うものの、面白い部分もあるにはあった。映画のなかで、ムーア監督が国会議員を直撃、「アメリカ国家に貢献するために、息子さんを軍隊に入れてイラクに派遣してはいかがですか」と言ってマイクを向けるシーンがある。カメラは議員の凍りついたような表情をとらえる。あからさまに嫌な表情を浮かべる議員、逃げるように立ち去る議員もいる。現実の問題として、富裕層の青年がイラクなどの戦場に派遣されることは少ないとされる。ここに「アメリカにおける階級問題」「イラク戦争の欺瞞性」が浮かび上がってくる。このあたりを掘り下げても、もっといい映画にはなったはずだ。

 さて、昼食をはさんで、次は是枝裕和監督の『誰も知らない』を観た。主演の柳楽優弥君がカンヌ映画祭史上最年少で最優秀男優賞を受賞したことで話題になったが、出演者の表情を引き出し丹念に映し出した素晴らしい作品だと思った。
 大好きだった母親に捨てられた4人の子供たちの生活とその内面が表情豊かに描き出され、観る者の心に静かに迫ってくる。もう一度観てみたい、そんな思いにさせられた作品だった。

 一度帰宅し、ギターその他の楽器を携え、千種「空色曲玉」へ。「詩の夕べ」で今日もまた詩の朗読パフォーマンスを行った。



2004年09月11日(土) 911

 夕方、詩のイベント「tamatogi」に出掛ける。場所は、鶴舞「K.D.Japon」(中央線の高架下の店)。今回は参加多数、遠くは岡山からの参加者もいた。で、様々な詩的表現を聞くこととなり、イベント自体も盛り上がった。私は、バックパッカー・タイプのギターを持参して参加。5分の持ち時間のなかで、浅川マキの歌「朝日楼」を歌った。

 さて、ニューヨーク同時多発テロから3年。世界貿易ビルが崩壊するあの映像は非常に衝撃的だったし、だから9月11日は私たちの記憶に深く残ることとなった。殊にアメリカに与えたショックは甚大なものであっただろう。「建国」以来、あんなふうにアメリカ本土が攻撃にさらされたのは初めてだったからね(「真珠湾攻撃」など比較にならないほどのショックだったはずだ)。その後、アメリカは冷静さをすっかりなくし、アフガン戦争、イラク戦争を起こした。そして、罪なき多くの命を奪った。それでアメリカの威信が取り戻せたかというと、現実はまったく逆で、さらに混迷を深める形となった。
 9・11、アメリカにとっては忘れがたい一日であろう。もちろん、亡くなられた方々を悼む気持ちは、私にもある。だが、同時に、これまでアメリカが介入してきた戦争(ベトナム戦争、湾岸戦争、等々)で、どれほどの人々が犠牲になってきたのか、ということにも思いを巡らせる必要はあるだろう。そこで犠牲になった人々にとって9・11が決して特別な日にはならないのではないか。そんな思いが私のなかにはある。
 「ブッシュの戦争」、それを下支えするアメリカ国民、アメリカ追随の小泉政権・・・。うんざりするような現実を変えたい。その方法を見つけたいと思う。



2004年09月08日(水) プロレス映画鑑賞と楽器収集の一日

 『華氏911』とか『誰も知らない』とか、カンヌ映画祭各賞受賞の話題作も観ておきたいと思うのだが、今日はプロレスを題材にしたB級映画を2本観てきた。
 まずは、『いかレスラー』。不治の病を患ったプロレスラーが修行の末「いかレスラー」として甦り、かつてのライバルと対戦することになる。試合当日、「いかレスラー」の前に現れたのは、「たこレスラー」に変身したかつてのライバルだった。さらに、新たな敵「しゃこボクサー」も出現し、物語は思わぬ方向に展開する。
 『いかレスラー』を観終わってから、自転車で栄まで移動。沖縄料理店で「豆腐そば」を食べ、それから書店、楽器店と巡る。書店では本を、楽器店ではパーカッション数点と楽譜を購入。また、「一五一会」なる楽器(10万円也)と「音来(にらい)」なる楽器(5万円也)を聴き比べ、やはり音色の差は値段に反映されているなと思いつつ、、「一五一会」を購入したい思いを抑えて楽器店を後にした。
 再び自転車を走らせ、映画館へ。性懲りもなく、プロレス映画『MASK DE 41』を観る。かつて学生プロレスをやっていた41歳のサラリーマンがリストラをきっかけにプロレス団体を旗揚げするというストーリー。
 終映後、時計を見ると午後4時過ぎ。こんなふうに一日が終わってしまっていいのだろうかと思いつつ、心地よい疲れを感じていた・・・。


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