夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年09月05日(日) テロとの戦い?

 ロシア連邦北オセチア共和国で起きた学校人質占拠事件で、少なくとも300を越える尊い命が奪われたという。まるで2年前の「モスクワ劇場占拠事件」が繰り返されているかのような印象を持った今回の事件であった。
 ひとつには、ロシア軍特殊部隊の突入によって数多くの犠牲者が出てしまったという類似点である。他にとるべき道はなかったのかという疑問が浮かび上がり、どうしてもロシア当局の人権軽視の傾向を感じずにはいられない。
 もうひとつ、ロシア当局の隠蔽体質も2年前と変わっていない。当局にとって不都合な情報を極力抑え、都合のいいように加工する、つまりは情報操作が露骨なまでに行われている。まあ、情報操作はアメリカ政府だって日本政府だってやっていることではあるのだが(今年4月の「イラク邦人人質事件」の際に湧き起こった「自己責任論」の出どころは日本政府だよね)。今回の事件での犠牲者の数、そして「チェチェン独立派の犯行」とされる情報までも疑問視されている。
 ところで、プーチン(ロシア大統領)にせよ、ブッシュ(アメリカ大統領)にせよ、小泉(首相)にせよ、「テロとの戦い」という言葉をあまりにも軽々しく口にしてはいないだろうか。そもそも「チェチェン紛争」は何世紀にもわたるロシアによるチェチェン人弾圧に起因しているのではないか。9・11同時多発テロでは確かに罪なき多数の人々が亡くなられたが、その報復としてアフガンやイラクの無辜なる民衆を死に追いやったブッシュの罪は重いのではないか。事件の背後にあるものに想像力を働かせるべきなのだ。
 そのことと関連して、もうひとつ言っておきたいことがある。今回の「学校人質占拠事件」や「9・11」での犠牲者については、世界中のマスコミが報道し、世界中の人々がその死を悼んでいる。その一方で、無意味に繰り返される戦闘のなかで死んでいったアフガンやイラクの民衆の死は、あまりに軽く扱われてはいないだろうか。どちらも尊い命であることに変わりはないはずなのに。
 紛争(大小さまざまな)の平和的解決こそがほんらい政治に求められていることだ。戦争で解決するというのであれば、政治などいらない。もっと想像力を大いに働かせるべきなのだ。無意味な戦争に終止符を! すべての人々の心に花を!



2004年09月03日(金) 林明日香

 今夜、名古屋クラブ・クアトロで行われた「TREASURE 052」というライブに出掛けてきた。出演は、KOKIA、光永亮太、林明日香、他。
 KOKIAも、光永亮太も、そこそこ歌は上手いけど、私のお目当ては林明日香ただ一人。中学3年生ながら、抜群の歌唱力。その力強い歌いっぷりは、聴く者を大いに魅了する。MISIAを彷彿させるような、伸びやかでソウルフルな歌声は、15歳にしてすでに完成型との印象を抱かせる。
 そんな彼女に対抗しようなどとは思わないが、「私は決して『天才型』ではないよな、そうそう、敢えて言うなら『大器晩成型』だよね」と自らに言い聞かせてみるのであった。



2004年08月29日(日) 台風の影響

 本来であれば、今頃は九州を旅しているはずだった・・・。
 当初の予定は、こうだ。28日、宿直明けのその足で名古屋空港に行き、空路にて福岡へ。そこから電車を乗り継いで、行き着く先は水俣(熊本県)。石牟礼道子・作の新作能「不知火」(水俣病をモチーフとした作品)が梅若六郎はじめ一流の能役者らによって演じられる、それも不知火海をバックに、というので、ぜひ観たいと思っていた。翌29日には、不知火海での漁業体験、その夕方には久留米(福岡県)にいる友人と7,8年ぶりの再会を果たす予定だった・・・。とてもとても楽しみにしていた旅だったのに、すべての計画を阻んだ台風が憎い。
 すっかり意気消沈してしまった私だが、こうなったら行く予定になかった、地元・名古屋での詩の朗読会「ぽえ茶」に緊急参戦だ! バックパッカー・タイプのギターを片手に、熱田「神宮茶屋」へと向かった。東海地区も台風の影響で悪天候に見舞われているというのに、なぜか参加者多数。それでも、私は3回朗読のチャンスを得た。
 まず、1巡目は「現代能楽集『隅田川』」。先週、隅田川(東京)の川べりで即興に近い状態で発表した作品である。今回も、ギターを琵琶風にかき鳴らし、謡曲「隅田川」の一節を呻り、続けて自作の詩を詠んだ。
 2巡目では、THE BOOMの「帽子の行方」「島唄」を演奏。3巡目では、寺山修司の詩「アメリカ」を朗読した。
 夕方5時にひとまず散会となるが、残ったメンバーで夕食を食べに行き、その後で地下鉄某駅○番出口付近にて詩のゲリラ・ライブを決行。詩の読み比べなど20分ほどそこで過ごし、解散。
 でも、私にはまだ続きがあって、友人宅へ行き、ギターの演奏大会に音楽談義と、終電近くまで遊びまくった。さすがに疲れたが、心地よい疲れであった。



2004年08月21日(土) 隅田川ポエム

 宿直明けの今日、帰宅して間もなくお出かけ。行き先は東京。隅田川の川べりでの、詩の朗読イベントへ。
 楽器演奏もあり、また楽器の演奏と詩の朗読のコラボレーションもあった。東海地区からはみおよしきさんが参加し、私も飛び入り参加。能「隅田川」をモチーフにした新作「現代能楽集『隅田川』」を発表、また浅川マキの「朝日楼」という曲を演奏し高らかに歌い上げた。津軽三味線奏者・山本竹勇さんからもお褒めの言葉をいただき、すっかり気をよくした私だった。
 その後、2次会、3次会と続き、翌日みおよしきさんとともに名古屋まで舞い戻った。さすがに疲れて、帰宅後はしっかり寝たけどね。
 今後、東海地区のみならず、表現活動の幅を広げていきたいと思っているところである。



2004年08月14日(土) 熱い闘い

 しばらく日記を書くのをサボっていました。夏の暑さとか仕事とかでバテ気味の私です。
 とか言いつつ、今日は午後から鶴舞の名古屋市公会堂へプロ・ボクシングの試合を観に行きました。ボクシングを生で観るのは初めてでしたが、壮絶な撃ち合いも多く見られ、手に汗握りました。
 試合後、公会堂の近くのライブ・スポット「K.D.ハポン」に行きました。そこで今晩詩の朗読イベントが開催されました。ガード下の、雰囲気のいい店でのポエトリー・リーディング、ちょっといい感じでした。
 今後私は「詩の総合格闘家・夏撃波」を名乗って、いろんな場所での表現活動をしていこうと思っています。



2004年08月05日(木) レジーナvs名古屋グランパス

 瑞穂陸上競技場へ、サッカーの試合を観に行った。イタリア・セリエAのレジーナと地元チーム・名古屋グランパスとの対戦。
 両チームとも随所に光るプレーは見られたが、全体的には何となく間延びした印象だった。特に見せ場もなく、結果は1−1の引き分け。つまりは、選手のプレーが観客を熱くすることはほとんどないままに、グラウンドと観客席の一体感をつくり出すことなく終わったということだ。まあ、サッカー観戦じたいが初めての体験だったので、他との比較はできないのだけれど。
 次なるスポーツ観戦はボクシングを予定しているが、こちらはどうなることやら。今から楽しみである。



2004年08月01日(日) プロレスリング華☆激

 昨日からの宿直の仕事が長引いて、職場を出たのが昼1時すぎ。その足で西区上小田井の「イオンワンダーシティー」のなかにあるイベントホールへと向かった。
そこで、福岡を拠点とするプロレス団体「プロレスリング華☆激」の名古屋興行が行われた。まあ、そこそこ面白かったのだが、「手に汗握る」とまでいかなかったな。
 今日、名古屋では他にも「プロレスリング・ノア」の興行とか「愛知県ボディビル選手権」とか興味深いイベントがあったのだが、マイナーなプロレス団体を応援したい気持ちで「華☆激」を観に行ったわけだ。もうちょっと演出があったほうがよかったと思うけど・・・。プロレスの楽しみは、リングと客席の一体感にあると思うのでね。
 夏バテ気味ではあるけど、気持ちは熱くしていきたいと思うのだった。



2004年07月27日(火) マッハ!!!!!!!!

 言うまいと思うのだが、暑い。暑さを逃れて、というわけではないが、映画館へ。タイからやってきた熱いアクション映画『マッハ!!!!!!!』を観てきた。「信仰厚い仏教の村から盗まれた仏像を取り戻すためにムエタイ戦士が立ち上がる」という筋書きだが、なんと言ってもアクションに魅せられる。それと、タイ社会の抱える問題が垣間見えたりもして・・・。とにかくタイのパワーを感じさせる映画だった。
 帰りにはインドカレーを食べてきた。
 帰宅すると、我が家は必要以上に暖まっていた・・・。



2004年07月18日(日) 東京観劇ワン・デイ・トリップ

 日帰りで東京に行って来た。芝居2本を観て帰ってきたんだ。

 まずは、下北沢の小劇場「スズナリ」へ。燐光群公演『私たちの戦争』を観た。今回の演出でもある坂手洋二氏が自らの取材を元に作った作品部分、今年4月イラクで一時拘束された渡辺修孝氏による『イラクからのメール』、アメリカの作家マリオ・フラッティ氏の作品「BLINDNESS(盲目)」の、3つのパートからなるこの芝居のなかで、いま実際に起こっている戦争の現実(イラク戦争とそれをめぐる状況)が描き出され、観る側に強く訴えかけてくるものがあった。
 いつものことながら、燐光群の芝居はメッセージ色が強いが、芝居の面白さを十二分に伝えてくれる舞台でもあった。今年2月に初演の芝居『だるまさんがころんだ』も同時上演されており(つまり再演)、こちらと併せて観ても面白いと思う。
 上演後には、渡辺修孝氏と坂手洋二氏による対談もあった。「芝居づくりのプロセスのなかで、稽古場に渡辺氏が数回訪れることによって、芝居のリアリティがより高められたのでは」との話もあった。
 このところ燐光群の芝居を観る機会が多いが、現実社会に対して演劇がいかに向き合うか、そのひとつの答が示されているように思う。その表現からは演劇の可能性が感じられ、燐光群の芝居を観る毎に元気を与えられることも多い。芝居のなかで再現されている内容は目を覆いたくなるような戦争の悲惨さなのだが、そこにとどまらず一歩を踏み出そうとしている。過酷な現実を超克しようとする意志が作品全体から伝わってくる。悲惨な現実を出発点としながら、未来をどう切り開いていくのかという問題提起がなされているのだと思う。

 夜は、原宿「エクスレルム」という地下空間での芝居(?)、指輪ホテル公演『リア』を観た。芝居あり、ダンスあり、生演奏あり、ストリップあり・・・、とのことで興味もあって観に行ったのだが、あまり面白くなかった。アート系専門学校の学園祭公演みたいなノリとでもいうのか、3千いくらも払ってまで観るものではないなという印象。演出もどこか「わざとらしさ」が感じられ、何もかもが中途半端。ストリップにしたって「必然性」は感じられず、安易にただ裸体をさらしているだけのように感じられた。根がスケベなんで女性のハダカが観られるのはいいのだけれど、演劇作品としては評価できなかったね。
 まあ、この程度の芝居は吐いて捨てるほどあるのだけれど。それでも、ご本人たちは一生懸命やっているようで、緊迫感がまったく感じられないどこぞの劇団の芝居よりはずっといいとも思ったけどね。
 夜9時過ぎに終演。実は明日は仕事、それも早番。東京駅まで急いで行き、名古屋行き最終の新幹線で名古屋に戻ってきた。疲れてはいたが、芝居で元気はもらった。観る芝居すべてがいいわけではないけど、芝居を観て歩くことは明日への活力になっているように思う。というか、私にとって芝居は「麻薬」みたいなものなのかもしれない。



2004年07月17日(土) 真夏の「大須オペラ」

 暑い毎日が続いているが、名古屋が誇る劇団(?)「スーパー一座」による「大須オペラ」の季節でもある。以前私も所属していた劇団「スーパー一座」が毎年この時期行っている大衆的オペラの公演を今日観てきた。
 とてもクドく暑苦しい(失礼!)、いえいえ非常に熱のこもった舞台だった。味噌カツのような濃厚な味わいだが、これがクセになったりするんだよね。ストーリー自体は結構バカバカしいのだが、結構のめり込んで楽しく観られてしまうのだ。デフォルメされた動きが笑いを誘いつつ、オーケストラとの呼吸もバッチリ、テンポよく芝居が進行していく。荒唐無稽といえば荒唐無稽でもあり、インド映画(マサラ・ムービー)にどことなく印象が重なる面白さがある。
 遊び心がふんだんに盛り込まれているが、それを真剣に、かつ役者自身が楽しそうに演じているからこそ、観客の側は理屈抜きで楽しく観ることができるのだと思う。
 何事も中途半端がいちばんよくない。自分自身を振り返ってみると、反省すべき点が多いなぁと思う。


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