夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年03月25日(木) 『彩花がおしえてくれた幸福』、など

 山下京子さん(神戸連続児童殺傷事件の被害者・山下彩花さんのお母様)の「6年後」の手記『彩花さんがおしえてくれた幸福』を読み終えました。
 事件後6年間の出来事、彩花さんとの思い出やご家族のこと、アメリカの犯罪被害者遺族や阪神大震災遺族との交流、そして少年Aに対する思いや、少年Aの両親に会われた時のこと、などが綴られています。ひとことひとことが重く心に響いてきます。そのなかから一節を紹介します。

  絶望が消えて希望に変わっていくことなど
 ありません。絶望を抱えたまま、地獄の苦悩
 を抱えたままで、それでもなお希望を生み出
 していくことが人間にはできるのです。

 この手記の文章の端々から、娘さんを失った悲しみが伝わってきますが、同時に娘さんやご家族への深い愛情、絶望のどん底にあっても人間への信頼や希望を見いだそうとする力強い意志のようなものが感じられ、深く感動いたしました。

 今、私は土師守さん(神戸連続児童殺傷事件の被害者・土師淳さんのお父様)による手記『淳』を読んでいるところです。事件の受け止め方については山下さんと若干異なるところはありますが、無惨な形で愛する我が子を失った怒りや悲しみという点は共通してると思います。
 そして、山下さんも土師さんも共通して語られていたのが、「犯罪被害者・遺族」に対する「報道被害」のことです。事件直後、ただでさえ傷ついているのにもかかわらず、マスコミの心ない取材攻勢にさらに心を深く傷つけられた、という点です。「人権」「権利」というものに対する意識を一般市民が高めていく必要があるのではないかとも感じています。



2004年03月22日(月) 人権て一体何だい?

 「週刊金曜日」「AERA」等の雑誌で、「オウム前代表三女の大学合格取り消し」との報道があった。

  先月、東京地裁で死刑判決を受けたオウム真
 理教前代表、麻原彰晃こと松本智津夫被告の三
 女が、東京・和光大学人間関係学部の入学試験
 を受け合格した。しかし、先週末の大学教授会
 の結果、教職員の大半も反対し「同大学に迎え
 ることができないという結論になった」という。
(「週刊金曜日(2004年 3月19日号)」より)

 三橋修学長は、入学取り消しの理由について「他の学生たちに平穏な環境を保障したい」などと言ってるようだが、まったく説明になっていない。三橋は『差別論ノート』(読んだことはないけどね)などの著作もある、人権問題の専門家らしいが、あまりにお粗末ではないか。三橋は、入学取り消しについて、次のようなことも言ってるようだ。
 
  彼女の選択肢の一つを奪っただけで、生きる
 権利、学ぶ権利を全部奪ったわけじゃない。

 もう呆れるしかない。そんなこと、「学者」が語る言葉じゃないよね。あまりに思想がなさすぎるよ。『差別論ノート』(何を書いてるか知らないが)なる著作も書かれた御仁が、「差別」以外の何者でもない行為にこれほどまでに無自覚とは。
 試験に合格し、本人に通知も出していたにもかかわらず、入学手続き書類で家族構成を知り、入学取り消しに至った、ということらしい。でも、「松本被告の三女」(「子は親を選べないんだぞ!」)ということが入学取り消しの「正当な理由」になるはずもない。そんなこと、「日本国憲法」を斜め読みすれば十分わかることじゃないか(裁判になったら、大学側は負けるよ)。
 「オウムに対しては何をしてもいい」(「オウム」を「北朝鮮」と言い換えてもいいかも)とでもいうような世俗的な感覚はあまりにヒステリックだし、とても危険だ。そんな危険な空気に対して警鐘を鳴らすのが知識人てもんだろう。
 河野義行さんを少し見習ったらどうだ。あの方は「松本サリン事件」の被害者でありながら、決してヒステリックにならずに、常に冷静な目を持ち続けてきたのだからね。
 「専門家」と呼ばれる人の「知」がこの程度のものだということも認識しておいたほうがよいかもしれない。「一般市民」は自らの頭で考え行動するという鍛錬を日頃からしておいたほうがよい、とあらためて思った。



2004年03月20日(土) 覚王山・やまのて音楽祭

 覚王山もなかなか面白い町です。日泰寺の門前町ということもあってか下町的な雰囲気も醸しながら、一方でおしゃれな山の手の香りを感じさせる町ですよね。
 今日は、その覚王山の至るところで「音楽会」があるというので出掛けてきました。実ははじめから目当てがありまして、と申しますのは、「東山給水塔」で行われるカポエイラ・ヴァジアソンの特別公演を観てみたくて、自宅から自転車を走らせた次第です。
 今日は、最近の暖かさを思えば非常に肌寒い一日でしたが(関東方面では雪が降ったそうな)、カポエイラ・ヴァジアソンによる「演武」(たぶん「演武」とは言わないと思うが)はとても興味深く、寒さを忘れさせてくれるものでした。
 カポエイラは、アフリカからブラジルに連れてこられた黒人奴隷たちが編み出した護身術です。護身術であることを悟られぬよう、ダンスに見せかけて密かに練習したと言われています。楽器や歌に合わせて二人が「闘う」(相手に直接技を当てることはない)その姿は異彩を放っています。のびやかな音楽に合わせ、しなやかな身体の動きを見せるカポエイラからは大らかな雰囲気が感じられ、その陰に黒人奴隷たちの厳しい歴史が隠されているなどとは想像できませんでした。カポエイラ、ちょっとやってみたくなりましたね。
 カポエイラ・ヴァジアソンの特別公演の後、名古屋大学エーデルレーテ・ジャズオーケストラの演奏がありました。決して上手な演奏とは言えませんでしたが、ビッグバンドによるジャズの楽しさは十分に伝わってきました。
 本当は、他の場所での演奏(津軽三味線の演奏もあったようです)も聴いてみたかったのですが、小雨がぱらつき始めたので、本降りになる前に帰ろうと、家路につきました。



2004年03月19日(金) 歌うキネマ

 夕方、仕事を終え、千種文化小劇場に急行。そこで、趙博“歌うキネマ”『風の丘を越えて〜西便制〜』を観た。韓国映画の記念碑的作品『風の丘を越えて〜西便制〜』は、パンソリ(韓国の伝統的な演唱芸能)に生きる家族3人の愛憎の物語が描かれた感動的な映画。その映画を「在日コリアン歌手」・趙博が一人で再現してみせるというのが「歌うキネマ」である。
 これがなかなかよかった。ハンパな芝居なんぞ観るよりはるかに感動的だ。演劇的にはいくらでもあら探しできるのだが、趙の熱い思いが手に取るように感じられ、映画での感動が再び甦ってきた。
 故・マルセ太郎(彼も在日コリアンだった)の話芸「スクリーンのない映画館」を引き継ぐ形で始めたとされる、趙の「歌うキネマ」。これまで『マルコムX』『ホタル』などが演じられたという。趙の、違う作品も観てみたいと思った。

 私も最近、映画の感動を詩の形にして伝えられないものかと挑戦を始めたところだ。表現というものは、自分との対話であると同時に、他者に何事かを伝えようとする行為である。内なる鼓動を<ことば>にのせて他者に向けて発信する行為と言い換えてもいい。それが果たして他者に届く<ことば>であるか否かについて、ライブでの反応をみてみればよい。
 表現とは格闘であり葛藤でもあるが、それが他者の心に何らかの引っかかりを残す時、表現者としての歓びを感ずることができる。ライブはこわい、でも面白くてやめられないのもライブというものなのだ。



2004年03月18日(木) 花のいのちはみじかくて

  花のいのちはみじかくて
   苦しきことのみ多かりき

 林芙美子の自伝的作品『放浪記』が菊田一夫によって舞台化され、森光子によって演じ続けられてきました。先日、中日劇場で1700回公演の偉業を達成したばかりですよね。
 実は今日、宿直明けのその足で、中日劇場に行き、森光子・主演の『放浪記』を観てきました。齢83にして、あのしなやかな動きは凄い! 観客の視線は女優・森光子の上に熱く注がれます。
 客席の最後列の端っこで観てましたので、細かな表情などはあまり見えませんでしたが、森光子の身体から発せられるエネルギーは強く感じられました。

 一度帰宅して、ひと休み。なかなか疲れはとれませんでしたが、7時過ぎに東山公園方面に向けて出発。詩人仲間である、みおよしきさんの「独演会」に出掛けてきました。岐阜在住のみおさんですが、先頃行われた「詩のボクシング」の大阪の大会に参加し、見事優勝されました。というわけで今回は「凱旋公演」にもなったわけですね。それにしても、この「独演会」、「独演会」なのに前半と後半の合間に数人の詩人が詩を朗読してました。
 当初予定にはなかった私も飛び入り参加し、「バンド」(?)とセッション。叙情的フォークの名曲『なごり雪』(フォーク歌手・イルカが歌ってるやつね)の朗読と『なごり雪』ラップ・バージョン、女子格闘家・しなしさとこに捧げた詩『嵐を呼ぶ女よ!』(自作)と、しなし選手も参戦する格闘技イベント「club DEEP福岡大会」のキャッチコピー(私・夏撃波の作品です)等を発表しました。「バンド」を背にしての朗読は初体験でしたが、刺激的でしたね(でも、あまりうまくいかなかったと、反省もしています)。
 さて、主役のみおさんですが、その詩の持っている感触はどことなく山之口獏の詩の感触にも似ているような・・・。ちょっと褒めすぎかな? でも、決して的はずれではないと思いますよ。みおさんが作りだす独特の世界に知らず知らずのうちに引きずり込まれている私自身を発見したりして・・・。と、ほめ殺ししたつもりが、みおさんはさらにその上を行くんだろうなと思います。
 私も、今年中には必ず「ソロ・ライブ」を実現させます!!



2004年03月14日(日) 能と華道のコラボレーション

 今日、(アテネ・オリンピック日本代表選考レースでもある)名古屋国際女子マラソンが開催され、熾烈を極めた女たちの闘いが展開された。結果は、ご存知のとおり、土佐礼子選手が見事優勝を勝ち取った。

 さて、私は今日、名古屋能楽堂まで橋岡會による能『楊貴妃』を観に行ってきた。
 まずは、一調『山姥』。一調とは、大鼓(おおつづみ。「太鼓・たいこ」ではありませんので、お間違いなく)と謡い手とが互いの力量をぶつけ合い、能の一部を演奏する、というもの。能とはひと味違うが、緊迫感があり、とても面白かった。
 そして、次は華道家・仮屋崎省吾が能舞台の前に花を活けて、まさしく舞台に華を添えた。
 後半は、能『楊貴妃』。能装束には究極の染物「一竹辻が花」(故・久保田一竹が編み出した)が用いられた。肝心の舞台のほうだが、いまひとつ響いてくるものが少なく感動が薄かった。仮屋崎さんや「一竹辻が花」に「主役の座」を奪われている、そんな印象を持ったね。本来「主役」であるべき「能」にもうちょっと迫力が欲しかった。



2004年03月13日(土) ZATSUGI、塔和子、河野義行&山田悦子、U-STYLE

 12日、宿直の仕事を終えた私はそのまま名古屋市民会館へと向かった。そこで中国・広東雑技団『ZATSUGI』公演を観た。高度な技が次々に繰り出されるのだが、気がつくとシルク・ドゥ・ソレイユの『キダム』と比較して観ている私がいる。『キダム』と比べてしまうと、どうしても見劣りがしてしまうんだよね(技術面というより演出の面で)。実際には「雑技団」も神業を難なくこなしているのだけれどね。特に、雑技とバレエを融合させた「東方の白鳥〜奇跡のパ・ド・ドゥ」は公演のラストを飾るにふさわしい演目だったよ(必見の価値あり!)。

 13日、今日はあれこれと忙しく動き回った。
 まずは朝、名駅・シネマスコーレで映画『風の舞』(モーニングショーのみの上映)を観た。この映画は、ハンセン病療養所・大島青松園に暮らす詩人・塔和子さんを追ったドキュメンタリーだ。塔さんの詩と「ハンセン病問題」は分かちがたく結びついてもいるのだが、人間存在に向き合ったその詩には思わず圧倒される(このホームページの「1月25日」「1月26日」の日記でも紹介しているので、参照して下さい)。
 映画そのものはさほど面白くはなかったが、塔さんの人間的魅力には触れられたように思った。

 午後、栄の名古屋市教育館という所で「報道被害者支援ネットワーク・東海」設立総会が開かれた。第1部が設立総会、第2部では「冤罪事件」での「報道被害者」である河野義行さん(松本サリン事件での報道被害者)と山田悦子さん(甲山事件での報道被害者)によるシンポジウムが行われた。おふたりとも、「一度犯人視されてしまうと、その印象を覆すのは困難」との認識を示されていた。そして、「冤罪」というものが誰の上にも起こりうるものであることをあらためて考えさせられた(河野義行さんのことなど、「2月27日」の日記で取り上げていますのでご参照下さい)。

 夕方はプロレス観戦。田村潔司率いる「U-STYLE」の旗揚げ1周年記念大会を観に行った。「U-STYLE」のルールは総合格闘技にだいぶ近く感じられるが、総合格闘技との棲み分けを今後どのようにしていくのか、また、いかに面白いカードを組んでいけるか、等の課題があるように思われた。メイン・イベンターの田村選手にはファイターとしての魅力を感じたが、選手間の力の差が歴然としており、試合そのものはさほど面白くなかったね。

 とまあ、脈絡のないような一日を過ごしている私だった・・・。



2004年03月10日(水) 映画『息子のまなざし』のこと、など

  あいつが出所した 
  数年前息子を殺したあの少年が
  幼い命が奪われたあの事件の 
  被害者と加害者が
  数年の時を経て対面する
  ひとりは職業訓練校の教師として
  ひとりはそこに通う生徒として
  あいつは知らない 
  <私>が誰であるのかを
  おまえが殺した幼な子の父親が<私>なのだ
  とその言葉をぐっと呑み込み
  沈黙の底に身を潜めながら 
  <私>はさまざまな思いにとらわれる
  名付けようのない複雑な感情に
  <私>は驚き ただただうろたえるばかりだ
  深い深い沈黙を破って発せられる言葉 
  そして行動
  何が<私>をそうさせるのか
  殺された息子を介して向き合う
  あいつと<私>
  この闇を照らす光はあるのだろうか
  答を探して今もなおさまよい続けている・・・

 映画『息子のまなざし』を観た(今池・シネマテークにて)。重いテーマを前にして、安易に言葉を差しはさむことができない。言葉がそぎ落とされ、深い沈黙が物語を「雄弁」に語っている。そして、深い沈黙を破って言葉が発せられる時、それまでせき止められていた感情が激流となって迸り、心揺さぶるドラマが展開する。そして、ラストは再び深い沈黙へと帰っていく。一人ひとりの心に深く語りかけてくる、すぐれた映画だと思った。

 そして・・・。
 「神戸連続殺傷事件の加害男性、医療少年院を仮退院」とのニュース。このことについてはさまざまなことを考えさせられるが、ここでは大変印象に残った「娘を殺害された山下京子さんの手記」の一部を紹介しておきたい。

  私は犯罪者に寛容な被害者ではありません。
 決して罪を許してもいませんが、彩花ならきっ
 と、凶悪な犯行に及んだ彼が、人間としての心
 を取り戻し、よりよく生きようとするのを望ん
 でいるように思えます。
  彩花のためにも絶望的な場所から蘇生しても
 らいたい。私たちへの謝罪とは、二度と人を傷
 つけず、悪戦苦闘しながらも茨の道を生き抜い
 ていくことしかないと考えています。

 この言葉から、娘さんを深く愛してらっしゃったがゆえの深い悲しみが感じられ、同時に娘さんのためにも力強く生き抜こうとする意志が伝わってくる。とても感動させられた一文であった。



2004年03月08日(月) シンバル漫談の宵

 仕事を終え、急いで今池の「TOKUZO」へ。今宵、「清水宏・シンバル漫談」なるライブがあった。
 「シンバル漫談」と聞いて私は牧伸二の「ウクレレ漫談」のようなものを想像していたのだが、オチの後でシンバルを一発鳴らすというものだった。というわけで想像とは異なるスタンド・アップ・コメディであったのだが、清水宏さんの絶妙な話術に会場全体が笑いの渦に巻き込まれていた。お客もだいぶ入っていて、けっこうギューギューだったよ。
 オープニングは「手拍子」、観客も「TOKUZO」の店員さんも「手拍子」に参加して、これだけでだいぶテンションが上がった。その後、「満員電車のなかでの、『イマドキの若者たちの空虚な会話』」「東大の英語の授業に潜り込んだ時のエピソード」「入院した時のエピソード」などが続き、「ウルトラマン」シリーズの端役になりきってのトークショーもウケていた。ライブのラストでは、架空の映画予告編ということで「サザエさん ハリウッド・ヴァージョン」、これが結構笑えたね。私もすっかり笑いのツボにはまってしまい、心地よい疲労感(笑い疲れた)を感じていた。



2004年03月07日(日) 詩人仲間の快挙

 詩人仲間のみおよしきさんが快挙達成! 
 「詩のボクシング・大阪大会」で優勝し、11月に福岡で行われる「国民大会」への出場を決めた。
 みおさんとは「朗読会」でよく顔を合わせるが、彼独特の作風はマネできるものではないな〜。ご自身のお父様をうたわれた詩も多いが、そのなかで私は『はよしんでください』が好きだ。お父様のおかしな行動に続けて「はよしんでください」のひとことが繰り返されるが、最後には胸が熱くなるような結末(? 私はジーンときました)が用意されている。「はよしんでください」のジャブが後になって効いてくるような、そんな詩だね。もちろん、他にもいい詩はたくさんある。
 字面で追うよりは、ぜひ彼の肉声で彼の詩を味わってほしいな。今月18日夜8時より「club BL」(東山公園駅近く)で「みおよしき独演会」が行われる。ぜひぜひ足を運んでみてほしい。詳細は、「みおよしきHP」の「ニュース・レター」か「林本ひろみ(「詩のボクシング・愛知県大会」前回チャンピオン)HP」の「告知板」を見てご確認を(「水尾佳樹」「林本ひろみ」で検索すれば辿り着けると思うよ)。


 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]