夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年01月22日(木) 手話狂言、『仮名手本ハムレット』etc.

 今日はまず国立能楽堂へ出掛けた。日本ろう者劇団による手話狂言を観に行った。黒柳徹子さん(「トット基金」からろう者劇団に助成金が出されている)のお話の後、3つの狂言が上演された。舞台上では、ろう者の役者が手話でセリフを表現しながら、狂言の所作をこなしていた。吹き替えの音声も流れるので、手話がわからない人にも楽しめる。つまりは、「バリアフリー狂言」だね。新鮮な感覚で面白く観ることができた。狂言の動きや表情など、もうちょっと研究が必要では、と感じさせる部分もあったが、十分に鑑賞にたえうるだけの表現はなされていたように思う。また、劇団代表の米内山明宏さんが病気のため出演できなかったのは残念だったが、代役の女性は堂々とした演技でその重責を全うした。
 ところで、国内外にはろう者劇団(あるいは、ろう者による表現活動)が数多く存在し、言語的少数者であるろう者たちが独自の文化を樹立しようという動きが少しずつ立ち上がってきているようでもある。手話落語なんてのもあるみたいだね。
 そう言えば、数年前に観た「デフ・パペット・シアターひとみ」(神奈川・ろう者による人形劇団)による「猿の王」(横浜ボートシアターの遠藤琢郎さんが確か演出されていた)の名古屋公演は、仮面劇と人形劇、ガムランのコラボレーションが見事だったな。「障害者」による表現活動にも注文すべきものは少なくないってことかな。

 その後、国立能楽堂前の美術工芸品のお店で「能楽ジャーナル」という雑誌を購入し、ひとり上機嫌になりながら、池袋へと向かう。池袋は私にとっては馴染みの薄い街だったが、夕方に東京芸術劇場中ホールで上演される芝居(木山事務所公演『仮名手本ハムレット』)が始まるまでの時間、街をブラブラ。立教大学キャンパス内を蔦の絡まるレンガ造りの校舎を見遣りながら散策したり・・・。

 そうこうしているうちに開場時間となり、会場へと向かう。『仮名手本ハムレット』、名の通り『仮名手本忠臣蔵』と『ハムレット』という和洋の「仇討ち」の物語をモチーフとした作品である。明治期の東京の芝居小屋を舞台に、本邦初演の翻訳劇『ハムレット』の上演を前に戸惑う役者達、歌舞伎調の演技のクセが抜けず、ドタバタが続く・・・。
 発想自体は面白いのだが、役者が何度も噛んでたりして、それでだいぶ白けちゃったな。間もちょっと悪い感じだったし(新劇の役者にありがちな間の悪さといったらいいのかな)。まあ、ホンの面白さ(と言ってもホンにも多少不満な点はあるのだが)で多少は救われていたのかな。

 劇場を出ると寒空。急いで新宿の宿泊先に戻る。明日の朝早く出発して、昼からは仕事(遅番)だ。我ながらよくやるよな〜。遊ぶ時は徹底的に遊び、でも仕事はちょっとユーウツかな。でも、しょうがない。仕事して、次、また遊びまくるぜ。



2004年01月21日(水) 「田中一村展」、新作能『不知火』(予告編)etc.

 宿直明けの今日、首都圏へ向けて出発。水俣病をモチーフとした新作能『不知火』(石牟礼道子・原作)の「予告編」とでも呼ぶべきイベント、そして日本ろう者劇団による手話狂言、等を観るためだ。

 午後、まずは新幹線で横浜へ。現在横浜そごう美術館でおこなわれている「田中一村展」を観に行った。「日本のゴーギャン」などとも称される一村は、中央画壇に背を向け、自らの才能のみを信じ、ひたすら絵を描いた。1958年、50歳の時に奄美に移住し、生命力に満ちあふれた亜熱帯の自然をいきいきと描ききった。
 その一村、奄美に移住後、ハンセン病療養所・奄美和光園を頻繁に訪れ、一時期はその官舎に住み、小笠原登医師との共同生活の日々を送ったという。その当時、国策として「らい予防法」によるハンセン病患者の隔離が当然のように行われていた時代に、小笠原は患者の隔離に反対し続け、独自の医療を展開していた。「変わり者」と呼ばれながらも自らの信念を貫こうとする姿勢は、一村と小笠原とに共通しており、二人は意気投合したらしい。出会いとは本当に不思議なものだなあ。
 自らの信念を貫くことは、いつの時代においても困難を伴うものだと思う。彼らが生きている間には決して正当な評価がなされなかったであろうが、今日になって再評価されてきている二人である。彼らの生きざまから学ぶべき点は多い。

 横浜を後にして、「川崎・水俣展」会場へ。
 「水俣病」はチッソ水俣工場からの排水に含まれていた有機水銀を原因とし、人間に対する深刻な健康被害、環境破壊を招いた。そればかりか、チッソの「企業城下町」にあって「被害者」はいわれなき差別に苦しめられ、地域の人々の絆は断ち切られた。長い年月「被害者」に対する救済はないままに放置され、身体的、精神的、経済的にも苦境に置かれた。そして今、国の責任は認められないままに安易な「最終解決」によって幕引きがはかられている。そんな「悲劇」が進行する一方で、屈することなく力強く生きている「被害者」の生きざまに深い感動を覚えずにはいられない。今でも漁に出てられる杉本栄子さん、「被害者」でありながら自らの「加害者性」を見つめ続ける緒方正人さん(『チッソは私であった』などの著書がある)、有機栽培の甘夏を生産する人々・・・、他にも素晴らしい人々がたくさんいる。「水俣」は私たちに多くのことを教えてくれている。歴史に学ぶ謙虚な気持ちを忘れないでいたいものである。

 「水俣展」の展示会場を後にして、川崎能楽堂に向かう。「水俣展」のイベントとして行われる「新作能『不知火』謡とお話の夕べ」に参加。まずは、立教大学教授・栗原彬さん(『証言水俣病』その他著書多数)と『不知火』制作者・土屋恵一郎さん(能の評論など多数)による「新作能『不知火』制作のいきさつ」などのお話を伺う。昨年の東京公演のビデオを観た後、観世流シテ方・梅若六郎さんが登場して謡を披露。「能の見方」を知るにはいい機会となったが、やっぱり能の衣装をつけた生の舞台を観たいものだと思った。
 今年の8月、『不知火』水俣公演が「野外劇」として行われる予定だという。万障繰り合わせて何とか観に行きたいものだ。

 川崎を後にした私は、新宿へ向かう。何も新宿である必然性はないのだが、なぜか好きなんだな、新宿が。予約しておいた安宿に向かう途中、歌舞伎町、ゴールデン街、花園神社等を通り抜けていく(わざわざそこを通る必要もないのだけど)。
本日宿泊のビジネスホテル、1泊5400円と安いのだが、0時30分という門限があって、部屋にバスはない。その代わり大浴場が0時30分まで入れる。まあ、少しでも安く上げるためだ。贅沢は言ってられないし、これで十分だ。2月にもまた芝居を観るため上京する。このこと自体が私にとっては贅沢な楽しみというものだと思う。



2004年01月18日(日) ジプシー・ミュージックの宵

 今夜、今池のライブ・スペース「源」で「しげとくま」(ジプシー・ミュージックのユニット)の演奏を聴く。「源」はライブハウスというより「普通のおうち」(実際に「普通のおうち」)で、ライブもどことなくホームパーティーのような雰囲気があった。ステージと客席との距離は他のライブハウスではありえない近さで、とてもぜいたくな空間だ。しげ(ギター)とくま(バイオリン)の演奏は心浮き立つような調べで、思わず口元が緩んでしまった。
 バイオリン、あんなふうに弾けたらいいよな。俺も、ギターがもうちょっとうまかったらな〜。ライブに行く度にそんなふうに思ったりする。俺自身は、音楽の趣味も多岐にわたり、あちこちに首を突っ込むものだから、どうも何かひとつのことを極めるってことがないみたいな気がする。でも、何事においても俺は「一流」を目指そうとは思わなくなった。あえて言うなら「超二流主義」とでも言おうか、自分は自分で<個>をしっかり持って存在したいという願いはある。
 思えば、名もなき民衆のなかから生まれた音楽(ジプシー・ミュージックもそうだ)が琴線に触れることもあれば、「詠み人知らず」の詩歌に深い感動を味わうことだってあるんだよね。俺、ジャンルにはこだわらないけど、その音楽が生きている(あるいは、生きていた)人間の息づかい(魂=ソウル、と言い換えてもよい)を感じさせるかどうかにはこだわるんだ。世に言うソウル・ミュージックが必ずしもソウルフルとは限らない。俺は、いつしか「俺にとってのソウル・ミュージック」を自分の心のうちでリストアップするようになった。「俺にとってのソウル・ミュージック」はどことなく詩的だったり、あるいは劇的だったりする。



2004年01月17日(土) 自衛隊のイラク派遣に思う

 16日、イラクに派遣される陸上自衛隊先遣隊が出発した。「ブッシュの戦争」を後押しする小泉首相らは「売国奴」じゃないのか、右翼の方々! 自衛隊派遣がイラク民衆に感謝されることはなく、現地に派遣される自衛隊員に犠牲が出る可能性も低くはない。そのことを日本のトップはどう考えているのか。大体、イラク戦争自体、「大義」も何もないことは明白ではないか。
 イラク開戦後、アメリカ兵の死者は計500名を超えたという。ブッシュが、大義なき戦争で多くの米兵を犬死に追いやったのだ。だが、もっと問題にすべきは、米兵の何倍ものイラク民衆が虫けらのように殺されていったという事実であろう。そんなイラクの地に何の思想もなく自衛隊が出て行くことが、現地の人々にいかなる思いを抱かせることになるのか。想像力の欠如した小泉をはじめとしてこの国のトップに期待など持っていないが、現状を追認しがちなこの国の国民性は何とかならないものか。



2004年01月16日(金) 最年少の芥川賞

 「最年少の芥川賞」ということで、綿矢りささん(19歳)と金原ひとみさん(20歳)の受賞が話題になっている。二人の作品を読んでいないので、『文藝春秋』次回号で受賞2作品を読むとしよう。



2004年01月15日(木) Kさんの訃報

 14日夜、私の職場である福祉施設からの緊急連絡網での連絡が入る。電話を取り同僚の声を耳にした瞬間、私は事態を把握した。3日前に入所者Kさんが救急車で運ばれ、危険な状態にあったからだ。Kさんが亡くなられた。33歳という若さでこの世を去られるとは。「危篤状態」と聞いても希望観測的に楽観視していた私は、Kさんの訃報に接して、最初は驚き、その後じわじわと悲しみが湧いてきた。
 今夜、通夜に参列し、Kさんのお顔も見させていただいた。Kさんは神々しい光に満ちていた。今はただご冥福を祈るのみだ。



2004年01月12日(月) みゆきワールドについて語らう

 14日に中島みゆき「夜会」を観に行くという友人と夕食を共にする。3日、初日の舞台を観た際に買ったプログラムを差し上げ、音楽の話などで盛り上がった。その友人、ローリング・ストーンズのファンでもあり、結構話が合うんだよね。もちろんその人間性もいいのだが、趣味が合うということでも親しくさせていただいている。とりとめのない会話をしながらも、楽しい時間を過ごして帰ってきた。



2004年01月11日(日) フリーダ

 今池のキノシタホールで映画『フリーダ』を観る。メキシコの女性画家フリーダ・カーロの波乱に満ちた生涯が描かれた映画となれば、きっと重々しいストーリー展開になるものと予想していた。そんな予想に反して、鮮やかな色彩、テンポよい展開、遊び心いっぱいの映像に身を乗り出すように見入った。フリーダ・カーロの絵と同様に、大胆な切り口で、多様な手法を駆使した見事な映像表現だったと思う。



2004年01月09日(金) 演劇とダンスのあいだ

 今年初めて「pHー7地下劇場」に足を運ぶ。そこでは、4月に上演の舞踏劇に向けての顔合わせが行われていた。出演予定者による「ひとり舞踏」も観ることができたが、それぞれに面白かった。この舞踏劇、一体どんな仕上がりになることやら、今から楽しみである。
 最近、ダンス公演を観る機会も増えてきた。ダンスとひとくちに言っても、いろんなタイプの踊りがあるよね。「暗黒舞踏」ひとつとって見ても、演ずる者によって印象はだいぶ異なってくる。なかには、芝居にきわめて近いものもあって、「これも踊りなの?」などと思うものまである。そう言えば、以前太田省吾が演出していた沈黙劇(『水の駅』など)なんていうのもあったけど、あれも広い意味での「踊り」と言えるのかもね。でもね、「芝居」か「踊り」かということよりも、それが「表現」として面白いか否かという点が最も重要なことであると思う。
 実は俺、来月も、牧阿佐美バレエ団『ピンク・フロイド・バレエ』(草刈民代、上野水香らが出演)、H・アール・カオス『人工楽園』といったダンス公演を東京まで観に行く予定だ。連休がうまく取れれば、他にも演劇を観てくるつもりなのだが。
 明日から、世間は3連休。だけど、俺は明日から宿直勤務。まあ、他人様が仕事の時に休めることもあるからいいんだけど。それにしてもまた寒くなってきているので、風邪などひかないようにしようっと。



2004年01月08日(木) これってアート?

 仕事を終えてから、東山公園「club BL」に「傷SP〜前衛音楽と身体行為の夕べ〜」というイベントを観に行った。途中で帰ってしまったのでよくはわからないが、「前衛音楽」と「身体行為」のコラボレーションということではなく、2部構成でそれぞれ勝手にどうぞってことだったみたい。
 前半の「身体行為」だけ観て帰ってきた。ニパフ(日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル)に参加したりしている愛知県内の人々の「パフォーマンス」を観るが、これが私には非常につまらないものに映った。たぶん演劇的な観点から観るべきものではないのだろう。どちらかと言えば「現代美術」に近いというふうに解釈したのだが。でも、それにしても、彼らのしていることが「アート」だというふうには到底思えないのだった(全部が全部ダメだとは言わないが)。「アート」どころか「宴会芸」以下だぞ。無料だといえ、「表現」として他人に見せる以上は「表現」たりえるものにある程度は仕上げてほしいと思ったね。と、「無料の客」は言う。


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