夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年01月17日(土) 自衛隊のイラク派遣に思う

 16日、イラクに派遣される陸上自衛隊先遣隊が出発した。「ブッシュの戦争」を後押しする小泉首相らは「売国奴」じゃないのか、右翼の方々! 自衛隊派遣がイラク民衆に感謝されることはなく、現地に派遣される自衛隊員に犠牲が出る可能性も低くはない。そのことを日本のトップはどう考えているのか。大体、イラク戦争自体、「大義」も何もないことは明白ではないか。
 イラク開戦後、アメリカ兵の死者は計500名を超えたという。ブッシュが、大義なき戦争で多くの米兵を犬死に追いやったのだ。だが、もっと問題にすべきは、米兵の何倍ものイラク民衆が虫けらのように殺されていったという事実であろう。そんなイラクの地に何の思想もなく自衛隊が出て行くことが、現地の人々にいかなる思いを抱かせることになるのか。想像力の欠如した小泉をはじめとしてこの国のトップに期待など持っていないが、現状を追認しがちなこの国の国民性は何とかならないものか。



2004年01月16日(金) 最年少の芥川賞

 「最年少の芥川賞」ということで、綿矢りささん(19歳)と金原ひとみさん(20歳)の受賞が話題になっている。二人の作品を読んでいないので、『文藝春秋』次回号で受賞2作品を読むとしよう。



2004年01月15日(木) Kさんの訃報

 14日夜、私の職場である福祉施設からの緊急連絡網での連絡が入る。電話を取り同僚の声を耳にした瞬間、私は事態を把握した。3日前に入所者Kさんが救急車で運ばれ、危険な状態にあったからだ。Kさんが亡くなられた。33歳という若さでこの世を去られるとは。「危篤状態」と聞いても希望観測的に楽観視していた私は、Kさんの訃報に接して、最初は驚き、その後じわじわと悲しみが湧いてきた。
 今夜、通夜に参列し、Kさんのお顔も見させていただいた。Kさんは神々しい光に満ちていた。今はただご冥福を祈るのみだ。



2004年01月12日(月) みゆきワールドについて語らう

 14日に中島みゆき「夜会」を観に行くという友人と夕食を共にする。3日、初日の舞台を観た際に買ったプログラムを差し上げ、音楽の話などで盛り上がった。その友人、ローリング・ストーンズのファンでもあり、結構話が合うんだよね。もちろんその人間性もいいのだが、趣味が合うということでも親しくさせていただいている。とりとめのない会話をしながらも、楽しい時間を過ごして帰ってきた。



2004年01月11日(日) フリーダ

 今池のキノシタホールで映画『フリーダ』を観る。メキシコの女性画家フリーダ・カーロの波乱に満ちた生涯が描かれた映画となれば、きっと重々しいストーリー展開になるものと予想していた。そんな予想に反して、鮮やかな色彩、テンポよい展開、遊び心いっぱいの映像に身を乗り出すように見入った。フリーダ・カーロの絵と同様に、大胆な切り口で、多様な手法を駆使した見事な映像表現だったと思う。



2004年01月09日(金) 演劇とダンスのあいだ

 今年初めて「pHー7地下劇場」に足を運ぶ。そこでは、4月に上演の舞踏劇に向けての顔合わせが行われていた。出演予定者による「ひとり舞踏」も観ることができたが、それぞれに面白かった。この舞踏劇、一体どんな仕上がりになることやら、今から楽しみである。
 最近、ダンス公演を観る機会も増えてきた。ダンスとひとくちに言っても、いろんなタイプの踊りがあるよね。「暗黒舞踏」ひとつとって見ても、演ずる者によって印象はだいぶ異なってくる。なかには、芝居にきわめて近いものもあって、「これも踊りなの?」などと思うものまである。そう言えば、以前太田省吾が演出していた沈黙劇(『水の駅』など)なんていうのもあったけど、あれも広い意味での「踊り」と言えるのかもね。でもね、「芝居」か「踊り」かということよりも、それが「表現」として面白いか否かという点が最も重要なことであると思う。
 実は俺、来月も、牧阿佐美バレエ団『ピンク・フロイド・バレエ』(草刈民代、上野水香らが出演)、H・アール・カオス『人工楽園』といったダンス公演を東京まで観に行く予定だ。連休がうまく取れれば、他にも演劇を観てくるつもりなのだが。
 明日から、世間は3連休。だけど、俺は明日から宿直勤務。まあ、他人様が仕事の時に休めることもあるからいいんだけど。それにしてもまた寒くなってきているので、風邪などひかないようにしようっと。



2004年01月08日(木) これってアート?

 仕事を終えてから、東山公園「club BL」に「傷SP〜前衛音楽と身体行為の夕べ〜」というイベントを観に行った。途中で帰ってしまったのでよくはわからないが、「前衛音楽」と「身体行為」のコラボレーションということではなく、2部構成でそれぞれ勝手にどうぞってことだったみたい。
 前半の「身体行為」だけ観て帰ってきた。ニパフ(日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル)に参加したりしている愛知県内の人々の「パフォーマンス」を観るが、これが私には非常につまらないものに映った。たぶん演劇的な観点から観るべきものではないのだろう。どちらかと言えば「現代美術」に近いというふうに解釈したのだが。でも、それにしても、彼らのしていることが「アート」だというふうには到底思えないのだった(全部が全部ダメだとは言わないが)。「アート」どころか「宴会芸」以下だぞ。無料だといえ、「表現」として他人に見せる以上は「表現」たりえるものにある程度は仕上げてほしいと思ったね。と、「無料の客」は言う。



2004年01月06日(火) 一面のワイン畑?

 4日に山梨に帰省したが、もう今日は名古屋に舞い戻ってきた。明日から仕事だからしかたがない。
 山梨では、お雑煮、手打ちそば、きんとん、黒豆、きんぴらごぼう・・・、そんな料理の数々を堪能した。というか食べ過ぎた。もともと胃が弱くできている俺、明日から仕事という事情も相俟って、胃がもたれ、身体がだるい。やれやれ。
 
 20歳くらいまでは、俺、故郷・山梨のことが好きだったんだ(今は愛憎相半ば、ってところか)。大学時代、東京から甲府に帰る電車(「特急あずさ」は滅多に使わず、鈍行で帰ったものだ)の窓から一面に広がる葡萄畑(勝沼周辺)を目のあたりにして感慨に浸ったものさ。懐かしいよな、あの頃。
 そういえば、昔、山梨に私を訪ねてきた友人を案内して、勝沼の高台からあたりの景色を眺めたっけ。遠くに八ヶ岳や南アルプス、眼下には葡萄畑が広がっていた。そんな風景に感動したのか、友人は言い放った。「凄〜い、一面のワイン畑だ」と。俺も当時は相当の呑んべえだったけど、そんな言い間違いはしなかったぜ。今でも、葡萄畑を目にすると、あの時の友人の言葉を思い出さずにはいられない俺だった。



2004年01月04日(日) 初笑い

 寄席という場所に一度行ってみたいと思っていたが、新宿末広亭に行って来たぜ。いまどきの「お笑い」というのにはあまり興味はないが(とか言いつつ「爆笑問題」が好きだったりするんだけどね)、「落語」にはちょっと興味があって、生で観たかったんだよね。で、これが面白かった。なんか寄席全体の空気(舞台と客席との「間」も含めて)ということもあるとは思うんだけど、お腹の底から笑えたんだ。桂米丸、ヨネスケ、春風亭昇太から無名の落語家・漫談家、手品師の北見マキといった面々がわずかな持ち時間のなかで目一杯の芸を披露してくれた。芸能生活80年という玉川スミさん(三味線漫談家)も自慢のノドを披露した。
 「芸の力」ということをちょっと考えたね。「芸」がある人っていうのはつまりは「間」がいいんだよね。「間」などというものは日本的な感性のようでもありながら、実は普遍的なもののようにも思えるんだよね(とは言っても、「話芸」となると「言語の壁」は大きいとも思うんだけど)。「間」なんていうものは決してマニュアル化できないものだろうし、それだけ奧が深いんだと思うよ。だからこそ奥義を究めることができたら素晴らしいだろうね。清々しい気分で、末広亭をあとにしたよ。

 で、新宿から鈍行を乗り継いで甲府まで行き、父の迎えで郷里に帰った。



2004年01月03日(土) 「夜会」

 東京・渋谷「Bunkamuraシアターコクーン」まで中島みゆき「夜会VOL.13〜24時着0時発」を観に行く。ドラマ仕立てのコンサートとでも言うべき「夜会」だが、今回は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をモチーフに構成されたようである。共演の三代目魚武濱田成夫(詩人)が雰囲気を壊していたようにも感じられたが(「お前も詩人なら『詩情』というものを意識しろよな」と言ってやりたかった)、みゆきさんの歌はとってもよかった。彼女の歌自体がドラマチックであり、情景が浮かんでくるようでもあったからね。
 立見で2時間ほどだったが、私には短く感じられた。もっともっと「みゆきワールド」に浸っていたかった。いつか彼女のコンサートに行ってみたいものだと思った。


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