夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年01月06日(火) 一面のワイン畑?

 4日に山梨に帰省したが、もう今日は名古屋に舞い戻ってきた。明日から仕事だからしかたがない。
 山梨では、お雑煮、手打ちそば、きんとん、黒豆、きんぴらごぼう・・・、そんな料理の数々を堪能した。というか食べ過ぎた。もともと胃が弱くできている俺、明日から仕事という事情も相俟って、胃がもたれ、身体がだるい。やれやれ。
 
 20歳くらいまでは、俺、故郷・山梨のことが好きだったんだ(今は愛憎相半ば、ってところか)。大学時代、東京から甲府に帰る電車(「特急あずさ」は滅多に使わず、鈍行で帰ったものだ)の窓から一面に広がる葡萄畑(勝沼周辺)を目のあたりにして感慨に浸ったものさ。懐かしいよな、あの頃。
 そういえば、昔、山梨に私を訪ねてきた友人を案内して、勝沼の高台からあたりの景色を眺めたっけ。遠くに八ヶ岳や南アルプス、眼下には葡萄畑が広がっていた。そんな風景に感動したのか、友人は言い放った。「凄〜い、一面のワイン畑だ」と。俺も当時は相当の呑んべえだったけど、そんな言い間違いはしなかったぜ。今でも、葡萄畑を目にすると、あの時の友人の言葉を思い出さずにはいられない俺だった。



2004年01月04日(日) 初笑い

 寄席という場所に一度行ってみたいと思っていたが、新宿末広亭に行って来たぜ。いまどきの「お笑い」というのにはあまり興味はないが(とか言いつつ「爆笑問題」が好きだったりするんだけどね)、「落語」にはちょっと興味があって、生で観たかったんだよね。で、これが面白かった。なんか寄席全体の空気(舞台と客席との「間」も含めて)ということもあるとは思うんだけど、お腹の底から笑えたんだ。桂米丸、ヨネスケ、春風亭昇太から無名の落語家・漫談家、手品師の北見マキといった面々がわずかな持ち時間のなかで目一杯の芸を披露してくれた。芸能生活80年という玉川スミさん(三味線漫談家)も自慢のノドを披露した。
 「芸の力」ということをちょっと考えたね。「芸」がある人っていうのはつまりは「間」がいいんだよね。「間」などというものは日本的な感性のようでもありながら、実は普遍的なもののようにも思えるんだよね(とは言っても、「話芸」となると「言語の壁」は大きいとも思うんだけど)。「間」なんていうものは決してマニュアル化できないものだろうし、それだけ奧が深いんだと思うよ。だからこそ奥義を究めることができたら素晴らしいだろうね。清々しい気分で、末広亭をあとにしたよ。

 で、新宿から鈍行を乗り継いで甲府まで行き、父の迎えで郷里に帰った。



2004年01月03日(土) 「夜会」

 東京・渋谷「Bunkamuraシアターコクーン」まで中島みゆき「夜会VOL.13〜24時着0時発」を観に行く。ドラマ仕立てのコンサートとでも言うべき「夜会」だが、今回は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をモチーフに構成されたようである。共演の三代目魚武濱田成夫(詩人)が雰囲気を壊していたようにも感じられたが(「お前も詩人なら『詩情』というものを意識しろよな」と言ってやりたかった)、みゆきさんの歌はとってもよかった。彼女の歌自体がドラマチックであり、情景が浮かんでくるようでもあったからね。
 立見で2時間ほどだったが、私には短く感じられた。もっともっと「みゆきワールド」に浸っていたかった。いつか彼女のコンサートに行ってみたいものだと思った。



2004年01月01日(木) さっそく寝正月

 新しい年だ(実感が湧かないな)。
 宿直明けの今日、仕事から帰ってまずは一睡。何だかもったいない気もしたが、とにかく寝ておきたかった。夕方近くに起きて、昨日録画しておいた「イノキボンバイエ」や「PRIDE」を観る。それと、実家から送ってくれた餅をほおばる。部屋の片付けもやりたかったが、やる気が起こらず、またまた先延ばし。
 3日にはまた東京に行き(中島みゆきの「夜会」を観に)、その足で山梨に帰省する。名古屋に戻ってくると翌日からまた仕事か〜。まあ、あまり悲観的に考えずに、楽しく時間を過ごすとしよう。
 それにしても、何とも締まりのない元旦であった。



2003年12月30日(火) 東京観劇旅行・おまけ

 「祭りのあと」の巻

 「旅」は終わった。
 「キダム」の会場で購入した「サルティンバンコ」のビデオを観た。まあ悪くはないのだが、何だか予定調和的でいまひとつ面白さに欠けるような気がする。「キダム」が良すぎるとも言えるのだが・・・。

 さてさて、今年観た演劇・イベントを勝手にランクづけしてみた。1位は「キダム」で決まり。次いで2位がスーパー一座師走歌舞伎「二人吉三恋半鐘」、3位が万有引力公演「奴碑訓」。で、特別賞が、ローリング・ストーンズと大野一雄といったところだ。役者で素晴らしかったのが白石加代子と市村正親。笠井叡からは目が離せない。また、かつて共演したこともある間瀬礼章(スーパー一座)は日々進化を続けているようだ。
 もちろん「pHー7」の舞台にも大いに期待している。

 既に来年の観劇の予定も詰まっている。2003年は間もなく終わる。いろいろと辛い出来事もあったが、悪いことばかりでもなかった。来年こそはぜひ実り多き年にしたいものだ。
 その前に、大晦日から元旦にかけて、私は「宿直」の仕事だ。ということで、今年の日記はここで終了。どなた様もよいお年を!



2003年12月29日(月) 東京観劇旅行・其の4

 「キダムは凄い!」の巻

 午前中は、ホテルのチェックアウト・タイム(午前10時)ギリギリまでゆっくりして、新宿をブラブラ。昼食後、原宿まで移動して「キダム」を観る。実は、昨年の名古屋公演(と言うか「稲沢公演」)でも一度観ているので、今回は2回目。初回の新鮮さはないものの、次々に繰り出される超人的な技の数々には目を奪われる。神業としか言いようのないことをこともなげにこなしてしまうところがまた凄い。
 「両親が忙しくしてかまってくれない少女が、ある日顔のない男と出会ってミステリアスな世界に誘い込まれる」という設定で、ストーリーが展開されている。見た目は「劇団四季」のミュージカルのようでもあるが、その面白さは「四季」など比較の対象ですらない(チケット代は同じような設定なので、「四季」を観るくらいなら、その分余分に「キダム」を観ることをお薦めする)。
 「キダム」はぜひ一度生で観ておくべきだと思うよ(ビデオでも観てみたが、やはり生の感動に勝るものはない)。

 「キダム」を見終わってからは渋谷まで公園通り、センター街などを散策。年の瀬の渋谷は大いに賑わっていた。新宿の雑踏とはまた雰囲気が違い、「若者の街・渋谷」という色彩を感ずる。

 渋谷から井の頭線で下北沢に移動。「ザ・スズナリ」という小劇場で公演中の芝居、阿佐ヶ谷スパイダース『ともだちが来た』を観る(目下売り出し中の小劇場系劇団の芝居も観ておきたいと思ったものだからね)。原作は鈴江俊郎(京都の「劇団八時半」主宰)、演出は中山祐一朗。長塚圭史(父親の長塚京三に雰囲気はよく似ていた)と伊達暁の二人芝居である。どことなく「静かな演劇」をも思わせる芝居で、まあまあ面白くはあったが、私の好みではないな。それに、「キダム」とか「奴碑訓」とか面白いものを観た後だったから尚更霞んでしまった感じだね。

 芝居が終わってからは、急いで東京駅へ。夜8時台の新幹線で名古屋に戻る。家に辿り着いたのが夜11時頃。それにしても4日間よく遊んだものだ。
 2003年も間もなく終わる・・・。



2003年12月28日(日) 東京観劇旅行・其の3

 「寺山は偉大だ」の巻

 午前、渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」へ「棟方志功」展を観に行く。青森が生んだ天才と言えば、太宰治、寺山修司、高橋竹山などがあげられるが、棟方も青森出身の天才「板画」家(棟方は自らを「板極道」と呼んだ)と言うべきだろう。極度の近眼というハンディキャップを持ちながらも、それを微塵も感じさせない作品群。大胆かつ奔放なエネルギーがあふれんばかりの棟方の作品群だが、青森のねぶた絵に通ずるものを感ずる。その一方で、繊細さも感じられ、代表作「釈迦十大弟子」等の作品は深い精神性に彩られている。また、棟方の作品には、「書」を取り入れた板画も多い。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を盛り込んだ「不来方板画柵」は、賢治の詩世界と棟方の板画世界とが絶妙なバランスで表現された作品だ。
 ほんの短い時間ではあったが、棟方の板画世界に浸ることができた。

 渋谷から電車で「新国立劇場・中劇場」へと向かう。一昨日「小劇場」で桃花村舞踊公演を観たばかりだというのに、再び同じ場所に戻ってきてしまった。午後2時開演の万有引力公演「奴碑訓」(寺山修司原作)を観るために、30分前に会場に到着するようにした。開場が1時50分頃だったので、少し待たされたけどね。
 開場とともに客席に入ると、舞台上ではすでに寺山ワールドが展開されている。2時過ぎから2時間弱の上演だったが、とても面白かったね。まずは、原作のよさは言うまでもない。それから様々な仕掛けと演出の妙。特に「暗闇」と「火(照明のひとつとしての)」の使い方が見事だった。役者も絶妙なタイミングでよく動いていたよ。
 私は一人で勝手に「キダム」の「アングラ版」などと評しているが、サーカスというよりはいかがわしい「見世物」を見せられているかのような、イケナイものを覗き込んでしまったみたいな(後ろめたい思いの一方で言いしれぬ快感を覚えるみたいな)印象を持った。
 とにかく面白かったわけだが、この面白さってのは寺山によるところが大きいのではないかとの感想も持った。唐十郎の「状況劇場」を引き継ぐのが「唐組」「新宿梁山泊」だとすれば、寺山の「天井桟敷」を引き継ぐ劇団は「万有引力」ということになろう。その意味でも「万有引力」には大きな期待を抱いている。次回以降観る時にも本当に面白いものを見せてもらえるよう念願したい。

 さて、そこから新宿まで出て臨海副都心線で「国際展示場駅」まで移動。ディファ有明で開催される「SAEKI祭り」(格闘技団体「DEEP」によるプロレス・イベント)を観に行く。今回は大阪プロレスのスペル・デルフィンとえべっさんが参戦し大会を大いに盛り上げた。また、しなしさとこ選手(2000年サンボ世界選手権銅メダリスト。「スマックガール」という女子総合格闘技の場でも活躍していた)がきびきびした動きで観客を魅了していた。その他のカードもなかなか見応えがあって面白かった。観客動員数はざっと400程度と見たが、イベントの面白さは大晦日の3大格闘技イベントに劣らなかったのではなかろうか。

 この3日間、本当に楽しい「旅」を続けているが、さすがに疲れてきている。しっかりと疲れは取り去っておかなくては。明日は明日で楽しんで、でも明日中には名古屋に戻るゾ〜。



2003年12月27日(土) 東京観劇旅行・其の2

 「バ・ク・ハ・ツだ〜!」の巻

 新宿で一夜を過ごした私、ホテルを出て朝の歌舞伎町を通り抜けていく。この街は、あくびを押し殺しながら気怠そうな表情を浮かべているかのようだ。そんな澱んだ空気も決してキライじゃないんだな。
 
 午前中、川崎市岡本太郎美術館へと向かう。現在ここでは「肉体のシュルレアリスムス 舞踏家土方巽抄」という展覧会が行われている。常設展の岡本太郎作品にせよ、暗黒舞踏の創始者・土方巽にせよ、強烈な個性とともに大きな衝撃となって私たちに迫ってくる。枠に収まりきらない奔放なエネルギーが震えるような感動をもたらす。生前岡本太郎が言ったように、芸術は爆発だ!

 川崎から急ぎ、東京は有楽町まで戻る。昼食を掻き込み、日生劇場に入る。蜷川幸雄・演出、市村正親・主演のシェークスピア劇『リチャード三世』を観るためだ。助演女優の一部が滑舌が悪く芝居のリズムを壊しているように感じられたが、蜷川演出は客を飽きさせることがなかった(客席通路から役者が登場したり、舞台中央に櫓を組んで空間を立体的にうまく使っていたり、随所に工夫は見られた)。
 それより何より市村の好演が光っていた。市村演ずるリチャード三世は歌舞伎の悪役みたいな色気を感じさせ、とても格好良かった。それに、観客との距離を測りながら、決してツボをはずすところがなかった。やっぱり一流の役者は違うね。
 シェークスピア作品が優れていることは改めて言うまでもないが、その権力闘争の描き方は秀逸。つまりは、人間に対する洞察力が鋭いってことでもあるんだな。
 王族にありながら「かたわ」(片足をひきずる、つまりは軽度の身障者ってことだね)でもあるリチャードは、王位継承者を次々に殺害し、ついには自らが王位に就く。しかし、最後には戦いに敗れ、死を迎える。おおよそのストーリーはそんなところだが、リチャードは単に悪役として描かれているばかりではない。例えば、身障者でもあったリチャードに対する周囲のまなざしということにも、シェークスピアの目は行き届いていたようだ。

 劇場をあとにして、私は電車で渋谷に移動。映画『サロメ』を観る。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』は日本でもよく演じられる作品だと思うが、2004年春に、アイーダ・ゴメスの新作フラメンコ・バレエとして東京、大阪で上演される。フラメンコ上演に先駆けて映画版『サロメ』が上映されたというわけだ。映画に関しては、悪くはないが、さほど面白くもなかった。

 映画終了時刻が夜の7時過ぎ。遊び人の私にとって、夜はまだまだこれから。山手線で新宿まで移動と思いきや、「山手線内での人身事故」のため原宿駅で足止めを食う。後の予定に間に合わないと判断し、電車を降り、タクシーで新宿・歌舞伎町へ急行。「ロフト・プラスワン」というライブハウスで行われる「キャットファイト」を観に行く。「キャットファイト」は「ふつう」の女性同士の戦いだが、プロレスとは似て非なるもの。エッチなシーンも少なからずあり、ショー的要素が強い(行ったことないけど、ゲイバーの雰囲気にちょっと近いかも?)。「ロフト・プラスワン」は、歌舞伎町「コマ劇場」の向かいにあるビルの地下2階、なんか場末の雰囲気というのか、見世物小屋に迷い込んでしまったかのような印象を持ったね。途中、マメ山田という俳優兼マジシャン(小人症でもあるのだが。蜷川演出の『身毒丸』などにも出演していたんだね)の手品も観ることができて、二重の喜びだった。
 ショーが終わった後、まっすぐホテルに戻って、ひとっ風呂浴びる。あとはもう寝るだけ。明日もまた予定が詰まっているぜ。



2003年12月26日(金) 東京観劇旅行・其の1

 「美輪明宏さんに会ったゾー!」の巻

 今日から5連休。心待ちにしていた東京観劇旅行(第1弾)を決行。昼過ぎに名古屋を出、新幹線で東京へ。
 3時過ぎに東京着。その足で両国の江戸東京博物館に向かう。現在ここでは「平賀源内」展が行われている。源内と言えばエレキテルで有名だが、科学者・エンジニア・博物学者・文士エトセトラ、とにかく活躍の範囲は広く、まさに江戸のマルチタレントだったわけだ。その一方で鉱山開発等にも手を染め、結局は失敗に終わるということもあった。この展示会では、エレキテルの体験コーナーなんていうのもあって面白かった。常設展のほうも、江戸と明治以降の東京を体験的に見て回れる趣向となっており、なかなかに楽しかった。

 さて、博物館を後にして、新宿御苑近くのビジネスホテルへと向かう。大学時代を東京で過ごした私だったが、月日は流れて15年。その間地下鉄の路線も増えて再開発されたりもして(新宿の都庁ビルだとか、お台場だとか)様変わりしたものよのう。
 で、新宿御苑駅より宿に向かう途中、美輪明宏さんにバッタリ会ったのさ。あの通りの派手ないでたちで、私のすぐそばを通り抜ける。「美輪さんですよね」「私、ファンなんです」と話しかけたい衝動に駆られながら、ただただ行き過ぎるのを見送る私だった。でも、いいんだ。美輪さんを見かけたということだけでも、すごく得した気分だったからね(今回、美輪さんの舞台を観に来たわけじゃないんだけどね)。

 ホテルには荷物だけ置いて、「新国立劇場・小劇場」へと向かう。桃花村(田中みん主宰)舞踊公演「人さらい」の上演だ。農耕民族的な身体の動き、とても土着的な匂い、アジアを感じさせるパフォーマンスが演じられた。面白いとは思ったが、私自身の嗜好とは若干ずれる気がした。その一方で、田中の踊りには何かしら惹きつけられるものを感じ、彼のソロを観てみたいとも思った。

 公演を見終わってからは、トボトボと20〜30分かけてホテルまで歩く。夜の西新宿、周囲を高層ビルに取り囲まれ、まるで巨大な舞台セットの中で壮大な野外劇を演じているかのような錯覚に陥る。
 東口に抜け、私はわざわざ歌舞伎町のなかを通っていく。この澱んだ空気、猥雑な雰囲気、少し疲れるけどキライじゃないんだよね。
 すっかり遊びモードの私。都会を旅するってのは、癒される旅というのとは違うよね。日常と地続きの非日常。ちょっと疲れるけど、とても刺激的で、少しア・ブ・ナ・イ。でも、旅はまだまだ始まったばかり。いい夢見ながら、明日を待つとしよう。



2003年12月25日(木) クリスマス・イブそしてカウントダウン

 24日から25日にかけて、そして31日から元旦にかけて、私は宿直の仕事だ。でも、その代わりに、明日から30日までと、2日から6日まではたっぷりと休めるぜ。その間、実家(山梨)に里帰りもするが、ついでに東京まで足を伸ばして羽を伸ばすつもりだ。
 桃花村(田中みん主宰)舞踊公演『ひとさらい』を手始めに、蜷川幸雄演出・市村正親主演によるシェークスピア劇『リチャード三世』、万有引力公演『奴碑訓』などを観劇。合間に、格闘技を観たり、首都圏の美術館などをまわる予定だ。そして、3日には待望の中島みゆきの『夜会』を観に行くんだ。詳細は、いずれまたリポートしよう(たぶん次の更新は今月29日か30日になると思います)。
 それにしても、2003年は瞬く間に過ぎ去ったね。「またひとつ年をとるのか」とか「やり残したことばかりだ」などと思いつつ、「まあ、人生楽しくやりましょうよ」とも思う年の暮れである。


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