夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2003年12月03日(水) イラクに始まり、イラクに終わるのか?

 2003年も暮れようとしている。今年は、イラク問題に始まり、イラク問題に終わる1年だったとも言えそうだ(もちろん、紛争地帯はイラクだけではないのだが)。幾千万もの反戦の声を無視してブッシュが始めた戦争を小泉は支持したけれども、いったいどこまでついていくつもりなのか。過った方向に進もうとしているアメリカにブレーキをかけるということも、友好国たる日本の役割のはずではないのか。それなのに現状は、混迷するイラク情勢に対して、思考停止・判断停止に陥っているとしか思えない。
 ブッシュも小泉も「テロとの闘い」などと口にするが、「ブッシュの戦争」のどこを探しても大義などない。むしろブッシュや小泉の言う「テロリスト」の側にこそ大義があるのでは、とすら思えてくる。
 戦争はいつ終わるとも知れず、死者は増えていくばかり。今日も戦争による犠牲を目のあたりにして悲嘆に暮れる人々がいることであろう。ブッシュや小泉らにはこの責任をとってほしいものだが、戦争を止められるのは彼らなどではなく、反戦市民の声でしかないように思う。



2003年12月01日(月) 氷山の一角?

 先日、熊本のホテルがハンセン病の元患者に対して宿泊拒否していた事実が報じられていたが、またしても徳島県市場町の宿泊施設が盲導犬同伴の宿泊拒否していた事実が明るみに出た。「差別」ということをあまりにわかりやすい形で表している2つのケースだ。人権感覚の希薄さにはただただ呆れるばかりだが、こんなことは氷山の一角にすぎないのかもしれない。差別というものはなかなかに手強いからね。



2003年11月28日(金) 久々の<地下劇場>

 今夜、久しぶりに「pHー7地下劇場」に行ってきた。
 そこでは、来年春の「舞踏劇」の公演に向けての取り組みが始まっていた。劇団員一人ひとりに与えられた「ひとり舞踏」の課題発表の場に居合わせることができた。これから公演まで出演者にとっては(演出も)苦闘の連続になるのだろうが、参加できない私にとっては、そんな彼らがうらやましく思えた。
 <演劇>は、<俳優>と<観客>と<劇場>があってはじめて成立するものだが、私はいま「観客」の側に身を置いている。観る楽しさというものは確かにある。けれども、演ずる楽しさには代え難いのだ。そのことをいつもながら感じさせられる。

 家に帰ってから、ビデオの録画チェック。私は、連ドラというものを観るタイプの人間ではないのだが、月曜10時の「ライオン先生」(日テレ系)と、金曜10時の「ヤンキー、母校に帰る」は欠かさず観ている。録画された「ヤンキー、母校に帰る」を観ていると、校長先生役で唐十郎が出演していた。このドラマの主役・竹ノ内豊もなかなかいい感じだと思うんだけど、唐さんの存在感(異物感と言ってもいいかも)は格別だね。「何か美味しいところ全部持っていくよな〜」って思うんだけど、彼なら仕方ないかとも思わされるんだよね。私もいつかそんな役者になりたいな〜。

 「pHー7」地下劇場。普段はゴタゴタしている稽古場だが、それが本番の舞台を迎えると見事に<劇場>に変わるんだよな。スポットライトを浴びる快感、あのエクスタシーは経験した者でなければわからないであろう。



2003年11月27日(木) 夜の朗読会

 今宵、八事(と言っても「八事霊園」ではないゾ)で行われた詩の朗読会(「詩のあるくちびる」)に出掛けていった。
 第1部(それぞれが自由に朗読する)で、私は持ち時間のなかで2篇(と言っても「詩」ではない)朗読した。高村薫の小説「マークスの山」の書き出しの部分と、1970年マンガ「あしたのジョー」の登場人物・力石徹の「告別式」(喪主・寺山修司)で寺山が読んだ「弔辞」(「力石徹よ」)である。自分としては気持ちよく朗読できた。
 第2部は、谷川俊太郎の詩の「読みくらべスラム」。以前、「金子みすず読みくらべ」「島崎藤村読みくらべ」の2回に参加して両方とも優勝していた。負け知らずの3連勝を狙ったが、欲が出過ぎて失敗。詩じたいを自分のなかでうまく取り込めず、朗読の時点でも迷いが生じていた。はじめての敗北だったが、いい勉強にはなったと思う。
 「詩の朗読」に限らず「表現」というものじたい、無限の可能性を秘めている。だからと言って、表面的な手法だけを追い求めてもしょうがない。自分の内部から湧き出てきたものをいかに他人に届かせるのか、そのことに集中して苦悶してこそ<表現>は生まれてくるのではないだろうか。そんなことを考えさせてくれた一夜であった。



2003年11月23日(日) 勤労感謝してますか?

 お休みの今日、午前はウダウダと家で過ごし、昼過ぎからお出かけ。

 まずは、「単三ホルモン電池」という劇団の公演を観に名駅方面へ。昨年秋の「劇団pHー7」公演(「幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜」)で共演したキモトキヨさんも出演するとのことだったので、出向いていった。彼女と会うのも久しぶりで、再会じたいはうれしかった。でも、芝居の中味についてはシビアに観させてもらった。率直に言って、あまり感ずるところがなかったな。上手い・下手は関係ない。「静かな演劇」か「熱い演劇」かということとも関係ない。心に響いてくる何ものかが感じられなかったのだ(私が演劇を観る際に最も重きを置くのが、その点である)。

 劇場をあとにして、次に向かったのが、最近名古屋に進出してきたジュンク堂書店。「街の本屋」はどこに行っても「金太郎飴」みたいに個性の感じられない棚。だったら大型書店に足は向いてしまうよね。その部分において専門書の品揃えを充実させることで特化をはかったジュンク堂の進出は本好きには歓迎すべき事柄ではある。だが、一方で「街の本屋」の経営難ということも気になる。俺、本屋という商売には、ちょっと憧れがあるんだ。個性ある中小の書店には(出版社にも)エールを送りたい。なぜなら「街の本屋」の質は文化の成熟度をはかる指標のひとつだと思うからだ。

 その次に向かったのは、駅西の映画館「シネマスコーレ」。日本で唯一の自作自演活弁監督・山田広野による活弁上映が行われた。ばかばかしいと言えばばかばかしいのだが、監督の迷いのない映像と活弁に思わず爆笑することも多かった。

 名駅ツインタワーは、既にクリスマスの装い。これから1ヶ月にわたってクリスマス商戦も繰り広げられるのだろう。毎年のこととはいえ、なんだか「商業主義」に踊らされているような気分にもさせられ、うんざりする。
 今年もあと1ヶ月ちょっとというところまで来てしまったのね。力なくため息を漏らす今日この頃である。



2003年11月22日(土) ホモ・ルーデンス〜永遠の遊戯者〜

 今日、12月・1月の「勤務表」を入手し、まずは休みの日を確認するとともにさしあたっての予定を頭のなかであれこれと立ててみる。いろいろとやりたいことはあれど、遊びは外せない。決して仕事というものを蔑ろにするわけではないが、仕事なんてものは遊び(「広義の」)あっての仕事だろうと思う。極論すれば、多くの人は、生活の糧を得るために半ば強制的に働かされていると言える(そのなかでも、「やりがい」とかいったものはあるだろうが)。でも、遊びはある程度その人によって選ぶことができる。
 ひとことに遊びと言っても、人によってその遊びの中味は異なってこよう。例えば、ゴルフはある人には遊びでも、私にとっては遊びではない。これは価値観の違いだったり嗜好の問題になるのだろうが、遊びとは人生に潤いを与えてくれるものであると私は考えている。もっと言えば、人生を豊かにしてくれるもの。
 同時に、遊びは毒にもなれば薬にもなるものとも考えられる。人間社会はルールがあればこそ成り立っているとも言えるのだが、ルールにがんじがらめにされることに人間は耐えられないであろう。遊びは、時に「枠」を大きく飛び出す。そこが遊びの楽しみではあるが、社会秩序の側面からすれば危険性を内包しているとも言える。
 また、こんなふうにも言えるかもしれない。遊びは人間の根源的な衝動であるとともに<文化>である、と。

 と、まあ御託を並べてみたが、私の頭のなかは遊びの計画でいっぱいなのさ。でも、1月の「障害者プロレス」は断念するしかないみたいだし、観てみたいと思ってた「熊川哲也のバレエ」だとか、つかこうへい演出の「飛龍伝」も無理のようだ。
 いま確定的に観に行くことになっているのは、12月上旬の「大駱駝艦」の京都公演と1月の「中島みゆき・夜会」といったところかな。それと、私の古巣でもある「スーパー一座」のロック歌舞伎は12月中に必ず観に行くよ。
 その他気になっているのは、「万有引力」や「月蝕歌劇団」の公演とか、市村正親が出演する「リチャード3世」あたりだね(これらは、首都圏か関西だけど)。
 2月にも予定してるものがあるけど、そこまで話してしまうと、鬼に笑われてしまいそうなんで、やめとくわ。

 今年ももう秒読み段階まで来ちまった。思わずため息が漏れてしまう今日この頃でもある。



2003年11月20日(木) 昼下がりのボジョレー・ヌーボー

 現在の職場に異動となって5ヶ月弱。不規則勤務ゆえ舞台からは遠ざかるばかりの日々。その代わりというわけでもないが、観劇の機会は多くなっている。12月も1月も2月も観劇の予定がある。
 そのなかのひとつを紹介しよう。「プレオーダー抽選」というシステムを利用して、中島みゆきの「夜会」(来年1月3日より、東京・渋谷の「シアターコクーン」にて公演開始)のチケットを入手したんだ。「第1希望」は通らず、「立見席」にはなったけどね。彼女を生で観るのは今回が初めてだが、今から楽しみだ。

 ところで、今日20日は「ボジョレー・ヌーボー解禁の日」。今年は特に「ワインの当たり年」だとも言われている。予約こそしていなかったが、近所の「知多繁」という酒屋(いい酒をたくさん置いている)で購入。今日私は宿直明けということで、昼から新酒ワインを味わう。ひとこと「うまい」。太陽が降り注ぐフランス・ボジョレー地域の風景が目に浮かぶようだった(?)。
 でもね、同時に購入した「甲州ヌーボー」もなかなかの味だったよ。甲州ワインも捨てたもんじゃないってことさ。

 話は変わるが、「熊本のホテルが元・ハンセン病患者の宿泊拒否」とのニュースを耳にして、「いつの時代の話か」と耳を疑った。まあ、元・ハンセン病患者に対する世間の認識は以前に比べてだいぶ変わったとも思うし、むしろホテル側の人権感覚のなさがあまりに救いようがないとも言えるのだが。しかし、見えない形で差別はあらゆるところに残っているとも考える必要がありそうだ。



2003年11月09日(日) おいでやす、京都の夜へ

 8日昼、新幹線で京都へ向かった。京都芸術劇場(京都造形芸術大学内)で上演される、笠井叡独舞公演「花粉革命」を観るためだ。翌日には、笠井さんによるダンス・ワークショップが予定されており、それにも参加の申し込みをしていた。
 公演の開始は午後5時。時間には余裕を持って動いたつもりが、いま京都は一番の観光シーズンらしく、目的地に向かうバスが途中渋滞に巻き込まれる事態が発生。開演間際に何とか滑り込み、息をととのえていると、開演ベルが鳴り出した。
 舞台上に、長唄・杵屋勝之弥連中、鳴物・六郷新之丞連中の面々が登場(まさに鳴物入り」)。演奏が始まるなか、花道より「京鹿子娘道成寺」の白拍子に扮した笠井さん登場。古典的な作品を彼なりの大胆な解釈で踊ってみせた。後半の踊りは前衛的な舞踏だったが、途中セリフが入ったり、観客とも絡みながら、ラディカルでアナーキーな踊りが展開され、思わず息を呑んだ。
 笠井さんの踊りは、単に段取りを追うという類のものではなく、その場の空気を探るようにして、その瞬間でしかありえないような表現を紡ぎ出す。はりつめた空気が劇場全体を支配しているかのようだった。
 上演がひととおり終了し、観客から花束が手渡されると、笠井さんは束をほどいて、それを頭上に投げ出し、そこから再び舞踏を始めた。もう劇場全体が完全に笠井さんの術中にはまってしまったかのようだ。

 8日夜は、祇園あたりを散策。町家の立ち並ぶ街で夕食をとり、情緒あふれる通りで舞妓さんと擦れ違い、しばし妄想する。
 それにしても、京都という街は、伝統に彩られながら、一方では新しいものを取り入れようとする気風を感じる場所だと思ったね。古都という点においては、どちらかと言えば、奈良のほうが私の好みではあるけど、京都もなかなか捨てたものではないよね。大阪ともひと味違うけど「アンチ東京」とでもいう空気を感ずるんだ。これまで私は、修学旅行も含めて京都を素通りしたに過ぎなかったのだと思ったよ。

 翌9日、午前中は銀閣寺に立ち寄る。
 午後は、3時間ほど、笠井さんのワークショップに参加。表現の本質について、言語と身体について等、笠井さんのお考えも聞きながら、実際に身体を動かしてみる。自分の外の世界で起こっていることと自分の内からわきおこってくるものを探るようにして、考えるというよりは感じながら踊ってみる。久しぶりに気持ちよく踊った気がした。

 休日はアッという間に過ぎてしまったけど、とても気分がよかった。実は、来月も京都に行くんだ。6日に、大駱駝艦の公演(於:京都芸術劇場)を観に行くんだけどね。
 同じ日に笠井叡さんも出演する芝居があったのだけど、そちらはチケット完売とのことなので断念。その代わりというわけではないけど、来年2月に笠井さんが愛知にやってくるよ。ひとつは2月22日知立市文化会館での「ダンス・オペラ」公演、もうひとつは2月28日愛知県芸術劇場(大ホール)での「ダンス・クロニクル」公演だ。ちなみに、両公演とも「愛知県文化情報センター」(052−971−5511内線725)が問い合わせ先になっている。笠井さんの踊りを観たことのない方には、一度ぜひ観ていただきたい。

 話はあちこちに飛んだけど、歴史ある街で前衛的な表現を観ることができたってことで、とても幸せな休日だった。



2003年11月08日(土) 総選挙直前

 今から京都へ笠井叡舞踏公演(8日午後5時開演)を観に行ってきます。そのまま京都に一泊し、明日は笠井さんのワークショップに参加予定。合間に京都観光もできるといいなあ。

 てなわけで、明日の投票日には名古屋にいないので、今日不在者投票をしていきます。今回の総選挙、報道では「『自民』と『民主』のどちらを選択するのか、政権選択選挙だ」などと言われ、「自民優勢」と伝えられてもいる。「共産」「社民」は埋没した感がある。今後は「二大政党」に収斂していくのだろうか。でも、そうなるとますます少数意見は軽んじられ、政治に民意を繁栄させることは難しくなる一方だろう。現行の選挙制度には問題がありすぎるよね。
 それと、最高裁裁判官の国民審査て、まったく機能していないよね。あれ、何とかならないのかな。

 「曙、k-1に参戦」だって? こっちの話題のほうが選挙より盛り上がっているような気がする。一度、「総合格闘技」ってやつを観てみたいよな。でも、どちらかというと俺は、どこか胡散臭さのあるプロレスのほうが好きではあるんだな。



2003年11月02日(日) チャリンコ族、秋の街へ

 今日は午前中ウダウダと家で過ごし、午後から自転車で出掛けた。

 まずは、池下にある古川美術館と為三郎記念館へ。古川美術館の展示(11月3日まで)は「平松礼二展」、印象派画家モネに着想を得たジャポニスムシリーズを軸にした展覧会。印象派の絵って、近くで観るより7、8メートル離れて観たほうが美しいんだよね。
 為三郎記念館は、数寄屋造の邸と日本庭園がとってもステキで、一歩足を踏み入れると時間の過ぎ方がゆったりした感じがする。こんな邸宅に住んでみたいよな〜。ここでは、面打師・小島旺雲の制作による能面が展示されており、しばし幽玄の美に触れた。

 その後、栄に移動し、日本の本格派ロックグループ「ソウル・フラワー・ユニオン」のCDを購入。夕食をタイ料理屋で済ませてから、鶴舞で古本屋めぐり。絶版になっていた石和鷹(今は亡き「最後の無頼派」とも呼ばれた小説家)の小説『地獄は一定すみかぞかし 小説暁烏敏』を発見し購入した。こうした思わぬ出会いが古本屋めぐりの楽しみだと思うんだな。

秋の一日を自転車で自在に駆け抜けた、ってとこかな。
 
 


 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]