夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2003年09月28日(日) よく晴れた日曜日、声高らかに

 最終日曜の今日、午後からちょっとそこまで、詩の朗読に行って来ました(「ぽえ茶」)。

 1巡目は、フォークシンガー・友部正人の詞(「9月2日の日記」をご参照ください)の朗読と、故・山崎方代(私の郷里である山梨県・中道町出身の放浪歌人)の短歌の朗読をした。山崎方代は、最近「静かなブーム」になっているらしく、文藝春秋から『こんなもんじゃ』というアンソロジー(歌集)が出ている。方代の歌は漂白をモチーフにした口語風の文体で、とてもわかりやすい。楽天的で、どこかすっとぼけたような作風だが、親しみやすく、胸にストンとおちてくる。ちょっとだけ方代の歌を紹介しておこう。

  私が死んでしまえば
   わたくしの
    心の父はどうなるのだろう

  もう姉も
   遠い三途の河あたり
    小さな寺のおみくじを引く

  地上より
   消えゆくときも人間は
    暗き秘密を一つ持つべし

 で、2巡目は、先頃「方代の里なかみち短歌大会」に出品した私自身の短歌を中心に朗読した。それもちょっとだけ披露しておこう。

  うつしみのくびきを解かれ
   祖父の待つ天に舞いゆく
    祖母のたましい

  見送りの人に手を振り
   わが祖母は
    銀河ステーション いま旅立ちぬ

 それから、他の参加者が「外郎売り」(滑舌を鍛える等のために、芝居の稽古ではよくやられている)なんぞやったものだから、役者でもある私にも「やれ」という声がかかり、あまりやりたくはなかったのだが、さわりをちょっとだけやった。

 それで、3巡目は、『イラク高校生からのメッセージ』(講談社文庫)という本のなかから、イラク戦争下で高校生が綴った切実な訴えを紹介し、続けて即興詩「夏撃波版・イマジン(未完成)」を発表した。特別に、「夏撃波版・イマジン(未完成)」を披露しよう。

  想像してごらん
  地上は地獄の苦しみに満たされている
  民衆は戦闘のなかを逃げまどい
  兵士は恐怖におののき
  権力者は高笑いをする

  想像してごらん
  誰もがまる裸で生まれてくる
  民族も宗教も国家も関係なく
  銃弾には血を流し
  悲しみには涙を流す

  アメリカの暴走を
  世界の狂気を
  人々の悲しみを
  一体誰が止められると言うのか
 
 というわけで、よく晴れた日曜日、私は声高らかに詩歌を詠んだのであった。



2003年09月27日(土) はじめての文楽

 今日、中日劇場に文楽を観に行った。前々から興味はあったが、生で観るのは今回が初めて。だいたい文楽は東京・大阪以外では公演が少なく、したがって観る機会も限られているわけだ。今日は宿直明けで眠くはあったが、この機会を逃すまいとがんばって劇場に足を運んだ。
 途中眠くもなったのだが、今日の演目が歌舞伎でもおなじみの「絵本大功記」ということで、内容的にも見やすく、十分に楽しめた。歌舞伎とはまた違った魅力があるというか、技術的には神業としか思えないことをかなりやってるね。なんたって、一つの人形を3人で動かして、それが人形であることを忘れさせるような、情感豊かに生きている人間であるかのような動きをするわけだから。それに太夫の語りと、三味線弾きが一体となって、ひとつの世界を創り上げているわけだから。

 来月も、いろいろと劇場通いを計画中。いちばん近いところでは、1日の白石加代子「百物語」だね。
 明日は、「ぽえ茶」(詩の朗読会)に参加予定。



2003年09月24日(水) 祖母の葬儀

 22日昼、「母方の祖母がショートステイ先で息を引き取った(享年87歳)」との連絡が母から入った。ちょうど勤務中だったが、事情を説明し、急遽休みをとって実家の山梨に急行した。
 23日通夜、24日葬儀という日取りだったが、あわただしく時は過ぎた。老いと死について、何かと考えさせられた日々でもあった。生前の祖母と、私はいかなる関係を取り結んできたであろうか。今となっては悔いることばかりだ。名古屋に戻ってからも、祖母との思い出が繰り返し浮かんでは消えていった。

 思いはあれやこれやとつのるばかりだが、ここでひとつ言及しておきたいことがある。それは、私の兄のことでもあるのだが、祖母にとって兄は初孫でもあり、特別な思いがあったに違いない。兄が3歳の頃「自閉症」との診断を受けたことは、祖母にも衝撃を与えたであろう。それでも、以後40年近い歳月を経るなかで、祖母と兄とは深い絆で結ばれていった。祖母の死を兄がどんなふうに受け止めているのかはよくわからない。けれども、通夜・葬儀に参列し、何かを感じ取ったことであろう。
 よく「障害者」が冠婚葬祭の場に出席できない等という話を聞いたことがある。きょうだいの結婚式の時にも、おじいちゃん・おばあちゃんの葬儀の時にも、どこかに預けられてしまうケースが少なくない。事情はさまざまかもしれないが、大きな原因のひとつが「世間の目」ということになるのだろう。でもね、祝いの席にも葬式にも出られないなんて、おかしいことだと思うよ。「障害者の社会参加」なんて掛け声が聞かれるようになって久しいが、悲しいかな、「社会参加」の現状はそんな程度だ。
 実を言うと、幼かった頃の私も、兄の存在を「世間の目」に触れられぬよう隠したいという思いが強かった。そんな私の思いを知ってか知らずか、両親は兄のことを恥ずかしいと思うことなく人前にドンドン出していった。だから、結婚式にだって、お葬式にだって、私が出席するようなものに兄も出席するのは当たり前すぎるくらい当然のことであった。今となってはそうした両親の対応を私は誇らしく思う。兄もまた、社会の一員に相違ないのだから。
 たとえ年老いて身体の自由を失おうが、たとえ障害を持って生まれようが、人はそれぞれに自らの人生を全うする義務を負っているのだと思う。と同時に、そうした一人ひとりの人生をサポートする義務を社会の側が負っているのだとも思うし、それが「社会福祉」の根本であろう。今日の「社会福祉」がその点においてどこまで機能しているのか、疑問に思うことは多い。でもね、何事も根本に立ち返ってみることは大事なことだと思う。



2003年09月21日(日) 突然炎のごとく

 最近、立て続けに映画を観た。
 フランソワ・トリュフォー監督の名作『突然炎のごとく』は、フランス映画の典型みたいな映画っていうのかな。フランス語のリズムといい、物語展開といい、理屈とかじゃなくて感覚に訴えかけてくるような作品だね。
 『永遠のマリア・カラス』は、20世紀を代表するオペラ歌手マリア・カラスの生きざまを描いた作品だが、主演のファニー・アルダンがマリア・カラスに憑かれたかのような熱演ぶりであった。蛇足だが、映画中にも出てくる『カルメン』てオペラの中のオペラだね。マリア・カラスを生で聴いてみたかったよ。
 河瀬直美監督(1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞)の最新作『沙羅双樹』も一見ドキュメンタリーを思わせるような作りだが、古都・奈良を舞台に展開する河瀬ワールドに思わず引き込まれた。
 映画って一度見始めると、立て続けに観たくなるものなのね。

 話はまったく変わるが、今日早番の勤務が終わってから、思い立って一人でカラオケ・ボックスに行った。3時間も歌い続けてしまったよ。十八番なんていろいろあってこれとは言えないのだが(だからこそ3時間も歌えるのだ)、締めくくりに歌う曲は大抵の場合、私が勝手に「大阪シリーズ」とか「沖縄シリーズ」とか「ニッポンを休もう!シリーズ」などと呼んでいる歌のいずれかになる。ちなみに、今日は70年代フォークを中心に歌い、最後を「悲しい色やね」「大阪で生まれた女」で締めくくった。ちょっと疲れたけど、気持ちよかった。歌には、ホント救われているよ。

 人生とは、突然炎のごとく、ってことなんだろうね。つまり、永遠の時のなかでほんの一瞬、光や熱を放って燃える、ってこと。自分のなかにたえず炎を燃やし続けたいと思う今日この頃であった。



2003年09月17日(水) 青春を置き忘れた街

 今日は休みだったんだが、ちょっとだけ仕事して、歯医者や床屋さんに行ってるうちに夕方になってしまった。
 夕方からは、鶴舞の愛知県勤労会館に、鳥肌実の時局講演会「ニイタカヤマノボレ」を観に行った。いわゆる右翼の演説のパロディーだが、そこそこ面白かった。まだ一度も観ていらっしゃらない方には、「一度くらい観てもいいと思うよ」「俺はもういいけどね」とでもお伝えしよう。
 帰りに鶴舞駅前の中華料理屋(というかラーメン屋)でワンタンメン食べて帰ってきた。鶴舞は、13年前俺が名古屋に来て初めて住んだ街。よく鶴舞公園に繰り出して、ギターかき鳴らして歌ったり、踊り狂ったりもした。あれからもう10年以上の年月を過ごしてきてしまったとは、俄に信じがたい。
 あの頃とは変わったこともいろいろけれど、今も俺は夢を見続けているんだ。



2003年09月15日(月) 阪神半疑?

 15日、阪神が優勝を決めた。本当に痛快だ。
 年々プロ野球はつまらなくなっていると思っていた。その原因は、「札束攻勢」で他チームの主力選手を獲得していた巨人(恥知らずにも程がある)にあると断言する。今年、その巨人がここまでのところ無惨な成績を残している。今のやり方を変えない限り、どこまで行っても巨人はカッコ悪いゼ。
 私には贔屓の野球チームはない。敢えて言えば「アンチ巨人」となるのだが、それは好みというよりか思想に近い。札束をちらつかせ手段を選ばずに選手をかき集めてくるそのやり方は、どう考えてもフェアじゃない。どことなく今日の世相を反映していると言うのか、「ルールなき資本主義社会」を見せつけられているようでもあり、気分が悪い。でも、そんなやり方がいつまでも罷り通るはずはないと思っている。
 そうした意味では、今期の阪神の優勝は喜ばしいかぎりである。



2003年09月14日(日) 9.11そして9.17

 2年前のニューヨークでの同時多発テロと、それに続く報復の連鎖。1年前の日朝首脳会談で北朝鮮側が公式に認めた日本人拉致の事実と、その後の過熱する北朝鮮報道。「正義」の名の下に公然と行われる<暴力>は、あまりに見苦しい。いいかげんに目を覚ませ、と言いたいよ。想像力の欠如、そのひとことに尽きると思うよ。
 例えば、アメリカがアフガニスタンやイラクに対して行った攻撃によって、アフガンやイラクの罪なき民衆はどれほどの犠牲を強いられたか。「『大義』の前には多少の犠牲はやむを得ない」などと言う人々には、万が一にも自らがイラク民衆の立場と同じ状況に立ち至った時にそれとまったく同じ言葉が言えるのか、と問いたい。だいいちアメリカによるイラク侵攻には「大義」すらない。それなのに「北朝鮮の脅威」におびえ、闇雲に「アメリカ支持」を打ち出した日本政府は見苦しいし、その政府の姿勢を支持する日本国民というのもまったくもって醜悪だ。
 でもね、まっとうな感覚を持った人もいるんだな。森達也氏(ドキュメンタリー映画『A』監督)は、その著書『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』のなかで、こんなことを言っている。

  オウムの信者のほとんどが善良で穏やかで純粋であ
 るように、ナチスドイツもイラクのバース党幹部も北
 朝鮮の特殊工作隊員たちも、きっと皆、同じように善
 良で優しい人たちなのだと僕は確信しているというこ
 とだ。でもそんな人たちが組織を作ったとき、何かが
 停止して何かが暴走する。その結果優しく穏やかなま
 まで彼らは限りなく残虐になれるのだ。でもこれは彼
 らだけの問題じゃない。共同体に帰属しないことには
 生きてゆけない人類が、宿命的に内在しているリスク
 なのだと思っている。つまり僕らにもそのリスクはあ
 るのです。

 人間とは悲しいかな、本当に弱いものである。被害者にだって、加害者にだってなりうるのだ。むろん犯した罪は裁かれるべきものであろう。だが、加害者を断罪してすべてが解決するわけではない。人間は、善も悪も併せ持った存在である。もっと言えば、大なり小なり(その大小の違いが非常に大きな差であるとは思うが)その加害者性を発揮せずに生きられる人間など存在しないのではないか。問題を他人事とせずに、常に自分に立ち返って考えてみることが必要だと思うのだが・・・。



2003年09月07日(日) 友川かずき・福島泰樹ジョイント・ライブへ

 今池のライブハウス「得三」で友川かずき(「伝説のフォークシンガー」)と福島泰樹(絶叫する歌人)のジョイント・ライブがあるというので、出掛けて行った。
 福島の「短歌絶叫ライブ」は以前観たことがあり、「まあ、一回観れば充分やな」という程度の内容だったので、今回のお目当ては友川だったのだが。特別悪かったわけでもなく、それなりに楽しんではいたのだが、だからといって特に感想らしきものもない。福島の単調な感じに比べれば断然友川のほうがよいのだが、数日前に観た友部正人のライブに比べてしまうと感動が薄くなってしまうんだな。
 休みはアッという間に終わり、明日からは仕事。今はただただアンニュイ。



2003年09月02日(火) 友部正人の世界へ

 今夜、名古屋クラブ・クアトロにて友部正人ライブが行われた。「日本のボブ・ディラン」などと呼ばれることもある孤高のフォーク・シンガーの演奏は詩情にあふれ、想像を大いにかき立ててくれた。
 昨今ちょっとした「フォーク・ブーム」でもあるようだが、その実情は「ホンモノの和製フォーク」から「フォークもどき」(例えば「19」とか)まで玉石混交の状態にあると言えよう。ホンモノを見抜く力はぜひとも養いたいものである。友部は「売れないアーティスト」の部類に入るのかもしれないが、素晴らしいアーティストだ。その魅力を十分に伝えられないのがもどかしい。
 詞は演奏されてこそ「完成品」と言えるのだが、詞の一部を紹介することで友部の魅力の一端が伝えられればと思い、以下引用してみた。

 大道芸人は路上をめざす
 けっして舞台になど上がらない
 炎天下だって氷点下だって
 衣装はいつだっておんなじだ
 赤い着物で踊り狂えば
 世界中の車が交差点でブレーキを踏む
 (「大道芸人」より)

 父のいない子は、愛について考え続ける
 夫のいない母も、愛について考え続ける
 愛について考えることで、ふたりはむすばれている
 (「愛について」)

 そう言えば、友人を介して最近知り合った友人と偶然にライブ会場で会った。彼は友部のライブを20回くらい見ているらしい。「違いがわかる男」やな。たとえ少数でも「いいものはいい」と熱狂的なまでに評価する人がいるってことだね。
 うまい酒を飲むか、まずい酒を飲むかによって、人生の楽しみは大きく変わってくる。音楽だって同じ事さ(何という喩えであろうか)。何事も出会いが大切ということでもあるのかな。
 まあ、このいい気分のまま、今日は眠りに就くとしよう。おやすみなさい。



2003年08月30日(土) 夏は去りゆく?

 昼、ブロードウェイ・ミュージカル『ウェスト・サイド・ストーリー』(ミラノ・スカラ座バージョン)の来日公演を観てきた。芝居好きの私も、実はミュージカルが苦手。今まで観てきたミュージカルの代表が「劇団四季」。「四季」のミュージカルって、「地に足がついていない」というか「身の丈に合っていない」というのか「押しつけがましい」という印象が強くて、それがそのままミュージカルへのアレルギーにつながっているんだろうな。
 で、今回の『ウェスト・サイド・ストーリー』だが、「劇団四季」のミュージカルなどとは違い、ごく自然な感じで演じられているとの印象を持った。この「ごく自然な感じ」というのは難しいことではあるが、「自然に」演じられることにより観客の側も物語に入り込めるのだと思う。ブロードウェイ・ミュージカルの最高傑作の魅力を損なうことなく演じられていたかが、おそらく成否の分かれ目であろう。
 今回、『ウェスト・サイド・ストーリー』がよく出来た作品であるとの認識をあらためて強く持った。シェークスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにしながら、設定をニューヨークのウェストサイドに置き換えたとされるミュージカルだが、その面白さはシェークスピア作品に決してひけをとっていない。ギャング同士の抗争のはざまに揺れる男女の恋の物語がメインであるが、背景にアメリカの社会病理、とりわけ人種問題が浮かび上がってくる。大上段に構えて「社会問題」を訴えるタイプの芝居と異なり、ステージそのものの面白さと相まって心に何かを残してくれるのだ。まあ、今回はホンの力が大きかったと思う。少なくともホンの魅力を損なわない舞台であったとは言えるが、演者に対してはもっと多くを注文したかったな。

 夕方、今池「TOKUZO」にて「シカラムータの突然変異」ライブを楽しんだ。「ソウル・フラワー・ユニオン」などにも参加していた大熊亘(クラリネット奏者)をリーダーとした「チンドン・パンク・ジャズ」集団のライブは楽しかった。でも、「ソウル・フラワー」の中川敬のボーカルを聴きたいという思いにとらわれたな。

 それにしても、もう8月も終わり、夏は去りゆこうとしている。それとも、まだこれから暑さが到来するのかな? やれやれ、時が過ぎゆくのは早いものよのう。


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