仕事は相変わらず忙しいが、その合間を縫って最近は映画を観る機会が多い。 最近観たなかで印象に残っているのが、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』と『白百合クラブ東京へ行く』だ。 前者は、制作中止に追い込まれたテリー・ギリアム監督の映画『ドン・キホーテ』の制作現場を追ったドキュメンタリー。ロケ地での洪水等の被害や主演の入院等、多くの災難に追い込まれながらも映画『ドン・キホーテ』にかける夢を追い求めようとするギリアム監督の姿そのものが、まるでドン・キホーテそのもののように映った。それと、このドキュメンタリー自体がとてもドラマチックで映画的。未完の『ドン・キホーテ』の見事なまでの「予告編」となっており、映画『ドン・キホーテ』が完成した折にはぜひ観たいものだという思いを起こさせた。 後者は、第二次世界大戦直後に石垣島で結成し今日まで57年に亘る活動を続けている楽団「白百合クラブ」が初の東京公演(ザ・ブームとも共演)を行うまでのプロセスを追い続けたドキュメンタリー。年老いてなお心から音楽を愛し、ステージでいきいきとしてパフォーマンスを繰り広げている姿は、観る者に元気を与えてくれる。 以上の2作品はまったく傾向の違った作品に仕上がっているが、ともに訴えかけてくるのは「生きている以上は夢を持ち続けよう」という力強いメッセージではないかと思う。 私もまだまだこの先ひと花、ふた花咲かせなければ。そんな思いを持ち続けていきたいものである。
| 2003年08月13日(水) |
ナゴヤ・ブルージー・ナイト |
音楽の趣味が合う女友達(かつての仕事仲間)と木村充揮ソロ・ライブ(新栄「アポロハウス」)に行った。木村充揮と言えば、元「憂歌団」のボーカリストであり、日本語ブルースの草分け的存在である。大阪的なノリと言うのか、お客との掛け合い漫才のようなMCも彼ならではの味ではあるが、渾身の力を込めて彼独特のダミ声で歌う姿はとてもソウルフルかつブルージーである。 日本の風土に根ざしたディープな日本語ブルースを歌い始めたのが、在日コリアンというルーツを持ちながらコテコテの関西人でもある木村だった。不思議と言えば不思議だが、歴史的必然と言えば必然であったかもしれない。 やはり魂に訴えかけてくるような歌というものは、聴いていてホント気持ちいいもんだね。歌に救われることって多いな〜ってホント思うよ(芝居によって救われることもあれば、もちろん人によって救われることもあるけど)。 そして、ライブが終わった後は、旨い酒だね。ほろ酔い気分で、憂歌団の「嫌んなった」を歌えば、幸せやね。
嫌んなった〜 もう駄目さ〜 だけどクサるのはやめとこ〜 陽の目を見るかも この俺だって〜
| 2003年08月12日(火) |
自分が自分であるために |
せっかくの5連休、どこかに遊びに行きたい気持ちもありながら、日頃の疲れがドッと出て、今日も自宅でウダウダ。 でも、本を読んだよ。阪井由佳子『親子じゃないけど家族です〜私が始めたデイケアハウス』をイッキに読み、いま鷲田清一『老いの空白』の冒頭を読み始めている(厳密には、他にも何冊か並行して読み進めているが)。 ひとの支えあいというものが介護というかたちでしか表象されないというのは、<老い>にとって不幸なことである。(中略)じぶんはお荷物、厄介者でしかないのではないか・・・と思いつめながら生きるというのは苦しいことである。が、この時代に、そういう思いにとらわれることなく老いえているひとが、はたしてどれくらいいるだろう。(中略)<老い>の場所はない、ほとんど空白になっているというのが、寂しいけれどいまの<老い>のかたちなのではないか。そういえば、「居場所」というものに、この時代、老人だけでなく若者もまた渇いている。(鷲田前掲書より引用)
う〜ん、日頃私が感じていたことがそこに書かれていた。そうなのだ。<老い>が介護問題だけに矮小化されて語られてあることへの違和感。単にケアの対象としてしかとらえられていない高齢者に対する社会のまなざし。そこには、<老い>をいかに主体的に生きるべきかという視点が欠如している。「老人福祉」の名の下に行われていることのなかに違和感を覚えることも少なくない(老人を「子供扱い」しているとしか思えない場面はたくさんある)。まあ、私のフィールド(?)とも言うべき「障害者福祉」の現場においても同様のことは言えるのだが。
阪井前掲書も共感しながら読んだ。富山の「デイケアハウスにぎやか」の代表でもある著者が、知り合いの身障者に「自立とは何か?」と質問したところ、「自分が自分であること」という答えが返ってきたという。だが、他人の手を借りながらも主体性を持って生きるということは現状かなりの困難を伴っているとも言える。 例えば、「障害者施設」で生活する一人ひとりの障害者に対して、施設は本人の希望や意思とは関係なく「支援計画」なるものを決定する。障害者一人ひとりの思いに寄り添うことなく、逆に施設側の都合を押しつけるということも少なくないというのが現状だろう。もちろん、それでいいわけはない。けれども、この問題の根は実に深いのだ。意外と知られていないことだが、「福祉の現場」において<主体的に生きる>という視点は絶望的なまでに欠如していると言わざるを得ない。年をとろうが、障害があろうが、本人が自らの生き方を選び取っていくべきなのだ。そのことに対する自覚を持つことが「福祉」に携わる人間に最低限必要なことだと、私は思う。 偉そうなことばかりは言えないけれど、少なくとも他人の痛みに対して常に想像力を働かせていきたい。それと、自分が決して譲れないという部分を大事にしたいとも思うのだ。
| 2003年08月10日(日) |
何もできなかった・・・ |
今日から連休に入った。予想していたとおり、ホッとして疲れが出たのか、今日は一日爆睡。目覚めても、何ひとつやる気が起きなかった。かくして何もせぬうちに一日は終わってしまった。 思えば、この1ヶ月余り、新たな職場での仕事に戸惑いながら過ごしてきた。何だか訳もわからぬうちにアッと言う間に1日が過ぎ、1週間が過ぎ、といったふうであった。 ホントはもっと余裕がほしいのだけれど、人事異動に伴い、生活パターンの変更を余儀なくされ、その生活に身も心もついていけていない状況にある。今は気持ちの上でも苦しいが、いや苦しいがゆえに逆に自分らしさを失わずにいきたいと思うのであった。
| 2003年08月03日(日) |
むすめ歌舞伎、大野一雄、スーパー一座・・・ |
8月になってから、だいぶ夏らしくなり、と言うか、急に暑くなり、身体がついていかない。ついでに歯痛で夜も眠れず、痛み止めも効かずに、苦痛の表情を隠しきれない。 そんな不快な状況にありながら、今日は芝居見物なぞに出掛けてしまった。午前中は「名古屋むすめ歌舞伎」公演を千種文化小劇場へ、午後「大野一雄」小公演を愛知県芸術文化センター(アートスペースA)へ、夕方「スーパー一座」の大須オペラ公演を大須演芸場へ、それぞれ観に行った。3つの公演とも、それぞれに素晴らしい公演であった。
まず、「名古屋むすめ歌舞伎」。今年は歌舞伎発祥400年にあたるようだが、7年ほど前初めて歌舞伎の面白さに目覚めさせてくれたのが「名古屋むすめ歌舞伎」だった。文字通りの「むすめさん」も「かつての、むすめさん」(失礼!)も含めて女性ばかりで演ずる歌舞伎集団だが、ベテラン勢の立ち居振舞いはご立派としか言いようがない。今回はいつもに比べてこぢんまりとした印象が強かったが、それでもまあまあ満足のいく内容であった。
さて、順番から言えば、大野一雄に触れるべきところだが、それは後に十分触れたい。先に、「スーパー一座」の大須オペラについて。 毎回それなりに面白くハズレはないのだが、今回は特に面白かった。特に、今日は千秋楽ということもあったのだが、演者も観客もノリにノッて劇場全体が異様な盛り上がりを見せていた。途中休憩をはさみ、2時間超の舞台をパワフルに演じきっていた。実は観ている間歯痛に喘いでいたりもしたのだが、舞台の面白さに腹の底から笑っていた。
さてさて、大野一雄について触れよう。96歳にして現役の舞踏家、故・土方巽とともに舞踏の第一人者とされる人物である。 10年ぐらい前だったろうか、大阪で「劇団態変」(身障者舞踏集団)と共演した大野一雄の踊りを観た。80歳代後半とは思えぬ身体のキレ、大野が醸し出す濃厚な空気に感じ入った。 大野は2000年に入院生活を送り、以後車いす生活を送っているという。身体は以前のようには動かなくなってしまったが、ひとたび舞台に立てば自然と踊り始めるのだ。下肢の自由は利かず、「指先を動かすだけの」踊り。果たしてあれを踊りと呼ぶべきか、異論もあるかもしれない。だが、私は大野の今日の「踊り」こそが「究極の、踊り」と呼ぶべきものであり、大野こそは「全身舞踏家」であると確信を持った。 大野の指先は表情を持ち、指一本で周りの空気を動かすのだ。大野の精神は所狭しと駆けめぐっているかのようだった。大野自身の生きている証を、燃え尽きることのない情熱を、その生きざまを目の当たりにしたように思った。 息子の慶人(舞踏家でもある)らに支えられて踊る姿は、文楽の人形遣いによって魂を吹き込まれた人形の踊りのようでもあった。 会場全体が感動にうち震えているかのようであった。私も、感動のあまり、絶句してしまった。ここまでの感動には、そう簡単には出会えない。その「歴史的場面」に居合わせることのできた歓びをかみしめている。 と、今日は何とも素敵な一日だった。ただひとつ、歯痛に苦しめられたことを除けば。
気がつけば、もう10日以上更新していなかったのですね。忙しかったというよりは、気持ちの上で余裕がなかったわけでして、休みの日なども何事かしようという気も起こらないような状態でした。体力的にもつらいですし・・・。と言っても、ライブとかも行ったし、映画にも行ったし、今日は「ぽえ茶」(詩の朗読会)に参加しました。 「ぽえ茶」では、中森明菜「少女A」の朗読、『開かれた扉〜ハンセン病裁判を闘った人たち』という本の帯に書かれた文の朗読、そして即興詩の朗読を行いました。朗読にはまだまだ開拓されていない分野がいっぱいあるように思います。というか、表現というものには限りない可能性があるということでしょうけど。 それにしても、もうすぐ8月だというのに、まったく夏らしくありませんね。8月に入ったら早速、名古屋むすめ歌舞伎と大須オペラ(スーパー一座)を観に行きます。 脈絡のない文章になってしまいましたが、今の私の生活そのものが脈絡がなくなっているとも言えるのでしょう。
| 2003年07月16日(水) |
慣れること、慣れないこと |
新たな職場に異動して半月が過ぎた。まだまだ慣れないことも多く、戸惑う毎日が続く。前の職場とは気を遣う点が違う。まあ、どちらがいいとか悪いとか一概には言えないが。 今の職場に早く慣れればそれだけ早く楽になるとは思うものの、一方では完全に慣れきらないでいたい気持ちもある。慣れるとは、逆に言えば、マンネリに陥るということだ。大切にしたいと思っている自らの思いを忘れずに、周囲の人々と協調していきたい。 いい意味で「わがままでありたい」と思う昨今である。
| 2003年07月14日(月) |
「新宿梁山泊」観劇計画決行 |
今年も、田原町に「新宿梁山泊」の紫テントがやってきた。今回の公演は、唐十郎作品「唐版・風の又三郎」だ。3時間を超える上演時間、終演時には終電は終了しているというので、その夜は豊橋のビジネスホテルを予約しておいた。何しろ昨年の公演が素晴らしかったので、そうまでして観に行きたかったのさ。 結論から言うと、ちょっと期待はずれではあった。ある程度の水準は保っていたと思うけど、昨年の公演に比べてしまうと不満の残る内容だった。主演の近藤結宥花がいまひとつ乗りきれていなかったようだし、全体的にもややパワー不足に思われた。 でも、客演の大久保鷹はよかった。そこに存在するだけで十分魅せる役者だと思ったね。 これからも、梁山泊の芝居は観つづけるつもりだし、もっともっといい芝居ができるはずだと信じている。
で、豊橋で一泊して、今日は午後から夜9時すぎまで仕事であった。新たな職場環境にもローテーション勤務にもまだまだ慣れていないし、疲れることは多いが、この前までの職場の時より早く帰宅している。まあ、どっちがいいとは一概には言えないけど。 でもって明日はお休み。と言って計画はなく、骨休めと部屋の片付けってとこかな?
仕事の疲れはなかなかとれないが、でも、どっかで楽しみの時間は持ちたいもの。芝居は特に活力を与えてくれる。この世にいい芝居がある限り、私は今日も元気に生きていこうと思うのさ。
| 2003年07月11日(金) |
24時間、闘えますか? |
夕方6時、家で寝そべっていると、電話のベル。受話器を取ると、いきなり「曽根攻さん、いらっしゃいますか?」 おいおい、まずは、自分の名を名乗れよ。「失礼ですが、どちらさまですか」と尋ねると知り合いにもいそうな苗字だったので、そのまま用件を聞き始める。案の定何かの勧誘のようだったので、適当な事を言って、早めに電話を切った。いくら温厚な私であっても、礼儀知らずの輩にはそれなりの対応をするぜ(事と場合によっては、考え得る様々な方法を用いる)。
新たな職場に異動して10日ほどが過ぎた。まだまだわからないことだらけだが、雰囲気には何となく慣れてきた。で、昨日から今日にかけて「宿直勤務」。まあ、いろいろとすべき仕事はあって仮眠2時間。昨日の午前9時前に職場に入り、今朝職場を出たのが午前10時過ぎ、都合25時間ぐらい職場にいたことになる。帰宅後、早めの昼食をとり、本格的な睡眠をとる。夕方目覚めるが、一瞬夕方なのか朝なのか判然とせず、テレビをつけ、新聞のテレビ欄と照合してみる。あぁ、夕方でよかったぁ〜(すぐにまた出勤しなければならないかと思い焦っていたので)。 それにしても、新しい職場にはまだ慣れず、あたふたとすることが多い。毎日、一日の勤務が終わってみると「たいして何もしないうちに、アッという間に一日が終わってしまった」という感想をもつことばかりだ。
やれやれ、芝居からはますます遠ざかるばかりで、私の精神バランスもどこまでもつことやら、さっぱりわからない。 何とか社会的に適応しつつも、根っこの部分ではわがままな(わがままは本来の意味においてはいいことだと思う)私は、現在内面的には危機的状況にあると言ってもよい。でも、そうした状況をええ加減にやりすごすのではなく、しっかりと向き合ってみたいと思う今日この頃である。
仕事が終わってから、職場の同僚数人と飲みに行った。でも、私は神経性胃炎みたいな症状があって、あまり食が進まなかった。 その後、流れてカラオケへ。「涙そうそう」「さとうきび畑」「I LOVE YOU」(尾崎豊)「もののけ姫」などを熱唱。疲れを忘れて、しばし楽しい時間を過ごした。まあ、人生、楽しみもなければ辛いからね〜。
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