夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2003年04月12日(土) 心にハリを、生活に潤いを

 「pHー7」4月公演がスタートしました。でも、私は仕事に追われ、なかなかそちらには行けないでいます。今日も一日仕事をしていました。充実感とか達成感とか労働の喜びとは程遠く、ただただ積み上げられた仕事を一つひとつ片付けていっているだけの毎日です。心は渇ききって、干からびてしまいそうです。潤いが欲しいよ〜。こんな時にこそ、私には演劇や音楽が必要なのです。でも、明日もアトリエには行けないかな。この忙しさ、いつまで続くのか見当もつきません。
 最近は、仕事の行き帰りの電車の中で詩集を読んだり、家でギターで遊んだりして、虚構の世界で戯れているのですよ。そんなふうにしながら、自分自身であり続けたいと思い続けている今日この頃です。



2003年04月04日(金) 次々に仕事が追いかけてくる

 この1週間はわけもわからぬうちにアッという間に過ぎ去った。職場は人事の異動もあり、業務の担当が変更するなどで、瞬く間に仕事が私の目の前にたまってしまった。それをどう処理していくか大いに悩んでいる。先の見通しも立てられないままに事態だけが動いている。おまけにモノをなくしたりと、ついてないことばかりだ。
 世界に目を向けても、気を落ち込ませるようなことばかり。
 今、私はどこに救いを求めたらよいのだろう・・・。

 でも、『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を獲ったのはよかったし、同じくアカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門の受賞作『ボウリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーア監督が授賞式の際に「ブッシュは恥を知れ」と発言したことには微かな希望を感じた。

 決して悪いことばかり続かないと信じたい・・・。
 (ごめんなさい、つい愚痴っぽくなってしまって)



2003年03月30日(日) 春の波濤

 知らず知らずのうちに桜もだいぶ花が開いてきているようですね。いい季節のはずなのに、私にとっては辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、淋しいこと等々が多くて(身近な仕事のことやプライベートから世界情勢に至るまで)、花を観る余裕なんて全くと言っていいほどありませんでした。
 と言いつつ、21日の「ローリング・ストーンズ」大阪ドーム公演には行きました。仕事のことは頭を離れなかったけど、1万円超のチケットを既に購入していたので、少し無理矢理にでも行ったようなところがあります。ストーンズと言えば、まずはミック・ジャガーで、次にキース・リチャーズ(私は個人的には「キース派」)でしょうが、今回私はドラムスのチャーリー・ワッツの存在が気になりましたね。ミックやキースにはない不思議な魅力が感じられました。コンサート自体も盛り上がってよかったですよ。かわりに帰ってきてからは仕事に追われましたけど。
 それにしても、この忙しさはいつまで続くのでしょうか。「pHー7」のアトリエにももう1ヶ月以上行っていないし・・・。ところで、4月公演の仕上がりはどこまで進んでいるのでしょうか。気がつけば、公演はもう目前に迫っているではありませんか。結局あまりそちらのお手伝いもできませんでした。
 あ〜あ、何とも物憂げな昨今でありました。



2003年03月20日(木) あまりにひどい話だ

 アメリカ・イギリスによるイラク攻撃が始まってしまった。戦争のもたらす悲劇については繰り返すまでもないが、加えて今回はどこを探しても「大義名分」のない戦争である。
 アメリカは今回イラクを攻撃したのと同時に、全世界に向けて「アメリカのいいなりにならなければ、イラクと同じ目に遭わせるぞ」というメッセージを送ったことになる。だが、そのことによってアメリカが失うものは大きい。9・11のようなことが再び起こっても何ら不思議ではないのだから。
 日本政府にしても、今回は対応を誤ったというべきだろう。小泉首相のコメントなんて、まるで説明になっていない。仮にアメリカとの「同盟関係」の重要性を認めるにせよ、「イラク攻撃反対」の立場からアメリカを諫めることはできたはずだ。独立国であるはずの日本がアメリカに何の意見も言えないなんて、あまりにも情けない。「北朝鮮の脅威」を匂わせ「アメリカとの同盟関係の重要性」を語り「イラク攻撃」を正当化しようとする「論理」は、全くもって論理に欠けている。そもそも「同盟関係」というのであれば、(軍事力などの差はあれ)対等でなければならないはずだ。現実は「アメリカの属国」ではないか(このことを「愛国主義者」はもっと怒っていいはずだ)。こんな調子だと「沖縄の基地問題」の解決はずっと先延ばしのままだろう。
 こんなデタラメが罷り通っていいのだろうか。諦めに近い気分にもなってくるが、私は今後も怒りを持ち続けていこうと思う。



2003年03月17日(月) 世界はがらくたの中に横たわり

 今日職場で施設長より人事異動の発表があった。私自身はこれまでの職場で勤めることとなったが、隣の施設に移る人もあり、今後引き継ぎとか業務分担の変更などでバタバタしそうだ。
 それと、今月20日が提出期限となっていた書類の提出日が24日まで延びた。その分楽になったとも言えるが、苦しむ時間がさらに増えたとも言えた。しばらくは気が抜けそうにないな。実は、21日にはローリング・ストーンズのコンサートを観に、大阪ドームに行くことになっている。随分前にチケットを入手した(奮発した)ので絶対に行くつもりだ。というわけで20日にはある程度仕事のメドをつけたいのだが、そううまくいくかどうか。

 ところで、ブッシュ(アメリカ大統領)、いいかげんにしろよな。小泉(日本国首相)、てめえもだ。別にフセイン(イラク大統領)に肩入れするわけじゃねえ。罪なきイラクの民間人が理由なく殺されることに憤りを感ずるのだ。そんな簡単なことがあいつらにはわからないのだ。
 圧倒的な力を背景に気に入らねえヤツを片っ端から始末するってのが、アメリカの「正義」なのか。そんな「正義」の名のもとに悪の片棒かつごうなんて、日本政府だって恥知らずってもんだ。
 もうどうすることもできないのだろうか・・・。



2003年03月14日(金) スウェーデンからの手紙

 今日帰宅すると、友人からエアメールが届いていた。スウェーデンを旅してるってさ。いいな、いいな。「福祉先進国」などとも呼ばれる彼の地を訪れてみたいものよのう。何事も十分というわけではないと思うが、セーフティーネットがはりめぐらされているという点が「福祉先進国」と呼ばれる所以であろう(だからといってスウェーデンが「理想の国」だなどとは思わないが)。
 私は競争社会というものを全否定する気はないが、それには前提条件があると思うのだ。簡単にいえば、「敗者復活」のチャンスが十分に用意されているかということだ。例えば、リストラに遭ってしまった中高年が別の場所で力を発揮できるか、失意のまま暗い日々を送るのか、その違いは大きい。今日の日本の現実からは、一度つまずいた人間を足蹴にして簡単には起きあがらせないような空気が感じられる。それは個人にとっても、日本社会にとっても大きな損失ではないのか。
 今日リストラを免れた者も、明日は我が身かも知れぬ。転落の人生が待ち受けているかも知れない。そんなことが気にかかっては元気の出ようはずもない。一人ひとりの元気の欠如が日本経済に与える影響は大きいだろう。私が思うに、今日の不況を抜け出るためには、セーフティーネットをより強固なものとし、あらゆるケースにおいて機能するものにしていかなければなるまい。セーフティーネットがしっかり機能することによって、人々はいざという場合の安心感を得ることにもなる。めぐりめぐって日本経済を活性化させる結果になろう。ついでに成熟した文化が花開くかもしれない。というか、心豊かな生活こそが文化と呼びうるものなのだ。
 一通の手紙からそんなあれこれを考えた。



2003年03月10日(月) この人の一体どこが「障害者」なの?!

 昔、私は障害を持つ人達と共同生活を送っていました。今晩、そのなかの一人、Kさんから電話がありました。Kさんとは時々電話で話すのですが、開口一番「失業してまった」とのこと。もう少し事情を聞いてみると、どうも勤め先の工場移転のため通勤が困難となり、職場を辞めざるを得なくなってしまったということらしい。Kさんがその勤め先を気に入っており、また張り切って仕事していたことも知っていただけに、どう声をかけたものか戸惑ってしまいました。私が言葉を失っていると、Kさんは「大丈夫だわ、すぐにいい所、みつかるわ」と自分に言い聞かすように言い、明るく振る舞おうとしているようでした。「そうだよ、Kさんならきっといい所に行けるよ」と私は応えました。
 今日の日本経済の状況について私は承知しているつもりです。そして、それが障害を持つ者に及ぼす影響についても。おそらくKさんもそのことは身にしみてわかっていることでしょう。でも、どこかで希望を見いだそうとしているのです。Kさんのような真面目な人がバカを見る世の中であってはならないはずです。

 Kさんとは6年ほど共同生活を送った間柄ですが、必ずしもいいことばかりではありませんでした。関係がうまくいかない時期もありました。でも、そんなことがありながらも、お互いに認めあえるようになっていきました。知り合った頃のKさんからはどちらかと言うと依存的な面が強く感じられましたが、様々な困難を経験していくうちに力強さを身につけていったように思われました。自信を持っていきいきとしているKさんの姿に、私は驚かされたものです。もともとKさんにはそれだけの力が備わっていたのだと思います。でも、そのことに気づくまでに長い時間がかかりました。
 「健常」の身である私には、「知的障害」を持つ人の苦難を実感することはできません。Kさんも、「知的障害」ゆえにバカにされ悔しい思いを幾度となく経験したことでしょう。幼い頃から「バカ、バカ」と言われ続けた人間が自信を持って生きていくのは並大抵のことではないはずです。Kさんは、つつましやかに生活を送り、ささやかな幸せを感じているようでした。そして、自分の仕事に何より誇りを持っているようでした。失業はKさんにとってショックであったことでしょう。でも、懸命に自分自身を支え、希望を持ち続けようという姿勢には、感服します。私は言いたい。そんなKさんのどこを指して世間は「障害者」と呼ぶのか、と。
 Kさんをはじめ「知的障害」を持つ人々は、日々あらゆる困難な状況の下に置かれています。この世の中、理不尽なことばかりのようにも思えてきます。でも、まんざら捨てたものでもないはず。最後の最後まで希望を信じ続けていきたいものです。



2003年03月09日(日) 鬼畜米英!?

 やらなければならないことはいっぱいあるのに、身も心も疲れてしまって、いまひとつ動きがよくない私であります。特に、今月20日までと期限を切られている仕事があるのですが(決して簡単な仕事ではありません)、それが遅々として進んでいない状況にあります。このことがまず何より気を重くさせています。おかげで「pHー7」アトリエからも足が遠のいてしまって・・・。仕事が年々忙しくなる一方、職員の待遇は逆に厳しくなるばかりで、本当に頭が痛いです。それにまた人事異動もどうなることやら、あと10日ほどではっきりするらしいですけどね。

 毎日ニュースを見ても暗い話題ばかり。
 それにしても、アメリカの「イラク問題」への対応はどう見たって異常としか言いようがありません。そんなアメリカを支持しようとする日本政府だってどうかしています。無理矢理にでも戦争をしようとしているアメリカ・イギリスこそが「ならず者国家」というべきでしょう。アメリカ・イギリスは、今日の世界の混乱をつくり出している張本人でもあります。その点では、フランス・ロシア・中国だって同じ穴のムジナですけど。もちろん、日本だって偉そうなことはひとことも言えないはずです。
 何が真実であるか、常に注意を払いながら、自分の頭で考え行動していきたいという思いをこの間強くしています。

 職場の仕事も大変ではあるけれど、世界の情勢にも無関心ではいられない昨今であります。



2003年02月27日(木) 共鳴する<からだ>

 今年も早2ヶ月が経過しようとしている。職場の仕事は、相変わらず気ぜわしい。今日も会議が長引いた。

 会議が終わってすぐ、私は市内某所に出掛けた。そこでは既に「詩のあるくちびる」という「詩の朗読会」が始まっていた。飛び入りで私も自作の詩2篇(「はずれくじ」「棘はずっと刺さったまんまだ」)を朗読した。芝居と違って、観客の反応はいまひとつ読み取りにくい。それでも司会の方からは「『棘・・・』の詩には感ずるものがあった」との感想が聞かれた。他の人の詩を聞くのも面白い経験だった。

 帰宅後、NHK教育テレビの番組で、舞踏家・大野一雄氏(96歳)のドキュメンタリーを観た。脳梗塞とアルツハイマーに苦しむ大野氏と、彼を支える周囲の人々の姿が映し出されていた。生涯現役を貫く大野氏だが、老いや病が彼に多くの困難を強いる。でも、ひとつ思ったのは、舞台ではその人の生きざまが投影される、ということ。そして、また、舞台の上では不思議な力が作用し、演ずる者に力を与えることもある、という点も。もっと言えば、そうした演者の空気が劇場全体を包み、観客の気持ちや身体に変化をもたらす。もっともっと共鳴したいよ〜ん。

 おしまい。





2003年02月23日(日) 劇団態変『マハラバ伝説』可児公演

 ここ1週間どうも体調が思わしくなく、仕事も一日休んでしまった。今日もさほど調子よかったわけではなかったが、大阪の「劇団態変」が可児(岐阜県)にやってくるというのでその芝居(というか身体表現)を観に行ってきた。
 今回の『マハラバ伝説』は、1960年代茨城県に実在した脳性麻痺者のコミューン「マハラバ村」のムーブメント(やがて内部崩壊するが、村を出た横田弘氏・横塚晃一氏らが1970年代「青い芝の会」によるラジカルな障害者解放運動を展開)をモチーフとした身体表現である。「劇団態変」自体がひとつの運動とも言えるのだが、その「態変」が「障害者運動」をモチーフに表現を創るというので大いに期待していた。結論から言えば、面白くは観られた。けれども、さらに上の表現を望みたい気持ちも残った。
 役者の使い方がうまいとか、音響・照明などが効果的とかいうことはあったが、伝えようとすることがいまひとつ伝わりにくいのではないかとの感想も持った。私は「態変」のような表現形態にも慣れているし、「障害者運動」についてもある程度知っているから、表現しようとしていることがわかるようなところもあった。でも、表現にとって「わかること」が最重要ではないと思うのだ。問題は「何らかの感動が得られたか」ではないだろうか。新鮮な気持ちで観られたシーンも多かったし、面白くはあったが、感動は薄かったな(他の観客がどう感じたかはわからないが)。私自身の期待が大きすぎたかもしれないけどね。
 でも、私はこれからも「態変」を見続けていくつもりだし、当分はファンでいつづけることだろう。決して同情の拍手などはしないよ。だけどね、彼らには人を惹きつけて離さない何かがあるのさ。

 話はまったく違うけど、2月も終わっちまうんだね。職場のほうも、年度末は忙しい。それで4月以降の人事も気になっているんだが、3月も後半になるまで発表しないつもりらしい。まあ、動くにせよ、残るにせよ、4月・5月あたりバタつくことは間違いない。早いとこ、落ち着きたいよ。森繁さんじゃないが「忙しいは、心を亡くすって書きます」からね。
 体がしんどいせいもあるのか、ちょっと楽になりたいな(断じて「死にたい」という意味ではないので、お間違いのないように)。と、ちょっと(だいぶ?)現実逃避した〜い私であった、とさ。


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