夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2003年02月16日(日) 演劇表現について

 「河童塾」公演を観に、今池芸音劇場に行って来た。一昨年に合同公演で共演したメンバーも出演している。そんなよしみもあって観ておこうと思ったわけだ。今回のテーマは、「自然葬」だそうな。簡単に感想を言えば、比較的さわやかに演じられていたように思われたが、一方で「自然葬」というテーマに対する踏み込みがいまひとつ足りないようにも感じられた。この種の芝居は説明的になりすぎると非常につまらなくなるが、一方でテーマの核心部分に十分に触れられていないと観る側としては物足りなさを覚えるものだ。取り上げられたテーマをどう料理するかという点と、それが演劇表現として鑑賞にたえうるかという点が問われると思うのだ。
 私の好きな劇団のひとつに「燐光群」がある。彼らの芝居は「ネオ社会派」などと呼ばれることもあるが、社会的テーマがしっかりと料理されており、それを十分に味わえる仕上がりとなっている。私は、いつも彼らの公演を心待ちにしているし、観に行けば毎回なんらかの満足感を得て帰ってくる。彼らに学ぶものは多い。もちろん、単純に「燐光群」の真似をすればいいというものではない。芝居のスタイルは何通りもあるわけだからね。ただ、いかなるスタイルを選択するかは問われてくると思う。
 何だかんだと言ってみたが、何を表現したいのか、どうすれば他者に伝えられるのかについて十分に吟味してみる必要はある。そして、それが演劇的表現として成立するかということも。
 「河童塾」の方々とは合同公演での共演以来、私たちの公演にも観に来ていただくなど縁もあり、個人的にも好感の持てる人たちだ。だからこそ、いい意味で競争しあい刺激しあっていきたいと願ってもいる。「今回は負けたと思ったよ」「でも必ずリベンジを果たすから」、そんな言葉を言い合える関係になりたいとも思う。その点では率直に言って不十分であったし、もっとがんばれとも言いたい(がんばっていないとは思わないが)。もちろん、脚本・演出の問題もあろうが、役者の身体を通して観客にメッセージが投げかけられていくわけだからね。役者として力量がないわけではないと思うから。
 とまあ、他人様のことを言っているようでありながら、私自身の課題でもありえるわけよ。一日も早くまた舞台に立ちたいものだ。



2003年02月15日(土) ワクワク、ドキドキしたい

 スーパー一座の原座長からお誘いを受けて、数名の方々と可児市創造文化センター(もしや「和泉元弥ダブルブッキング事件」の現場のひとつではないか?)に地歌舞伎公演のリハーサルを見に行ってきた。
 歌舞伎と言えば、御園座などで上演されるものを想像する向きが多いと思うが、日本各地に「地歌舞伎」(素人が仕事の合間を縫って稽古し上演する、各地域独自の歌舞伎)なるものが伝承されている(その数300とも言われる)。プロの歌舞伎役者が演ずるのとはまた違った味があって、なかなか面白いものがある。とはいえ、芝居の質はピンからキリまであり、実ははずれも多かったりする。
 今回の可児の地歌舞伎に関して言えば、個々人の力量の差が随所に見てとれた。
その差とは、「観客の立場から見ていて気持ちいいか否か」という一点に尽きる。例えば、「役者の動きがなめらか」で「止まるべきところでピタッと止まり」「キメるべきところでしっかりキメる」といったことがなされていると、気持ちよく観られる。これは何も伝統芸能に限らず、現代演劇でも同様であろう。

 実は、数年前に長野県に「大鹿歌舞伎」なる地歌舞伎を観に行ったことがあるのだが、これはなかなか面白かった。地域の神社で上演されたのだが、お祭り的な色彩が濃く、村全体でそれを支えようという意識も強く感じられた。知り合いが舞台に出ているということもあってか、観客の掛け声も御園座あたりでは決して聞かれない類のものばかりだった(「よっちゃん、がんばれ」「熊谷、よくやった」等)。それに応えて役者の方も熱演していた。舞台と観客の一体感も楽しい体験であった。

 ワクワク、ドキドキするような芝居に今年まだ出会っていない気がする・・・。



2003年02月12日(水) 面白い芝居を観たいだけさ

 昨日は、一日寝込んでいた。今日はだいぶ回復してきた。
 
 今日の夕方、「宝塚歌劇団・月組」を観てきた。
 感想? 当分は宝塚も観ることもないかな。まあ、ある程度予想してはいたんだけど。一方で、私の事前の予想を裏切ってくれるんじゃないかって、微かな期待もあった。だけどね、1部のミュージカルは何だか安っぽいドラマだったし、2部のレビューもラインダンス以外はいまいちの感は否めなかった。
 終演後、劇場から出てエレベーターでビルの1階に下りていくと、宝塚の追っかけとおぼしき人々が道をあけて両側にズラリと並んでいるではないか。その中央を私はスターのように颯爽と駆け抜けていったよ。まあ、世間では宝塚を支持する人は数多いってことなのね。
 私は、ジャンルを問わず面白いものは面白いと思える人間だが、同様にジャンルを問わずつまらないものはつまらないとしか思えないのだ。今日の「宝塚」は率直に言ってつまらなかった(「劇団四季」よりはマシかも)。あと、「宝塚」とファンの関係も異様に映った。が、「小劇場系劇団」とそのファンの関係も似たようなものかもしれない、とも思った。芝居に真剣に取り組む人間なら、ファンと馴れ合うだけの関係はやめるべきだと思う。また、ファンの側も、つまらないものをつまらないと言うべきだ(それこそが、真の意味でのファンというもの)。
 私自身、もっともっと向上していかなければなるまい。



2003年02月10日(月) なぜか飛び石連休なのだ

 「劇団pH-7」4月公演の稽古も始まっているのだが、ここんとこ仕事がバタついており、平日はアトリエにもなかなか行けなくなっている。今回出演はできないので、裏方にまわることになっている。主には大道具のお手伝い(日曜日を中心に)をしようと思うのだが、一方で細々とでも「役者」としてのトレーニングを続けたいと思ってもいる。で、土曜日などは稽古に参加して、声を出したり、体を動かしたりしておこうというわけだ。

 でもね、ここ最近は土日と言えば、午前中は寝て過ごすことが多かった。なんだか非常に眠たくて、なかなかすっきりしない感じがある。この土日は稽古と大道具手伝いの他、何やったんだっけ。気がつきゃ、月曜。でも、明日・明後日と私はお休みよ。明日は、夕方から稽古に出るつもりだが、昼の間は未定。

 明後日は、有給休暇を取ったのさ。その日の夕方、「宝塚歌劇団・月組」の公演を中日劇場に観に行くことになっている。まあ、一度ぐらいは宝塚も観ておこうと思ってね。

 連休した後のことを思うと気が重くなりそうだけど、今から先のことを悩んでもしかたない。とにかく今を楽しまなくちゃ。明日は明日の風が吹く。明日を思い煩うなってことさ。



2003年02月07日(金) 「ならず者国家」

 今晩テレビで「ニュース23」を見ていたら、画面に大学時代のクラスメートが映っていた。彼は、今ソウルで特派員として生活しているようだ。

 それにしても、このところの「イラク報道」を見ていると、ブッシュ(アメリカ大統領)はどうしてもイラク攻撃をしたいらしい。十余年前の「湾岸戦争」では、あれでもまだ「イラクのクウェート侵攻」という事実があったから「戦争の大義」らしきものはあった(しかし、戦争の犠牲も大きかった)。今回の場合、大義などどこにもない。無理矢理にでも言いがかりをつけて「アメリカのいいなりにならないヤツは潰してしまえ」というだけのことだ。でも、ちょっと賢明な人なら、「戦争」という手段が問題の解決になるどころか、もっと問題を複雑化させるということに気づくはずである。それは、アメリカにとっても益なきことである。
 戦争になって犠牲になるのは、たいてい多くの罪なき人々だ。そうした人々の間にアメリカは今、憎悪の種をまき散らそうとしているのだ。憎悪が再び報復テロとなってアメリカ社会をさらなる恐怖に陥れる危険性をも孕んでいる。アメリカは、9・11から何も学ばなかったのだろうか。
 そもそも、9・11は何故起きたのか。私はテロリズムを肯定するつもりはないし、犠牲になった方々のことを気の毒に思う気持ちもある。だが、一方で9・11は起きるべくして起きたのだと考えている。アメリカ国家に対する反発があのような形で現れたことに違いはないのだから。戦争という手段をとることは、アメリカへの反発をさらに強めるだけのことに他ならない。アメリカにとっても、決して得策とは言えない。「戦争による解決」を主張する人々の頭には、実のところ「問題解決」などという考えはなく、物欲や権力欲といったものしかないようにも思えてくる。
 アメリカの悪口をさんざん言ってきたが、そのアメリカよりももっとカッコ悪いのが日本だ。アメリカの従属物に成り下がっているのは、あまりに情けない(沖縄の基地問題ひとつとってみても、何も解決していない)。そのくせ、自分より弱い者には尊大な態度をとる。そんな最低な人間にだけはなりたくないと思っている私だが、日本という国家の今の姿はどう見ても最低だ。
 でも、私はこれからもこの国で生きていく。決して絶望してはいられないのだ。微かであっても希望を持ちながら、力強く生きていかなければ。



2003年02月02日(日) 人間なんて

 今日は、愛知県知事選挙の投票日。朝早くに俺は投票を済ませた。俺は、間違っても与野党相乗り候補になんぞ投票しない。政治的には無党派、宗教的にも特に教団に属していない(親鸞の思想にはシンパシーを覚えるが)。組織に魂まで売り渡してはいけない。<個>というものをしっかり持たなくてはいけない。社会が変わるとは、つまるところ個人々々が変わることに他ならないだろう。

 午後からは今池・シネマテークで映画を観た。ひきこもりの兄と家族の関係をとらえたドキュメンタリー映画『home』、女性として生まれながら男として生きることを選んだロバート・イーズが末期ガンに侵され亡くなるまでの1年を追ったドキュメンタリー映画『ロバート・イーズ』の2本だ。
 前者については、作品的に未熟と思われる点は多々あった。しかしながら、監督自らが当事者でもありうる「家族の問題」をカメラに収めようとする行為のうちに、監督自身の決意を感じ取ることができた。ともすると客観性を失いがちな自らの家族の問題について、時に冷徹に、時に当事者として真摯に向き合おうとする姿勢は見てとれた。
 後者については、よくできた作品として観ることができた。「性同一性障害」「トランスジェンダー」の映画などと簡単に説明してしまうことが憚れる。それは一面ではあるが、ほんの一部でしかないように思えるからだ。トランスジェンダーの人間がその人らしく生きようとして起きる様々な出来事が、登場する人々によって語られる。
 2作品とも、いわゆる「社会問題」として語られるようなテーマを含んではいるが、単に「問題」を取り上げただけの作品ではない。いずれもが、そこに「生身の人間」を映し出している。社会や自分自身と真摯に向き合い、苦悩する姿を、真正面から映し出している。

 それにしても、人間てやつはホント不思議だ・・・。



2003年02月01日(土) 理髪店にて

 ゆうべ酒を少しばかり飲み過ぎたせいか、体がだるい。
 前から髪を切りたいと思ってなかなか行けなかったのだが、今日こそはと思い、行きつけの(と言っても、2〜3ヶ月に1度しか行かないが)理髪店に行った。たまにしか行かないのに、「いつもの感じに切ればいい?」なんて聞いてきた。「ええ」と答えて、椅子に深々と腰掛ける。20〜30分の間、私はそこに黙って座っているだけでいいのだ。他人様に髪を切ってもらったり、洗髪や顔剃りまでやってもらうのは、まるでマッサージでも受けているかのように気持ちいいものだ。顔を剃る段階で背もたれが倒されると、思わず睡魔に襲われた。しばし時間を忘れ、心地いい時を過ごした。

 私の実家の隣が理髪店で、昔はよく行ったものだ。そこには、2つ年上のお兄さんがいて、よく一緒に遊んだものだった。小学生の頃、私は「いじめられっ子」だったのだが(現在社会問題化しているものほど陰湿ではなかったが)、彼にはよく助けられた。私がいじめられると、彼は我がことのように悔しがった。そんな人が身近にいたことが、私には何より救いであった。彼は今銀行員として働いているが、理髪店は彼のお兄さんが継いでいる。

 それにしても、私ももうすぐ40歳に手が届きそうなところまできた。子供の頃、私は若くして死んでしまうに違いないと信じて疑わなかった。大病こそ患ったことはなかったが、虚弱体質だったからね。
 よくぞここまで生きてこられたものだと思う。決して自分ひとりの力で生きてきたなどとは思っていない。これからも命の続く限りは生き続けるぞ。人生を全うすることこそが、自分の務めだと信じる。ただ生きながらえるというだけではない。生きている手応えを感じながら生き続けたい。これからひと花もふた花も咲かせなければならないのだから。



2003年01月31日(金) 「障害者はおまえだ」

 今週はちょっと忙しくてアッという間に過ぎた感じだ。2月中旬に有給休暇をとったうえで、「宝塚歌劇団・月組」名古屋公演のチケットをゲットしてきた。なんせ土日は満席だったもんで。忙しくたって、俺は遊ぶぜ〜。

 帰宅後、インターネット・オークションで落札したビデオ「障害者はおまえだ」を観た。これは天願大介監督によるものだが、障害者プロレス「ドッグレックス」の元レスラー・浪貝のバンド活動(バンド名は「つめ隊」)がおさめられている。渋谷のクラブ・クアトロでのライブの模様や、ところどころに「障害者プロレス」の一場面が流れる。曲目は「障害者年金ブルース」「障害者はおまえだ」等。
 実は、はるか昔、浪貝と俺は、さるボランティア団体の活動で出会っていた。はじめは熱心に活動に参加していた俺も、しだいにその活動に疑問を感じるようになり、離れていった(いつまでたっても障害者を子供扱いしているような雰囲気があって、活動が健常者側の「自己満足」でしかないように思えたのだ)。だから、それ以来浪貝とは会っていなかった。
 ところが、数年後に浪貝が数人で「障害者プロレス」を立ち上げたとの情報を得た。その話に最初は戸惑いを覚えたが、「障害者プロレス」の全貌が明らかになるにつれ、大いに興味をもつようになった。仲間うちで「障害者プロレス」を名古屋に呼ぼうという話が持ち上がり、東京まで彼らに会いに行った。そこで浪貝と再会を果たした(まさかそんな形で再会しようとは思ってもみないことだった)。その1年後、「障害者プロレス」名古屋興行は実現した。試合と試合の間に「つめ隊」のミニライブを行なったが、浪貝の存在感に圧倒された。浪貝には言語障害もあり歌詞が聞き取れないし、どちらかというと歌は下手だと言って差し支えないが、そんなことはどうだってよかった。観客を惹きつける何かが浪貝にはあった。その後浪貝は「障害者プロレス」を引退してしまったので、今はその勇姿を見ることはない。今頃どうしていることやら。
 あの時から「障害者プロレス」は、俺にとってある種の「目標」となったのだ。いつかあれを超えてやろう、と心の片隅で思っていた。ビデオを観ながら、再び自らの内にたぎる思いを感じる俺だった。



2003年01月25日(土) 時の過ぎゆくままに

 昼、七ツ寺プロデュース『ハムレットマシーン』(ハイナー・ミュラー・作、寂光根隅的父・演出)を観劇。諸般の事情により、「万有引力」の芝居を(ついでに「障害者プロレス」も)見逃したので、新年初めての観劇となる。結論的に言えば、個人的には面白かった。でも、難解と言えば難解でもあり、一般的な評価としてはどうなのかは何とも言えない。
 少し細かく言おう。まず、ホンについて。私は原作を読んだことがあるが、テキストとしてそれ自体面白いとは思った。
 演出についてはいかようにもやりようはあったと思うし、注文をつけだしたらキリはない。劇場に入ると、舞台を囲むようにして客席は3つのエリアに分かれていた。役者の登場は4方向から。で、開場後は開演までパフォーマンスが行われていたのだが(役者は、まるで観客やスタッフが出入りするように入っては退場するのを繰り返しつつ、時折芝居めいたことをしていた)、その段階で私は一抹の不安を感じていた。何かこなれてない感じだったんでね。でも、開演後、その不安は払拭された。演出的には、まあまあ面白かったと思う。何となく、太田省吾演出の沈黙劇を思わせるようなシーンもあったりして・・・。
 でも、やや物足りなさもあった。芝居の終わりが何ともあっけなかった。というか、「えっ、終わったの?」って感じ。それは、他の観客も同様に感じたはず。拍手はなく、スタッフの「終わりです」の言葉でみんな立ち上がっていたからね。
 それ以上に物足りなかったのは、主演を除いて役者一人ひとりの個性が感じられなかったという点だ。この芝居のチラシを目にして以来、私はソウモウシャの川瀬さんが主役を演ずるものと思い込んでいた。ところが、主演は新人の方(新人にしてはよかったと思うのだが)、川瀬さんを起用した意味が私には見いだせなかったな。
 後で思ったのだが、私はこの『ハムレットマシーン』を「演劇」としてというよりは「パフォーマンス」として観ていたことに気づいた(わかるかな?)。

 夜、今池のライブハウス「TOKUZO」でカルメン・マキのライブを観た。往年のヒット曲「時には母のない子のように」も歌われた。「寺山修司つながり」でついつい浅川マキと比較して見てしまったのだが、私のなかでは浅川マキのほうがどうしてもまさってしまうのだ(貫禄といい、アングラ具合といい)。もちろん、カルメン・マキだって悪くはなかったけどね。

 久しぶりに「劇団pH-7地下劇場」に立ち寄る。4月公演のキャスティングが決定し、これから稽古が本格化する。何度も言うが、今回私は裏方に回る。
 職場の仕事もこの時期は忙しい。まあ、休日は極力英気を養うようにしているけど。正直なところ、仕事だけじゃ息が詰まるからね。
 何だかんだ言って、今年も1ヶ月が過ぎ去ろうとしている・・・。



2003年01月24日(金) 自分の名前を大切に

 昨日、今日と、仕事絡みで大阪に出掛けていた。施設の一泊旅行で、いわくつきのUSJ(スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンらのそっくりさんによるパフォーマンスなどをやっていたが、お客は少なかった)、吉本のショー(新喜劇は時間がなくて観られなかった)などを見て歩いた。仕事で行く旅行と、プライベートで行くそれとは違うので、そこのところは誤解なきよう。何だかんだと気を遣うところは多い。まあ、それが仕事と言えば仕事なのだから致し方ないのだけれど。
 名古屋に戻ってから余力があれば、B級遊撃隊の芝居を観に行こうとも思っていたが、疲れがたまっていたので諦めて帰宅した。

 帰宅後、テレビで金曜ロードショーを観た。宮崎駿監督による映画『千と千尋の神隠し』だ。この映画は以前映画館で観てはいたが、今回あらためて観てさらに深い感動を味わった。宮崎映画の魅力については多くの人が語っているが、誰にも見やすく、それでいて薄っぺらでないテーマを含んでいる点が大きいと思う(現代文明批判が随所にちりばめられ、人間の生き方について考えさせられる)。
 『千と千尋の神隠し』についてはいろいろと語りたいところだが、今日のところは一点にしぼりたいと思う。ストーリーを単純化して言えばこうだ。主人公・千尋はある日「神々が疲れを癒しに来る場所」に迷い込み、湯婆婆という魔女によって名前を奪われ、千と呼ばれるようになる。その彼女が自分の名前を取り戻すプロセスがこのドラマで描かれている。そして、ところどころで「自分の名前を大切にするんだよ」というセリフが聞かれる。その意味について私なりに感ずるところを綴ってみたい。
 「自分の名前」は、ある意味で他者とを峻別する便宜的な「符号」にすぎないとも言える。だが、「名前」の持つ意味とはそればかりではなかった。この世に生を受け名を受けた人間が固有の名を持つその人と出会う瞬間、あるいはお互いの存在を確かめ合うために、お互いの名を呼び合わなければならなかった(例えば、「北朝鮮拉致被害者」本人と家族の再会に際して)。そして、固有の名前には、固有の歴史がある。つまり、自らの名前は自らのルーツ(根)を示すものでもあったはずだ。
 とすれば、自らの名を奪われるとはいかなることか、もはや言うまでもあるまい。かつて「大日本帝国」が朝鮮民族に対しておこなった「創氏改名」がどれほどの犯罪行為であるかということも。それから、日本におけるハンセン病差別の歴史(数多くの人が故郷を追われ、本名を抹消させられた)にも思いを馳せる。それらは単に過去の過ちなどではなく、現在も未解決の問題なのだ。
 一人ひとりの人間につけられた「固有名詞」たる名前は、他の何ものにも代えがたい存在の尊さを教えてくれているのかもしれない。


 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]