夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2003年01月14日(火) 新年もはや半月過ぎて・・

 連休中はずっと風邪で寝込んでた。昨年末から体調はいまひとつではあったんだけど、ここに来て風邪をこじらせてしまった。とにかく直そうといろいろと薬を飲んでみた。浅田飴も、のど飴も、イヤというほど舐め尽くした。それでも、風邪はいっこうに治らない。悪い状態が長引くと、ついつい物事を悪い方に考えてしまう。俺、本当に風邪なのか? もしや、不治の病ではないかしら? なんてね。
 とにかく風邪を早く治して、遊びまくるゾー! 春がやってくる前に、ぜひともウィンタースポーツをやっておきたい。今いちばん興味があるのが、クロスカントリー・スキーだ。
 確かに仕事は忙しいけど、仕事だけで疲れている生活は真っ平さ。めいっぱい遊ぶことでバランスを保たなくては。今年もやりたいことはいっぱいだ。果たしてどこまで実現できるかはわからないけど、ね。

 今日は、劇団pH-7の4月公演の「顔合わせ」があった。4月公演では、俺は出演せず、裏方に回る。仕事との兼ね合いで今回は出演を断念したが、やはり寂しい思いはある。でも、それを言ってみたとて仕方がない。何事もポジティブに考えていこう。
 次に舞台に立つのがいつになるかはわからないけど、体力づくりもしておかなくては。それとは別に、文筆活動もスタートしたい。とまあ、あれこれと思いめぐらす今日この頃であった・・・。



2003年01月03日(金) 新年もまた、棘はずっと刺さったまんまだ・・・

 ここ数日、日記をストップしていたので、順を追って綴っていこう。
 
 12月30日、東京・新宿へ。紀伊国屋書店の裏にある「シアター・トップス」という小劇場にて、浪曲師・国本武春らによる『ミラクル忠臣蔵』(浪曲芝居)を観た。浪曲を織り交ぜたコメディー・タッチのドタバタ劇とでも言おうか、演劇を観る感覚とはだいぶ違って、「お笑い」を楽しむみたいな感じだった。開演前に客席に着くと、そこにはパンフの他、カスタネットや「おひねりを包む紙」が置かれていた。観客も参加して楽しむ趣向がなされていたというわけだ。「江戸城松の廊下」の場面でいきなり「殿中でござる〜」と歌い出したり、その他意表を突いてくる場面が随所にあり、笑いのツボをはずしていなかった。ばかばかしかったけど、思わず声を上げて笑ってしまった。
 その後、一旦ホテルに荷物を置き、軽く夕食をすませ、浅川マキのライブ(新宿ピットイン)へ。開場時刻の少し前に行くと、地下のライブハウス入口にすでに人が並んでいた。昔からのファンであろうか50代とおぼしき人々も多かったが、若い世代も少なくはなかった。それにしても浅川マキは貫禄があった。彼女ほど「地下」とか「アングラ」がよく似合う人も少ないのではないかと思ったね(そう言えば、寺山修司作詞の曲も2,3曲やってたっけ)。
 ライブが終わってからは、ビジネスホテルに一泊。

 大晦日は、花園神社(その昔、状況劇場が紅テントで公演をおこなったという場所)の前を通り過ぎ、歌舞伎町を散策。朝帰りのホスト集団とすれ違い、「イメクラ嬢」がコンビニに入るのを横目で見遣りながら、けばけばしい歓楽街を通り抜けていった。紀伊国屋書店で1時間ほど立ち読みなんぞしてから、新宿駅へ。
 「特急かいじ」(「特急あずさ」に乗る場合もあるが)で、甲府へと向かう。甲府から先我が家に帰るには、1時間に1本あるかないかというバスで帰るか、4千円ほど出してタクシーで帰るか、誰かに迎えに来てもらうぐらいしか方法がない。
で、父に迎えに来てもらい、帰宅。致し方ないことだが、うちの家族は年々年老いていくばかり。近所では亡くなられた人もいて、知らず知らずのうちに時が経過していることに気づかされた。
 知らず知らず、と言えば、「市町村合併」とか「産廃処理場誘致反対運動」といった事柄が、郷里においては目下の関心事となっているようであった。いずれの問題も住民不在のうちに事が進んでいるとの印象は否めなかった。特に、昨今言われる「市町村合併」に関しては、はじめに政府主導の合併ありきで、「何のための合併か」「地域住民の生活向上につながるものなのか」といった根本の議論はほとんどなされていないと言っていい。「地方自治の精神」というものがどこにも感じられない。
 改革と言えば聞こえはいいが、今行われようとしているあらゆる「改革」が(私の仕事にも深く関係する「社会福祉基礎構造改革」も含めて)真の改革になりえるのか、大いに疑問の残るところである。

 2002年はあっけなく去った。年越しそばは手打ちで、しかも畑でとれたわさびをすりおろして(「エスビーの練りわさび」なんかじゃないぞ)、この上ない贅沢ってやつさ。
 元旦は、お雑煮(我が一族は年末に餅つきをするのだ)食べて、と。祖母の家を訪れる以外はほとんど外出せず。

 う〜ん、私はわが故郷を愛しつつも、そこから逃げ出したい思いに駆られるのだ。愛すればこそ、と言うべきか。
 でも、どこにいたって、私は既に傷を負っているのだし、これからだって棘は刺さったまんまだ。それを引き受けながら、生きていかなければならないであろう。

 正月3日、私は名古屋に戻ってきた。



2002年12月29日(日) 皆さん、よいお年を!

 明日は東京、大晦日・正月は故郷・山梨に帰る。それで今日は部屋の大掃除を始めたわけだが、収拾がつかなくて困った、困った。まあ、正月休み中に何とかなればいいか。

 明日は、東京・新宿へ。昼は、浪曲師・国本武春らによる『ミラクル忠臣蔵』を観に行く。それと夜は、浅川マキのライブがある。今年の遊び納めってわけだ。まあ、実家ではおとなしくしてるけどね。

 それにしても、もうすぐ新年なんて未だに実感が湧いてこない。でも、確かに一年の終わりを迎えているんだな。これが、おそらく今年最後の日記となるだろう。

 今年一年無事にここまでやってこれたのも、「曽根攻を支える人々」(?)の皆様のお陰と感謝しております。皆様方も、どうぞよいお年をお迎え下さい。



2002年12月28日(土) マイノリティー

 昨日で年内の仕事は終了し、9連休に突入した。休み中は、東京で1日遊んでから故郷の山梨に数日帰省(寄生?)の予定。実家に帰る時の気分は何とも複雑なのだけれど・・・。
 それはさておき、今日は今年最後の(たぶん)病院通い。久しぶりに漢方医の診察を受ける。かのドクトルとは10年近いつきあいとなろうか。もともと胃腸はじめ消化器系が弱い私であるが、ちょっと疲れが溜まると弱い部分にどうしてもしわ寄せがくるというもの。で、たまにそのドクトルの診察を受ける。ドクトル曰く、「昔より表情がいいというのか、余裕みたいなものが感じられる」。そうだよな、20代の頃には一つひとつのことを重く背負い込み過ぎていたからね。ぶざまなところも多々あった。でも、一方で私はその頃の自分がいとおしくさえ感じられる。なんだかんだ言っても、今はだいぶ楽に生きている気がする。だからといって、すべてに満足はしていないし、20代の頃には考えもしなかった悩みも一方で出てきた。それっていまひとつ言葉になりきらないものなのだが・・・。

 夕方、自分が出演している芝居のビデオ2本(『檻と盆栽』『幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜』)と「劇団夢の遊眠社」の公演ビデオ(『贋作・桜の森の満開の下』)を観た。
 まず、自分の出演しているものに関しては、気恥ずかしい思いがする。特に、『檻と盆栽』での私の芝居なんぞ下手で下手で見ていられねえって感じだね。
 一方、他人様の出ているものは冷静に見られる。野田秀樹演出の芝居を生で観たことはない。ビデオでもキチンと観るのは初めてだ。で、その感想だが・・・。軽妙な動きといい、機関銃のようにあふれ出す言葉遊びといい、面白いことは面白い。でも、個人的には趣味じゃないんだな。たぶん軽薄より重厚を求めているんだろうな。骨太というのか、泥臭さというのか・・・。
 つまんない芝居は吐いて捨てるほどあるだろうけど、私はどちらかというと「その芝居のよいところを見よう」とする傾向がある。それでも救いようのない芝居はあるけどね。観た後に「よかった」と感ずるかどうか、その良さとはどの程度のものか、といった点については、最後のところでは個人の嗜好の部分が大きいと思う。

 嗜好という話が出たついでに、今日は、私の嫌いなテレビドラマについて綴っておきたい。テレビドラマなんて普段はあまり見ないし、多くは駄作だと思っている(なかには秀作もあるが)。でも、駄作であっても、「愛すべき駄作」と「胸くそ悪い駄作」とははっきり区別しておきたい。その基準というのは「笑えるかどうか」という点が大きい。例えば、『真珠夫人』は「愛すべき駄作」だと思う(ばかばかしくても笑える要素がたっぷりだ)。
 一方、「胸くそ悪い」の代表が『渡る世間は鬼ばかり』ではなかろうか。あれを見ている人には申し訳ないが、あんなものを見ている人の気が知れない。どっちにしろ私は今後も見ることはないのだし、いちいち目くじら立ててまで言わなくてもいいのかもしれないけど・・・。
 でもね、「私、実は芝居やってるんです」と私が第三者に話しかけた際に、例えば「私、劇団四季をよく観るんです」とか「私、お芝居は、トレンディードラマや『渡る世間』ぐらいしか知らないんです」などと返ってきたら(実際あった)、私には後につなげるべき言葉が見つからないのだ(「劇団四季」はまあしょうがないとして、『渡る世間』なんぞと一緒にされた日にゃ〜)。尤も「pH-7」の芝居がイヤだという人もいるだろうし、それとて致し方ないことと思うのだけれども。
 他人様のことを悪く言ってしまったが、相手からすれば、私の方こそおかしいのかもしれない。だいたい私は、大多数が愛するものよりも、少数者が偏愛するもののほうを好む傾向が強い。別に少数者になろうとしているわけではないのだが、気がつけば少数の側にいることが多い。

 とりとめなく書き始めた日記だが、なかなか終われなくなってしまった。ということで、今日はこれにて。



2002年12月25日(水) 書物の森

 今日一日も終わり、年内はあと2日出勤すればいいわけね。あとには、9連休が待っている。でも、いまひとつピンときてない。もうすぐ新年になるんだな。
 今日は、午後から市内某所にて研修。その帰りに愛知県図書館に寄って、6冊の本を借りてきた。6冊とも、たまたま戯曲だ。ちなみに紹介すると、唐十郎『少女仮面/唐版・風の又三郎』、斎藤憐『サロメの純情〜浅草オペラ事始め』、堤春恵『仮名手本ハムレット』、松尾スズキ『ヘブンズサイン』、高取英『ドグラ・マグラ月蝕版』、チョン・ウィシン『ザ・寺山』といったところだ。
 ここんとこ本もたくさん購入しており、持ち金は減っていく一方。でも本は読みたいし・・・。借りる分には懐は痛まないではないか。そんな単純なことすら忘れかけていた。で、今日は図書館に寄ったのだが、本に囲まれた環境は私の心に潤いを与えてくれる。書物は、私を見知らぬ世界に誘う。私は日常の場所にいながらにして、世界の果てまで旅することができる。ほら、世界が私を呼んでいるよ。ちょっとそこまで「旅」してくるぜ。



2002年12月24日(火) サイレント・ナイト

 3連休が瞬く間に過ぎ去り、年内の仕事もあと4日を残すのみとなった。今日はクリスマス・イブ。特に予定もないけど、こんな日に会議だなんて。それに明日参加する研修(名古屋市内で行われる)の資料づくりもしなければならず、会議終了後も残業。特に仕事が詰まっているわけではないが、休み前にある程度片づく仕事は済ませて、すっきりした気持ちで正月を迎えたい。でも、早く帰りたい気持ちに抗えず、最低限の仕事だけ終えて帰宅。
 巷では、クリスマス・ケーキの購入を呼びかけるサンタ姿のケーキ店店員の姿を目にした。クリスマスといい、バレンタインデーといい、毎年必ずやってくるこのような商業主義に毒された日を、私は苦々しい思いで迎える。

 この時期になると必ず流れるメロディーと言えば、山下達郎の『クリスマス・イブ』。山下達郎ってホントいいよな〜。ひとつには音楽的にいいよな〜ってことだけど、それ以上に毎年印税が入ってきていいよな〜ってことだね。
 2匹目のドジョウを密かに狙ってる私でもあった。



2002年12月22日(日) 月日は百代の過客にして

 今朝10時の時報を合図に、私は自宅電話のリダイヤル・ボタンを押す。だが、受話器からは「この電話は只今大変混み合っております。しばらく後におかけ直し下さい」とのアナウンス。
 来年3月のローリング・ストーンズのコンサート・チケットを予約するため、何度も電話するが、なかなか通じない。やっとつながったのが10時45分。結局、3月21日の大阪ドームでのコンサート・チケットをゲットした。

 今日は、劇団pH-7の忘年会。思えば、今年ほど芝居づいていた年はなかったように思う。特に、ここ1週間ほどは一流の舞台を多く観ることができたように思う。今年一年、いろいろあったように思うが、アッという間の一年だった。なんだかんだ言っても、幸せな一年だったとも思う。
 それにしても、酒があまり飲めなくなったなあ。ホントはもっと味わうように飲みたいのだけれど。年はとりたくないものよのう。などと嘆いてみてもしかたないか。
 今年もあと1週間程だな。やり残したことも多かったように思うが、それはまあ来年以降にやればいいだけのこと。これからも、まだ人生は続いていく・・・。



2002年12月21日(土) ザ・チェーホフ

 鈴木忠志演出によるSPAC公演『ザ・チェーホフ』を、静岡芸術劇場に観に行ってきた。日本において、チェーホフは翻訳劇ではおそらくシェークスピアに次いで上演されることの多い作家だと思うのだが、私はこれまで「チェーホフもの」を観たことがなかった。
 『ザ・チェーホフ』は、チェーホフの3つの戯曲『イワーノフ』『桜の園』『ワーニャ伯父さん』をモチーフとしたオムニバスだが、演出的にも面白く、役者もまずまずの出来だったように思う(セリフの言い方がどことなく「クセック」のようでもあった)。でも何よりも私は、チェーホフの戯曲に垣間見られる人生観に対してある種の共感を覚えるのだ。意味の崩壊した世界に存在しつづける人間の孤独・疎外感・喪失感・・・、しかし、そのなかでも人間は生きていかなくてはならないのだ。そんなメッセージを私は受け取るのであった。また、チェーホフを読んでみたくなった。
 



2002年12月19日(木) ザ・カブキ

 一宮市民会館までバレエを観に行ってきた。世界的に有名な振付師であるモーリス・べジャールが東京バレエ団のために創作した「ザ・カブキ」である。
 現代の東京に暮らす若者が江戸時代にタイムスリップし、やがて自らが大星由良之助(大石内蔵助)となって主君の敵・高師直(吉良上野介)を討つことになる、というストーリー展開だ。言うまでもなく「仮名手本忠臣蔵」をバレエの様式を用いて大胆に表現した作品だ。よく知ったストーリーということもあるが、踊りがしっかりしており、2時間程の舞台を大変面白く観た。

 今日は、バレエを観に行くために休みを取った。だいぶ疲れがたまってて(遊び疲れかな?)昼過ぎまで寝ていた。
 明日は仕事の後、職場の忘年会だ。まあ、酒は程々にしておこう。



2002年12月18日(水) サティスファクション

 バンド結成40周年の世界最強ロック・グループが来年3月に来日する。その名は、ローリング・ストーンズ。老いてますます意気盛ん、齢60を過ぎてなお転がり続ける彼らである。
 途中ブランクがあったとはいえ、40年というのは大したものだ。その間には、多くのロック・ミュージシャンが惜しまれながらこの世を去った。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、そしてジョン・レノン、彼らは死んで伝説の人となった。一方、ミック・ジャガーも、キース・リチャーズも、生きながらえて、永遠の不良少年であり続けた。
 ストーンズのサウンドをぜひ生で聴いてみたい。俺は、特にキースのギターが好きなんだな。よし、電話予約するぞ。
 とか言ってる俺も、昔は(中学・高校時代)ストーンズに代表されるロック・ミュージックを毛嫌いしていた。「あんな不良の音楽に近づいてはいけない」と頑なに信じていた。なぜかビートルズやプレスリーは許容範囲だったけどね。洋楽では、サイモン&ガーファンクルとか、ビリー・ジョエルとかを聴いていたっけ。それによくわかりもしないのにちょっと背伸びしてモダン・ジャズなんかを聴いてもいた。でも、どちらかと言うと邦楽のほうを聴いていて(と言っても、まだ純邦楽には目覚めていなかった)、フォーク・ニューミュージックが好きだった。
 そんな俺も大学に入ると、周りがロックの話で盛り上がっているのについていけず、さみしい思いをしたことが何度かあった。で、とりあえず片っ端からロックを聴き始めたのだが、「ミイラ捕りがミイラになってしまった」わけで、当然ながらストーンズ・サウンドにもはまってしまった。
 
 前の職場の同僚にストーンズ・フリークがいて、仕事上では恩義ある方(俺より10歳くらい上)なのだが、共通の趣味である音楽の話になると何時間でも話し続けた。そこでは年の差なんて関係なく、お互い少年少女に若返った気分で語らったものだ。今夜も彼女に電話してみると、ストーンズの話題に終始した。やはり同好の士とはよいものだ。彼女は最近アコースティック・ギターを始めたらしい。俺もそろそろ新しい楽器に挑戦してみようかな。なんせ俺の身近には三味線も三線もウクレレもあるのだから。
 遊ぶことに関してはまったくもって余念がないが、やはり遊びたいその欲求が俺の元気の素になっているに違いない。
 


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