夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年12月05日(木) バラシ、それは忘れた頃にやってくる・・・

 公演終了後、10日が経過した。でも、実感としては1ヶ月以上が過ぎ去ったかのように思われる。
 今日は、バラシの日。職場の仕事が終わってからのバラシは少しきつい。けれども、久しぶりにアトリエに行くのがうれしくもあり、役者・スタッフと会えるのもうれしかった。今日一日で作業はだいぶ進んだので、作業そのものはたぶん明日で終わるだろう。明後日、総括という運びか?
 
 帰宅してメール・チェックすると、「劇団態変」からメルマガが配信されていた。何でも、来年2月に可児市で公演を行う(「マハラバ伝説」の再演)とのこと。かつて茨城県に実在した身障者たちのコミューン「マハラバ村」をモチーフとした作品のようだ。のちに「マハラバ村」を出た横塚晃一氏、横田弘氏らによって構成された「青い芝の会」は、70年代、障害者の当事者運動として大きなインパクトを与えた。私は、70年代における「青い芝」の運動は日本が世界に誇りうるものだと認識している(いつか「青い芝」についてじっくり取り上げてみたい)。
 のちに「青い芝」に連なる「マハラバ村」を題材とした作品を、かつて「青い芝」にもかかわりのあった金満里氏が作・演出として取り組まれている。それを、「態変」の役者たちがいかに演ずるのか。これは観ないわけにはいかないと思った。

 その前に12月、1月と、私のなかではすでに観劇計画が目白押しだ。
 今月は、19日に東京バレエ団(モーリス・べジャール振付)公演「ザ・カブキ」を一宮まで観に行くことになっている。これは世界的な振付師・べジャールによるバレエで「忠臣蔵」をモチーフとしている。それとほぼ同時期にスーパー一座(かつて私も在籍した)によるロック歌舞伎を観る予定だ。
 年明けの1月、またしても東京に芝居を観に行こうと画策している。18日に「ドッグレックス」(障害者プロレス)の興行があるのでそれを観たいのと、同じ時期に「万有引力」「花組芝居」の公演があるのでハシゴしようかと思案している。
 芝居からは離れるが、3月にローリング・ストーンズが来日するらしい。できれば、彼らのコンサートにも行っておきたい。
 と、まあ、遊ぶことには余念のない私であった・・・。



2002年12月03日(火) 宝くじが当たったら・・・

 年末ジャンボ宝くじを買ったぜ!
 毎年買ってるのに当たったためしがない。まあ、中途半端に当たるくらいなら、当たらなくてもいいから、大きく当たってほしいよな。
 億単位で当たったら・・・。そうだな、たぶん仕事は辞めるかな? 今の仕事が特別嫌なわけではない。職場の人間関係には恵まれているほうだと思うし・・・。生活の糧を得るためにあくせく働くことにも、それなりに意味があると思う。でも、短い人生の中でやってみたいことはあまりに多い(列挙したらキリがない)。時間はいくらあっても足りないと感じられる。もちろん、今の仕事があるお陰で、私は多くのものを得ている。だが、同時にそれによって束縛されていることも多い。言うまでもなく、そんなことは世の中の多くの人にあてはまることでもあるけれど。
 実際にはなかなか「1等」「前後賞」は当たってくれない。だから、折り合いをつけながら、日々の暮らしを送っている。そりゃ〜、不満を言い出したら、キリはない。それでも、人は生きていかなくてはならないのだ。そうした人々の営みの中に音楽が生まれ、文学が息づき、芸術が育まれる。そして・・・。人生とは、ドラマである。
 世界が我々の舞台であり、我々は今この一瞬を生き続ける役者である。

 
 



2002年12月01日(日) 私は独身!

 みち様、さおり様、ご成婚おめでとうございます。
 おふたりの手による素晴らしい舞台セットに囲まれて芝居できることの幸せを常々感じている私です。いつも裏方でがんばってくださってるご両人が、今日は主役でしたね。どうぞ末永くお幸せに。

 かく言う私は、30代半ばにして独身、「国際独身者同盟」の一メンバーとして今も地下活動(アングラ)を続けている(?)。別に確たる主義があって独身であるわけではない。今日までたまたま縁に恵まれなかったというにすぎなかった。相手がいれば今すぐにでも結婚しようとも思うし、一方で無理して結婚しなくてもいいとも思う。
 私は謙虚な人間ではあるが、その一方で結構わがままな面も持ち合わせていると思う(協調性がないというのとは違う。ていうか協調性はあるほうだ)。知人・友人という間柄でいる限りにおいて「いい人」であったはずが、恋人(あるいは結婚相手)になった途端「曽根さんてそんな人だったの?」なんて失望されることもきっと多いだろう(私自身は別に何も変わっていないのにね)。私のわがままな一面をもひっくるめて、それでも「あなたって、いい人ね」とか「あなたといると気持ちが落ち着く」とか、そんなセリフが言える女性がいるといいのだけれど。
 いずれにせよ、私はこれからも我が道を探し求めてさすらっていくだけさ。
 



2002年11月30日(土) 大都会

  ああ 果てしない夢を追い続け
  ああ いつの日か大空かけめぐる
  チャンランランランランランランラン
  チャンランランランランランランラン・・・
  裏切りの言葉に 
  故郷を離れ わずかな望みを
  求め さすらう俺なのさ

 てな具合で、東京まで芝居を観に行ってきた。
 新国立劇場小劇場で行われた、太田省吾・作・演出「ヤジルシ〜誘われて」(主演は、大杉漣・金久美子)の公演を観たわけだが、ひとことで言えば「期待はずれ」だった。面白い部分がなかったわけではない。沈黙の中で役者がゆっくりと動くシーンなどはイマジネーションを掻きたたせるものがあった。だが、ひとたび役者がセリフを発すると、こちらの気持ちは醒めてしまう。言葉が私の胸に届いてこないのだ。一度気持ちが醒めてしまうと、再び芝居に引き込まれるということはほとんどない。この芝居のためにはるばるやってきたというのに、何だか損した気分だった。
 その公演の後、当初は予定になかった「小島章司フラメンコ公演」(新国立劇場中劇場)を観た。これが実によかった。生のフラメンコ・ギターに歌、そして踊りが一体となって繰り広げられる世界に、思わずため息がもれた(感動を覚えていたのだ)。踊りはどことなく暗黒舞踏を思わせる動きなどもありながら、とてもエモーショナルなものであった。集団での踊りも、ソロも、気迫を感じさせるものがあり、非常にかっこよくもあった。カーテンコールがやや間延びしていたのが「玉に瑕」だったが、それでも感動のうちに劇場を出ることができた。
 
 帰りに新宿の雑踏のなかを少し歩いた。この猥雑な街が私は好きだった。18才で上京した頃は、右も左もわからず、人の多さにただ圧倒されるばかりだったが、そのうちに私は新宿の街に親しみを覚えるようになった。
 思えば、大学の4年間は東京(中央線沿線の、杉並区阿佐谷)に住んでいたというのに、芝居をほとんど観ていない。当時は、野田・鴻上の黄金期だったが、彼らの芝居は好きじゃなかったし、芝居全般としても年に1,2回観るくらいだった
(吉田日出子・加藤健一・主演の「星の王子さま」が今でも印象に残っている)。でも大学の4年間がなければ、今の私はなかったであろうし、芝居をやっていなかったかもしれない。高校演劇以来30才を過ぎるまで、舞台に立つ機会はなかったし、そんな日が来るとも思っていなかった。高校時代の友人もきっと、今私が芝居をやってるなんて思ってもみないだろう。
 そんなふうに考えると、今私が芝居に取り組んでいることが不思議にも思えてくる。と同時に、こんなふうに芝居ができることを幸せに思う。次に舞台に立てるのがいつになるのかはわからない。でも、早く舞台に立ちたいと思う。
 つい1週間前まで舞台に立っていた私が、今は観る側にまわっている。このこともまた何とも奇妙な気がしてくる。
 大都会の雑踏のなかで、私はそんなとりとめのない思いにとらわれていた。



2002年11月28日(木) 二枚目役者の日常生活

 11月公演「幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜」が終了して4日が過ぎた。でも、まだ1週間も経っていないってのが嘘のように思えてくる。すっかり日常に戻ってしまい、実は公演など最初からなかったのではないかという錯覚にもとらわれる。「幻想ヒポカンパス」は、私の頭の中だけに存在する幻想だった。なんて、そんなことないよな。
 今でも不意に口をついて出るセリフの数々、擦り傷や打撲の痕、全身を覆う痛みと疲れ・・・、そんなところに公演の痕跡を認めたりする。

 おとといだったか、「中国式温熱マッサージ」なるものを初めて受けてきた。通りがかりに発見したそのお店、一見しただけでは「純然たるマッサージ」なのか「エッチなサービス付き」なのか判然としない。でも、よく見ると「女性も安心して受けられる」との一文があり、風俗店でないことが判明。雑居ビルの暗い階段を3階まで上がり、温熱&オイル・マッサージを受けた。その時は気持ちよかったけど、翌朝起きた時はまたちょっと辛かった。で、今日は家の近くの整体に行って来た。本当は仕事が休めるといいのだが、今週は休みが取れない。でも、あと1日行けば休みだ。そう思うとかなりうれしい。

 とか言いながら、土曜日は東京に遊びに行く。新国立劇場小劇場での公演を観に行くのさ。太田省吾の作・演出による「ヤジルシ」。出演は、大杉漣、金久美子といった顔触れだ。ちょっと楽しみだけど、楽しみはそれだけで終わらせない。12月は遊びまくるぜ。
 でも、しばらく舞台から遠のくっていうのも、一方でもの凄く淋しい。一日も早く舞台に戻れますように、と心の片隅で祈り続けている。



2002年11月25日(月) 大団円のあるドラマ

  人生とは
  大団円のあるドラマである

 11月公演が終了した。稽古では苦しいことも多かったが、本番の舞台は楽しくてしょうがなかった。とりわけ千秋楽は出せるものをすべて出し切ったという感じだ。厳しいご意見は甘んじて受けよう。でも、今公演に関して悔いることは何もない。

 明けて今日25日、月曜日の朝、果てしない日常の始まりだ。夏休みを終えたばかりの学生の気分にどことなく似ている。同僚から「曽根さん、ちょっと酒臭いですよ」と言われながらも、日常の業務を続けていく。そうこうして一日過ごしてみると、いつの間にか日常に馴らされている。昨日までのことがまるで嘘のようにも思えてくる。

 今日は早めに仕事を切り上げ、まっすぐ家に帰って休んだ。夕方に家にいること自体信じられない。体は楽だが、ちょっとさみしいかな? いや、さみしいというよりは、ただ呆然と立ちつくしている感じだ。最愛の人を突然亡くして信じられないでいる状態に似ているかもしれない。

 次はいつ舞台に立てるかな? やはり本番の舞台に立つことによって役者としての力が引き出されていくことは非常に多いと思う。だから、舞台には立ちたい。だが、一方では仕事との兼ね合いでそれが難しいこともある。pH-7の次回公演にはまず出られないであろうし、その次だってどうなるのかはわからない。だからといって役者をやめる気など毛頭ない(もちろん出るとなったらトコトンやるぜ)。
 一方で、これまで延び延びになってきた作家デビューのチャンスが到来したというふうにも考えられる。その他にも、いろいろな表現形態に挑戦してみたい。アウトドアもちょっとやってみたい。映画を見に行ったり、ライブにも行きたい。そうそう、観劇もいいよな(ロック歌舞伎、観に行くぜ)。
 それにしてもしばらく弾いていなかったせいか、ギターの腕は落ちたみたいだ。

 あっ、申し遅れましたが、今回の公演を観に来てくださった皆様には、心より感謝申し上げます。


 



2002年11月23日(土) 秘蹟が完成する

 明日は公演最終日。
 何もない状態から遂にここまでやってきた。

 人類学者ロバート・マーフィー氏は、人生の中途で障害を負って生きることを余儀なくされた。自らの障害とそれをめぐる人々との関係について書かれた著作『ボディ・サイレント』と私は出会い、マーフィー氏のポジティブな生きざまに大いなる感動を与えられた。それを演劇化したいと願い、ここまできたわけだが、最初の頃の稽古ではうまくいかないことばかりだった。それでもしだいに形が出来上がっていくうちに、私はすばらしい舞台になることが予感できた。
 もちろん役者として力量不足な面はあろう。けれども、私は今回の作品について自信をもって演じている。
 あと1日、最後までやるべきことをやるだけだ。深い感動のうちにラストを迎えられるように。



2002年11月22日(金) 長い一日

 長かった一日の仕事が終わり(強引に終えて)、そのまますぐに「地下劇場」へと向かった。「地下劇場」までの道のりで「職場モード」から「役者モード」へと切り替えていく。いよいよ後半戦の始まりだ。
 今日は大入り満員。俄然力が入った。本番中はあちこちに体をぶつけ、小さなたんこぶもこしらえた。打ち身、擦り傷は日常茶飯。とはいえ、大怪我だけは何としても回避せねばならぬ。
 エンディングでブレーカーがとんでしまうハプニングもあったが、とにかく後半戦が幕を開けた。あと4ステージ、自分の限界を一歩でも踏み出てやろうという気概をもって臨んでいきたい。



2002年11月20日(水) 表現者として

 公演後半に向けての稽古が今日もあった。
 観客の目から見て芝居全体がどう映っているのかという点とともに、私の演技は、あるいは、私が用意した台本の部分はどう見られているのか、ということも気にはかかるところだ。
 だからと言って自分のなかに迷いがあるわけではない。完全燃焼するしかないと思っている。本番はここまでとにかく楽しくやってきた。
 自分が主役だと思い込んで、一瞬一瞬輝いていたい。自らの存在感で観客を圧倒したい。今から、後半戦が楽しみである。



2002年11月19日(火) 後半戦に向けて

 今公演の前半が終了し、昨夜はゆっくりと稽古のない夜を過ごした。
 今日、公演後半に向けた稽古が再開された。後半は、前半戦のさらに上を行く舞台をつくっていきたい。きっといい舞台になると思う。今から3日後の本番がとても待ち遠しい。
 


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