夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年11月15日(金) 祈り

 どうか本番で自分の100%の力が発揮されますように。そんな祈りにも似た思いをもって、本番初日を迎えた。
 今日は通常通り仕事があったが、やはり公演のことが気になってしょうがなかった。5時15分の終業時間に合わせて支度をし、またバスの時間に合わせて職場を後にした。

 初日の演技がどうであったか(第三者から観て)は気になるところではあるのだが、自分としてはある程度気合いも入ったし、そんなに悪くはないはずという思いはある。とにかく初日が終わってホッとしてもいる。
 明日以降も、悔いを残さぬよう全力を尽くしていこう。これからもっといい舞台ができるはずだ。自らを信じて、どこまでも進んでいくつもりだ。



2002年11月14日(木) 夜明け前

  友よ 夜明け前の闇のなかで
  友よ 闘いの炎を燃やせ
   (岡林信康・作詞曲「友よ」より)

 いよいよ明日、公演初日を迎える。
 最早思い残すことはない。
 ただただベストを尽くすのみだ。

 暗く険しい道のりだったが、それも終わりに近づいた。
 夜明けはそこまでやってきているのだ。
 やがて、朝のまぶしい光が降りそそぎ、 
 これまでとは違った風景が私の目に映ることだろう。

 人生とは・・・。
 その答えは、芝居のなかで明らかになることだろう。
 どなた様もお見逃しなきように。

 では、劇場でお目にかかりましょう。
 

 



2002年11月08日(金) そして、神戸

 公演初日まで1週間と迫った。今回の公演に向けての稽古では苦しいことも多かったが、一方ですごく楽しいとも感じていた。あらかじめ用意された台本に沿って演ずるのとは違い、自分の世界を芝居の中で表現できることに喜びを感じていた。もうここまできたら、思い切ってやるしかない。
 実は、来週始め(11日・12日)神戸に出張だ。「施設利用者」に同行しての「小グループ旅行」である。個人旅行と違い、気を遣うことの多い旅行ではある。まあ、仕事だからやむをえない。でも、仕事の中にも楽しみを見つけたいと思っている。実際に楽しいことも多い。今回の旅のハイライトは、「ミュージック・グルメ船 コンチェルト」での「ディナー・クルーズ」だ。ジャズの生演奏を聴きながら、周富徳プロデュースによる中華料理バイキングが楽しめる。明石海峡大橋と神戸の夜景を眺めることもできる。エキゾチックな港町・神戸、恋人と過ごす夜には最高のロケーションだ。しかし、今回は男6人、色気などないのだ。それでも、きっと楽しいと思う。
 私がそんな旅を続けている最中も、稽古はある。旅から戻れば、公演はもう目の前だ。一回一回の稽古に集中していこうと思う。



2002年11月07日(木) 冬が来る前に

 つい先日上高地に行ったという友人から、「紅葉狩りのつもりが雪景色を見ることになってしまった」というメールをもらった。ここ10日くらいの間にすっかり寒くなっちまった。
 急激な寒さのためであろうか、職場の人々の間に風邪が蔓延している。私は現在のところ大丈夫だが、本番が終わるまでは何としても体調を万全にしておかなくてはならない。
 肝心の芝居の方だが、本番はきっと面白くなると思う。稽古に関しても、今回はきつい部分もあったが、「pH-7」入団後に私が経験した3つの公演のなかで最も楽しいとも感じられた。
 本番まであと8日間、そのうちの2日間私は出張のため稽古に出られない。その意味でも稽古ができるのもあとわずか。とにかく全力を尽くすのみだ。
 チケットをまだ購入されていない方、観ないと損しますよ。今からでも予約しましょ(その際には「曽根さんからチケットを買いた〜い」旨、しっかりと伝えましょうね、マジで)。
 とにかく、本番当日、劇場でお会いしましょう。



2002年11月01日(金) 真実とは

 何が真実であるか見極めるのは難しいことだ、という話題からスタートしよう。
 チェチェンの武装集団によるモスクワの劇場占拠事件は、人質100名以上が死亡するという最悪の事態をもって終結した。マスコミ報道では、立て籠もったチェチェン人の側を「テロリスト」と断じ、また「アルカイダ」(イスラム武装勢力)との関係を匂わせることにより、一方的に悪者扱いする論調が目立っていたような気がする。しかし、そもそもあのような事件が起こる背景には何があるのか、想像力を働かせてみる必要がある。
 自らの死をも恐れず人質をとって立て籠もる、あのような行動は相当に追い詰められた人間にしかできないことではなかろうか。その背景には、ロシアによるチェチェン人への度重なる民族弾圧の歴史がある。住民の大半がイスラム教徒であるこの地域は、19世紀後半に旧ロシア帝国により武力併合された。以後、断続的にチェチェン人の抵抗が続いている。1991年、チェチェンが独立を宣言してから、独立を潰すためロシア軍はチェチェンに度々侵攻。住民もゲリラも区別ない攻撃を繰り返し、2000年2月に首都クロズヌイを制圧した。チェチェン人は占領下での不自由な生活を余儀なくされている。
 先日の劇場占拠事件にあっては、チェチェンの武装集団を殲滅するばかりか、100人を超えるロシア人人質の犠牲を生む結果となった。特殊部隊突入の際に国際条約で禁止されている毒物が使用された疑惑が持たれているが、いずれにせよ、ロシアの現体制がいかに人命を軽視しているかを窺い知ることができた。
 ニューヨークでの同時多発テロ以降、「反体制勢力」への報復にあたって一般市民(無辜なる人々)に多少の犠牲が出るのはやむを得ないとする空気が感じられるようになってきている。プーチン(ロシア連邦大統領)にせよ、ブッシュ(アメリカ合衆国大統領)にせよ、人間の尊厳をも顧みることのないデリカシーに欠けた人物であるが、一方に彼らを支持する無自覚な民衆の存在があることも確かだ。
 大体、北朝鮮の核開発問題にしたところで、そのことを最大の核保有国たるアメリカが批判することなど、厚顔無恥も甚だしい。そしてまた、そんなアメリカに追随する日本政府の主体性のなさはあらためて言うまでもない。

 連日、北朝鮮による日本人拉致問題がニュースで流されている。拉致被害者や家族の側に立てば、確かに許し難い事態ではある。だが、そのことを踏まえた上で、かつて旧大日本帝国が朝鮮半島の人々に行ってきたこと(強制連行・強制労働・従軍慰安婦問題等)にまで想像力を働かせてみる必要があろう。今日の日本は、旧大日本帝国と非連続に存在するわけではない。拉致問題に対して謝罪や補償を求めるのはいいとして、その前に私たち日本人はかつての戦争犯罪に関して果たして真剣に向き合ってきたのか、あらためて考えてみるべきではなかろうか。他者に対して毅然とした態度をとるためには、何よりもまず自らに対して厳しくあらねばならぬであろう。

 さてさて、私共の芝居に関してであるが、舞台のセットなどはだいぶ整い、あとは役者に負うところが多くなった。個人的には、ある程度自信をもって演じている部分と、迷っている部分とが二分されている。最終的には開き直ってやるしかないと思うし、これまではそれで何とかなってきた。稽古ではあれこれと考えすぎて深みにはまってしまう私だが、これまで本番では不思議と落ち着いて完全燃焼してきた。今回もきっと大丈夫と信じて進んでいくしかない。ついに本番2週間前までやってきた。



2002年10月26日(土) 実存的自己

 今日は、稽古に行く前に、プロジェクト・ナビ公演「想稿 銀河鉄道の夜」(北村想 作・演出)を観て来た。
 私が高校生だった頃(野田秀樹、鴻上尚史が登場する少し前)というのは、北村想の黄金時代でもあった。「寿歌」「シェルター」「碧い彗星の一夜」といった北村作品を我々のライバル校(H高)が毎回のように演じていた。H高の連中の演技は決してよくはなかったのだが、山梨県内の演劇コンクールでは毎回のように最優秀に選ばれていた(N高に敗れたのなら納得できたが、H高に負けたなんて絶対に納得できなかった)。今思うに、彼らにせよ、私らにせよ、下手な演技という点では一緒だったとも思える。実のところ、H高に敗れたのではなく、北村のホンの前に敗れ去ったのではないかと、私は思うようになった。
 あれから約20年の歳月が流れちまったんだな。で、今回のナビの芝居は、言わずと知れた宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」をモチーフとしている。まあ、それなりには面白かろうと思って前売券を購入しておいた。今回は、神戸浩が出演するというのも楽しみであった。
 順番に感想を述べていこう。まず、神戸は、演技の上手い・下手を超えた存在とでも言うべきか、そこにいるだけで十分に醸し出す雰囲気があった。看板女優・佳梯かこの演技も決して悪くはなかった。でも、私には芝居全体に関して不満が残ったね。宮沢賢治の世界に拮抗するような何物かが感じられなかった。それは、一つには脚本の問題であり、それと同時に役者の演技にも大いに問題があったと思うし、それらをうまく調整しきれなかった演出の責任も当然ある。上演時間1時間40分のうち20分ほどは無駄な時間のように感じられた。思わず、醒めた目で観てしまっている私自身に気づいてしまった。私の隣に座った女性は居眠りしてたぞ。
 とまあ、他人様の芝居の批評はいくらでもできる。でも、「じゃあ、そう言うお前はどうなんだ」と問われた瞬間に、どう答えるのか。そこでは、ある種の覚悟が必要だ。舞台の上でどのように存在するのか、観客の前に自らの存在をいかに投げ出すのか、まさに真剣勝負の行われる瞬間である。
 



2002年10月24日(木) ライク・ア・ローリング・ストーン

 高校生の時に私は演劇部に入って新劇風の芝居をやってたんだけど、卒業後は30才をすぎるまで専ら観劇する側であったし、まさか30代で再び芝居をするなんて思いもよらなかった。20代の頃は「障害者運動」にどっぷり浸かっていて、芝居に振り向けられるエネルギーはなかった。
 5年ほど前、私はそれまで関わっていた「運動」から少し距離をおくようになり、名古屋からも離れるつもりでいた。最後の見納めぐらいの気持ちで、スーパー一座の「ロック歌舞伎」を観に行ったところ、すっかりはまってしまい、すぐに座員となった。だが1年後、再就職(と言っても、契約職員だったが)とともに、一座を去り、これでもう舞台に立つこともあるまいと思っていた。
 それが1年ちょっと前のある日、pH-7の劇団員募集のビラ(今池「ウニタ書店」に置かれていた)を手にした時(このときは既に「正職員」としてある程度安定した社会的地位を獲得していた)、心の奥底から湧き起こってくる思いがあった。ほとんど衝動的に演劇の舞台に立つことを決めていた。確かに決めたのは私自身に違いないが、時の勢いみたいなものに後押しされたこともまた確かだった。
 一見すると人は自らの人生を主体的に選び取っているようにも感じられるが、その実、人間が選択できる幅なんてタカが知れているのかも。例えば、この時代に生まれてきたのも、日本国籍を有するのも、私があらかじめ望んだことではない。そして、人生でのあらゆる分岐点における「自己選択」にしたところで、実現可能な一定の範囲のなかから選んだものにすぎないのだ。
 人間が短い人生のなかで経験できることなど、本当に限られたものでしかない。しかし、だからこそ、そこで出会えたものは何らかの意味を持っているとも言えるのだ。今ここで私が芝居づくりにかかわれることも、私には貴重な経験なのだ。  先々のことは何も予想ができない。だが、今この瞬間を確実につかみとるために私は今日もまた稽古場へと足を運ぶのであった。



2002年10月23日(水) ヘルプ!

 今日は稽古がないので少し体を休めておきたかったのだが、職場で「職員全体会議」(月1回開かれる)というのがあったり、その後で明日以降の打ち合わせなどしていたので、帰宅が午後9時半くらいになってしまった。職場の仕事に関しては、9月も忙しかったが、10月はさらに忙しく、ホッとできる時がない。去年の今頃と比べても、倍ぐらい仕事してるんじゃないかと思えるほどだ(倍は、ちょっと大げさだけどね)。11月になれば落ち着くんじゃないかと予想していたが、その予想は甘かった。
 11月もびっしり予定が詰まっている。毎日「日常業務以外の何か」があって、有給休暇なんぞ実質とれやしないぜ。公演初日(11月15日)と2週目初日(11月22日)は午後だけでも休みを取りたかったのだが、それができないことがはっきりとした。加えて、公演初日(11月15日)の直前に泊まりの出張(「施設利用者」との小グループ旅行)がある。この疲れを残さずに初日を迎えられるか非常に心配である。さらにトドメは、「11月最終週(つまり千秋楽の翌日から始まる週)は、(特別の理由を除いて)決して休まないように」と厳命されている。おそらく11月は何とか気力で乗り切れるだろうが、それにしてもハードすぎる。何とかしてくれ、神様、仏様、ってなかんじでぇ。
 にもかかわらず、私は何物かに衝き動かされ、演劇を続けている。公演まであとわずか、目指すべき地点に到達すべく精進していきたい。




2002年10月20日(日) もはや趣味ではないのだ

 就職活動などをしてた頃、履歴書の趣味の欄にはよく「演劇・音楽」などと書いていたものだ。今でも便宜的には同様に書くかもしれない。しかし、内面的には演劇を趣味だというふうには考えられなくなっている。
 だからと言って、演劇で食っていこうとか、プロを目指そうとは思わないのだ。大体そんな才能はありはしないのだ。けれども、私は誇り高きアマチュアでありたいと願う。アマチュアだからと言ってバカにしてはいけない。技術の点ではプロに敵わないかもしれない。けれども、観客に感動を与えるという点に関しては、アマチュアであってもプロを凌駕することは十分にあり得ることだろう。何事に関しても不器用な私が勝負を賭けるとするなら、その点を措いて他はないように思う。
 本番まで1ヶ月を切ってしまったが、舞台の上で完全燃焼したいと切に願う。



2002年10月15日(火) 終わりなき旅

 北朝鮮拉致被害者のうち5名の生存者が日本に一時帰国した。四半世紀の空白を越えての再会は、ご本人にとっても、ご家族にとっても、万感迫るものがあろう。
この問題の解明はまだ緒についたばかりであり、今後さらにねばり強い交渉が望まれよう。
 小泉首相の訪朝の際に明らかにされた拉致の事実であったが、それ以来、日本国内において在日韓国・朝鮮人への嫌がらせが頻発しているらしい。そんな報告を耳にする時、同じ日本人として本当に情けない気持ちにさせられる。「罪なき人々」そして「弱い者」を狙い撃ちにする有形・無形の暴力に対しては憤りさえ感ずる(拉致の犯罪性を云々する前に「てめえのやってることは恥ずかしくないのか」、
胸に手を当てて考えてみてほしいよな)。
 美しく生きることは確かに難しいことかもしれないし、私自身そんなに立派に生きているわけではない。ある意味で醜さも許容されるべきとは思う。でも、明らかに「弱い者いじめ」でしかないような、恥ずべき行為に対しては、決して許されるべきではないとも思っている。
 と同時に、人間の持っている暴力性、そして暴力を内包した人間のつくり出す社会、というものについて、あれこれと考えてみる。だが、考えてはみても、答えを求めて同じ場所をぐるぐると回っているばかりだ。


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