夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年10月12日(土) 迷路のなかに

 この前、職場の行事(運動会)が一つ終わったばかりなのに、今週の木曜・金曜と「施設利用者」(「知的障害者」)との小グループ旅行に同行した。同様の旅行は施設全体では8回あるのだが、そのうちの3回が私の担当分だ(1回の旅行に大抵2人の職員が同行する)。ある「利用者」の母親からは「3回も旅行に行けていいね」などと言われたが、悪い冗談としか思えなかった。私たち職員は決して遊びに行くのではなく、仕事として同行するわけなのだから。行き先だって、私の趣味で選べるわけではないし。もちろん小グループでの旅の楽しみはあるし、仕事のなかにも何らかの楽しみを探し出すことはできる。しかし、何事かあった時の責任ということが真っ先に頭に浮かび、気苦労が絶えない(個人旅行の気楽さとは全くの別物であり、普段の仕事に「添乗員」の仕事が加わったみたいな感じと言ってよいだろう)。
 今回はその1回目だが、てんかん発作など身体的配慮を必要とし、他の「利用者」以上にケアを必要とするグループとも言えた。行き先は「富士サファリパーク」とその周辺地域。途中までは新幹線で移動し、その先はレンタカーを職員で分担して運転した。この運転が思いのほか疲れた(途中道に迷ったり、渋滞にも巻き込まれた)。そうそう、私は子供の頃よく乗り物酔いを経験したクチで、今でもナビゲーションなどした日にゃテキメンだ。今回運転しない場面ではナビに回ったが、見事に酔って気持ち悪くなった。それと、例えば個人旅行では新幹線のなかで寝ることもできたが、今回は眠たくてもそれに耐えねばならなかった。それでも、夜の睡眠がとれれば、まだいい。私は普段寝付きがいいほうなのだが、今回は睡眠不足になった。「利用者」のうち2人が小発作を繰り返す。また、「利用者」の1人の鼾はすさまじく、それで眠れない別の「利用者」が興奮気味になったりもした。それでも睡魔は襲ってくる。眠りにつきかけたその時に、また誰かのうなされ
たような声で起こされた。眠い目をこすってよく見ると、その声の主は某「職員」ではないか。う〜ん、無理もない、日頃から彼も大変に違いない。もしかすると、気づいていないだけで私もあんなふうにうなされているかもしれないな。
 ともかくも旅行は比較的順調に、無事に終わった。予想したとおり、疲れもじわじわと私を襲った。土曜日の今日は、家で職場の仕事をしてみたが、疲れもひどく、あまりはかどらなかった。

 今日は、久々の稽古。初めての通し稽古もあったが、ボロボロだ。
 私にとって、今回の芝居は、pH-7入団後に出演した前二作とは明らかに違っている。前二作は、あらかじめ用意された作家世界に自分をあてはめていくものだったが、今回の作品では、自分自身のこだわりがだいぶ前に出ている。問題は、それが演劇として成立するか、だ。それがうまくいった時に得られるであろう歓びは、前二作とは比べようもないほどに大きいだろう。
 本番まであと1ヶ月ほどに迫った。何とかして、今の閉塞状況を切り開いていかなくては。お前には必ずできる。そう、自分に言い聞かせている。



2002年10月06日(日) 振替休日だというのに

 先日の土曜日、私の職場(福祉施設)の運動会があり、その振替休日として7日(月)が充てられた。今年度の運動会の実行委員でもあったので、お隣の施設の職員とも打ち合わせを重ねてきた。実行委員の仕事などは、何でもないことのようでありながら、結構大変なことも多い。「何だってこんな些細なことでもめるんだよ」ってこととか、時には板挟み状態も経験した。雇われの身としていつも思うのは、仕事そのものはどうってことはない。むしろ、仕事に絡む人間関係に疲れ、ストレスを感ずることって多いんだよね。
 冷静にストレスの原因を探っていくと、きっかけは本当にくだらないと思うようなことが多い。その事実を知ると、ますます腹立たしく思えてくる。この前の金曜日なんかは、運動会前日の打ち合わせが長引いて、結局劇団の稽古に行けなかった。イベント前日の打ち合わせなんてものはポイントを絞った話し合いで時間を有効に使うべきだと思うのだが、ある若手の委員が本当に些細なことにこだわって紛糾した。ベテランの委員が冷静に話をしているのに一人でエキサイトして(普段は温厚な私だが、「諸先輩方に対して何だ、その口のきき方は」とよっぽど言ってやろうかと思った)、しかも「利用者(障害当事者)のため」みたいなことを言う。「君、冗談も休み休み言い給え。そんな口のききかたをしている君が『利用者』のことを大切に考えているとは到底考えられないんだよ」と言ってやってもよかったのだが、それでますます紛糾するのも嫌だと思って、黙っていた。でもね、この手の些細なことが重なっていくと、知らぬ間にストレスが溜まっていくから、適当なところで吐き出したほうがいいんだよね。
 運動会は無事終了した。これから反省を取りまとめて、報告書を作成しなければならない。なのに、こんどの木曜・金曜は出張(施設利用者との小グループでの1泊旅行)がある。それに加えて、この前の「知的障害関係施設職員全国研修会(奈良大会)」の報告書も早いとこ提出しなければならない。
 明日は振替休日なのだが、研修報告の作成で時間をとられることになるだろう。研修報告の作成自体はそんなに嫌ではないんだよ。でも、仕事はこればかりじゃないからね。今は、職場全体としても仕事が詰まっている。私は、基本的には勤務日以外は仕事はしないようにしているし、仕事を家に持ち帰ることも極力避けるようにしているのだが、まあ、今回は致し方ない。あ〜あ、折角の休日だというのに。



2002年10月01日(火) 魂は荒野をめざす

 「劇団態変」テント公演について先日リポートしたところだが、公演の際に「態変」の「機関誌」とでもいうのか、「IMAJU(イマージュ)」という小冊子の最新号を購入した。そのなかに、主宰・金満里さんとアーティスト・喜納昌吉さんの対談が掲載されていた。そのなかから、印象的だった言葉を引用しておこう。

 喜納 「僕は身障者といわれる人たちとのコンサートも、日本全国で百回以上やってるんじゃないかな。(中略)仮に魂というものに手と足があれば、かれらのは自由に動くけど、健常者の魂は動かないよ、全然。健常・五体満足とはいえ、生きながら死んでる人は多いと思う。自分の魂の足・手・目をもってるっていうのは、いいと思うよ。」

 金 「私は私自身の身体が武器だと思ってるし、態変の表現も武器だと思う。それは自分だけが自己満足でやるんじゃなくて、そこにあること自体が、別に強烈なメッセージを発しなくても、影響を与えることがある。そのことを意識することが武器になるんじゃないか、と思う。」

 喜納 「本当に生きてる人っていうのは、死と真正面に対話してるはず。死と対話できるってことは今の生を完璧に燃焼させることでしかできないんじゃないか、と思う。」

 「人生論」として、「芸術論」として、「演劇論」として、考えさせられるテーマを含んだ言葉として、それらを私は受け取った。



2002年09月30日(月) 「危険なアクロバット」

 現在、職場での仕事は多忙をきわめ、私は(私ばかりでなく、同職の人は皆)用事から用事へと飛び移る「危険なアクロバット」を演じている。自分ひとりで完結してくれれば問題はさほどないのだが、ある仕事はAさんと、別の仕事はBさんと、それぞれ相談しながら進めなければならない、しかもそんな仕事を各々がいくつも抱えているとなると話はややこしくなる。どこから手をつけたものか迷ってしまう。同時期にこなすべき仕事がいくつも重なってしまい、みんながみんなパニック状態に陥っているような状況である。
 このように職員が忙しく気持ちにやや余裕のない時期というのは、施設を利用する「知的障害者」のほうにも落ち着きのなさが目立つ時期でもある。興奮状態が起こり、いわゆる「不適応行動」を起こしやすくなってもいる。
 つい先日は、私の担当する「利用者」のひとりが興奮した末に、施設の壁に穴を開けるという事態が生じた。このような場合、担当職員が「後始末」(本人や家庭への対応、施設長や事務への報告、業者等への手配、各種書類の作成、等々)をしなければならない。「おいおい、ただでさえ忙しい時に勘弁してくれよ」と心の中で叫ぶと同時に、それとほぼ似た言葉が呟き(というより、ぼやき)として思わず口をついて出てしまった。
 普段それはそれは温厚な私であるが、決して聖人などではないし、聖人になりたいとも思わない。それでも職場の人間関係が比較的よい(「理想的」とは決して思わないし、愚痴を言い出せばキリはないが)というのは救われるところである。
 そういえば、職場の皆さんには既に秋公演のチラシは配布しているが、そろそろプッシュしておかなくては。やること、いろいろあるよな〜。
 秋は公演とともに過ぎ去っていくんだろうな。めぐる季節のなかで、あなたは何をみつけるだろう?



2002年09月28日(土) 『ボディ・サイレント』と私

 人類学者として確固たる社会的地位を築いたロバート・マーフィー氏は、中年期から老年期にさしかかろうとした時期に、脊髄腫瘍のため身体麻痺者として生きることを余儀なくされた。そして、障害をもって生きる過程で、彼は数多くのことを発見する。
 彼の著作『ボディ・サイレント』では、いわゆる「障害者問題」の本質にも触れられている。だが、私がこの著作に対して何よりも感動を覚えるのは、彼が自らの障害に向き合い、障害をもって生きるという<宿命>をポジティブに受け入れようとする生きざまに対してである。『ボディ・サイレント』を演劇化することでより深い感動をもたらすことができたならば、それは私にとってこの上ない歓びとなることだろう。
 



2002年09月27日(金) 夏至夜夢(まなつのよのゆめ)

   身の中(うち)に
    死者と生者が共に棲み
   ささやきかわす
    魂(たま)ひそめきく
     (鶴見和子歌集『花道』より)

 鶴見和子氏は、私の大学時代の恩師であるが、7年ほど前に脳内出血で倒れ、以後身体麻痺を伴うようになった。以前、マヒを負った後の彼女の生きざまがテレビのドキュメンタリーでも取り上げられたことがあったが、80才をすぎてなお挑戦する気持ちはいっこうに衰えを見せていなかった。そのあたり、『ボディ・サイレント』の著者ロバート・マーフィー氏に通ずるものを感ずる。近年、彼女の社会学での数々の業績が著作集として出版された他、脳内出血で倒れてのち短歌を詠むようになった。次に、私が特に感銘を受けた一首を紹介しよう。

   萎えたるは
    萎えたるままに美しく
   歩み納めむ
    この花道を
     (鶴見和子歌集『花道』より)

 人生の終末にさしかかった時期に身体マヒを負うことになり、障害とともに生きることを迫られた鶴見さんだが、マイナスイメージでとらえられがちな「障害」というものに、そして自ら負った「宿命」に対して、積極的にそれを受け止め、美しく生きようとするその姿勢に、私は大いに感動させられるのだ。
 そして、これからお話しする「劇団態変」に関しても、同様の感動を受けないではいられなかった。

 「第40回全国知的障害関係施設職員研究大会(なら大会)」に参加していた私であったが、その合間を縫って、大阪城公園特設テントでの「態変」による公演「夏至夜夢(まなつのよのゆめ)」を観た。シェークスピアの『真夏の夜の夢』をモチーフにした、主宰・金満里氏の脚本・演出による作品だ。
 以前、「新宿梁山泊」のテント公演を取り上げ、今年私が観劇したなかでのベスト作品として位置づけたが、今回の「態変」の公演はそれに次ぐ作品と感じられた。そして、総合力では「新宿梁山泊」に軍配が上がるものの、舞台上の役者たちの存在感という点で「態変」は「新宿梁山泊」に肩を並べるか、あるいは上回っているようにも思えた。そういえば、テント芝居ならではの演出などの点では、「新宿梁山泊」や「唐組」を思い起こさせる部分もあったし、アングラ的な作り方がされていたと思う。セリフはなかったが、シェークスピアをベースにしていることもあってか、内容的にもわかりやすかった。
 「無言劇」のようでもあり、「舞踏」のようでもあり、「コンテンポラリー・ダンス」のようでもある、「態変」による身体表現は、ひとことで言えば、非常に美しかった。このことは、言葉だけではとてもうまくは伝えられず、非常にもどかしいのだが、スポットライトを浴びて今まさに存在している役者の存在、身体のマヒを伴ってそこにある肉体の美しさに、私は深く感動しているのだった(彼らに「同情の拍手」は無用だ)。
 マヒのからだは、役者の思いとは別の動きをすることもある。床を這って移動する役者の一人は誰の目にも明らかな「身体麻痺者」に違いなかったが、不思議なことに私は彼が「障害者」であることを半ば忘れかけていた。社会において障害を否定的にとらえる価値観が非常に強いが、ここではその価値観の転倒が起こったのだ。金満里氏の演出力に感服すると同時に、役者一人ひとりの存在が私たちに訴えかけてくる何物かの力に圧倒された。強い意志をもってそこに存在する、その生きざまが垣間見られた気がした。

 現在私は「福祉労働者」として生活の糧を得ているが、私が真に追い求めているのは「福祉」ということとはどこか違う気がしている。「福祉の対象」に「サービス」を与えていくことなどではなく、様々なハンディキャップを背負いながら生きる人々のその生きざまに寄り添うようにして生きていくことを望んでいるのだと思う。
 「劇団態変」の今公演では、予想していた以上の感動が得られた。最初に劇評として「美しい」と言ったが、「美しい」と「きれい」は違うものだ(岡本太郎氏が自著のなかでそう言っていた)。例えば、ピカソの絵は決して「きれい」ではないが、大変美しい。そこに作り手の生きざまが垣間見られ、その存在感に圧倒されるのだ。おそらく「態変」の美しさもそれに似た美しさではなかろうか(もしかすると「pH-7」の美意識もそれに近いのかも)。
 「態変」とともに私が注目しているものに「障害者プロレス」がある。障害をマイナスイメージでとらえがちな社会の価値観へのアンチテーゼを提示している点で共通した部分はある。「障害者プロレス」のなかにも美しさを発見する瞬間があるが、一方で、「態変」とはアプローチの仕方も、目指している方向も若干違うように思う。「障害者プロレス」が「芸能」だとすると(エンターテイメント性あるいは大衆性が強い)、「態変」の目指す方向性は「芸術」ということになるのだろう。「態変」の公演に感動した私は、次には「障害者プロレス」を観に行きたいとも思った。
 



2002年09月26日(木) 大和(奈良)は国のまほろば

 「全国知的障害関係施設職員研究大会」というのが奈良で開催され、職場を代表して参加してきた。何でも今年で40回目を迎えるという歴史ある大会だそうな。第6回大会では、糸賀一雄氏(彼の福祉思想は、戦後日本の福祉に大きな影響を及ぼした)が壇上で倒れ急逝した、とのこと。そんな大会だったとは全然知らなかった。
 今回の参加者はおよそ3500名、1会場に収まりきらず、メイン会場に入れない約半数の人達はサブ会場にて「全体会」の模様をモニターで見るという形がとられた。これじゃあ、国立競技場の大画面で「ワールドカップ」を見ている人達と、状況的には一緒だよね(私は、メイン会場組でしたけど)。それから、開会式はVTRやBGMが多用されていて、かなり大仰だった。
 ところで、知的障害者分野では来年度から「制度改革」が実施され、施設の位置づけも、職員の「利用者」への対応の仕方も、変更を求められることになる。老人福祉分野での「公的介護保険」のスタートと同程度のインパクトはありそうだ。
 ここ数年(「われわれの業界」では)「本人主体」などという言葉も盛んに叫ばれるようになってきたが、裏を返せば、これまでは「本人」つまり「障害者」の思いはないがしろにされてきたということでもある。だが、そのことが「制度改革」を機に改善されていくかという点について、私は非常に懐疑的である。
 初日の全体会では、開会式に引き続き、「行政説明」「特別講演」「基調講演」が立て続けにあり、これでだいぶくたびれた。アフターファイブはと言えば、翌日の分科会での講師の方々を囲んでの懇親会。これは自由参加ではあったが、参加してみたところ、なかなか面白かった。講演では語られぬであろう部分も含めてざっくばらんな話もできてよかった。
 2日目以降の「分科会」では「基調講演」「実践報告」「グループ討論」「シンポジウム」と続いた。他の現場の意見などを聞くことができたのはよかったし、それぞれの発表もそれなりに興味深く聞いた。職場を一歩離れ、たまには研修を受けてみるのも悪くない。ただ、同じ椅子に同じ姿勢のまま長時間居続けるということの苦痛をも経験した。
 奈良での研修と聞いて最初は「ラッキー」(「奈良観光が楽しみ」)と思った私だが、結局は観光らしい観光はほとんどしないままに(「劇団態変」のテント公演は観たけどね)奈良を発った。奈良公園を散策してシカを見ることができたことで今回は納得することにした。この時期余裕があれば、奈良ではゆっくりしたいところだったが、諸事情があって断念せざるを得なかった。
 思えば、奈良には数回来ているのだが(中学・高校の修学旅行がいずれも京都・奈良だったし、その他プライベートでも2,3度来ている)、結構この地を気に入っている。何を隠そう、私は「素人・仏像鑑賞家」でもあり、「にわか古寺巡礼者」だったり、「鄙びた場所・愛好家」だったりする。こんな私にとってみれば、奈良は見るべきものがあふれそうなほど沢山ある場所ということになる。これからの季節は奈良観光にはうってつけなのだが、稽古があるから無理やな。いつかまた奈良にいくでえ。
 
 「態変」の公演レポートは、明日の日記ででもお送りするとしよう。どうぞ、お楽しみに。
 



2002年09月24日(火) 明日に備えて

 昨日まで職場の仕事のことはすっかり忘れていたけれど、休み明けの今朝、仕事は一気に目前に現れた。明日から3日間、障害者施設職員の全国研修会のため奈良まで出掛けていく。研修自体はさほど大変ではなく、(仕事とはいえ)ちょっとした気分転換にはなる。でも、研修で職場を留守にする間は当然職場でしかできない仕事はできない。だから、研修の前後はどうしたって忙しくなる。10月の前半はそれでなくても忙しいのだから、今から少し心配になる。
 でも、ここは前向きに考えることにしよう。研修自体、何か面白いこともあるものと期待している。日程的に奈良観光はできそうにないが、その代わり大阪まで「劇団態変」の野外公演を観に行くのさ(奈良と大阪は意外と近い)。今日、研修費を受け取ったけど、そのうち交通費はケチって普通なら新幹線で行くところを「近鉄を乗り継いで」行き、その浮いた分を芝居につぎ込むってハラなのよ。「甲州屋、その方もなかなかのワルよのう」「いえいえ、お代官様ほどではございません」「ワッハッハッハ」、ってな寸法でぇ。
 稽古も木曜は出られないので、次は土曜日。間が空くのは結構心配だけど、致し方ない。

 とか言ってると、風呂場の方からグツグツいってる音がしてきた。しまった、またやっちまった、明日の昼あたりに入るとちょうどよさそうな湯加減だ。明日からビジネスホテル泊まりだから、今日は湯船にしっかりつかっておきたかったのに。
この失敗は数え切れないくらいにやっているんだけどね。
 とにかく今夜は早いとこ寝るようにしよう。では、お休みなさいませ。



2002年09月22日(日) <死ぬこと>と<殺されること>は明確に違う

 17日の日朝首脳会談において北朝鮮側から明らかにされた「拉致」の「事実」を前に、日本じゅうが大きな衝撃を受けた。テレビ等の報道によって伝えられた「拉致被害者家族」の悲痛な面持ちは、それを見ている私たちの心をも重く沈ませ、北朝鮮という国家への不信を一層かき立てることとなった。
 私は、日朝両国民が和解し、隣国としてよい関係を築いていくことを、何よりも望んでいる。だが、その前提として、両国間にある不信の原因を取り除いていく必要がある。その一つとして、「拉致」の事実究明であり、北朝鮮にまつわる様々な疑惑の解明、そして場合によっては謝罪と補償が求められよう。ここで注意すべきは、北朝鮮を「ならず者国家」呼ばわりしている側(日本、そしてアメリカ)には果たして何の問題もないのかという点である。見方によっては、日本やアメリカの側こそ「ならず者国家」とも言えるのだ(この点については、歴史的事実をよく検証しておく必要があろう)。

 結果として北朝鮮側が「拉致」の「事実」を認めざるを得ないところまで追い詰められたということであろう。しかし、同時に北朝鮮側が事実として発表したことは、日本国民に新たな不信をもたらすこととなった。
 「拉致」についての証拠隠滅がはかられた、死んだとされる人は北朝鮮当局によって殺されたのではないか、との疑念はいっこうに晴れない。
 ここで私は、「死ぬことと殺されることは明確に違う」という言葉を思い出す。薬害エイズ被害者の川田龍平さんが、ある雑誌での対談のなかで発言した言葉だ。
死亡か生存かの事実はどうあれ、少なくとも比喩的には、「拉致被害者」は連れ去られた時点でまさに殺されようとしたことに間違いはないのだ。そして、そのことと、かつて大日本帝国が朝鮮半島の人々に対しておこなった数々の犯罪的行為とは通底するものではなかっただろうか。

 誰の上にも、死はやってくる。だが、<死ぬこと>と<殺されること>とは明確に違う。人は、自らの人生を全うすることをこそ求められているのだ。自らが殺されようとした時には(社会的に抹殺されようとした場合にも)、それに抵抗すべきなのだ。その抵抗こそが、生きる証でもある。
 そして、闘いの末には、この上なき人生の歓びがもたらされるであろうことを信じてやまない。



2002年09月18日(水) ポジティブな宿命論者

   もう一度人生をやり直すとしても私は何ひとつ変更しようとは思わない。い  つのまにか私は宿命を信じるようになってしまったかのようなのだ。

 ロバート・マーフィー『ボディ・サイレント』のなかの一節である。人生の中途で身体麻痺を負ってしまった彼だが、自らの辿ってきた道を振り返りながら、変更したいことは何ひとつないと言う。自らの宿命を積極的にとらえようとするその態度に、私は深い共感を覚える。そして、私もそのようにポジティブな宿命論者であり続けたいものだと思っている。


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