夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年07月02日(火) 我が儘に生きたい

 6月30日、pH-7旧アトリエを完全に引き払う。新アトリエの片付けはこれからだけど、これがまたまた大変そうだ。とりあえず7月のはじめはオフ。
 オフということでホッとしたかと思えば、職場の仕事のほうはいろいろとあって・・・。まず、日常的な業務に加えて、職場の行事(福祉施設の夏祭)準備もある。日々の業務も年々忙しくなる一方。だからと言って給料は上がらないけどね。
 職場の仕事は、「自己実現」という部分がないわけじゃないけど、「生活の糧を得るため」という部分がだいぶ大きいかな。時には、気が進まないことだってある。でも、「雇われの身」というものはおおよそそのようなものだろう。だからって経営する側が楽とも思えない。いずれにしても「生活の糧」を得るのは楽じゃないよね。
 あくせく働く日々のなかで、果たしてこのままでいいのかと思い悩むこともある。「辞めたいけど、辞めたら生活できないよな」なんてこと、多くの人が時々は考えることだろう。でも、だからこそ、仕事を離れ、個人の時間を持つ時に、大きな喜びを感ずることができる。酒が旨く感じられ、美しい音楽に疲れを忘れることもでき、虚構の世界に酔いしれることもできるのだ。
 職場の仕事は、生活していくためになくてはならない。けれども、それだけでは、私の生活は豊かにならない。例えば、結婚して家族のために働く、という生き方もある。私は、必ずしもそれを拒否しているわけではない。でも、だからと言って、「マイホーム」だけを大事にする生き方は選択しないだろうと思う。
 
 わがままに生きたい。<わがまま>と「自分本位」「自己中心的態度」とははっきり区別したい。<わがまま>とは、様々な人々が生きるこの社会の荒波にもまれながらも、自分を見失うことなく、自分らしく生きる、という意味である。
 そのなかで私は、<反・差別><共生>を追求し、<表現>というものにこだわり続けていきたい、と思う。



2002年06月29日(土) ダンス・ダンス・ダンス

 今日は、ダンス公演を2本観てきた。

 まずは、東文化小劇場で行われたコンテンポラリー・ダンス公演から。「ダンスと演劇、映像、音楽の融合した作品」とのことで期待して観にいった、水の上・草喰の会提携公演「真実の生活2002」。結論から言えば、ちょっと期待はずれだった。面白く感じられた部分も多かったが、全体的には散漫な印象があった。特にセリフのある部分が浮いた感じがあった。全体の構成からすると、無言劇(セリフなし)で表現したほうがむしろよかったのでは、と思った。

 夕方からは、愛知県芸術劇場大ホールで、名鶴ひとみステージングダンス公演を観に行く。友人Nさんの娘さんも出演するというので、チケットをだいぶ前に購入していた。名鶴さんがタカラヅカ出身ということもあってか、タカラヅカみたいなステージだった。ジャズダンス系の公演は初めて観たわけだけど、理屈抜きで面白かった。ダンスをカッコよく見せるための演出のセンスを随所に感じた。舞台装置にもかなりおカネがかかっている感じがあって、オープニングから圧倒されるような仕掛けがなされていた。
 私の隣の席にはNさんが座り、娘さんを指し示してくれるのだが、動きがスピーディーですぐに見失う。何しろステージ上に数十人が素早い動きで踊っているのは壮観だ。自分がもしあのステージで踊るとして、うーん、あの動きについていけそうにない。たとえ、ついていけたにしても、間違いなく何日かは寝込むね。
 それから、大きな舞台で演じられるっていうのも、ちょっといいよね。おカネさえかければ、ホントいろんな演出ができてしまうよな。いろいろとイマジネーションを働かせながら、舞台を観ている私だった。

 ダンス公演を観るのも楽しいけど、私も何か踊れるといいよな。役者の端くれとして、いろんな表現を貪欲に吸収していきたい。

 



2002年06月26日(水) 30代ひとり身の特権

 今日は午後お休みをもらって、申請してあったパスポートを取りに行った。この夏、ロシアへのツアー(モスクワ、サンクトペテルブルグを中心にまわる)に参加する予定。個人旅行のほうが旅としては面白いだろうけど、いろいろと手間を考えて今回は安易にパッケージ・ツアーを利用することにした。
 という話を元同僚にしたら、なんと「わっぱの会」(私が以前勤めていた「障害者運動団体」)は今年度コース別に海外旅行(アジアコース、オセアニアコース、北欧コース、イタリアコースなどがあって、それぞれ現地の人達とも交流を持つ)だそうな。仕事の一環として行くから普通の観光旅行とは違う(様々なアクシデントは予想され、神経は遣う)けど、逆に言えば、個人の休暇を使わずに、仕事として認められて、盆、暮れなどの混んだ時期ではない時に行けるというわけだ。ちょっぴり(だいぶ?)ジェラシーを感ずる。まあ、辞めたことを後悔はしないけどね。

 その同僚とは違う別の同僚に、今日、思わぬ所で出会ってしまった。夕方、私はクラブ・クアトロにディアマンテス(沖縄を拠点とする、日系人・日本人混成の「オキナワ・ラティーナ」バンド。甘く情熱的なアルベルト城間のボーカルがラテンのリズムに乗って、熱いながらも爽やかさを感じさせてくれる)のライブに出掛けたわけだが、会場の最前列に陣取っている人々のなかに彼女を見つけた。
 実はその彼女も仕事の合間に芝居をやっている。彼女の所属する劇団は「ちむどんどん」といって、<沖縄>(簡単に言ってしまえば「基地問題」かな)をテーマとするオリジナル作品を演ずる名古屋の劇団だ。役者がそんなにうまいわけじゃないし、台本だって一流の作家が書いたものではない。でも、観ていて退屈することはないし、あとには一種の清涼感が残る(これまで3つの作品を観ている。上演時間はたぶん休憩をはさんで2時間程度だったと思う)。おそらく、テーマの設定と、そのテーマに取り組む志の高さとが、彼らの強みではないかと思う。公演のペースは1〜2年に1回程度だが、機会があれば一度観てほしい。

 芝居から離れても、仕事に遊びにボランティアに、と多忙な日々を送っている。部屋の掃除は碌々できず、というか、家にあまりいないよな。20代の頃は逆に外にあまり出なかったのに(休みの日などは、疲れ果てて家で寝ていることが多かった)。自由になるお金もある程度あって、家族を気にすることもない。30代独身の特権てやつさ。今は、30代の「青春」の日々を謳歌している。



2002年06月23日(日) 「大麻ビール」(?)を飲みながら

 「pH-7アトリエ」の引越「本番」は無事終了。相当きついであろうことを覚悟していたが、意外と早く切り上げることができた。2時には作業が終わっていたからね。この日のために都合をつけて手伝いに来て下さった方には感謝するばかりだ。
 帰りに菱田さんが吹上まで送って下さったので、そこから地下鉄で桜山まで移動。駅前の楽器店でウィンドショッピング。バンジョーやマンドリン、エレキベースにも心惹かれるものがあったが、グッとこらえて店を出た。

 その足で今度は、世界のビールを扱った「ビア・スポット」へ(姉妹店の「知多繁」がこれまた日本酒、焼酎、ワイン、ウィスキーなど品揃え豊富)。「pH-7」関係者には不評だった「チョコレートビール」等ハズレもあるが、他ではなかなか入手できそうにない海外の地ビールも多く、大概は旨い。ビールについての認識が変わると言おうか、普段われわれが口にする日本のビールがまずく感じられてくる。
キレ味を求める方には暑い国のビールを、コクを求める方にはヨーロッパの北寄りの国のビールをおすすめしよう。また、いろんな国のビールを飲みながら、その地に思いを馳せるのもいい。
 私はどちらかと言えばキレよりもコクを求めるほうなので、特にベルギービールが好きだな。たとえば、「シメイ・トラピスト・ビール(ブルー)」は「熱処理も濾過もせず、瓶詰め直前に新鮮な酵母を加えて造る瓶内二次発酵の自然熟成ビール」であり、ワインじゃないが3年ねかせたものらしい。
 結構珍しいビールもある。ここに紹介するのは、通称「大麻ビール」。正式には「麻の実入りへンプドラフト」。麻薬の大麻とは関係ないらしい。へンプの実は、「良質のタンパク質と8種類の必須アミノ酸を全て含み古来より七味唐辛子の薬味のひとつとして珍重されて」いるとのこと。

 で、そのヘンプドラフトを飲みながら、ビデオ録画しておいたテレビ番組「波乱万丈」を観る。ゲストは、はしだのりひこ。日本フォーク界の草分け的存在。「フォーク・クルセダーズ」(空前の大ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」はあまりにも有名)、「はしだのりひことシューベルツ」(名曲「風」を生んだ)、「はしだのりひことクライマックス」(これまた「花嫁」がヒット)とバンド活動を経てソロ活動を開始するが、第一線からは遠のいていた。
 ここでは、不朽の名作「風」を取り上げたい。自然と口をついて出る、歌詞とメロディーを持つこの曲だが、30才を過ぎてから心にしみ通ってくるようになった。

  人は誰もただ一人旅に出て
  人は誰もふるさとを振りかえる
  ちょっぴりさびしくて振りかえっても
  そこにはただ風が吹いているだけ
  人は誰も人生につまづいて
  人は誰も夢破れ振りかえる

 挫折ある人生を、やさしく、せつなく歌い上げた「風」は、人々によってすでに30年以上歌い継がれている名曲である。



2002年06月22日(土) 「島唄」、「ナショナル7」・・・

 まずは、昨日放映のテレビ番組「たけしの誰でもピカソ」(録画ビデオを今朝見た)からの話題。「電子楽器オンド・マルトノ」「奄美の歌姫・元ちとせ」といった話題も興味深かったが、「アルゼンチンでも大ヒットの、ザ・ブームの『島唄』」をここで取り上げたい。
 昨年12月にアルゼンチンでリリースされた「島唄」は、日本語の歌として異例のヒットとなり、ワールドカップにおいてもアルゼンチン応援ソングとしてサポーターの間でも採用されたという。以前「島唄」の中国語バージョンを聴いて楽曲としての素晴らしさを再認識したものだが、「沖縄戦の悲劇」をモチーフにしながら美しいメロディーを持つこの曲は世界に通用するものなのだろう。
 ザ・ブームのリーダー・宮沢和史は沖縄やブラジルの音楽に影響を受けながら、世界を舞台に活躍。いまや世界に向けて発信するまでになった。すばらしい音楽は国境を越えて人々を感動させる力を持つんだよね。

 次なる話題は、「身体障害者のSEX」をテーマに描いたフランス映画「ナショナル7」について。これは、フランスの障害者施設で実際にあった話を元にしている。
 チェアウォーカー(車椅子生活者)のルネは他人の介護を必要とし施設に暮らすが、介護人たちに悪態をつき、施設では一番のトラブルメーカーだ。しかし、彼がトラブルを起こすのにも彼なりの理由があった。性欲があってもそれを満たす術はない。人生に絶望していた。女性介護人・ジュリは、彼の意向を受け、国道沿いに立つ娼婦フロレルの元を訪ねるのだが・・・。
 「障害者にだって性欲はある」という至極当然なこともこれまでタブーとされてきた。「健常者」ならセックスするのだって他人の介助はいらないだろう。でも、要介助の「障害者」はそういうわけにはいかない。何をするにも他人の手を借りなければならない。プライバシーにかかわる領域までも人目にさらしながら生きていかなくてはならない。そのストレスは半端ではない。
 あらゆる意味において、「障害者」が人として生きていくことに様々な困難がつきまとう。「ナショナル7」は、ユーモアをを交えつつも、私たちに様々な問題を突きつけている。



2002年06月21日(金) 引越にまつわるエトセトラ

 「pH-7アトリエ」の引越準備が今日も続く。もう長いこと、稽古らしいことやってないよな。劇団であることを思わず忘れそうになる。

 今日は、引越についての「小咄」(?)でもしようか。
 7,8年くらい前、俺は週1回の割で引越のバイトをした。1日に引越作業(荷物の搬出と搬入)が2件。会社から9千円の日給、それに依頼人から「お車代」が出ることもあって、実質1万2千円程度の報酬を得ることになる。でも、そのバイトはかなりきつかった。最後のほうになると5センチの段差ですら足が上がらない。翌日二の腕が痛くて腕が上がらない。結局3日でバイトは辞めた。そんな俺だから、今週末の引越も自信がない。
 自信がないと言えば、今週末の引越作業の際に2トントラック(アルミバン・ロングサイズ)の運転をすることになってるが、これまた自信がない。4年ほど前には「ジャパンレンタカー」でバイトして、2トントラックの運転も時々したものだが、運転自体があまり好きじゃないんだ。特に、大きな車を狭い道で走らせなくてはならない場合は最悪だ。でも、必要に迫られれば仕方ないのだ。
 とまあ、引越を前に弱音を吐いてる俺だが、別に一人で引越するわけではない。劇団員・スタッフの他、当日の助っ人を申し出てくださる方々もいる。天気もどうやら晴れそうだし。そうだ、何事もプラスに考えなくては。
 それにしても、引越の翌日は仕事(長引きそうな会議も控えている)の後に、その翌朝にかけて泊まりのボランティア活動が入っているじゃねえか。こいつぁ、マジにきついぜ。とか言いながら何とかなっていくのも、これまた人生だ。

 一連の引越作業すべて(新アトリエの整理も含めて)が終わったら・・・。しばらく休みたい気持ち半分、早く芝居に取りかかりたい気持ち半分。でも、今は先々のことにまでまで思い至らない状況でもある。



2002年06月19日(水) 酒場でDA・BA・DA

 昨晩、「pHー7新アトリエ」への移転に関する打ち合わせがあった。まだまだいろいろとやることはあるね。打ち合わせ後、東新町の「服部道和さんの店」(と言っても、キャラクターグッズが置いてあるわけではない)で飲んだ。しゃおりん、みくりんの二人は、バーテンダー気取りでカクテルづくりに挑戦していたな。
 俺、結構、酒が好きでね。決して強くもないんだけど、チビチビやるのがいいんだ。ビールも、ワインも、日本酒も・・・、とにかく旨く飲めれば何でもいいわけさ。でもね、4,5年前に「急性すい炎」にかかって、3,4ヶ月禁酒した(ちょうど「スーパー一座」にいた頃の話だ)。あの頃もの凄く具合が悪くて、俺はてっきり「死に至る病」にかかっているんじゃないかって思い込んでいた。医者に行ったら「急性すい炎」との診断、でもその時ショックだったのはむしろ飲酒を禁じられたことだった。
 あれからは多少セーブしながらもアルコール・ライフをエンジョイしている。その時々でいろんな飲み方を楽しむ。ひとつ紹介したいのは、ワイン、白ビール、黒ビールをそれぞれ3分の1の割合で(結構テキトウだけど)つくったカクテルだ。試しにつくってみてほしい。もしもあなたが酒好きなら、きっと気に入っていただけることだろう。それに素敵な音楽を聴きながらってのも最高だ。
 最後にひとこと。酒は飲んでも、呑まれるな。あくまでも楽しく飲むことが大切なことである。



2002年06月18日(火) ライフワークについて

 昨日は外泊した。決して色恋沙汰ではないんだな、これが。チャレンジド(「障害者」)のグループホームに泊まり込んでの「援助活動」(この言葉に私は多少の抵抗感を覚えるのだが)である。と言っても、私が到着する頃には、食事作りのボランティアさんによって夕食は用意されている。ごはん食べてお風呂入って、あとは時々必要に応じて声かけするくらい。普通であれば気を遣うことも多いのだろうが、入居者にせよ「世話人」にせよ、私には顔なじみの人ばかり。それなりに気は遣うが、自分なりに無理のないスタンスがとれていると思う。
 昨晩は、入居者のひとりが私に紅茶を入れてくれた(いつもは食後にコーヒーを入れて飲む彼女だが、私がコーヒーが飲めないことを承知していた)。彼女は自分が飲みたくて、ついでに私にも紅茶を入れたわけではあるのだが、そうした行為を通じて他人とのコミュニケーションを楽しみたいといった欲求もあるようだ。
 仕事場から解放されて「生活の場」に戻った時、誰もがそこに求めるのは「ホッとできる雰囲気」に他ならない。「社会的な装飾」を解いて「すっぴんの自分」が許される場所。そんな場所があればこそ、日々の仕事に出掛けることができるのだと思う(いくら報酬があっても、仕事はやはりつらいからね)。そんなことを思いながら、私はできるだけ入居者一人ひとりの話に耳を傾けようとするわけだ。自分にできる範囲のなかでそうしているにすぎないのだが。
 それと、私のこだわりのひとつ。「健常者ー障害者」の関係を「援助者ー被援助者」の関係だけに短絡化させたくはないと思っている(「施設」においては、「健常者たる職員=援助者」に対する「障害者たる利用者=被援助者」という一方通行的な関係があてはまる)。チャレンジド(「障害者」)は常に「援助される対象」であるわけではないのだ。チャレンジドが援助する側にまわっても不思議ではないはずだ。実際に私自身が、何度もチャレンジドに助けられている。チャレンジドをめぐる関係を本来の姿に(対等に)戻していくことこそが求められている。そこを踏み越えずして共生はありえないとも言える。

 現在、私は「施設職員」として生計を立てている。「演劇」に取り組めるのも、サラリーをもらえる職場に勤めているからである。しかるに、つきつめていけば、現在の職場での仕事と自分のポリシーとの間にどこかズレを感じずにおれない。もちろん、サラリーをもらっているかぎり、それに見合った仕事をするつもりではある。でも、それだけで人生は終われないし、そんなんで過労死なんて絶対に嫌だ。たとえ報酬は得られずとも自らのライフワークのひとつと位置づけやっていきたい<仕事>がある。ひとつは「反・差別」「真の共生」にかかわる<仕事>であり、もうひとつは「表現」(もちろん演劇も含んでいる)にかかわる<仕事>である。
 夢を実現するために、まだまだ私は生き続けなくてはいけない。



2002年06月16日(日) OPERA

 今日の午後は、引き続きpH-7アトリエの移転準備作業。午前中はほとんど寝そべっていた。夕方、作業が終了して解散した後、今池・シネマテークで映画「トゥーランドット」を観た。プッチーニの名作オペラ「トゥーランドット」(中国を舞台にしたオペラ)が紆余曲折を経て北京の紫禁城で上演されるまでのプロセスを追ったドキュメンタリー映画だ。中国人スタッフとヨーロッパ人スタッフとの対立、広大な紫禁城を公演会場にしたことによる様々な困難などを乗り越えて、歴史的プロジェクトは成功裡に終わる。
 それにしてもオペラってホントに素晴らしいね。というか、贅沢な「見世物」だと思うよ。オペラ歌手(ソリストとコーラス)とオーケストラの他、スタッフまで含めると何人の人間が一つの公演に関わることになるのか。当然その過程には、対立関係・緊張関係も生まれる。それでも、幾多の苦難を乗り越えて公演初日を迎えることになる。一つの目標に向かって全員が突っ走っていけるだけのエネルギーをオペラそのものが与えてくれるとも言える。
 でもね、日本のオペラ界は硬直化しているとも思う。「声楽」に偏りすぎているというのかな、もちろん歌唱力は必要だけど、演劇的な部分でのパワーに欠けているのではないかと思うんだ。その意味では、スーパー一座による大須オペラ(7月16日より公演開始)は一つの方向としては面白い、と感ずる。
 いつかウィーンあたりのオペラハウスの天井桟敷から、本場のオペラを堪能してみたい、とも思っている。



2002年06月15日(土) 「I am Sam」

 午前中映画を観た。
 午後仕事絡みの研修で、小林繁市氏(北海道・伊達市地域生活支援センター所長)による講演会(「まちに暮らす〜知的障害のある人たちの地域生活支援を考える〜」)に出席。
 それが終わってから、pH-7アトリエ移転準備の作業。
 で、今日は午前中に観た映画について触れたい。

 名駅の映画館で「I am Sam」を鑑賞。知的障害を持つ父親と幼い娘の絆を描いた作品だ。「知的障害者」サムは7才になる愛娘ルーシーとふたり暮らしを送っていたが、知的障害を理由に福祉局から親権を取り上げられ、ルーシーとも引き裂かれてしまう。弁護士とともに親権を取り戻すべく奔走するのだが・・・。
 その感想については、「見やすい映画」ではあったが、とても丹念に描かれた作品だと感じた。「障害者」と言えば、「健常者より劣った存在」「健常者に一歩でも近づくべき存在」ととらえられるか、もしくは、「純粋・無垢な存在」ととらえられがちだ。そうした見方は、映画やテレビ・ドラマにも反映される。特に、「障害者」を扱った日本のテレビ・ドラマにはおよそ鑑賞にたえない作品が多い。その点、「I am Sam」は取り組んだテーマもよく、展開もよかったと思う。
 知的障害を理由に愛娘と引き裂かれてしまうという悲劇性は、現実の社会のなかに包み隠されている。「専門的立場」と「善意」とによって「専門家」は、結果的に「人間の絆」を断ち切ってしまうという過ちを犯す危険性を持っている。
 知的障害を持つ者にも幸福を追求する権利がある。結婚する自由だって、子供を生んで家庭を築く自由だってあるはずだ。知的障害のゆえにトラブルを生ずる場合もあるかもしれない。しかし、他人様が「人間の絆」まで断ち切ることなど許されることではない。あくまでも「人間の絆」を壊すことなく、いかなる支援があればトラブルが解消されるかが考えられるべきことなのだ。
 タイトルの「I am Sam」にこめられたであろうメッセージを読み解いてみる。「私はサムという固有名詞を持った人間」であり、「知的障害者として十把ひとからげに語られることを快しとは思っていない」ということが一つにはあろう。
 また、「私は、尊厳ある唯一無二の人間サムとして」「今ここに存在する」との意志表明ともとれなくはない。障害を持った人間は社会のなかに身の置きどころがなく「施設」に追いやられている、という現実がある(俺自身は「施設職員」でありながら、「反・施設」とでもいうべき思想を持っており、そのあたり微妙な問題を抱えてはいるのだが・・・)。「知的障害者」の呟きは周囲にかき消され、社会的には存在を否定されるという状況が続いている。「社会的な不在状態」からの回復こそが求められている。
 それにしても、映画の全編を流れるビートルズ・ナンバー(カバー曲)の数々は、ドラマに彩りを添え、よりいっそう深い感動へと導いてくれる。どちらかと言えば、「ストーンズ派」(その昔、洋楽ファンの間では、「ビートルズ派」か「ローリング・ストーンズ派」かが問題とされた)の俺だが、あらためてビートルズの名曲に聴き入ってしまった。

 近日中に、「障害者のSEX」をテーマにしたフランス映画「ナショナル7」が封切られる予定。それも観に行くつもりにしている。

 


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