ワールドカップ、「日本対ロシア」を観てしまった。日本人サポーターたちは、日本の勝利に酔いしれていることだろう。でも、私はちょっと醒めていて、ロシアのミスに助けられた勝利、との認識に立っている。最初からロシア・チームはなぜか浮き足だっていた。それからまた地元での開催ということで日本に有利に作用したことも少なくはあるまい。私は「非国民」なので、特に日本を応援したりはしないのだ。純粋にサッカーを観て、選手達には世界レベルの素晴らしいプレイを期待しているだけさ。 ついでにもう一つ「非国民」的意見を言えば、スポーツの国際舞台での「日の丸掲揚」「君が代演奏」の儀式はやめてほしい。あれを見たアジア各国の人々は不快感を感じていないだろうか。また、第2次世界大戦下の日本において唯一地上戦の戦禍に見舞われた沖縄の人々の間でも不快に感ずる人は少なくないだろう。「日の丸」「君が代」にはぬぐい去れぬ過去の記憶が刻み込まれている。
本当はその「日本対ロシア」があった時間、さるワークショップ(パフォーマンス関係の)に出ているはずだったのだが・・・。夕方その会場まで行ってしばらくいたのだが、何かその場の雰囲気になじめず、タイミングをはかって帰ってきてしまった。こんなことなら「翔航群」の芝居を観に行きゃよかったと思ったけど、あとの祭りだわさ。 今日、実は2本芝居を観ている。一つは名古屋大学の「劇団・新生」(学生劇団というのも観てみたかったので)、もう一つは「燐光群」だ。 「新生」のほうは、それなりに面白くはあったが、セリフが聞こえづらい箇所もところどころあって、滑舌がよくなかった。
一方「燐光群」は、数年前に観た作品以来2度目。前に観た芝居は一つのテーマに沿って深く掘り下げていく形をとっていたが、今回は「ひきこもり」をテーマに据えながらも断片をかき集めたような印象だった。ジグソーパズルのピースをあちこちから集めて当てはめ、最後に完成を見る、とでもいった過程をたどっていた。 つまらないと言っているわけではない。面白くはあった。舞台上には「屋根裏」がポツンと置かれ、その仕切られた狭い空間のなかで役者達がドラマを展開させていく。その狭苦しさは演出されたものなのだが、観ているこちらまで縮こまって息が詰まりそうだった。その意味ではちょっと辛いところはあった。 とはいえ、「燐光群」の芝居は、だいぶ好きなほうだ。いわゆる「社会派」に分類されるような芝居なのだが、説明的でないところがいい。あの手の芝居は、現実をいかに切り取り、観客の前に提示するのか、について十分練られていないと、退屈きわまりない芝居でしかなくなってしまう。特に現代は、虚構よりも現実のほうがもの凄かったりもするからね。で、「燐光群」だけど、役者もしっかりしていると思うが、やはり作・演出の力が大きいだろう。坂手氏のなかでしっかりと問題意識を持ってとらえられた芝居のつくりがされていると感ずる。
さて、明日は「翔航群」を観に行こうか。それを最後にしばらくは観劇生活から 離れることになろう。当面は、稽古場の移転準備に追われそうだ。何事もプラス思考でいこうじゃないか。
巷では、ワールドカップ・サッカーの話題で大盛り上がり。プロ野球はすっかり霞んでしまったようだ。今日は、スポーツ談義でもしようか。
まずは、サッカー。Jリーグにはほとんど興味のない私だが、サッカーそのものは好きなスポーツだ。ひとつのボールを奪い合い(主に足で蹴ってボールを扱う、プレイ中はボールに手で触れてはならない)、イレブン(チーム11人)が連携して相手ゴールを目指す。シュートが決まれば得点となる。難しいルールはオフサイドぐらいで、シンプルかつプリミティブなスポーツと言える。どこか野蛮な匂いさえ感じられて、そこんとこがいいんだけど、Jリーグは脱色されて何かつまんない感じがする。同じようなことは日本のプロ野球にもあてはまるかな。 ワールドカップはJリーグとは本質的に違う気がする。プレイのレベルが違うということもあるが、それ以上に情熱の違いのようなもの(「サッカー王国」と呼ばれる国々の人々とそれ以外の人々との)が感じられる。ワールドカップの試合そのものは興味があるけど、そこに行きすぎた商業主義の匂いが嗅ぎとれてしまうと興ざめしてしまう(チケットをめぐるゴタゴタなど)。
次に、野球。日本のプロ野球はつまらないと思う。ON(王・長嶋の黄金コンビ)が現役で活躍していた頃は、野球好きだったのに。当然巨人ファンでもあったし、「巨人の星」も好きだった。それが今ではアンチ巨人。他チームの有力選手を札束攻勢でかき集めて、結果として日本のプロ野球をダメにした元凶は「読売巨人軍」だと思っている。日本のプロ野球を観る気にもなれない。むしろ今はアメリカ大リーグに興味がある。別に「民族主義者」でもないはずなのに、日本人大リーガーを応援している。特に、野茂が好きだな。彼には確固たる信念のようなものを感ずる。タイプは違うが、新庄には親近感を覚える。
大相撲は本当につまらなくなった。昔はよかった、なんて俺も年とったってことか? 俺のなかで最強の横綱は「北の湖」(「大鵬」の現役時代は知らないので何とも言えない)。憎たらしいほどに強かったあの男。相手を土俵に投げ飛ばした後、彼はふんぞり返って「どうだ、俺様に勝てるわけねえだろ」みたいな態度を見せた(多分本人は無意識だったのだろうが)。気のいい力士は、負けた相手が立ち上がるのを手助けしようとするが、「北の湖」はそんな態度を決して見せなかった。「北の湖」の傲慢とも思える態度には、子供ながらに憤りを覚えたものだった。その「北の湖」が目に見えて弱くなった時があった。あんなに簡単に負けるなんて・・・。それまで蛇蝎のごとく嫌っていたはずの「北の湖」に初めて憐憫の情がわいた。その場所で「北の湖」は引退した。 「北の湖」が引退してさみしいという感情がわき起こったのには、俺自身驚いた。それまで傲慢としか映らなかった彼の態度が逆にカッコいいと感じられるようになった。自らが土俵に投げ出した相手に手を貸して起こしてあげること、それは一見親切のように思える。だが、ひとたび土俵に上がれば、力士にとってそこは「戦場」に他ならないのだ。敗れ去った者は自らの力で立ち上がってくるがいい。「北の湖」の態度は、無言のうちにそう語っているように思えた。
どうもさみしいかぎりの昨今の日本のスポーツ事情を語ってやるせない思いになってきた。まだまだスポーツに関しては思うところはあるのだが、いずれまた。本日はこれぎり。
| 2002年06月07日(金) |
最近1ヶ月の出来事(とりとめのない話) |
ここんとこ仕事が立て込んでいて、残業したんだけど、ちょっと疲れているのかな、頭が回転せず、仕事もはかどらないで、仕事を持ち帰った。でも、家で仕事をする気にはなれず、明日の午前中にでも休日出勤してケリをつけようかと思っている。劇団関係でも、移転準備などがあって、そちらも大変ではあるけれど・・・。 とか言いながら、しっかり遊んではいるんだな。それなりに日々の生活を楽しんでいるしね。
で、表題に沿った話題に移っていきたいんだけど、演劇関係は昨日触れたので、その他の話をしようと思う。 演劇以外となると、すぐに音楽の話題になるんだな、俺は。ライブに行った話はつい最近したので、それも割愛。そういえば、ちょっと楽器が増えたよ、パーカッション関係で。楽器屋に行くと、俺、結構、やばいんだよね。依存症が表面化しそうで。「インストルメンタル・ホリック」(曽根が命名しました)ってやつだよ。 だけどね、俺だけじゃないんだ、「楽器収集癖」のあるヤツは。有名人では、中島らも氏がそうらしい(そのあたりは、氏の著作『あの娘は石ころ』という文庫本に詳しく紹介されている)。 映画も何本か観た。「A2」(オウム真理教を追ったドキュメンタリー映画。面白くはあったけど・・・)、「鬼が来た」(旧大日本帝国支配下の中国を舞台にした中国映画。香川照之の演技はそれほどいいとは思わなかったが、不条理な物語の展開はすごく面白かったし、極限状態における人間の一面が見事に描かれていたと思う)、「自殺サークル」(着想は面白く、展開も悪くはないが、詰めの甘さが感じられた)、「KT」(現・韓国大統領の金大中氏は、かつて軍事政権下において反体制のシンボル的存在であった。その彼が東京のホテルから連れ去られた事件、あの謎に包まれた事件に迫った問題作は、大変見応えがあった)、等。 美術関係では、「モネ展」を名古屋市美術館に観に行った。俺は全くもって絵心というものがないので、絵の才能がある人間はすごいと思うけど、その人に嫉妬や羨望を覚えることはない(音楽関係ではそうはいかない)。で、印象派も好きだし、他の名画を観れば、それだっていいと思うに違いない。ゴッホだってゴーギャンだって(今たまたま思い浮かんだ)すばらしいし。ピカソは天才だと思うよ(なんて凡庸な意見)。でも、特に心揺さぶられるのはダリの絵だね。日本人だと、岡本太郎の存在(死んじゃったけど)に圧倒されるね。 アウトドア関係では、乗馬を4ヶ月ぶりにやったけど感覚を忘れてしまってる。 山にも行きたかったけど行ってないなあ。今一番興味があるのがケイビング(洞窟探検)。スキューバダイビングも、ハングライダーも、ラフティングも、ロッククライミングも・・・、いろいろ興味はあるので手当たり次第にやってみたいとも思ってる。
と、まあ、遊ぶことに関してはここには書ききれないほどに貪欲だったりする。 そうそう、作家活動もぼちぼちスタートさせていきたい。その前に、旅にも出たいなんて、欲望は飽くことを知らぬようである。だが、貪欲ではあっても、強欲にはならぬようにしたいと思っているところである。
| 2002年06月06日(木) |
ここ1ヶ月の観劇メモ |
最近1ヶ月ほどを振り返ってみると、とにかく毎週のように観劇の機会があった。ということで、その感想から。 「クセックACT」(スペインを舞台とした物語世界に引き込まれた。個人的には非常に好きなタイプの芝居。客演の火田栓子さんも素晴らしかった)、「ジャブジャブサーキット」(どちらかといえば静かでしっとりしたタイプの芝居。ストーリーの展開を十分に楽しんだ)、「B級遊撃隊」(「B級」の芝居は今回が初めて。佃典彦さんの描き出す不条理な劇世界が鮮やかに演じられていた)、「河童塾」番外公演(長野さんの作・演出作品。長野テイストはそれなりに感じられたが、役者の側からもっと気迫が感じられないものかとは思った)、「てんぷくプロ」(芝居小屋の空間の面白さ、それと演奏も挟みながら飽きさせない展開。面白かったけど、何かがちょっと足りないような気がした)。 まあ、他人様のことは何とでも言える。でも、いいものはいいし、よくないものはよくないのだ。立場が逆転して批評を受ける側にまわれば、人情として誉められたいとは思うだろう。しかし、だからといって甘く評価してほしくはないのだ。少なくとも私は「よくないものはよくない」と率直に言ってほしいと思っている。役者が舞台に立つ時、それは真剣勝負の瞬間なのだ。問題は「上手いー下手」ではないと思う(上手いに越したことはないが)。劇場全体を支配する空気がいかなるものかによって、その芝居の善し悪しは決するのではないだろうか。それは、同じ芝居でも毎回違ってくるものだろう。そこが、ライブの怖さであり、醍醐味でもある。 今後とも私は演劇に何とかしがみついていこうと思う。そして、やるからには中途半端なことだけはしたくない。一回一回の公演を完全燃焼していきたい。何が私にそうさせるのか、それは私にもよくわからないのだけれど・・・。
| 2002年06月05日(水) |
「障害者」だから不幸なのか?! |
障害者だから不幸なのか?! 10年くらい前に読んで共感した本のタイトルだ。その著者は、ご自身も下肢に障害を持つ、生瀬克己氏(10年ほど前にお会いした時は、桃山学院大学の教員をなさっていた)であるが、今日はその本とは直接には関係のない話をしたい。「障害者問題」2題。 その前にひとこと。私は、昔からずっと「恵まれない人々に愛の手を」という言葉の発する傲慢さ(強者の論理)を許し難いと感じ続けてきた。「恵まれない人々」とは誰を指すのか、そして、なにゆえに「恵まれない人々」は存在するのか。「恵まれない人々」を量産する社会(大多数の「普通の人々」によって構成された)の現実がある、ってことを私は忘れたくない。
さて、ここからが本題だ。一つ目は、「『チャレンジド』を納税者に」という話。「チャレンジド」とは、「神から挑戦すべきことを与えられた人々」を意味し、「障害者」という言葉の持つマイナス・イメージをプラスに転じようとの意図から使われ始めた。最初はアメリカで。そして、日本においてもその言葉を定着させようとする人々がいる。その代表格が、関西に基盤を置く「プロップ・ステーション」(プロップとは、支え、つっかい棒を意味する)の活動であり、その活動の中心にいる竹中ナミ氏である。5月25日に竹中氏の講演会があるというので出掛けてきた。 「『チャレンジド』を納税者に」というのはスローガンとしてあるが、本質的に実現したいことは別のことだと、彼女は言う。「コンピュータを一つの武器に」「職に就き、納税する」ことによって「社会参加を果たす」ということはイメージしつつも、最も実現すべきは「奪われた誇りを取り戻すこと」だ、と熱く語った。 (「プロップ」の活動や、竹中氏の考え方については、氏の著書『プロップ・ステーションの挑戦』をご参照下さい)。 ところで、「障害者」という言葉が「チャレンジド」という言葉に取って代わること、そしてプラスのイメージが付加されていくことに、私は大きな意味があると考える。「めくら」を「視覚障害者」に置き換えただけ(「不適当な表現」を「とりあえず」「より無難な言葉」に言い換えただけで、依然マイナス・イメージは残る)というのとはレベルが違う。「障害者」に対するイメージがプラスに転じていくことによって、社会の現実をも変えていく力が蓄えられていくように思うのだ。 言葉の発するイメージが変わることにより、現実が変えられていく、と私は信じている。ということで「チャレンジド」という言葉を普及させようと思う。
さて、二つ目の話。お題は「地域に暮らす『チャレンジド』〜グループホームでの取り組み〜」といった感じかな? グループホームというのは、(ごく単純化して言えば)大型施設の持つ弊害(閉鎖的かつ管理的な生活)に対する反省から徐々に生まれていった生活の場とでも言おうか。「地域のなかで」「一市民として」「誇りをもって」「人間らしい生活が送られるように」といった思いから、各地にグループホームが誕生していった。実は、私も20代半ばから30代はじめまで、とあるグループホーム(仲間内では「共同生活体」と呼んでいた)の一住人として(名目上は「世話人」という立場で)生活を送った。 ひと昔前(?)には、「障害者」の多くは親の庇護の下に生活を送るか、「収容施設」に入るか、の二者択一しか考えられなかった。「親亡き後は施設へ」が通り相場だった。そことの比較では選択肢は増えたとも言える。だが、「健常者」に与えられた選択肢に比べたら、まだまだ選択の幅は圧倒的に狭い。その意味では、「障害者だから不幸」と言うべき現実が横たわっていることも事実かもしれない。そうした現実を変えていくことが、私のライフワークというか、使命だと、考えている(別に宗教家ではないけどね)。 友人Sさん(かつての同僚でもある)が金山のマンション(オートロックの)の一室を購入して約1年前にグループホームを立ち上げた。同じく友人(かつての同僚でもある)Nさんもスタッフとしてかかわっている。Sさん、Nさんともに親しい友人である。私もボランティアとしてグループホームのお手伝いをするはずだったのだが、演劇に足を突っ込んでしまったのでSさんの皮算用ははずれた形になった。それでも、友人のよしみで時々遊びには行っていた。 10日ほど前にNさんから「力を貸して欲しい」と電話が入った。「これまでSさんと2人でローテーションを組んでやってきたけど、それぞれに自身の体調や家庭の事情などもあって、2人では余裕がないので」とのことだった。早速打ち合わせて「当面週1回程度は2人に代わって『泊まり』(夜から朝にかけて、「チャレンジド」の生活を支える)に入るようにする」ことで合意した。 で、昨晩はその泊まりの日。職場での仕事を終え、一度自宅に立ち寄ってから、グループホームに向かった。夜8時くらいに到着すると、入居者は既に夕食を終えて、テレビでワールドカップを見ていた(日本がベルギーに引き分けた試合のハイライトシーン)。そこには、ごくごく普通の生活があった。たわいもない会話を交わしながら、どこかホッとした時間を過ごしている。それぞれが思い思いの時間を過ごしながら、そこに流れる空気を呼吸する。言葉を発せずとも、そこには共有できる対話が成立しているのだ。「『障害者』である前に人間である」ということが「主義」「主張」でなく、「情感」としてそこに存在する。 「障害者」だから不幸なのか?! 現実の厳しさを障害当事者は身をもって体験しているはずだ。第三者的には「不幸」とも思える現実がある。だが、待てよ。他人の人生に関して第三者が「幸福」とか「不幸」と決めつけることなど許されるはずもないのだ。ただ私は、共に過ごせた瞬間の幸福感をかみしめたい、と切に願う。
| 2002年06月03日(月) |
完全復活! それから、熱狂のライブへ |
大変ご無沙汰いたしました。パソコン修理のため、この1ヶ月更新できませんでした。「その間どうしていたのか」について書き残しておきたいところですが、それは明後日以降にしよう(明日は更新できないと思いますので)と思います。今日は、今日の出来事をとにかく書き残しておきたいのです。
ちょっと疲れ気味ではあったのだが、仕事が終わってから伏見のライブハウス「Heart Land STUDIO」に出掛けた。「JAPONESIAN BALLS FOUNDATION」(ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーション)というバンドのライブがあった。ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬(vo,g)とコーキ(ds)、ヒートウェーブの山口洋(vo,g)、元ヒートウェーブの渡辺圭一(b)の4人編成だ。中川と山口の共演をある程度楽しみにして行ったのだが、予想をはるかに上回るカッコよさでしびれちゃったよ。バンドとしてのまとまりもよく、一人ひとりの個性も十分に発揮されていたように感じられた。特に、渡辺のベースには鳥肌が立っちまった。 実は4日ほど前には、新栄の「アポロシアター」に元ソウル・フラワー・ユニオンの内海洋子(中川とのツイン・ボーカルが絶妙だった)のバンドのライブを見に行った。ロック・ボーカリストとしての実力は中川も内海も非常に優れていると思うし、声に関して俺は二人とも猛烈に好きなんだ(特に、内海の歌声はロックにもの凄く合っていてカッコよすぎるくらいだ)。でも、先日の内海のライブでは、内海のすばらしさが十分に生かされていなかったように思った。 で、今日のライブ。実のところ、ライブの前にはそれほど期待していなかったし、疲れてもいたから、オールスタンディングは辛いように思えた。始まってみると、自然に体が動いてノリまくった。観客のノリももの凄くよく、バンドをさらに勢いづかせた感じでもあった。冷静な客でいるつもりが、年甲斐もなく飛び跳ねたりもしたもんだから、今はちょっとエラくていかんわ〜。でも、思わず引き込まれてしまった感じの、ライブだったってことさ。CDだって買うつもりなんかなかったのに、思わず買って4人のサインもらって握手までしてもらっちゃったじゃねえか。 思わず引き込まれてしまった・・・、そんなふうに観客を熱狂させるステージをやりたいよな。 それから、いろいろ楽器ができるといいなあ。「自称・前衛音楽家」兼「楽器収集家」の私はそうも思った。 明日はハードな一日になりそうな気がする。でも、今はただこの余韻に浸っていたい。
今年ももう4ヶ月が過ぎてしまったのね。公演も終わり、すっかり日常に戻った感じだ。 ところで、今日の夕方、「クセックACT」の公演を愛知県芸術劇場小ホールに観に行った。芸術劇場付近で信号待ちしていると、斜め前にいた女性と偶然目が合った。河童塾の佳奈ちゃんではないか。「佳奈ちゃん、あっ、もしかしてクセック観に来たの」「うん」、てな感じで、一緒に劇場に入っていく。劇場内でもまた知った顔に出会う。萱さん、白樺さん、マミオさん、島さん、犬飼さん・・・。 で、内容だが、私は十分その世界に入り込めたし、本にせよ、演出にせよ、役者にせよ、すばらしいと感じた。他の人は、別の感じ方をしたようではあるが。いつもながらの(と言って、クセックを観るのは2度目)あの独特の言い回し、絵としての美しさ、あらゆるイメージを想起させる物語の展開、等が印象的だった。 今はいろんなタイプの芝居が観てみたくて(もちろん、ある程度はしぼるが)、そのなかから吸収できるものもきっとあるに違いないと思っている。
明日仕事すれば、明後日から4連休。気持ちをリフレッシュして、新たなスタートを切っていきたい。
| 2002年04月29日(月) |
すべてを燃やし尽くした |
4月28日。ついに公演最終日を迎えた。 11時半、内山公園に集合。柔軟体操の後、発声練習。公園のなかで、われわれのいる場所だけが異質だった。「それは痛ましい光景だった。しかも私はそれに加わっていたのだ」なんて、昼の公園で言うべきセリフではないからな。で、公園から軽く走ってアトリエに入る。
「今日で最後か」なんて考えるとさみしいけど、もう思い切ってやるだけだ。メークを始めると、いつものことながらドンドン濃くなっていく。最終と思うとなおさら濃くなって、金ラメも顔や頭に塗りたくった。何だか俺、劇画チックだよな、メークも演技も。でも、こんなのもアリかなって思う。 昼の公演は、観客20人を切って、ちょっとさみしかった。でも、観に来て下さった方には関係のないこと、われわれの出せるすべてを出し尽くすしかないのだ。 細かい点ではいろいろあったが、パワーを落とすことなく最後まで突っ走った。芝居が進むなか、汗が次々と目に入り、痛かったけどね。
そして、千秋楽。開場前、外には大勢の人々が集まってきていた。観客50名、アトリエのキャパぎりぎりの動員だ。まずはベランダ芝居からスタート、そのあと楽屋に引っ込む。胸は高なり、極度に緊張してきた。でも、俺、この緊張感が結構好きなんだよ。 幕前、オープニング、1場と流れていく。1場から2場への転換中、暗転の中を俺は客席通路を突っ切って奥に引っ込まなくちゃいけないんだ。だけど、通路にお客さんがいて簡単には奥に行けない状態。暗いので、実際何が起きているのか、よくはわからないのだが、とにかく人をかき分けて外に出た。ぶつかってしまった人には、どうもすみませんでした。事情が事情なので、どうかご容赦下さい。 2場が進行するのを奥で聞きながら、3場の登場に備える。「笙子」のセリフをぶったぎるように登場、「おい、ここに魚住、魚住葉介ってやつはいるか」。弾丸のように飛びまわる。滝のように流れる汗をあたりに飛び散らして、最後まで爆走した。 ついに公演すべてが終了した。今回、友人や同僚も大勢観にきてくれた。前回共演した「河童塾」の人たちも。何よりもまずお客さんに感謝、感謝。そして、演出、スタッフ、共演者の皆さんにも。 打ち上げでは、いつもにましてビールがうまかった。流した汗の分だけ、体はビールを要求してるみたいだった。と、向こうから「詩のボクシング(愛知県大会)」実行委員の桑原さんがやってきて握手を求められた。「なかなかの熱演でしたね。また、『詩のボクシング』にも出てリベンジして下さいよ」などと話しかけられた。 ここで「詩のボクシング」について簡単に説明しておこう。自作の詩を思い思いの方法で朗読し、それを審査員にジャッジしてもらい、演者同士で勝負を競い合う、というものだ。「書かれた詩」「活字になった詩」ではなく、「声に出して詠まれた詩」「声を通じて多数の人に発信された詩」を、文学の観点やパフォーマンスの観点やいろんな方向から評価するのだ。 去年、俺も愛知県大会の予選に出たんだが、惜しくも予選落ち。でも、詩人の楠かつのり氏からは「面白かった」と言っていただいた。「ちょっとやりすぎ」とも言われたけどね。 話は横道にそれたけど、夜はアッという間に更けていったよ。2時くらいに帰宅して、その後はちょっと記憶もおぼろげ。
4月29日。久しぶりの完全休養日。意外と疲れは感じてない。ってことは、やばいのは明日か。明日からまた3日間はお仕事さ。
あ〜あ、終わっっちまったんだな。ものすごくさみしいよ。まるで恋人が死んでしまったかのようにね。そう、まだ、信じられないんだ。今もずっと夢を見続けてるような気がしてさ。 でも、現実に俺はまだ生きているんだ。何も見えない明日に向かって走り続けていこう。
それは、27日昼の公演、オープニングから1場への転換中(暗転での)に起こった。舞台内の柱に激突。顔面を強打し、目のすぐ下を切って出血の惨事。暗転明けに所定の場所に着いたものの、痛いのと流血とで気が気でなかった。でも、1場を何とかしのいで、2場への転換中に客席奥に去る。鏡に映る自分の顔は痛々しかった。血はにじんではきていたが、何とか止まりかけてもいた。起きてしまったものは仕方がない。これもプラスに考えることにした。幸いというべきか、今回の私の役柄はチンピラ。傷痕が特殊メークに見えなくもない。凄みを増したであろう顔で3場に突入、最後までとにかく突っ走った。 27日夜公演の出来は、自分ではそれまでの8回のなかでのベスト・プレーだと感じた。とにかく気持ちよかった。このまま千秋楽に突入だ。けがには十分注意を払いながら、明日もまた熱い芝居を見せてやるぜ。今公演をまだ観てない人は絶対に見逃さないように。それじゃ、劇場で待ってるぜ。
今日は午前中で仕事を終え、その足で自宅近くの「クイック整体」へ向かう。体をほぐしたあと自宅に戻ってからは、心をほぐすために音楽を聴く。元ちとせの曲を聴いてると癒されてきたが、思わず眠ってしまいそうになる。テンションをあげようと思い、ドアーズの曲に切り替える。「ハートに火をつけて」等の曲を聴き、曽根攻から九条英一にスイッチを入れ替える。出がけに頭髪をセットし、金ラメもつけた。気持ちを盛り上げて稽古場に向かう。 後半初日、楽しんではいるものの、前半初日とはまた違った緊張感があった。開場前のベランダ芝居があって、少し遅れての開場。やはりお客さんが入ると、力も入り、緊張も高まってくる。幕前、オープニング、1場と続き、2場の前に客席奥に引っ込む。「舞台の袖」で3場の登場に備える。 何だかんだ言っても、3場は俺が芝居のテンポを作って全体をリードしていかなくてはならない。芝居全体のテンポをリードしていく役回りは、前回公演(河童塾との合同公演)ではなかった経験だ。3場の登場では、緊張のあまり声が喉に張り付きそうになったが、渾身の力をふりしぼってその場を何とか乗り切った。
今日は、私の知り合いが多数観に来てくれた。暗転で場面がガラッと変わるのが驚きだったそうだ。それを聞いて、俺は心のなかでガッツポーズをする。 それからまたこんな感想もあった。「曽根さん、普段とはガラッと変わるね」「曽根さんを怒らすとかなり恐いかもしれないね」・・・。普段の俺は、ごく真面目な、どちらかと言えば温厚な人間、と周りからは思われていることだろう。それ自体誤りではないが、俺もいろんな面を持ち合わせている。だからって普段の俺がいきなり九条みたいなチンピラになったりはしないが。いろんな人格になりきれる、それが芝居というものなのだ。 さまざまに変身しながら、俺は舞台で輝き続けていく。
|