夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年04月17日(水) 待ったなし

 今月中にある程度区切りをつけなければならない仕事がある。それと同時並行的に4月公演もあるというのに。それらをうまくさばいていかなくてはならない。幸い仕事のほうは自分一人がうまくペース配分していけばよい類のものである。それでも期限が切られているのは辛い。とはいえ、期限が切られているからこそ仕事になるのだとも思う。
 仕事も、公演も、待ったなしだ。この難局をどう乗り切るかが問題だ。
 ぜひとも、ゴールデン・ウィークを明るい気持ちで迎えたいものである。



2002年04月14日(日) 芝居を楽しむ余裕

 公演初日まで5日というところまで来た。
 正直に言えば、今回の公演に向けた稽古はほとんど苦しいことの連続であった。何もかもがうまくいっていないと感じていたし、そのことに関してどうしてよいのかもわからない有り様であった。考えれば考えるほど悪循環に陥っていくようでもあった。
 それが昨日くらいから何かが吹っ切れたかのように楽になった。たぶん技術が向上した等ということではないのだろう。芝居を楽しもうという意識が自然に出てきた感じなんだ。 
 今でも駄目出しはあるし、自分でもよくないと感じる場面はある。でも、本番に照準を合わせて、よい流れをつくっていきたいと思っている。本番までの残り少ない稽古、そして本番を実のあるものにしていきたい。



2002年04月13日(土) 曽根攻的小宇宙の構築を

 社会福祉の仕事を選んだ段階で、俺は「役者になる」という選択肢をはずしたつもりでいた。実際20代の間は仕事に追われ、「役者」をやろうなどと考えも及ばなかった。現在の職場に移ってから(約2年前)、何とかやりくりしながらでも芝居をするための条件はととのった。芝居の稽古をやってると正直言ってしんどいことがほとんどだ。でも、なぜだろう、やめられないんだな。今後の人生の中で何が起こるかは予想もできないが、いかなる状況に置かれても「役者修行」は続けたいと思う。
 菱田さんにはよく「曽根って真面目そうでいて結構変だよな」などと言われるが、その「変」というのはきっと誉め言葉だろうと勝手に解釈している。
 そうだな、「大根役者」ならぬ「ニンニク役者」を目指そうかな。嫌いな人にとってニンニク臭さってのはたまらなく嫌だろうけど、ニンニクによって料理に深みができたりして、あれがたまらなく好きって人も多いはず。きわめてニンニク的な自己主張をしてみようと思っている。

 それから俺、今度の公演済んだら作家の道も志していきたいと考えている。曽根攻的小宇宙を、外の世界に向けて発信していきたいのだ。
 いくつもの自分が、俺の中に存在し、時々刻々とその形を変えていく。昨日も今日も何も変わらないようでいて、実は一瞬一瞬違った自分を生きているのだ。
 俺にはまだまだ夢がある。夢は果てしないが、一つひとつ実現に向けて歩き出していこう。
  



2002年04月12日(金) サーカス

 今日、職場の行事の一環で「木下サーカス」(於:ナゴヤ球場)を見に行った。サーカスって、あの幻想的な空間とか非日常的な時間の流れとか、何かワクワクさせられるよね。
 例えば、大がかりなマジック・ショー。大きな透明な箱のなかに美女が入り、布が被せられる。次の瞬間、布を取り去ると箱のなかにはトラが現れる。え〜っ、どんな仕掛けになってるんだ。考えている間もなく、舞台は転換していく。今度は、空中から吊られた二本のロープを女性二人がつたってある程度の高さまで上っていく。と、片足をロープに巻き付け、宙づりになりながらくるくると旋回を始める。お〜っ、すげえ。思わず口をあんぐりと開けてしまう。
 目の前で展開される世界を見ながら、私は空想をどんどんふくらませていく。例えば、こんな芝居があったら面白えだろうなあ、なんてね。オープニング、暗転明けで(檻に囲まれた)舞台上にライオンが登場、咆吼を残して舞台奥に消えていく。とともに、象にのって役者が舞台に入ってくる。物語が展開してしばらくすると、轟音を立てて、球状の檻の中をオートバイが暴走する。そのボルテージのまま、クライマックスへと突き進む。いよいよラストは空中ブランコだ。観客の興奮が最高潮に達したところで暗転。暗転明けとともに満場割れんばかりの拍手、そして、スタンディング・オーべーション。観客は帰ろうともしない。興奮は冷めるどころか、高まる一方だ。劇場全体(この場合、テント公演か野外公演だろうな)が異様な空気に包まれる。なんてね、私たちの舞台も、お客さんの気持ちを思いっきり揺さぶるようなものにしたい。
 公演初日まで1週間。もう後戻りはできない。悔いることのないように、あらんかぎりの力を出し尽くしたいと思っている。



2002年04月10日(水) 俺は今怪我するわけにはいかない

 今日は職場でちょっとヒヤッとする出来事があった。施設利用者のIさんらととも少し重たい荷物を運んでいた。Iさんがあまりに重たそうにコンテナをかかえていたので「おろしていいよ」と声かけした。すると、支えきれなかったのだろう、荷物がいっぱい詰まったコンテナが私の足元まで飛んできた。あと数センチずれていたら、私の足を直撃していたであろう。
 本番まであと10日を切った今、私は絶対に怪我するわけにはいかないのだ。

 そう言えば「ぴあ中部版」の最新号に我々の公演の情宣写真載ったね。思わず同僚に見せびらかした。新規の職員にも見せたんだけど、彼らは、写真に写る私と目の前の私とを見比べて、驚いたようにこう言うんだ。これホントに曽根さんですか、カッコいいじゃないですか。写真のほうがカッコよくて別人みたい、って言うんだよ。う〜ん、確かに職場では疲れた顔してるもんな、きっと。
 前回の公演(河童塾との合同公演)を観に来てくれた同僚のひとりは、「曽根さんを見には行きたいけど、内容が恐そうだから一人では行けない」「だから何人かを誘って行く」とのこと。チケット販売も大詰めだ。
 とにかく無事に初日を迎えられ、公演が成功裡に終わってくれたら、と思っている。

 役者修行、作家志願(この意味はいずれまた)。 



2002年04月08日(月) 「チケット代が飲み代に化けた」の巻

 今日、仕事が終わった後、昔の同僚に突然の電話を入れた。早い話が「公演のチケット、買ってよ」という用件だったわけだが、「夕飯でも一緒にしようか」って話になった。地下鉄の平針駅で待ち合わせて結局飲み屋に行った。アルコール抜きで済むはずもなかったのだ。前売チケット2枚分、しめて3600円の売り上げであったが、それはそのまま飲み代に消えた。

 そういえば、昨夜も稽古の後で飲みに行ったんだっけな。菱田さんからは「お前は変だけど、味はあるし、もっと自信持ってやれ」と励まされもした。俺、好きだから芝居やってるわけだけど、うまくいかない時など非常にしんどくなって気持ちがどんどん下降していってしまいそうになる。でも、役者仲間や演出、スタッフの皆さんに助けられながら、今日までやってこられたのだとも思う。
 本番までのカウントダウンが始まろうとしている。観客の皆さんには、俺達の出しうるベストの状態を芝居にのせてお見せしたいと思う。



2002年04月06日(土) 君は、障害者プロレスを知っているか

 今日は、「障害者」をめぐる関係について言及しようと思う。
 数年前、乙武洋匡君の『五体不満足』という本がベストセラーになった。乙武君個人についてはきっとさわやかな青年だろうと想像するのだが、あの本については批判すべき点が多いと考えている。早い話が、あの本からは「障害者の今日おかれた状況」というものが見えてこない。まるで「障害者差別」など解決済みの問題であるかのような書かれ方がされている。現実に対する分析力、想像力に乏しく、物書きとしては失格だとすら思う。
 北島行徳氏の『無敵のハンディキャップ』(文春文庫)を読んでみれば、『五体不満足』がいかに薄っぺらな内容であるかが理解されるであろう。北島氏(健常者レスラー・アンチテーゼ北島)とは若干面識もあるのだが(彼らの名古屋興行のプロデュースをしたので)、障害者プロレス団体「ドッグレックス」(もともとは普通のボランティア団体だった)を旗揚げし、予定調和的な福祉の世界に常になぐり込みをかけている人物である。「ドッグレックス」では当初障害者同士の試合が組まれていたが、やがて「障害者対健常者」の試合も組み入れられるようになった。リング上でむき出しの体がぶつかり合う。健常者レスラーは障害者レスラーに対しても手加減はしない(ルールのうえでハンディを持たせるような工夫はなされているが)。そこでは目を覆わんばかりの容赦ない攻撃も見られる。それを見ている自分自身に居心地の悪さを覚えたりもする。いま目の前で起こっていることを傍観するだけの自分。リング上の光景が現実世界と二重写しになる。北島氏は著書のなかで、障害者レスラーたちの日常の姿についても語っている。それぞれが苦悩しながら現実の生活を送っている。例えば、障害ゆえに職業選択の幅が狭まったり、恋愛や結婚に悩み、日々の生活のなかであまりに多くの不安を抱え込んでしまう。依然として「障害者差別」は幅を利かせているのだ。
 「障害者プロレス」について話は尽きないが、レスラーたちがリング上で懸命に闘う姿は非常に感動的である。単にお涙頂戴ではない、素直に感動を呼び起こすだけの力が感じられるのだ。鑑賞にたえうるだけのなにかがそこにあるのだ。
 私たちの公演に関しても、観客の側に何かしら感動をもたらすことができたら、この上なき幸福である。



2002年04月05日(金) もっと勢いを!

 今日の午前中、たまたま仕事で一人配達に出掛けた(車で)。片道およそ1時間、往復で2時間程の行程だ。ラッキー! こんな時ほど芝居の練習にうってつけな状況はない。車内では誰に気兼ねすることなく、セリフを口にしてみる。当然感情も込みで。仕事に何ら支障をきたすことなく芝居の練習が出来て、ものすごく得した気分だ。
 
 午後は職場内での勤務。今日わが職場にいらしたボランティアさんに対して「公演のご案内」をおこなった。私が芝居をやってることについては意外な印象を持たれることが多いようだ。「すごいですね」「そんな一面もあったんですね」などのコメントを聞きながら、心では「そんなこたあいいんだ。とにかくチケット買ってくれ」って思ってる。でも、気がいいばっかりの私は、つくり笑顔で「ふむふむ、よかったら見に来てくださいよ」などと話している.

 稽古でも今まで以上にテンポよくなったように感じられた。
 あと2週間、いい仕上がりにしていくぜ。もっともっと突き抜けるような芝居をつくっていきたい。



2002年04月04日(木) 隣は何をする人ぞ

 引越のシーズンだ。103号室にも新たな住人がやってきたようだ。
 私は、現在「清和荘」というアパート(まるでどこかの老人ホームみたいなネーミングだ)の105号室に住んでいる。106号室に住むおばさま(隣人)は決して悪い方ではないのだが、時折彼女に驚かされることがある。例えば、深夜の12時にだね、ベランダ越しに話しかけてくることがある。「お兄ちゃん、畑(家庭菜園)でとれたんだけど、きゅうり食べるかね」ってな内容だから、TPOさえわきまえていただければ評価は全然違ったものになるはずなのだが。さすがに深夜にいきなりはびっくりする(あの方のなかには「いきなり」という意識は恐らくないのだろうな)。とは言っても、そんなのは可愛いもんだと思えてしまう。
 今の住居に越して来る前は、庄内通のほうの安アパートの2階に住んでいたんだけど、住人は結構くせ者揃いだった。一方の隣人はアル中男A(後で詳しく)、もう一方がシャブ中男(「シャブ中」は、私が入居した時にはすでに服役中であった。結局一度も会ったことはない)ときたもんだ。それに、Aのお隣は「暴走族」だというではないか。その他、1階には、水商売風の女性にヒモ男がくっついて同棲なんかしちゃって。それと、絶滅寸前の「トキ美容室」てな感じの美容院(ここのおばさんもきつそうな感じだった)があったよ。
 Aと言えば、酒癖がわるかったよな。安アパートなので隣の部屋から聞こえる声、すごく響くんだ。週に1,2回、酔っぱらったAの声を聞くのがたまらなく嫌だった。気になって夜眠れやしないし。真夏なんかお互いに網戸の状態にしてあるから余計に声が聞こえてくる。「バカ野郎、暑いなあ」なんて言われたってどうしようもねえだろ。別に私に対して言ってるつもりはないだろうけど、気にならない方がおかしいだろ。そういえば、Aのヤツ、アパートの階段(酔っぱらいにはきつく急な階段だ)を登り詰めたまではいいが、力尽きて私の部屋の真ん前で眠りについてしまったこともあった。
 Aのことではホント話が尽きないが、もう一点。ある朝なんか、Aの部屋から聞こえてくる目覚まし時計が10分以上鳴りやまないので(結構早い時間帯でセットされていた)Aの部屋のドアをノックした。すると中からAの声が返ってきた。「うるせえ」だとさ。「バカ野郎、てめえ。元はと言えば、てめえが目覚ましをいつまでも消さねえのが悪いんだろ」「ブッ殺すぞ」などと声に出さないまでも、普段は温厚な私めだって我慢ならねえって話さ。
 アパートを探すのに、家賃や間取りはチェックできても、「どんな隣人が住んでいるか」などといったデータはまずない。その点は運任せだ。隣人しだいで生活が楽しくもなり、きつくなったりもするのにね。
 住居選びにせよ、仕事選びにせよ、私たちは人生のあらゆる局面で何かを選び取る行動に出る。だが、選んでいるようでいて、実は選べない事柄のほうが多い気がする。人間関係においては特にね。まあ、それが人生ってものなのかもしれない。
偶然の産物ってやつさ。と同時に偶然から出発して必然を生み出すってこともある。人生、何があるかわからない。でも、それだからこそ、楽しいわけでもある。



2002年04月02日(火) 毎年この時期には・・・

 この時期になると、俺はエヌ・エイチ・ケーの外国語講座を、何かやろうかなって必ず思うんだけど、これまでのところモノになったためしがない。単に三日坊主と言ってしまえばそれまでだが、ちょっと言い訳させてほしい(ホントに言い訳でしかない)。
 まず、英語。「世界共通語」的地位を手中に入れようとしているこの言語。俺って結構あまのじゃくなんで、それだけでもかなり気にいらねえんだ。じゃあ、他はどうかって言うと、スペインもフランスも植民地を拡大していく中でその言語が伝播していったわけで、その過程では先住民の言語も文化も破壊されていったわけだ。人々の誇りを踏みにじる形で広められた言語、という歴史的側面はどうしてもある。ロシアにしろ、中国にしろ領土を拡大していく過程で他民族を蹂躙していったことに違いはない。もっと言えば、日本語だって方言(豊かな生活言語)を軽視した結果、地域固有の文化を失わせた歴史を負ってやしないだろうか。そんなこと(余計なことかもしれないが)を思うと、外国語を覚えようという気持ちは萎えていきそうだ。
 関係性のあり方によっては、例えばいわゆる共通語よりも方言のほうがコミュニケーションをとるのに適した場合も多いであろう。その地域、あるいはその生活に根ざした言語があり、文化がある。もちろん、他の文化と交わるなかで、相互に活性化し、そこに新たな文化がもたらされることもあろう。詰まるところ、個々人の関係性の一点に収斂されるのではなかろうか。
 俺、こんなふうに話しながら、実は演劇に関係することしゃべってるつもりなんだ。わかるかな。
 まあいいさ、じゃあな。おやすみ。
 


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