夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年04月01日(月) 花ふぶき舞う道を

 もう4月になってしまったんだね。今日からバスのダイヤも改まったんだけど、本数が減ってるよ。特に朝が不便になった。平針駅から職場へと向かう朝8時台も14分を逃すと30分までないという状況だ。俺、今まで21分のバスに乗って行ってたのに。今までより10分近く前に家を出ないといけないなんて、あんまりだよ。ただでさえ低血圧の俺は、起きてからエンジンがかかり始めるまでにだいぶ時間が必要だというのに。
 
 それにしても今日日中の天気は最高だった。ちょっと汗ばむくらいだったけど。
今日は勤め先(知的障害者施設)の行事で花見に出掛けたんだ。施設利用者と職員の総勢40名での大移動とあって、ただボーッとすごしているわけにはいかないのが残念だったけどね。でも、春の日ざしを浴びながら桜舞い散るなかを歩くのって最高な気分さ。月並みだけど、桜の散りぎわの美しさにちょっと感動したよ。でもさ、そういう日本人的な心情ってともすると危ういよね(一歩間違ったら「神風特攻隊」を無批判に賛美することになっちゃうからね、と思わず政治的・思想的発言をしちまったぜ)。
 日本人的には桜になんらかの意味を持たせようとするのだが、そんな人の世の流れとは関係なく桜は毎年花を咲かせ、そして散ってゆく。俺は桜ふぶきを一身に受けながら、夢のような世界にいざなわれてゆく。明日にはもう存在しないであろう一瞬の美しさに陶酔するのさ。
 俺も、舞台で狂い咲きしちゃおうかな。へっへっへっへっへ。



2002年03月29日(金) 別れの情景

 今年度のお勤めは、今日で終わり。職場を去る人たちとの別れを惜しんだ。それにしても桜がきれいで、いっそう悲しい思いにさせられた。
 桜の花は、はかなげでそれゆえに美しく、悲しい。そして、忘れかけてた思い出を運んできたりする。その思い出は、琥珀色に輝いているよ。
 満開の桜といえば、鶴舞公園。俺、昔、鶴舞に住んでたんだ。桜の季節には、満開の桜の下で、ギターを奏で、即興で歌ったもんさ。類は友を呼ぶってやつでI君(今は九州の大学で社会調査論を教えている)なんかとよくそんなふうにして遊んだよな。あれからもう10年もたっちまったんだな。鶴舞、俺にとって、あの街は「青春を置き忘れた街」なのさ。
 いくつもの季節を過ごし、思い出をいくつも重ねていく。人も、人の世も、日々変わっていく。でも、花は毎年同じように咲き、宇宙は悠久の流れのなかにある。
人間なんてホントちっぽけな存在だよな。でも、俺は、俺が、俺として、俺らしくあるように、精一杯生きていこうと思うんだ。今は今しかないし、今この時を逃したら再び戻ることはない。一回限りのこの瞬間を、しっかりつかまえたいと思う。



2002年03月28日(木) 曽根君は宮沢和史(THE BOOM)の親友か?

 「曽根君はブームの宮沢和史(ボーカルであり、バンドのリーダーでもある)の親友なの?」
 ある人からそんなふうに聞かれたことがある。
 
 皆さんはTHE BOOMというバンドをご存知だろうか。「島唄」「風になりたい」「帰ろうかな」等のヒット曲があるんだけど。彼らは山梨出身であり、そのうち宮沢さんは私の母校(甲府南高校)で、私の1学年上だった。関係としてはそれ以上でも以下でもない。そのことを誇張して他人に語ったこともない。ところが人から人に伝わるうちに話はねじ曲げられ、冒頭の質問を投げかけられるようになった。
向こう(宮沢さん)は恐らく私のことを知るまい。
 でも、私のほうでは彼についての記憶がある。彼は、高校の学園祭でギター片手に松山千春の「青春」という歌を歌ったんだ。とにかくうまかった。でも、その彼が数年後メジャー・デビューを果たすことなど、その時は思いもよらなかったな。
もし、彼とあの頃何らかの接点を持てたとしたら、違った人生があったかも知れない。
 甲府南高校ってとこは一応進学校ではあったけど、結構音楽好きな連中もいたもんだ。田舎の中学校出身の私からすれば、楽器できるヤツが多かったのには驚いたなあ。私自身は当時フォーク・ギターを持ち始めたばっかりで、何らかの曲が弾ける人間がまぶしく見えたものさ。
 学園祭のこと、今でも思い出すけど、私には演劇発表の場でもあり(演劇部に所属してたからね)、音楽表現の機会でもあった。今日は音楽の話をしたいのだが。
クラス対抗で自作自演の音楽を競う合うイベントがあって、私は作詞とボーカルを担当することが多かったよ。あの時のタイトル、覚えてるよ。「白い黄昏」(歌詞を見た女の子に「曽根君、オフコース好きでしょ」って言われた)、「心の旅立ち」(チューリップ「心の旅」のパクリと言えなくもない)、「赤い傘」(後年友人から「ルビーの指輪」のパロディーみたいと指摘された)・・・。今から思い出しても楽しかったな。もちろん、あの頃はあの頃で悩みもあったけどね。
 あの時の自分と今の自分との間に落差はあるかもしれないけれど、でもどちらも自分であることに違いない。これから私自身どう変わっていくのか、楽しみでもある。どこかにワクワクした気持ちを持ち続けたいと思う。それをひとことで言えば、夢、ということになるんだろうね。



2002年03月27日(水) 花のある風景、花のある人生

 職場近くの桜もほぼ満開状態。だけど、花をゆっくりと眺める余裕はないな。今年もやっぱり「吉野の千本桜」は観られないし(ちなみに俺、歌舞伎の演目で「義経千本桜」好きなんだよ)。
 でも、花を観てホッとする瞬間て欲しいよね。俺は今2Kの賃貸アパート(1階)で一人暮らししてるんだけど、ちょっとした庭がついてるんだ。隣人は自分の庭を家庭菜園として利用している。俺も一時期は花壇を作って、花を植えたりしていたんだ。サルビアとかケイトウとかを愛でて喜んだりしてね。でも、だんだんその余裕もなくなってきちゃったよ。
 花にもいろいろあるけど、それぞれに美しく、人を酔わせ感動させる不思議な力を備えている。泣きなさ〜い、笑いなさ〜い、いつの日かいつの日か花を咲かそうよ〜。



2002年03月25日(月) 予定調和も悪くない?

 今日は会議(仕事)が意外と早く終わり、8時前には家に着いていた。無意識のうちにテレビをつける。どのチャンネルもバラエティー特番だったりする。やはり今日は疲れているんだろう。テンションが高い番組にはついていけない。こんな時は時代劇がいい。展開が読めてしまうのに、結構感情移入しちゃったりしてね。だからって時代劇なら何でもいいわけじゃない。「水戸黄門」なんか石坂浩二に代わってから見る気がしない(別に、石坂浩二そのものが嫌いなわけじゃないんだ)。配役ってかなりのウェートをしめるよね。「大岡越前」なら加藤剛の顔が浮かんでくるし、「暴れん坊将軍」は松平健だろうって思う。
 でさ、時代劇でおすすめなのは、「鬼平犯科帳」じゃないかって思うんだけど。どことなく江戸情緒(フィクションだけど)を感じさせる筋書き、それとエンディング・テーマ(ジプシー・キングスによるフラメンコ・ギターの演奏)もなかなかしぶいからね。
 それから、ついでに言えば、平日の朝から昼にかけて(世間の人々が働いてる時に、自分だけが休みで)時代劇の再放送を見るっていうのが、俺にとっては最高なんだ。現実感覚からどんどん遠ざかっていって、ちょっと自堕落かもしれないけどね。「大江戸捜査網」なんかやってた日にゃ、もうこたえられねえ。密命を受けた「隠密同心」は悪と闘う陰の存在、「死して屍拾う者なし」。江戸のハードボイルドってところかねえ。
 同じ予定調和でも、「水戸黄門」みたいな偉い人ではなく、日陰の存在ってほうに惹かれるね。
 予定調和も時にはいいんだ。でも、予定調和だけじゃ、つまんねえ。虚構も、現実も、ね。

 



2002年03月23日(土) 「神の子たち」そして「折り梅」

 今日は稽古が夕方からあるが、仕事は一日お休み。身体は休むことを要求していたが、気持ちは遊びたかった。結局気持ちのほうが勝った。気になる映画が2つほどあったので、はしごした。今日はその話をしよう。
 1本目は、「神の子たち」(四ノ宮浩・監督)というドキュメンタリーだが、「忘れられた子供たち/スカベンジャー」の続編というべき作品であった。マニラのゴミ捨て場に暮らす人々の過酷な現実が丹念に映し出されていた。時に生々しく、時に淡々と。ゴミを拾い集めそれをお金に換えていくより他に生活する術を持たない人々。わが子を学校に通わせたいと思いながらも貧しさ故にそれができないと嘆く親がいる。一方で家族のためにと懸命に働く子供がいる。それでもお金がなくておかずが買えないときには、ごはんに塩をまぶして食べたり、1日1食ですませたりする。あらゆる生活の品々が慢性的に不足していたり、病気の治療もままならない。事故や病気で人も簡単に死んでしまう。そうした死と隣り合わせの生活のなかでも、人々は絶望することなく生き続けていく。たくましく生きる子供たちの笑顔がまぶしかった。
 「ロジウラのマタハリ」にて昼食。
 午後から2本目、「折り梅」(松井久子・監督)を観る。前作「ユキエ」でアルツハイマー病というテーマに取り組んだ監督が、再度アルツハイマー病をテーマに選び、実話をもとにドラマ化(ちょっと知ったかぶりでっせ)。嫁(原田美枝子)と姑(吉行和子)を軸にさまざまな人間模様が繰り広げられるのだが、ところどころで俺は涙腺が緩みがちだったよ。援助する側にまわる人間の苦労もあろうが、やはり病気の当人がいちばん辛いんだと思う。自分が自分でなくなっていく恐怖におののきながら生きていくことの辛さ。誰からも認められない存在になってますます生きづらくなってしまう、それはあまりに辛い経験ではないか。誰もがそれぞれに歩んできた歴史があり、固有名詞としての存在(「アルツハイマー」「障害者」などと一括りに出来ないもの)がある。「理解し合うこと」「共に生きること」って難しいよね。ところで、タイトルの「折り梅」だが、梅はたとえ枝が折れてもそこから再び芽を出して花を咲かせる力を持っている、人間とてそうではないか、というメッセージが含まれているらしい。
 いろいろと考えさせられた2作品であった。
 



2002年03月22日(金) ダークホース

 今日はやっぱり仕事が遅くまでかかり、「ディーバ」観にいけなかったよ。非常に残念だ。

 で、毎度の事ながら仕事の帰りに俺は本屋に入った。「今日は○日だから○○文庫の発売日だな」「それに○曜日だから、週刊○○も並んでいるはずだ」「そう言やあ、最近音楽関係チェックしてなかったよな」等と一瞬のうちに考えを巡らせて俺は「宝探し」を始めるんだ。
 今日は、平積みされている雑誌のなかに「ジョージ・ハリスン追悼特集」をやってるヤツを見つけ、買ってしまった。ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ等(俺の好きなアーティストばっかり)の追悼コメントが載ってるということも大きかったんだけどね。
 ビートルズと言えば、カリスマ的存在のジョン・レノンか、天才的メロディーメーカーのポール・マッカートニーがすぐ頭に浮かぶことだろう。ジョージはあくまでも「第三の男」と位置づけられてきた。でも、俺には(ビートルズのなかで)いちばん気になる存在であり続けた。二人の天才にはさまれながらも独自の道を行き、「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」等の名曲を残した。ビートルズ・サウンドにインド音楽のテイストを持ち込んだのもジョージだ。友人のエリック・クラプトン(ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックと並び称される名ギタリスト)に妻を奪われ、その結果クラプトンの名曲「レイラ」が生まれた、なんていうエピソードの持ち主でもある。親近感を覚えるっていうか、俺はひょっとしてジョージ・ハリスンじゃないだろうかって思っちゃったりするんだよね。ほら、「内気な二枚目」って感じがそっくりでしょ。ねっ、ねっ。
 ていうか、大天才じゃなくったってヤツはカッコいいんだよ。ジョージのソロ・アルバムのひとつに「ダークホース」ってのがあるんだけど、ヤツの存在を言い得て妙だと思ったね。俺が追求してるのも「ダークホース」のカッコよさなんだよ、たぶんね。舞台では大化けしてやるぜ。そして、俺にいちばん似合った輝き方で輝いていたいと思う。



2002年03月21日(木) 「オペラ座の怪人」のように

 仕事が休みだと朝寝坊ができるってのがうれしい。お布団のなかですやすやと眠るのって、すこぶる幸せ。とか言ってるとついつい起きるのが億劫になって、睡魔くんの前に陥落してしまい、気がつきゃ昼になってたりするんだよ。ここんとこ実際の仕事量もさることながら、何かと気疲れしてたから、ほおっておけばいつまでだって寝ていたことだろう。
 でも、今日は夕方から稽古。その前に台本でのチェック、ダイレクトメールの発送準備、また仕事絡みでの調べもの等々、やっておきたいことがいくつかあった。そのうちのいくつかはやり残してしまったが、稽古に行かなくちゃってんで出掛けた。

 稽古の中で、檻の上にのぼって動いたりもした。ほとんど天井に張り付いた状態で下を眺めると、これはまた新鮮な感じだ。劇場の屋根裏にうごめく謎の存在、まるで「オペラ座の怪人」にでもなった気分さ。
 今日は通し稽古もあったが、これまで以上に体が動くようになった気がする。まだまだ全然駄目だけど、でも、勝手に体のほうが動いてくれたところもあって、これまでのなかでは一番気持ちが良かった。もっともっと快感を味わえるようにしていくぜ。
 今回コンビを組むしゃおりんとも呼吸がなんとなく合ってきてるし、他のメンバーともこれからもっともっといい流れが出てくるようにしたい。
 本番初日まで1ヶ月を切ったことだし、どんどんボルテージを上げていこうと思っている。



2002年03月20日(水) 僕って何

 「雇われの身はつらいね」なんて愚痴もこぼれてきそうな今日この頃、いろんなことを考える。僕は何のために仕事してるんだろう。僕はいかに生きるべきか、なんてね。考えてみると、僕は常にそんなことで納屋見続けてきたよ。違うだろ、悩み続けてきた、って言ってんだ。妙な変換はよしてくれ。他人から「暗い」と言われれば、きっとそうだろうと思う。なんせ僕、高校時代よく聴いていたのが、オフコース、さだまさし、中島みゆき、ってとこだったからね。
 別に「明るいのが悪い」とは思わない。だけど、人間誰しもが持ってるはずの暗さを否定的にとらえるな、とは言いたい。誤解してほしくないんだけど、暗いのと陰険ていうのは違う。暗いだけなら悪くはないが、陰険なのは周囲に害を及ぼすから絶対に許せないと思う。
 
 人は日々何者かに脅かされ、一方で何者かに支えられて生きている。僕も、いろんなものに依存しながら生きているんだ。例えば、演劇であり、音楽であり、酒である。また、本屋で立ち読みすることであり、CDショップや楽器店を見て歩くことであり、意味もなくコンビニに立ち寄ることであり、様々な空想に浸ってみることだったりする。日常と非日常の世界を行き来することで、バランスをとっているんだとも思う。もちろん、人とコミュニケートすることで自分の存在が確かめられたりもする。
 都会の雑踏の中で僕は立ち止まる。こんなにも人がおおぜいいるのに、みんな僕のすぐそばをすり抜けていくばかりだ。僕のことを誰も知らないし、僕だってそのなかの誰かを知ってるわけじゃない。僕って何? 僕って存在するんだろうか? その答えは風の中に。風が知ってるはずさ。

 
 



2002年03月19日(火) 音楽で言えば、ドアーズ!?

 俺の友人で、かつての同僚でもあるNさんに電話を入れ、お互いの近況を話しつつ、チケットの売り込み。「Sさん(共通の友人)も誘ってみて、また予約入れるね」ってさ。電話での話はまだ続く。

 「実は、曽根さんにもお願いがあるんだけど」
 「何?」
 「実は、うちの娘(名鶴ひとみステージングダンスに所属)、6月公演でノルマ  60枚だって言うのよ」
 「名鶴ひとみさんて、タカラヅカ出身じゃなかったっけ? 確かジャズダンスだ よね」
 「そう。ザ・コンボイの一人が振り付けしたりしてるんだけど」
 「観に行くよ」
 「でもね、ちょっと高いの。1枚5000円だからね」
 「まあ、他にも当たれるだけは当たってみるから。チラシ出来たら送ってよ」

 てなわけで、もし興味を持たれた方は、曽根までどうぞ。
 Nさんとは昔同じ職場で働いた関係で、とてもお世話になったし、ご迷惑もおかけした。なんだかんだ言って10年来の友人だね。彼女とは10才くらい離れてるけど、一緒にライブハウスとか行ったりして、音楽の話なんかでも話題がよく合った。ローリング・ストーンズの大ファンでもある彼女だが、その彼女に「pH-7」の芝居を説明する際に、「音楽で言えば、ドアーズって感じかな」という言葉が思わず口をついて出た。ドアーズの音楽って知ってるかい? 好き嫌いがはっきりしそうな音楽なんだな、ドアーズって。
 人々は社会生活を円滑に過ごしていくために、自らの欲望とか衝動を無意識のうちに抑圧して、意識にのぼってこないようにしているんだよね。別の言い方をすれば、仮面をつけて素顔を人前にさらさないようにしてるってわけさ。そうした人間の意識下を照らし出すドアーズの世界って、変態チックだけど、どんどんボルテージが上がっていくような仕掛けがあるんだよね。一時期は俺もドアーズに無茶苦茶はまったんだ。「pH-7」の芝居とドアーズの音楽に共通するものを俺は感ずるんだが、皆さんはどう思うだろうか。
 とにかく、一度観てみてちょ。


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