夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年03月18日(月) 春なのに・・・

 中島みゆきの名曲「春なのに」が頭のなかでリフレインしている。
 3月は別れの季節、職場を去る人もいれば、人事異動で職場を移っていく人もいる。俺は今、悲しい気分だ。だって、あの人の、そしてまたあの人の、すすり泣きが聞こえてきそうで。なんだかこっちまで辛くなっちまうよ。今、職場の人に「芝居、観に来て〜」なんて、とても言えた雰囲気じゃねえんだ。
 俺は今回こそ異動の対象ではなかったようだが、来年あたり非常にあやしいとにらんでいる。もしそうなったら、事実上役者を続けていくことはできなくなるよな(辞表を提出するという選択肢もなくはないけど、あくまでもそれは最後の手段だからね)。だから、いつも次の公演が最後のつもりで、全力を投入していこうと思う。



2002年03月17日(日) スポットライトを浴びる、その日のために

 今日の稽古では、あらためて自分のなかで問題点が明らかになってきたように思う。これまでは流れを追うことで精一杯なところが多かったのだが、今まで意識せずきたことを今日の稽古の中で意識化することができ、よかったと思う。「pH-7」OBの木全さんにもいろいろと指摘していただいた。問題は、それをいかに形にするか、という点だが。
 本番まで約1ヶ月というところまできた。気を引き締めて、最後の最後まで踏ん張っていこう。そして、1ヶ月後には舞台の上で輝いていたい、と思う。



2002年03月16日(土) 曽根くんて、トム・クルーズ!?

 酒の席での話である。かつての同僚がその友人に私のことを紹介する際こんなふうに言った。
 「曽根くんて、トム・クルーズなんだよ」

 トム・クルーズのファンの皆さん、ブーイングは無しで、最後まで話を聞いてほしい。皆さんは『レインマン』という映画をご存知だろうか。ダスティー・ホフマン演ずる自閉症の兄と弟(トム・クルーズ)が徐々に心を通わせていく過程を描いた作品である(あの映画では、トム・クルーズもよかったけど、ダスティー・ホフマンがとてもよかった)。もうおわかりかな? 俺の兄貴は自閉症なんだ。まあ、それが今の俺の職業選択(福祉関係)に結びついているとも言えるのだが・・・。
 それなりにこだわりがあって今の仕事に就いてはいるのだが、日々のルーティン・ワークに追われ、自分の思いとはどこかずれていっているように感ずるんだ。ついでに言えば、今俺が身を置く「福祉業界」というものに対して、居心地の悪さも覚えてしまう。
 おそらく俺がライフワークのひとつと考えているのは「福祉」ということではなく、「障害をもつ者、もたない者の共生」であり、「反差別」ということであろう。そこには、微妙なニュアンスの違いがあるんだけど。ちょっとマニアックな話かな?

 20代の頃は、仕事(というか「障害者運動」というか)にどっぷり浸かっていてプライベートな時間なんて、あまりなかった。それ一筋だったし、そのことに特に疑問もなかった。でも、そればかりじゃなくって、もっと俺にはいろんな面があるはずだっていつしか思うようになったんだ。
 一度は固まりつつあった自分を壊したくなったのかもしれない。人は知らず知らずのうちに、社会のあらゆる役割(例えば、夫、父、中間管理職、といった)を担わされ、それらに自分を合わせるように演じているのではないか。でも、そこに代替不可能な自分というものは存在するのだろうか。
 かけがえのない自分が存在するとしたら、それは一体何なんだ。その答えは自分で探すしかないだろう。もしかすると、答えなんてないのかしれない。
 これから俺はどこに辿り着くのだろう。わからないことだらけさ。でも、それゆえに人生は楽しいとも言えるのだ。 



2002年03月15日(金) スーパー一座の稽古場にお邪魔した

 今日は仕事を早めに切り上げて、大須の「スーパー一座」稽古場へと向かった。私の古巣だ。今は夏のオペラ公演に向けての稽古が始まっているという。「pH-7」の4月公演の宣伝も兼ねてご挨拶に出掛けた次第だが、役者では知った顔があまりいないではないか。20人ほどの人々の間に、主宰・演出の岩田さん、座長の原さん、振付・ダンス指導の古川さん等の顔を見つけ、少しホッとする。スーパー一座在籍中、ダンスが苦手な私は、古川さんにはだいぶ指導していただいた。あの時の稽古はきつかったけど、公演後古川さんからお褒めの言葉をいただいて、私はすごく感激したんだよな。「pH-7」に所属していることを古川さんにお話しすると、菱田さんのことをご存知だと言う(そんならなおのこと観に来てくださいよ)。
 しばらくすると、「スーパー一座」の人気役者・間瀬さんや水谷さんがやってきた。キャリアは彼らのほうが上だが、私とほぼ同年代だ。フィールドは違っても、お互いに舞台で輝いていたいものだ。
 稽古もちょっと観させていただいたが、「pH-7」の芝居とはやはり色彩が違う。でも、「濃厚な演劇空間」「実験的な舞台」という点では共通する、と私は思う。私は、どっちも好きだよ。
 スーパー一座の皆さん、お邪魔しました。夏公演、楽しみにしてますからね。その前に私たちの公演にもぜひ来て下さい。よろしくお願いします。
 お客さんなくして芝居は成立しません。決して損はさせません。どなたさまも、ぜひ私たちの舞台をご覧下さい。




2002年03月14日(木) ハイエナ

 テレビ・新聞等で連日「鈴木宗男の疑惑問題」が報道されている。確かに奴は悪いし、議員辞職すべきとも思う。だが、奴を追及するだけじゃ、根本的には何も変わらないんだよね。だって事の本質はもっと別にあるわけだから。だいたい「機密費問題」はどうなったんだよ。もっと悪い奴が他にもいるのに、そいつらは相変わらずのうのうと生きてるんだ。
 ついでに言えば、「鈴木宗男」的人間はこの世の中には吐いて捨てるほど棲息してるよ。自分より強い人間にはヘコヘコするくせに弱い相手には威張り散らす奴、自分に甘いくせして他人には厳しいうえに嫌味な奴、陰険な性格ゆえに周りから嫌われているのに悪いことは全て他人のせいにする奴、カッコつけてるのに強欲な奴、あまりに自分本位ゆえに自分のことがまるでわかっていない奴、他人の痛みがわからない奴・・・。こんなふうに列挙しながら、俺は鈴木宗男ではない、ある人物のことを思い浮かべているんだよね。でも、あなたの身近にもそんな奴がいるだろ。よく「ハイエナみたいな」って形容があるけど、あいつらのツラ眺めたら、ハイエナに失礼だよってつくづく思うよ。
 ごめんよ、だいぶストレスがたまっているみたいだ。でも、俺、やつあたりはしないから。
 仕事も忙しくて(気持ちの上でも忙しくしてしまっているのかも)、なかなか早く稽古に向かえない。今日は夜8時くらいに到着、はじめのシーンから少しずつ練習。久しぶりの稽古とあって不安でもあったが、やってるうちに余計なことは考えずに集中できたように思う。あっという間に稽古が終わってしまったように感じた。いつもは疲れを感ずるが、今日それはない。気持ちの上でも楽だ。逆に大丈夫かなと思ったりもするけど・・・。
 あ、それからチケットを販売する時間がなかなかとれなくて困っている。どなたか、チケット買って下さい。1800円、決して損はさせません。と宣言します。なにとぞご購入のほどを。 



2002年03月12日(火) バスに乗り遅れるな

 私の勤め先は、平針にある。自宅から歩いて10分、御器所(自宅からの最寄駅)から地下鉄に揺られて15分、そこでバスに乗り換えて10分程、終点から歩いて5分、乗り継ぎにかかる時間を計算に入れると所要時間50分弱。朝は名古屋の中心から遠ざかっていくので、地下鉄ではまず座れるし、自然は増えていく一方なので、精神衛生上もそう悪くはない。
 でも、仕事場に入るや、あまり余裕はない。昼休みも実質仕事しているようなもの。このところは仕事も遅くまでかかり、気がつけば夜8時を回っていたりする。
ここで私は「やばい」と思う。稽古に行くのが遅くなる、もちろんそれもある。だが、それ以上にバスの本数がめっきり少なくなるという問題がある。1本逃すと寒空に20分待ちなんてこともある。タッチの差で乗り遅れたことも少なくない。そんなとき、寒さを凌ぐために次のバス停まで歩いたりもするんだ。悲しいほどに星がきれいだったりする。
 今月いっぱいは仕事も忙しそうだけど、芝居の方も何とか形にしていきたいものである。
 



2002年03月10日(日) はてしなき作業

 今日は稽古そのものはなく、アトリエの片づけと、大道具さんのお手伝いをしたわけですが。
 「みちかず組」(大道具さん)の皆様、本当にいつもいつもありがとうございます。今日という今日は、心の底からそう思いました。私たち役者はちょっとお手伝いしただけでしたが。作業中はみんな黙々とやっていましたね。かく言う私も、いつ終わるとも知れぬヤスリがけ作業をしつつ、時折肩をもみほぐしたり、目頭を押さえて目の疲れを癒しておりました。途中用事があって早く帰りましたけど。
 大道具さんの日頃のご苦労に報いるべく、よい芝居を作っていかなくてはなりませんね。もちろん自分自身のためにも、よい芝居にしていきます。



2002年03月09日(土) 永遠の別れ

 今日はとても暗い話になりそうだ、とはじめに断っておく。

 ここ1,2年、40代、50代の友人・知人の訃報に接する機会が増えてきた。
もう長いこと会っていなかった人の死を知らされても、にわかには信じがたく、でもあらためて事実を確認して、大きな衝撃を受けたりする。あの人とはもう生きてこの世で会うことはないのかと思うと、悲しいという以上に呆然として体の力が抜けてしまいそうになる。
 20代の頃、同年代の身近な人の死を経験した際、悲しい思いはあっても、その人の死を自分に引きつけて考えたことはなかった。決して天寿を全うしたとは言えぬ人の死に接して、身も心も揺さぶられる経験はここ1,2年のことである。
 30代半ば、私は自らにしのびよる「老いの影」「死の影」を時折強く意識する。そして、いつにもまして寡黙になる。死は絶対だ。決して抗うことのできない
その現実を前にして、私は思わず立ちすくむ。
 私自身、いつ死んだとて不思議はないのだ。今ここにいる自分自身を確かめながら生きていくよりしょうがない。やはり死ぬまでは何が何でも生き続けなくてはいけないのだ。それがきっと天命というものだろう。



2002年03月08日(金) 「檻」考

 お利口、ではなく、「檻」考。4月公演「檻と盆栽」にちなんで、「檻」というものの持つ哲学的意味について考察してみた。
 
 今から10年ほど前、俺が夜間の福祉専門学校に通ってた頃のこと。昼間にはいろいろバイトしたけど、ある時期、俺は警備員というのか、工事現場で交通整理みたいなことをやっていたんだ。とにかく日銭が稼げる仕事ということでやってたわけだけど、俺が派遣された現場はかなりヒマだった。朝8時から夕方5時までの拘束時間のうち、実働時間はおよそ20分。こう聞くと楽でいい、と思うかも知れない。確かに、肉体的にさほどきついわけではない。「だらしない格好はするな」と言われているから座って休んでるわけにはいかないけど、それでも現場作業を思えば、あんなものは肉体労働のうちには入らないだろう。
 でもね、精神的にはちょっと辛い。8時間中の7時間以上は、何の仕事もせず、しかし持ち場を離れられない時間である。毎日、7時間超のゆるやかな監禁状態に置かれることによって、俺は7〜8千円の日当を手にするというわけだ。俺は、毎日約7時間の空白を埋めるために、様々な思考に走った。その多くはつまらない考えであったと思う。
 
 そんな経験のなかで俺は思った。人は皆、生まれながらにして見えない檻に囲まれ、そこから決して逃れることのできない存在ではないか、と。だからこそ、自由に憧れ、夢に羽ばたこうとするのではないか。そして、いつしか夢破れ、いくつもの傷を負いながら、それでも生き続けていこうとするのだ。生きるってことは悲しいことだ。でも、それゆえにお互いを慈しみあえるのかも知れない。そしてまた、
悲しみの数だけ余分に喜びの意味を知る。辛さを知るからこそ、幸せをかみしめることができるのだ。

 で、「檻と盆栽」公演初日まで40日ほどとなった今。気持ちをどんどん乗せて
素晴らしい舞台にしていきたい。「檻」のむこう側にあなたは何を見るだろうか。


 



2002年03月07日(木) およげ、たいやきくん

  まいにち、まいにち、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ〜。

 ってね、思わず口をついて出てしまいそうになる。仕事などで(仕事そのものと言うより、それに付随すること)ストレスを感ずることって、いろいろあるよね。
でも、生活の糧を得るために(やりがいとか自己実現ということもあるけど)そう簡単に仕事って辞められない。そこんとこで、みんなジレンマを感じているんだろうね、きっと。「およげ、たいやきくん」からは、そんな人々のつぶやき、ため息がイメージされる。と同時に、どんどん惨めになってしまいそうな自分自身を投影しながら歌い込むことによって、逆に失いかけた自己のエネルギーを取り戻すきっかけをこの歌は与えてくれるのだ。
 私は、この歌の後半部分にある、次の一節が好きだ。

  やっぱり僕はたいやきさ、少し焦げあるたいやきさ

 たいやきはあくまでもたいやきであり、いつも鮫に追っかけ回されたりして、優雅な生活とは無縁である。でも、たいやきとしてこの世に生を受けた以上はたいやきとしての人生を全うしようとする「仏教的諦念」のようなものを、私はその一節に感ずるのだ。
 それは、中島みゆきの名曲「かもめはかもめ」にも若干通ずるのではないか。
 また、明治期の詩人・北原白秋の次なる詩も思い起こされる。

  薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。

 それぞれに浮世の辛さはありましょうが、そのなかでも自分らしくあるってことが大切なんでしょうね。他人と比較してどうとかじゃなくてね。
 とまあ、日毎にいろいろと思うことはありますが、私には幸いにも夢中になれるものがある。稽古場では職場でのことはきれいさっぱり忘れているんだ。ホント、
不思議だ。
 今日のところは、これまで。じゃあ、おやすみ。
  


 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]