近年、毎年話題となる成人式の様子が ニュースで流れてました。 またまた沖縄や広島あたりが出てましたが 大なり小なり最近の成人式では見る光景です。 突拍子もない事を仕出かす悪ガキは実際一部の 人間で、それを周りがどう受け止めるのか。 やってる本人はいい調子ですから、学ぶ事も 大した事じゃないかもしれませんが、 その周りにいる人間や、こうして報道で知る人間は 新成人に限らず、祝う側も含めて多くの事を考え 学びます。 やってる本人たちも後々考える事になります。 人生は選択の連続で、特に最近は選択される道と その到達点の結果が、恐ろしいぐらい早く要求されるので、 市街地の中をウロウロ探すような選択ではなくて、高速道路 の分岐点を通り抜けるような感じになってますね。 最近は「スローライフのすすめ」みたいなことも言われては いますが背に腹は変えられないといった毎日でしょうか。 話を戻すと、寛容な社会が新成人を祝う機会をつくっている 訳ですが、大概の祝辞で言われる「成人としての自覚と責任」 という事の実践がなくて、またしてもバーチャル。 社会の先輩が、原因と結果についてをシッカリ見せなければ なりません。 それから、同じ新成人の圧倒的多数は比較的まともで、 その同じ新成人の中で、社会秩序が保たれる事が肝心。 ですから、新成人の枠組みでこういった行為が受け入れら れてる場合と、そうでない場合の対応は違うわけですね。 何れにしても先輩たちが、いい背中を見せてやる事です。 正直な腹の内もね。
今朝、テレビ番組で「奈良女児誘拐殺人事件」の 事について取り上げてました。 議論の争点は、「性犯罪を犯したものが 今どこにいるのか」という事について警察庁が 前歴者の所在を把握しておく事についての見解。 日本の現状として、性犯罪の再犯率は、 その番組によると、強姦したものが49.6%、 強制わいせつが41.1%、刑法犯としての 平均率でみて35.6%という数字を出していました。 かなり高い数字ですね。別の番組では10%台の 数字のところもあったので、どの数字を取り上げて 高・低を判断するかは難しいところですが、 問題は、「性犯罪」というものをどこまで深刻に 受け止めているかという事。 最近、様々な虐待の事が問題になっていますが、 現在の日本では、性犯罪が、まだまだ軽く考えられている のでは無いでしょうか。 戦後、欧米からドンドン取り入れた「3S」のひとつが 「セックス」だそうですね。 「楽しい事」「気持ちのいいこと」「便利な事」 そういったことを大量消費しながら追及してきた 訳ですが、そんな社会で身についてきた感覚と 社会を維持していくための規範システムが噛み合って いないと思います。 「権利」と「義務」の問題もそうですね。 充分な議論が必要です。
今、外は雨が降ってますが、どうやら 雪になりそうな空模様ですね。 今日の午後の空も、北の空が真っ黒で、 如何にも雪が降りそうな山陰の冬らしい空でした。 気温も下がってきてるみたいです。 明日は居合の初稽古。 雪になろうが何だろうが、向こう一年の稽古の 始まりらしいビシッとした居合抜きで行きたいですね。 今日は新年の懇親会があったのですが、 明日のためにもチョット酒を控えめにしておきました。 というか、何だか正月の飲み疲れって感じもあって あまり入らなかったですね。 でも今月は今週も来週もその次の週も新年会続きなんです。 一年の始まりが体にとっては一番キツイ。 頑張って切り抜けなければ。
今日から年始の挨拶回りをはじめました。 今年は2日が日曜日だったためか、 仕事始めが4日の所や5日に所やら いろいろで、まぁこちらにとっては分けて行けるので 都合がよかったんですが。 それはそうと、元日に剃った髭、2日・3日は親戚など 身内意外は2名の知り合いに出会っただけでしたが、 今日は約50名の方に出会ったのですが、気づいたのは わずか2名。2日の親戚が集まっての飲み会なんか いよいよ我が家から帰る時に、こっちから言って 始めて気づくありさま。 とかく変化を恐れるのは、人からの評価や受け止め方が 変わってしまう事への恐れで、それが自分自身の変化への 恐れにつながるそうなんですが、今回の場合、思っていたほど 周りの反応は無いですね。 気づいた人や、その人が口にして気づいた周りにいた人の 反応も思っていたほど驚く様子は無く、良いの悪いのといった 評価も返ってこない。つまり周りからもどうでも良い事に なっていたという事でしょう。 それと、私自身が、今朝、挨拶回りに行く日を迎えて 何の躊躇無く、髭剃りをもっていった事や人とあってて 気負いも無ければ、「剃りましたよ」って帰り際にこちらから 言って、「何で?」と言葉が帰ってきても、「無くても別にいいから」と サラッといえる自分に、少しは成長したかなって思ったりもしています。 明日は明日はかなり多い人たちにであう予定ですが 何人が気づくか面白いですね。 今日気づいた人2名は、「感性」が凄いな「気遣いが凄いな」と 日頃感じてる人でした。出会ったとたん、すぐに「何で?」って 言葉が飛んできた事に関心もしました。 日頃、身近にいたり、アタリマエだと思ってて鈍感になっている 事が日常には多くあるでしょう。そういう事への感受性を磨けるような 毎日の5感6感は意識して使わなきゃダメみたいですね。 私の場合、居合道の極意の習得に励み、その応用を日常生活で起きる事へ 如何に生かせるかでしょうね。 仕事でも充分に生かされる感性だと思います。 私の場合、時代遅れの古い価値観かも知れませんが、私は陽明学の影響が かなり強いんです。 客観的に、宇宙レベルで「理」が存在してて、人は所詮その理の中で動く。 徳川幕府体制維持に都合のいい学問で、自分の外に必然性が存在していて、上下関係の中で、役割を全うする。それが江戸幕府の朱子学。 それに比べ、陽明学は大きな客観的な社会のながれの中においても、 自分の心に正直に、「性善説」を土台に、大義を以って行動する。 「万物一体の仁」という考え方で、今で言う民主主義のはしり。 イラク問題、憲法問題、行財政改革、自分自信の政治スタンスと行動。 組合運動から経営までやってきた私にとって、改めて今、陽明学が スウッと入ってくる。 とりあえず、もっと深く勉強してみたいですね。
最近もう武士(もののふ)モードですよ完全に。
元日の「新年のつどい」出席後の飲み会を 終えて、12年間生やしていた髭を剃ってみました。 何故、剃ったかというと、そもそも何故生やしたかに 遡らなければなりません。 12年前に私は勤めていたJRを退職し、ボクシングジムの 経営と、父親の建設業の手伝いと二足の草鞋を履きながらの 新しい生活をスタートさせました。 退職して間もなくして行った散髪屋さんの友人が、 不精にしてた私の髭を見て「のばすの?」って聞いたんです。 私はそれまでの勤め人としての窮屈さからの開放感から チョット不精になっていたのですが、その時はまだ、伸ばすかどうかは 決めてませんでした。「2週間ほど我慢してみなよ!」っていう軽い ノリでポンと進められて、「剃るのはいつでもそれるんだから、 試してみりゃいいじゃん」と言う事で、とにかく先ず、2週間の ムズムズを我慢しながら検討する事としました。 結果、2週間後に散髪屋のマスターに続行を表明。以後12年間生やし てきたわけです。 一見、軽いノリでスタートした感じでしたが、ジックリ当事の精神状況から 思い浮かべると、大きく二つの理由があったと思います。 ひとつは、先ほども触れましたが、大きな組織を離れ、実力本位で 自分次第の仕事に変わった事から来る開放感、「やりたいようにやる」 という自由を感じていたから。(結果、生やしてからは余計手入れが 面倒になったのですが、それはさておき) 二つ目の精神的背景は、会社組織を離れ、自力で生きていく事への様々な 不安に対し、自分を鼓舞し、様々な海千山千の相手に気負いしない事、 逆にその風体のインパクトを強めて武器にするような、そんな不安な自分に対する戦うアイテムのひとつとしての有効性を求めたのだろうと 思います。 戦国時代の鎧にまつわる話とか、格闘技での外見とパフォーマンスも その一種ですね。外見で主導権争いに負けないといった類の使い方です。 当事、深くは考えず進められるままにのばしはじめたのですが、 当時私の精神的な背景は、そんなものだったと思います。 12年たった今、いろんな意味で、自分の「原点」からの再構築を しようと考えています。今の仕事のスタート時のことではなく、 もっと深い意味での「原点」です。 今日まで、お世話になった人たちに報いるのは、とにもかくにも 仕事での頑張りと結果だと考えて、批判も受けながら突っ走ってきました。 かつての仕事では、結果に対してゼロか100の二者択一のような 原則論で判断し、行動してたのですが、今は、目標の実現のために、 現実路線で一歩でも進む。それが負託に対する責任と思って今日までの 約6年間をやってきましたが、古いタイプの方たちからは批判も随分 受けています。 100%の人を納得させる事は無理としても、どうやら私は「手法論」の 域を出ていなかったようで、「やり方」の違いからの不信感や軋轢を 引き起こした原因はこちらにも多いと自己反省しているところです。 もう一度原点に立ち返り、「何のために」「誰のために」プライベートも 時間もお金も犠牲にしながら今の仕事をするのかという「大義」に基づく 「行動派」である事が肝心で、その人格的ベースは「武道」という 私の人間性としての土台もブレない様に、堂々と、ありのままで、 自分の気持ちに嘘はつかず、前向きな行動で行きたいと思います。 そんな新年の決意を持った私、髭の力に頼らず、というか、髭があることに特別な意味や効能が感じられなくなってきました。 心機一転、やってみたい。 この2日間、親戚たちが随分来たのですが、帰り際にこちらから言わないと 気づかなかったですね。 もし、髭があった方がいいという方は、ご意見でも メールでも下さい。客観的に考えられる髭の効果も是非、評価は しておきたいですから。
2005年01月01日(土) |
明けましておめでとう |
新年あけましておめでとうございます。 皆さんは、どんな年明けでしたか? 私は元日の11時から「新年のつどい」というのに 出席し、その後は親戚と飲み会。 帰ってからも御節で一杯やりながら かくし芸大会や漫才をみて、笑いのセンスを磨いています。 落語家や漫才師というのはホント間の取り方や着眼点が 素晴らしいですね。 つい見過ごしたり聞き流したりしがちな事を見事に ネタにしています。 私は「いじめ」のような肉体芸や突っ込みは あまり好きではなくて、「ホントあるある!」みたいな 日常的なものから笑わせるようなのが好きですね。 肝臓はかなりフル回転してるでしょうが、 シッカリ充電して、今年もガンガンいきますよ。
ついに大晦日になりました。 昨日は買い物。 気が付いたのですが、お節も、出来合いの 惣菜ものを買う人が多いですね。 年齢にはあまり関係ない様子でしたよ。 核家族の影響かな。それと、改めて「ご馳走」に ならない事や長期保存が必要ないことなどが 上げられるかな。 天気が悪くなりました。 今日明日は雪マークが出ています。 洗車が億劫ですが、まぁ最低限の洗車作戦で収めてしまおうかと。 来年も自己管理と危機管理の必要な年になりそう。 私も頑張って自己管理にもっと厳しく、役割・肩書きを少し 絞って、その代わり、もっと綿密に、徹底的に向かっていけるように したいと思っています。
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