師走になって、それこそ師ではないにしても 走り回るような忙しさ。 昼間は会議ばかりで拘束されているような状態で、 夜はいよいよ忘年会の真っ盛りとなりました。 連日の飲み会になると、行くところが同じに なってきて、出てくる料理も同じだったりして ウンザリしてくるんですよね。 私だいたい普段から、酒の肴は、話が一番。 実際食べるもので行くと、ドッガ〜ンと出てくるより、 気の利いた小料理が、少しずつ、色々と出てくるのが いいんだなぁ〜。 だから、ホテルでのパーティーなんかのバイキング形式。 乾杯が終わった途端に一斉にバーゲンセールの時のように 群がっていってガバガバ取ってくる様な食べ方、皿の上に いろんな種類のものがのってて、ソースやたれが混じっちゃったり してるようなのは苦手。 バイキングの時はいつも帰ってから何か食べてます。 カウンターの小料理屋で一杯やって、ショットバーでもうチョット ひっかけて。会話を楽しみながらいい気分で飲むってのが一番いいですね。 とは言ってもこのシーズン。私にとっては忘年会も仕事の延長の ようなもので、体の具合の気にしながらでも頑張らねば。
私の出身高校の同窓会、これの大阪支部の 総会へ行って参りました。 私にとっては先輩方ばかり、卒業後地元を離れて それぞれ頑張っていらっしゃる。 私が通学していた頃の、我が母校が受けていた 客観的イメージと、先輩方の通っておられた頃とは 随分違うみたいです。 正直言って私が通ってた頃の評判は頗る悪かった。 ガラが悪い、成績が悪い。そんなイメージがかなり 強かったですね。 実際には、生徒は様々で、優秀なのから、とんでもないのまで 色々だったみたいです。(私はどっちに入るのかなぁ〜) でもね、今、同級生の中で頑張ってる奴らを見回すと、 あの頃ヤンチャで、この辺の言葉で言う「さんだの無い」って タイプ。こんなのが頑張ってるんですよ今。 卒業後、ある時期まで、何だか出身校の名を名乗るのが 恥ずかしい時期が正直あったのですが、今は違いますね。 根性座ったいい感じ、そんな度量を身に付ける。受け皿としての ゆとりを持った高校であったと思います。
昨日の報道で、OECDの40カ国調査で、15歳を対象にした 「生徒の学習到達度調査」が出され、日本の生徒が 読解力が前回の2000年調査の8位から14位、 数学的応用力も1位から6位へ下がった事がわかりました。 他国との比較による順位が下がっただけではなくて、 前回と同じ質問に対する成績(採点結果)が下がったようです。 私は常日頃、学校というところは知識を習得するのは 基礎的なものとしてだけで、肝心なのは、 学習の仕方や問題解決の仕方、情報に対する好奇心と いった事の習得と社会性の習得だと考えています。 自分が成績が悪かったから言うわけじゃないんですが、 学校で習った知識なんて社会に出てからほとんど使う事も無く、 ただ、社会に出てからこなさなきゃならない多くの仕事・役割の ために勉強する機会は多くて、そんな時、勉強のコツみたいなものや 問題解決の手順みたいなものを身に付けているかどうかが 大きな違いになってる事に気づいたりします。 「かしこい」というのはチョット違いますよね。 そんな意味からも、「読解力」の低下や「応用力」の低下というの はショックですね。 もっと知らないことに好奇心をもって、情報を集めて、 それの意味を読み取って、自分の考えをもつ。 そんな日常が必要です。 それと、もっと本を読んで、言葉を組み立てて使う。 「言葉」でも「もの」でも自分で組み立てて使う。 そんな生産的な日常生活が必要だと思います。
先日、中学2年生の男子が、千円札の偽造で逮捕されてました。 インターネットで購入した雑誌を参考にして、 パソコンで百枚以上の旧千円札を偽造して、自動販売機で 使ってたそうです。 大人たちは事件にビックリしていますが、 これだけ身の回りが便利になって、写真でも自宅でプリントできたり 店に行かなくてもインターネットで手に入ったり、 消費者生活としてはドンドン便利になってきてます。 そんな時代、こんな事件があっても、ちっともおかしくは無いでしょう。 不便さを感じるのはお金が無くて困っている時が物事の土台にあって、 とにかく消費偏重の生活基盤が多くの問題を引き出していると私は 感じます。 もっと、意図的に「生産的生活」を作り出して、そのなかから 豊かさを知って、価値観をつくり上げていかなくては。 そういった価値観に基づいて、何かする時に「得るもの」と「失うもの」 「得する事」「存する事」の深読みをする訓練こそが今の子供たちの 教育環境には必要です。そのためには、大人社会がまず、 意図的にその状況をつくり上げる事からですね。
秋篠宮さまが39歳の誕生日を迎えて、夫婦での会見をされ、 そのなかで、皇太子の発言について「残念」という発言、 大きなニュースになりました。 想像でしかないので、あまりいい加減な事はいえませんが、 どうやら皇太子夫妻が描いている皇室の役割と、秋篠宮夫妻の 描いている皇室の役割像には違いがあるのでは。 「公務」についての考え方に触れてましたが、普通、行政業務を とらえて私達が受け止めている「公務」のあり方と、 皇室が担う「公務」とは私は随分と中身や質が違うと思います。 これは、戦後の「象徴天皇」になってからは特にそうだと思います。 「公務」に対する意欲とか情熱とかは勿論、どちらの「公務」にも 大切な事で、目的達成のため最大限の効果を上げるための努力を する事は、今の行財政改革を論じる時にもよく言われている事ですが、 それぞれの「公務」のもつ目的や役割には違いがあり、政治・行政とは 違う「皇室」の存在意義を踏まえた「公務」というものが、そこに あるはずです。 まぁしかし、皇室のそれぞれが「ビックリした。」みたいな事や 見解が違ったり弟が苦言を呈するといった事が起こるというのも 「女性天皇」についての議論などが起きている中で、 これからの「皇室」を国民レベルで論じる必要がある状況として いい問題提起を秋篠宮さまはしていると思います。
昨日の夜、久しぶりに近所の回転寿司屋さんに 行きました。 7時過ぎくらいに行ったもんで多いの何の。 結局30分くらい待って、やっと座って先ずビール。 さあ食べよう!と見回すけど、あまり好きな鮨ネタが ない。店の人に直接頼んでみたが「済みません。今日は もう無くなりました。」なんて言われてガッカリ。 それでもめげず、食べた食べた。 私、「にぎり寿司」大好き人間なんです。 チョットは自分でも握れるんですよ。 以前、寿司屋さんにチョットだけ習った事があるんです。 何でも私の手のひら、特に指の長さなんかが寿司握るのに 適してるそうで、握る手順とか教えてもらった事がありました。 でも、ヤッパリ食べる側がいいですね。 最近、寿司好きの友人が他都市に行っちゃったもんで 食べに行く機会が随分減っちゃいました。 特に回転しない寿司屋さんにはしばらく食べに行ってないなぁ〜。
最近、親を殺す子供、子を殺す親のニュースを よく聞きます。 近年、ニュースでの取り上げが、ネットワークの 拡大や情報技術の向上で随分と多様化すると共に、 ひとの注目を集める、ニュースソースの度合いというか 視聴率に配慮というか、ドンドン量としても流れてくる ようになてますので、昔と比べて多いのかどうかは よくわかりませんが、何れにしてもやりきれないニュース ですね。 今はホント、親子の絆を感じさせる場面が、日常のなかでは 減ってると思います。 親子ともに「我慢」の場面が少なく、「自分が我慢してでも 子供に」とか、親の苦労を感じながら「ありがたさ」を 感じるとかの場面が、消費生活には少ないですね。 昔の生活と違って、今はあえて、意識してそんな場面を つくらなければ人としての情や絆を深めるのは難しいのかも。
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