プロ野球の選手会がストライキに入るかどうかが 注目されてます。 随分前に、多くの労働組合がストライキ権を行使して、 沢山の処分者を出しながら戦ってきました。 JRの前身の国鉄なんかも、その代表格です。 しかし、通常、労働組合がストだというと、ほとんどの人が 否定的。「迷惑だ」「会社あっての・・・」といった感じです。 野球はなぜ、ストライキを多くの人に支持されているのか? テレビのインタビューに答える街の声は「選手としては当然」 とか「頑張って欲しい」とか「経営陣は責任回避してる」とか で、なんだか労組側の教科書どおりの答えが多いですが、 ほんとに実態と噛み合ってるのでしょうか? プロ野球が所詮、娯楽の世界、テレビで見る人が圧倒的に多い 選択可能な娯楽のひとつだから、自分にはあまり関係ない問題 として「スト賛成!」 となってるような気がします。 ホントは、高校球児の将来への夢と可能性とか、プロスポーツの 雇用関係や公開性のあるべき姿とか、もっと社会的視点が欲しいですね。
最近、わがままな子供たちの様子をよく見ます。 自分の都合のいいように物事を解釈し、 社会性を失っている様をよく見ます。 しかしこれ、よくよく見ると、大人たちの世界が ご都合主義で、デリカシーを感じさせない状況に あふれかえっている事に気づきます。 最近のニュースでながれる悲惨な事件なども その反映でしょうか。 私たちが子供の頃から人権教育が進められ、 人の尊厳について教育を受けてきて、 社会も労働組合の運動などで社会的な感覚は 随分進んだと思っていたのですが、 日常の足元を見てみると、その成果を感じることが 出来ません。ただ、最近のボランティア活動などは チョット違うみたいですね。 問題は、私の世代と、そのひとつ前の世代に多いのかな と思います。
最近は夜が随分涼しくなりました。 窓を開けると秋らしい虫の声が聞こえてきます。 こんな夜は秋刀魚か何かを肴に一杯やるのが一番ですね。 いよいよ美味しい季節の到来です。 太らないように、飲み過ぎないように気をつけなきゃね。
昨日は居合の稽古。 我が流派の技の奥義に迫るものを、感覚的に 多少なりとも感じ取れたのが感動ものでした。 お陰でなんだか寝つきが悪くて。 でもね、最近、陸上の末次選手をはじめ、 何人かのアスリートの身体の使い方で有名になってる 日本古来からのサムライの身体操法である「ナンバ」。 私これを今、熱心に研究してまして、ところが 居合の今の体の使い方と食い違うところが出てくるんです。 宗家訓では「・・・いささかの改変もすることなく、・・・・・」 なんてくだりがあるんですが、私の推測だと、 明治以来の西洋の軍隊やスポーツの身体操法の影響を受けて、 本来のナンバ的なものとは変わってしまったのではないかと 思うんです。その時代ごとの宗家は、より高い次元を求めていた とは思うのですが、特に明治の価値観の大改革時期は そういう事にも大きく影響したのだと思います。 ですから私の体の使い分けはスリー・パターン。 日常のスーツ姿やスポーツの時は、皆さんが日頃当たり前に 感じている体の使い方。我が流派の居合の時は、宗家をはじめ 先生達から教えられる使い方。 そして、それ以外。 自分のプライベートな時や自身の武道の探求としての使い方を 模索する時は、あくまでも「ナンバ」にこだわっていきたいですね。 使い分けです。
昨日は仕事で、久しぶりに「青年の主張!」みたいな 青臭い気分での喋りを随分しました。 先日、苦労した原稿は、前半からはほとんど役に立たず、 アドリブの出放題といった感じ。 日頃、気持ちの中でもっていた不満も含めて、随分と 主張をしてしまいました。 でも、たまにはいいですよね。 決まりきったやり取りだけでは面白くないし、 主張はキッチリしておく事も大切ですよね。
今日は午後3時から、ひたすらパソコンに向かっての 原稿書きしてます。 でも何だかいいフレーズが頭に浮かばないんです。 最近、読む本や見聞きするものがチョット偏ってて、 チョット前までのように、あっちこっちの色々な ものを見聞きする時間が不足がち。 ヤッパリ様々な文章表現や景色も含めて目に入ってきたり 感じたりする機会に触れてないとダメですね。 「忙しい」は所詮言いわけ。 時間はつくり出すものですね。 どう過すかというのは、後々のためにも大切な蓄積です。
昨日は昼は原稿書きで夜は武道館で居合と 文武両道の一日でした。 夜は随分過しやすくなってきました。 でも日本刀を二時間ばかり振ってると 汗の出るのなんのって、お陰で帰ってから またまたビールに手が伸びてしまいました。 昨日の居合の稽古では「受け流し」という技を 重点的に指導していただきました。 「理合い」といって、どんな状況で、どんな理屈で やる技かという事を頭に入れながらやらなきゃ いけなくて、それでもって目の前に相手がいる 事を想像して技を繰り出すんです。 これがなかなか大変で、すぐに意識と集中力が 途切れてしまうんです。 日常生活が、研ぎ澄まされた感覚から遠ざかるような 環境で、それについつい浸りながら、鈍くなってるんでしょうね。 かつて、空手やボクシングに明け暮れて、兵法ばかり考えていた 17歳から21歳の頃までとは随分変わってしまいました。 でもね、体は40代に突入してますが諦めてませんよ。 居合道という若い頃とはチョット違った武道にのめりこんでる 私、こうなったら死ぬまで武士道ですよ。
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