斜め読み日記
みなと



 珍しく旅日記。

神戸に行ってきました。
みなとです。

初めて行ったのは小学校の頃に行った甲子園観戦のついで
その後カウントダウン等コンサートのついで。

町を純粋に楽しむ機会もなく
いつかゆっくり楽しみたいとは思ってましたが

前日に決まりました。

「あそこ行きたいコレしたいとか考えるのも楽しみなのにー」
「帰りにるるぶ買っておくから帰って盛り上げたらいいじゃん」

という昼間のメールのやり取りをした後
帰って読んでるとそれなりに楽しみになってくるわけで。
翌日7時のJRで旅立つ事に。



駐車場が満車で停められず1時間延期。
一旦帰って2人で自転車でやり直しして出発しました。
3連休初日だけあって自由席は満席
岡山からの新幹線も満席
3時間近く立ちっぱなし。

降りてからは
歩いて10分程の地域にある異人館めぐりに。
想像以上の傾斜で息切れしつつあちこち。
結婚式場が密集してて、お日柄も良かったのか
あちこちで案内の看板が立ってました。
異人館めぐりで全館共通パスポート(4千円)を買うと
ウエディング含めドレスで撮影できるそうです。

一旦駅に戻って地下鉄2駅で中華街のある区域へ。
「夜の値段は無理だからランチで神戸牛を食べたい」と言うので
ガイドブックに乗っていたお店へ。
お肉は小さくカットして出されるので
わさび・からし・岩塩・ステーキソースで
少しずつ楽しんで食べられるよう工夫されていて
堪能する事が出来ました。

海岸通りの雑貨屋などベイエリアを夕方まであちこち歩き回り
7時過ぎの帰りの便に乗ったのですが
ことごとく駅弁が完売してて
奇跡的に車内販売で手に入れたのが
下り線なのに…の、博多めんたいこ弁当。
東京行って帰ってきたんだろうな(笑)。

車でも行けるんだろうけど
JRだと座ってるだけでいいし楽でした。
次はこっち在住なのにわざわざ遠征を繰り返し
神戸のパン屋ランキングを作ろうとしている
職場の人の情報もがっつり仕入れてから行きたいものです。

2014年03月21日(金)



 擬人化トーク。

近々車を探しに行こうかと話してます。
みなとです。
おひさー。

さて、その車について話し合ってる時
メーカーの話になりました。

「ホンダは近所でも評判のいい子って感じじゃない?」
「いやー、単純ないい子じゃないよ。結構中身はとんでもないイメージ」
「じゃ、身内にはいろいろバレてるけど外からの評判がいいと」
「なるほど」

「トヨタはやっぱインテリだなー」
「ダイハツはやっぱり女の子って感じ。女性というよりギャル」
「スズキやマツダはみんなの弟分だな、結構好き勝手な車作ってそうで」

「でもってスバルはアスリート系だね」
「ねーねーおねーさん。ニッサンは?」

「うーん……なんかジャンルが固まらない…。
器用貧乏って感じ」
「あー…」←ニッサン車所有


でもよくよく考えると一番節操なしなのは三菱だと思う(ぼそ)。




2013年07月23日(火)



 今年の忘れられない事。後編

あまり眠れないまま翌日
朝10時に病院に行きました。
麻酔に備えて前日から食事抜きです。

2人で再度話を聞いて
昼前に病室に入りました。
12時過ぎに呼ばれる予定だったのだけど
前の手術が長引いてるとかで
結局1時ちょっと過ぎに呼ばれました。



部屋の中には
ピンクのやわらかそうなソファーと
殺風景な茶色のただの四角い処置台があって
私は茶色の方に寝ました。
あのカラーリングもうちょっと考えてほしいですね(苦笑)。

暴れないように手足を縛られた時は
仰々しいなぁと思いました。
麻酔をかけられて看護婦さんに続いて数字を数えていくのですが
15までは数えてた記憶があります。

いろんな音が聞こえました。
いっそのこと意識も全部持ってってくれよ…と思いながら
たぶん呻いてました。
「終わりましたよー」と言われて目を開けたら
麻酔に酔ってたようでリバース。
なるほどこのために空腹にさせたのねーと
妙に冷静になってました。

ストレッチャーで病室に戻されて
麻酔が切れて動けるようになるまでおよそ2時間かかるので
それまで楽にしててください。
動けるようになったら帰っても大丈夫です。と言われました。

処置に入る前には
「私が寝てる間に前に気になるって言ってたスープカレー屋さんにでも行っといでよー」
と気楽に話してたのですが

私が麻酔でぐったりして帰ってきたのにどん引きしたらしく
近くのコンビニで簡単な買い物だけして
すぐ戻ってきました。

それから半分起きてるような寝てるような感覚の中
ぼんやりテレビを見てました。
そこでは動物園のパンダの赤ちゃんが死んだというニュースが
長々と放送されてました。

変なの。


その後時間も過ぎたので
家に帰りました。
体は非情なまでに正直なもので
昨日まであった悪阻の気持ち悪さが
すっかり無くなってしまいましたね。

手術が終わってからも1か月ほどはアフターケアで
何度か病院で痛い思いをしました。


というわけで思ったのは
中絶を安易な事と考えてはいけない。という事ですね。
精神的はともかく実際肉体的にかなり痛いです。

子供が欲しいと思ってても
こういう事が起こって痛い目に遭うから
できたら困る人の相手には絶対なるな。

いつか子供ができたら教えたいもんです(遠い目)。

2012年12月31日(月)



 今年の忘れられない事。前編

誕生日が過ぎて間もない頃の話です。
みなとです。

早めに子供に恵まれると良いねと話す中
その兆候が現れました。

病院に行け行けとノリ君の方が急かすので
恐る恐るしぶしぶ病院に行って
あっさり確定。

仕事中のノリ君に知らせると
「おめでとう。母よ」
というメールが返ってきました。

まだ別々に住んでいて
親元も遠く
一人で過ごしてこの先大丈夫なのかと
不安に思う日々が始まりました。

少しして
食欲が無いのに
お腹がすいて目が覚めるようになりました
夕方4時ごろにもお腹がすいて気持ち悪くなるので
仕事中コンビニに寄ってサンドイッチを買い
休憩室でちまちま食べたりしてました。

仕事でバイクに毎日乗ってました。
外回りがいきなり室内作業に回っても
触れる機械も少なくてはっきり言って役立たずだし。
乗れるうちは乗るつもりでした。夏くらいまでは。

ちょうどそのころ
職場でもう一人同じ状況の人が現れました。
病院に行った時期もほとんど同じだと言ってました。

でも
私と違うところがありました。

その人は2回目の通院で
具体的な予定日を聞いていました。

毎週のように病院に行ってるのだけど
私にははっきりとした予定日が告げられていません。

あとから思えばその時既に
それは表れていたのだと思えます(遠い目)。

検診を重ねてあれこれ見えるようになりました。
心臓も見えました。
心音も聞こえました。
ちょっとだるいのと空腹が耐えられないくらいで
目に見える変化はまだ何もないけど
不思議な感じでした。

予定日が確定したら
病院に行くのは月に一度になるらしいのだけど
相変わらず1週間から2週間おきの通院が続きました。

そして7月9日。

検診で先生の顔が険しかったです。

「ずっと頭の大きさがあやふやで週数が分かりませんでした。
頭に大きな空洞があります」
そう言われました。
「すぐ明日もっと大きな病院に行って検査してください。
時間がありません」

ノリ君は仕事が忙しく今日は来れないので
帰宅後母君に連絡して
急遽来てもらう事にしました。

翌日
渡された紹介状を持って市内の総合病院に行きました。
同じような検査をされた後
母君と説明を聞いてました。

「紹介状をくれてる先生の見解とまったく同じですね」

目の上から上の頭蓋骨が形成されてない事
脳に当たるものが全く入っていない
いわゆる無脳児症と言われる状態です。

「この先も脳以外の器官は出来ていきます。
お腹の中にいる間は栄養をもらって大きくなります。
でも、出てきたら生きることはできません」

「年齢も環境も関係なく、そう言う育ち方をする子が出てきます。
そして、同じ母親が2度そういう妊娠をする可能性は
ほとんどありません。
今週末には週数が増えて4カ月に入ります。
そうなると手術の方法が大きく変わります。負担も増えます。
身体に残すダメージが小さく済むうちに…」

という事でした。
治療じゃなく、セカンドオピニオンだったわけですね。

その足で最初の病院へ。
「急いだ方がいいです。できれば明日」

職場に行って申請を出し
母君は帰っていきました。

かわって夜にはノリ君が仕事終わりに駆けつけてきました。
明日たまたま休みなので病院に付き添ってくれます。

2012年12月30日(日)
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