ダメダメちゃむ日記
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| 2003年04月23日(水) |
嬉しい、という気持ち |
さて、今日の日記は完結するんでしょうか!? しょっぱなから、既に寝てしまう自分と固まったPC画面が目に浮かぶようです。
最近、「嬉しい」とプラスに感じる瞬間が多くなったように思います。 例えばメールが来たり……。 例えば電話が掛かって来たり……。 例えば書き込みがあったり……。
↑(−−;<待ってるばっかり?(滝汗)
コミュニケーションを取るのに大変な不安と緊張を感じる状態が長く続いてまして、自分から……というのがとても苦手な状態になっております。 そこに、ひょいっとね、入ってきてくださる方がいらっしゃると、もう涙が出るほど嬉しいんですね。 そして、それを「嬉しい」と感じることができる自分の状態がまた嬉しかったりします(苦笑)
だから、そんな気持ちを他の人に返していかなきゃいけないな、と思う訳です。生徒とか、お客様とか、ダーとか、娘たちとか……。 不幸の連鎖はどこかで断ち切らなければなりませんが、幸せはどんどん広げていくことができるのではないか、と。前向きに考えられるようになりました。
☆脱皮 久し振りの書き込みになりました。 もしも幾度か足を運んで下さった方がいらっしゃいましたなら、ご心配をお掛けしました。 ごめんなさい。<(_ _)> A(〃∇〃) えへへ、元気になりました。 何度も何度もあちこちのコンテンツに書き込もうとしては挫折し、そのまま寝ちゃったり、閉じちゃったり、途中で切れちゃったり……ヾ(´▽`;)ゝ ホントしんどかったですわ。 書けないことが、書けない自分が、更新できないHPが、情けなくて……(-_-;)
昨日と今日、朝の薬を飲み忘れちゃったんですわ(^^;)←朝寝坊 昨日は不安になって、出勤後すぐにデパス2錠飲みました。 今日は「体調が悪くなったらデパス之飲もう」と思って様子を見ていたら、何と一日もっちゃったんです。Σ( ̄□ ̄;)<本人が一番びっくり(笑) 夕方、診察に行きました。1月からこっち、毎週通院してカウンセリングと受けてたと思うんですが、昨日は自分からドクターに、 「2週間で大丈夫だと思います」 と言えました。診察中に初めて気づいたんですが、心の中にわだかまりがなくなってたんですわ。心が軽くなってた。(。_゜) あれれ〜?って感じ。 ドクターと話しながら、私が背負っていた重荷の原因は、実はおかんだけじゃなかったのだとわかりました。
実際、3学期の始業式以来、おかんとは接していません。私からおかんへのあらゆる接触を完全にシャットアウトしました。電話にも出ていません。時々おかんが家に入り込んできましたが、目も合わせず、口もききません。そして、おかんのサポートを完全に排除してきました。3ヶ月経って、おかんはもう私との接触を諦めたようです。親不孝と罵られても構いません。あのおかんがいては、私はまっすぐに自分の道を歩いていけないのですから。長女がおかんの家に行くのは止めていません。母と祖母の確執の間でおろおろさせられるのは私だけで充分ですから。
校内人事で部署を変わり、日々触れ合うメンバが変わったことで、私の心の負担は驚くほど軽くなりました。そう、学校には「ミニおかん」が沢山いたんです。旧部署は特にその巣窟でした。それは「無理に無理を重ねて頑張り続けているお母さん先生」達でした。
新しいメンバー、新しい生徒。 明日新学期、私も新しいスタートをきる。 始業準備で事務仕事をしながら、やはり精神的な疲れが大きかった。車に乗ると、途端にまぶたが重くなる。 気づかないところで、新しいメンバに気を使ってるんだろうな。眠気は疲れの最大サインだ。昼と夕方、自己調整用のデパスを一錠ずつ服薬した。今日は夕方から居眠りした。(すっきり) けれど、旧学年部と離れたことは、かなりストレスの軽減になった。自分では気づかなかったけれど、「迷惑を掛けた〜っ!(><)」という旧学年部メンバへの罪悪感は、学年配当を変えるという教頭の配慮によって喪失した。 いざこざはあったけれど、元々からそりが合わない人だったので、問題なし。無理な授業変更というトラブル以前に、彼女と私の相性は壊滅的に合うことがないのだから。 さぁ、顔を上げて前を向いて、桜の花びらの中、新しい風に吹かれてみよう。
「涙涙の3月でしたね」 ドクターは言った。 毎週診察の度に泣いていたものね。
「僕はわかってますよ!」 とドクターは何度も言った。 「家族がいるじゃないか」 とダーは言った。
けれど、私は家庭と病院だけという蔵の中でひっそりと暮らしたい訳ではない。 社会の中で、仕事を持って生きていきたい。 共生への強い願い。 障害に対する誤解と偏見への恐怖と怒り。 それは「ちゃむさんの立場があっての言葉」だと言われた。 障害を持った人間の普遍的な願いだと思った言葉は、私の個人的な思いとして収束させられた。 学校という名の小さな管理社会。 「みんな同じ」であることを強制する、学ばない教員たち。 そして、その中で生きてきた人たちが社会を構成する。 恐い! 怖い! こわい! 娘2人に「絶対的な世界への安心」を植え付けるための言葉をかけながら、その一方で、生き直そうとする私にあるのは世界への絶対的な絶望だけだ。
「研究発表云々ではなく、今はあなたにとってとても大切な生きるための過程だと思いますよ」 ドクターは言った。私もそう思う。 今を乗り越えよう。 道化の仮面もはぎ、私を護るために頑丈に作った筈の世界への防波堤が壊れ、今、人の中に放り出された、何ももたない何の価値もない裸のままの自分を生き始めてみよう。 人の言葉は痛く、自分の言葉を語るたびに見えない血が噴き出すが、それでも私は初めて生きたいと思い始めた。 ダーや娘のためでなく、自分の人生を自分で今から作っていく。 社会の現状は厳しく、うつ病患者に、精神障害者に向けられる視線は無理解で誤解と偏見に満ちている。 生きることは辛く、哀しい。けれど、生きていく道のりに、辿り着けるかもしれないその行き先には、きっと何かが待っている。 私は障害を持っている。私はこれまで散々傷つけられた。 けれど、そんな私でも、できるものなら幸せになってみたい。
何もできねーや。 うつうつうつうつ。 月9も録り逃したわ。 ┐('〜`;)┌ やれやれ。
「語るのはとても痛い。語る時、見えない血が吹き出る。」 ↑メインページ参照(穂積純著「甦える魂」より)
という訳で<何が「という訳」なんだか?(笑) ちょっとばかり語り過ぎて、心が出血多量の貧血状態になってました。 ちなみに、まだ生きてます。 絶対に自ら死ぬことはありません。
ただ、しんどかったんです。
ただそれだけのことが、私にとっては心臓が飛び出すほどの勇気の要る行為だなんて、私を知る人の一体誰が予想できるだろうか? 相手に反論をする。 ただそれだけで自分の存在そのものを失うかもしれない恐怖の中で生きているなんて、きっとダーにもわからないだろう。 軽いジョークでなら、いくらでも言葉は操れる。 でも、本当の自分の言葉で相手(特に目上の人・先生)に言い返したことはほとんどない。 勝手な思い込みで、善意という名で押し付けられた、でも全く意味のわからない責任のなすりつけに、今日初めて、 「私はそんなこと言ってません!」 と言い返した。世界が壊れるかと思った。怖かった。
たった一言のメールで他人の心を殺せると知っていて送っているのだろうか。 そうまでしなければ救われない、その人を覆うものは何なのだろうか。
中学校と言う学校現場に身を置いて、本当に辛いのは保護者から寄せられる抗議じゃない。どうしようもない生徒の現実に突き当たる時だ。 点数で生徒を輪切りにせざるを得ない「テスト」・高校入試を背負った中学校で哀しいのは、わかりきった「嘘」で固めて、嘘の点数で自分をかばおうとしている生徒の姿を見る時だ。 目先の3点、4点を誤魔化して、目先の点数だけを上げて、その子に得られるものは一体何なのだろう? 何が怖いの? 答えを書き直してまで点数だけを上げて一体何が欲しいの? ……きっと、それは親の評価。 叱られたくない。 褒められたい。 怒られたくない。 認められたい。 虚勢を張って、本当の自分が見破られないように、でも本当はバレバレの虚構の中で、点数からしか与えられない愛が欲しいのだろうか? ……多分、そうね。私がそうだったように。条件つきでしか与えられない愛にすがろうとあがいているんだね。
そう言えば、私が本当に幸せだった時なんてあるのだろうか? 中学2年の1学期の中間テスト。唯一の幸せな記憶。 担任の先生の話術に乗って、全力を尽くし切ったテストがダントツの1位だった時……? たった一度の甘美な思い出に乗せられて、私は嘘の人生を送った。偽りの人生はどんな幸福をも許してくれないのに。
それが今の私。
自分の書き散らかした文章を読んで改めてそう思う。 これではどなたも書き込むことはできない筈だ。 徹底的に自分しか存在しない、私の狭い心そのもの。
先ほど、ホットメールが届いた。 「ba-ka」と一言。 やっぱり安全じゃないね。 痛い目見るのは私だけでいい。 どうかあなたはあなたを守って。
やっぱりうつ状態だわ。
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