ダメダメちゃむ日記
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長い、不毛な闘いだった。 女性もんだいと関わって10年、研究が全国で認められたこともあった。学習の機会も多く与えられた。これこそが、今、私達に必要なことだ!と自信があったし、自負もあった。 けれど、私は運動を広げることができなかった。異動した支店の中では、私は「1人」だった。現在頑として存在し、連鎖を続ける「女性差別を解消」しようとすることで、私は奇人変人扱いだった。前任支店で思いもかけぬ過大過ぎる評価を受けたせいだろうか、私はどんどん萎縮していった。女性の中にあっても、である。 誰も男性中心の差別的社会構造に気付いていなかった。私は孤独だった。思うことを発言しても、会議では否定された。 ただ、年に1度、県下から同士が集まって熱心に論議する会だけが私の支えだった。 「ここには多くの差別に怒りを感じる先輩と仲間がいる。私は間違っていない!」と毎年勇気をもらうのが私自身の救いだった。 個人的に、自分のできる範囲で、女性差別を撤回する為の試みを行い続けた。私の人生を含めた話を聞いてくれた人達の目が輝いていた。支店長にはその都度報告はしていた。支店長も応援してくれた。 そこにドロ水をぶちかけたヤツがいた。担当者だ。ヤツは私の試みは絶対に間違いだ!それこそ差別だ!と決めつけた。お前が何をどこまで研修したのか!? 「成果まで見て下さい!」 と頼み込んで計画通りの実践を終えたが、担当者はそれが気に入らない。途中でヤツが私を妨害したことが対象にバレてしまったこと、「私」の闘いが評価されたことが、ヤツは気に入らない。ヤツは私を罵倒した。他の担当者も私を守ろうとはせず、同じ立場であるヤツに味方した。その人達も女性なのに!! そして、2年前、私は倒れた。「私」の尊厳はヤツによってズタズタにされた。心も身体も悲鳴を上げていた。それでも、最後まで仕事は笑顔で続けた。上司にはずっと相談は続けていたが、医師とも相談の上、もう限界になった。病休をとることにした。仕事上、とても大切な時期に私は職場を離れた。いや、今になってわかる。私は、ヤツに業務が正常に行えない状態に追い込まれたのだ。ヤツこそが、私にハラスメントを行い、私を職場から引き離したのだ。初めて、正義をもって、ヤツに怒りを感じる。返せ!返せ!私の1年半を返せ!苦しんだ1年半を返せ!私の職業人としての信頼を返せ!
長期出張から帰宅したその足で、セクシュアル・ハラスメントの講演会に行った。副支店長(2年前とは支店長も副支店長も異動で変わっている)から研修用の資料を探して欲しいと頼まれたこともある。私自身も知りたかった。そして、気付かされた。長期出張中に、散々「冗談」という言葉に誤魔化し、私やふくよかな女性に、セクシュアル・ハラスメントを行っていたのは、他ならぬ現在の支店長と副支店長ではないか!? 寝ぼけた目が一瞬で目覚めた。今こそ立ち上がらなければならない。私しか知らないのだから!
今日、当の支店長から25分程度の研修があった。セクハラの何たるかも全く明確にされてない、本社から下りてきただけの、B4プリント1枚半。そして言う。 「時間がないので、これで1時間研修したことにしてください」(^_^ゞ 怒りが沸騰した。どこからの資料なのか、これでセクシュアル・ハラスメントの研修は終わりなのか!? 支店長は冷や汗をかきながら、これから、お互いに研修を進めていく、自分自身も勉強する、と。 講演会でもらった、A3プリント8枚の資料を「私」は持っている。副支店長にもコピーをお渡しした(私のコピーを「資料きたからもういらない」とほざきやがったが、しなやかに押しつけた)、いつでも声を掛けて下さい、と言うと、支店長は答えた。 「ありがとうございます」
研修後、皆が混乱していた。当たり前だ。アレも悪いんか? コレも悪いんか!? ……それがセクシュアル・ハラスメントなんだよ!と叫びたい衝動を抑え、私に質問してきた方には講演会で聞いた具体例を挙げた。驚愕されたが、これが現実だ。私達はあまりにも無知だったのだ。
私はやっと立ち上がれる。本社が「そうしろ」と言ってきたのだ。もう何の後ろめたさもない。やっと、私が「私らしく」生きられる! 連れ合いに報告しながら、お互いに成果があった今日の仕事を祝福しながら飲んだビールは、10年振りの勝利の美酒だった。 けれど、私の本当の闘いは今から始まる。やっと、公式にスタートラインが引かれただけだ。仲間をもっと増やそう。しなやかに、滑らかに、語っていこう。
いろいろトラブルもありましたが、 無事、フェリーから飛び込むこともなく、 大阪FWのことを思い出す暇もなく、 20日に関テレで「おすピー」の放送が 夜7時から放映があったことに気づく間もなく(T∇T) 9時頃新聞見てそれに気付き、 7時頃夕食を皆と食べていた自分を 激烈呪いたくなりましたが、 生テープも持って行っていなかったし、 どうやら知り合いが録画しているようなので、 よしとして、無事帰宅しました。 ヘ(−_−ヘ フフフフフ
昨夜は「さらば宇宙戦艦ヤマト」のDVDを見ながらこたつでうたた寝しました。 こーゆーことしてるから、咽喉枯れが治らないんだよ┐(´_`)┌フッ そんなこんなで、長期出張行ってきます。 資料に大阪FWの当日券申し込み電話番号と会場をφ(..)メモメモしてしまい、救命胴衣の装着法を誰よりも熱心に見てしまう自分がちょっと恐いです(T_T)
明日わた〜しは〜旅に出ま〜す〜♪ いと「おかしく」「あわれな」(現代語)旅になりそうです(T∇T) 「明日の準備はいいの?」 と小1の娘に聞いたら、 「お母さんこそ明日の用意できてるの!?」 Σ(ノ°▽°)ノハウッ!@ナイス突っ込みだ!>娘 もちろんほとんど荷造りなんかやってません。 「明日できることは今日しない」 が僕のモットーです<( ̄^ ̄)><☆(○=(-_-; パンチ!
ホントは昨夜書きたかったんだけど、書けなかったこと。
やっと、「あさま山荘」に突入できました。@レンタルビデオ いや、ホントず〜〜〜っと貸し出し中で(;-_-) 冗談抜きで丸1週間毎日レンタルビデオ店に通ったの。でも、ず〜〜〜っと貸し出し中だったんですよ、「突入せよ! 『あさま山荘』事件」@DVD2本、ビデオ7本。(−−; (@@;))))〜〜(((((;@@) なぜ?なぜ? そんなに人気あったの?「あさま山荘」映画? そんなに人気あったの?大塚さん<発想そのものが自分寄りにズレてるぞ。 と、訳わからんちんで(−−メ)イライラしていた僕の謎を、ダーは一言で片付けてくれた。 「K察官が借りてるに決まってるじゃん!」 「Σ( ̄□ ̄;)そーなの!?」 「他に誰が借りるっていうの?」 「……( - ゛−) ジッー そういうもん?」 「昔(あさま山荘現場に)行ってた人とかが懐かしがって見てるんだよ」 「?(。゜)(゜。)? ハッ? そんなに行ってたの?」 「行ってたんだよ! 管区機動隊とかがいっぱい!」
はい、話によると、滅多に映画など見に行くことがないMさん'sパパ(退職K官)も映画館に見に行かれたそうで、マジK官が交替で借りていたんじゃないかと思われます。
映画の中に「ヘラクレスの選択」という言葉が出てきた。「大変な道ばかりを選ぶ」というような意味だそうだ。 「あさま山荘」の作者Sさんはその連続だったそうだ。長官だったGさんも素晴らしかった。それは誰よりも現場のK察官達がよく知っている。
僕の先輩にも沢山いる。「ヘラクレスの選択」をなさった方々。そのほとんどが女性だ。そもそも女性問題を考える研究会に、自主的に好きで参加している僕。素敵な先輩方に多くのことを教えられた。そして、未熟な僕に、たおやかに滑らかに、いろんなことを教えて下さった先輩方は、「ヘラクレスの選択」を余儀なくされた。 『言っただけのことは、やれ!』 という無言の圧力(多言だったかも知れぬが、彼女達は決して多くを語ることはない)が、彼女達を望まぬ高みへ押しやった。 彼女達が何より現場が好きだったことは、10年間、遠く離れながらも手取り足取り、思いやりと優しさをもって教えていただいた僕にはよくわかっている。 でも、彼女達は昇らざるを得なかった。後に続く女性達の為に。
「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」 魯迅の「故郷」のラストの言葉そのままに、後進の女性達の為に、彼女達は「ヘラクレスの選択」をし、そして苦渋の道を切り開き、進んで行く。
僕は彼女達の後を追えるのか? 正直、全く自信がない。でも、先輩達を応援することだけはできる。自分の身体と精神と、家族を守る為に、僕には「ヘラクレスの選択」はできそうもない。だからせめて、精一杯、彼女達を応援して行くつもりだ。何しろ、僕にはそれしかできないのだから……。
| 2002年11月13日(水) |
家に帰り着くまでが遠足です! |
今日、フコク生命のおばちゃんが来て下さいました♪o(^o^)o♪ 先日頼み込んでおいた「フコク情報ステーションファンファン10月『今ヒーローが熱い!!』」を持って来て下さっての笑顔でのご来店ですヾ( 〃∇〃)キャーーーッ♪ 僕「(^0^)ノ お待ちしてました!」 ↑こんなに待ち焦がれられる保険のおばちゃんも珍しいかと思われます(笑) フ「(´ー`)ノ□ はい!」 ↑おばちゃん、得意げ(笑) フ「私も、これ見てたんですよ〜。『(イケメンが)沢山いるんだなぁ〜』と思ったまま忘れてたんですけど。ちゃむさんは『この方』一筋なんですか?」 僕「ρ(⌒◇⌒)ノ.はいっ! もう一筋ですっ!」 フ「実は、私はこの人……(´ー`) ウフフ」<太陽くんを指差すおばちゃん(笑) ゞ( ̄∇ ̄;)おいおい? 僕「逮捕されちゃいましたけどね……ヾ(´▽`;)ゝ ウヘヘ」 フ「そうですねぇ」 僕「起訴『猶予』でしたけどね( ̄ー ̄)」<嫌味入ってます(^^;) フ「よかったですね♪」<通じてません(爆)
おばちゃんを仲間と識別した(<勘違いも甚だしい)僕は、大阪FWの件をまくし立てました。向かいでK先輩、苦笑しながら、(<笑うしかないですよね?) K「家に帰るまでが遠足です!」(笑) フ「必ず校長先生がそう言ってましたよね」 Σ(ノ°▽°)ノハウッ!? 仲間だと思った(<勘違いです)保険のおばちゃんにまでトドメを刺された僕はもう(T∇T) ハハハ!と笑うことしか残されてません。<そもそもが間違ってます!
そんで、ちゃんと思い出したんです。W大局が突っ込んだツボ <_(__;)ゞ スイマセン 実は、僕はあの時、 「じゃあ、フェリーには乗りますから、甲板から突き落として下さい! そしたら、大阪まで泳いで、後は自力で帰りますから!」<マジ臭い(;-_-) とまで言ってたんです。(―_―;) W大局は、そこに突っ込んだんです。 「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょう」<穏やかに!
……って、俺、そんなに飛び込みそうなんですか!?(T∇T) >W大局(爆)
ええ、もう完璧に諦めましたよ。 11/19〜23の関西出張で、20日に「おすピー」が録画できるかと思っていた(地元では放送はない)のに、関テレが放送してくれないらしいとか、20日は予約していた「真珠夫人DVD」の発売日なのに帰着するまで見られないとか、23日の大阪FWがもしホントの出張中だったら、宿を抜け出して大騒ぎになるか(まず携帯の電源は切ってるな)、同じ関西にいるのに何故俺はFWに行けないんだ!?(ー'`ーメ)ムカッ!と宿舎で悶々としないで済む、というギリギリの境で、嬉しいんだか寂しいんだか自分でも訳わかんない長期関西出張に、来週行ってきます(涙)
という訳で、来週1週間は全く更新できませんので、せめて今週はできる限り、日記アップします。<できる範囲ですが''r(^^;)ポリポリ
それでは皆様、12月の信吾様イベントでお目に掛かりましょう♪ ((((((((=^-^)(^^*))))))))))
11月11日……ミ★ ヽ(□゜(-_-;)ゝ アッ! 今日は「1条さんの日」ですか!?<違います
昼食中、僕はこっそりK先輩に話し掛けた。 僕「22日にフェリーに乗り遅れたら、やっぱりダメですか?」||-*) ソーッ<やはり諦め切れていないらしい(笑) K「何の話〜!?(笑)」 僕「いえ、23日に大阪で信吾さんのイベントが……。(≧∇≦)/ ハハハ! 勿論ダメですよね? わかってますってば(T∇T) 」 K「旅行は、自分で行ってね(´ー`) ウフフ」 その時、僕の隣席のW大局が、(-。-) ボソッとつぶやいた。 W「言っていい冗談と悪い冗談があるでしょう」 (⌒ー⌒メ) ピク! あんたには言ってねぇよ!凸(▼▼メ
そもそもW大局と僕はソリが合わない。2年前に僕が精神的に追い詰められて休職→病休する羽目になった原因の1/4はW大局のチクチク嫌味が原因だった。<最近まですっかり忘れていたが(-_-メ)
僕の信吾さんへの盲愛が、言って悪い冗談だとでも言うのかい!? とゆーか、誰がどう聞いても「冗談」だろ!? 凸(`0´)凸 ムッキー!<そ〜か〜ぁ?
せっかくの「一条さん記念日」にすっかり不愉快になってしまった(T_T) 僕は自己防衛の為に、ほとんど他人にマイナス感情を抱くことがない。無意識の内に他人の心情に深く踏み込むこともせず、不快感はすぐに忘れるようになっている。ストレスを避ける為に、「仲間」以外の他人には関わらないことにしている。 だって、しょうがな〜いじゃない? いろいろあんだもん♪
そんな僕を久し振りに怒らせたW大局、恐るべし! しかも来週からの長期出張ではW大局とほとんど同室だ!?ヾ(☆▽☆) アハアハ♪<部屋割りしたF君の悪意も感じる今日この頃である。(~_~)
( ̄_ ̄lll)どよ〜ん 10日振りです。大変ご無沙汰しております。<いや、日記だろ?(^^;) BBSにも書いてますが、マジ過労状態でした。 取り合えず、イベント一山越えました。(またイベントかよ?) でも、再来週の長期出張に向けて、まだまだ超勤が続きます。しかも、よりによってですよ、再来週の22日夜に大阪を出て、23日早朝に帰社するという非情な長期出張なんですよ(T-T) <23日大阪FWじゃんよ!?@つか、貧乏旅行だな。 「私だけ大阪に置いて行って下さい〜!!(T∇T) 宿泊費も帰りの交通費も自費でいいですから〜っ!!(TロT) 」<血涙 勿論、会社にそんなわがままが通る訳はありません。それでなくても、今回のイベントは(またかよ?)部門の一大行事なのですから[壁]TT)ダー<諦めました(T_T)@信吾さんと入れ違う大阪(滝涙)
哀しみもひとしおの昨夜、ダーからケータイ。急用だというので娘と替わると、 ダ「11月末に何か予定入ってたよね?」 僕「うん。11月30日が社の出張で、12月1日が信吾さんの東京ライブ。で、2日に帰ってくる」 ダ「そっか……」 僕「どーしたの?」 ダ「いや……。さっき、兄貴から電話があって……。 12月1日にお袋の一周忌やるって……」 Σ(ノ°▽°)ノハウッ! ↑お姑さんの命日も忘れて浮かれてた馬鹿嫁☆(゜o°(○=(-_-; 天罰パンチ 僕「……あの、ライブ料金も運賃ももう払い込んでいて……(_ _;)」 !( ̄_ ̄lll)どよ〜ん ダ「うん、わかってる。用事があるって言っておくよ。じゃね……プープープー♪」 (T∇T) <鬼嫁確定!
お義母さん、生きていらっしゃる間に「嫁」らしいことの一つもせず、あなたの一周忌にライブに上京する私を許して下さい。せめて、東京へは、喪服(実はマタニティ礼服だという(_ _;))で行って来ます。どうか、この鬼畜のような阿呆嫁を天国からお守り下さい。<つーか、連れて逝かれそうな非道な行為だな(;-_-)
南無阿弥陀仏ぅ〜( ̄人 ̄)ち〜ん
マジ、仕事疲れっす。<笑えない 明日、代休なるものを12年の職業生活で初めて取ります。4連休です♪わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪ <興奮して眠れません<意味なし 11月になりますね……。(―_―;)この1ヶ月がお仕事の最盛期です。本気で12月1日東京ライブだけを楽しみに頑張って働きます。(T∇T) <想像しただけで泣きそうです。<って、10月も十分に忙しかったんですけど(T_T)<僕にしては、薬中(人聞きの悪い)でぶっ倒れた以外は考えられないほど頑張ってますが@10月<普段どれだけ力を抜いた仕事してるかバレバレっすね? へ(゜∇、°)へ ケケケケ!<逝ってきなさい! いや、何か書きたいネタはちょこちょこあったような気もするんですが、脳がシワもなく伸び切っている飽和状態で、訳わかりません。 取り合えず、4連休の間に、少なくとも「ハリー・ポッター 炎のゴブレット」(上)くらいは読み終えたい!なんて、無謀なんだか、微弱なんだかわかんない野望だけは持ってます。<そんなことに「野望」なんて言葉を使う方が日本人として間違ってます。
忙しい1週間でした(;-_-) =3 フゥ 22日(火)は午前中休みをもらって、家でお仕事しました。職場行くと別の仕事が山ほどあって、溜めてた仕事ができないし(意味不明)、薬の禁断症状でまだ身体きつかった。という訳で、仕事しながらワイドショーチェックと「いいとも」録画をバッチリしました。<どっちがメインかは言うまでもないが そのまま車かっ飛ばして職場行きまして、溜めてた書類を担当さんにお渡しし、パソコン研修(エクセル)に出発です。これだけは落とせなかったのよ〜(^^;) まだ身体はフラフラしていたし、ガソリンはなかったし、出張場所はマイナー過ぎてどこだかわかんないし、で、以前焼き肉親子オフ会に参加したこともある、同士Sさんの車に同乗させてもらいました。 車中はね〜、話題が弾む弾む(笑)ハリケン・龍騎・タマジのCM・照英のCM・北岡センセのCM・中山きんにくんから、永井・賀集・要・何を言っても全部話が通じるんですよ〜(爆) 研修は8月に社内で受けたエクセル操作の中級編で、非常に勉強になりました。「すげぇ〜!エクセルってお利口さんなのね〜〜v( ̄∇ ̄)v」 あとは、使う側の問題ですが、上半期のデータ残してない僕には果たして使えるのでしょうか?
23日(水)、ハリポタ4上下初日ゲット。しかし、同時にコミックス3冊+e-honに注文してたコミックス9冊、専門書1冊ヾ(☆▽☆) アハアハ。一体どうしようっていうんでしょうね? というわけで、嬉しい悲鳴に終われた週後半でした。
26日(土)またもイベント(しかも公式)。ダーも当直だったので、子どもはバーバに任せた。イベントが終わって帰宅すると、バーバも子どももまだお出かけ中。(≧ ≦)Ω ヨッシャ!と2万円握り締めて「信吾くん結婚記念ヤケッパチ」に走る。新台の調子のいい台がちょうど空いたので、即ゲット。大箱山盛りちょっとですぐ止めて、こまめにタバコに交換しながら景品棚に行くと、あるじゃあありませんか? Mさんと約束していた○ュリケンズバット!(笑)即ゲット。。とはできるだけタバコに交換して、結果元はバッチリ取った上にシュ○ケンズバット(笑) すぐにMさんに電話。
27日(日)朝番見て、惰眠。 朝、Mさんとボーイズ、お出かけ前にウチに寄ってくれて、ちょっと早めの誕生日プレゼント&いつもお世話になるMさんにお礼となりました。お土産に朝マックもらいました。○('-'*)イタダキマース。生まれて初めて食べましたわ。 戦隊グリーンマニアのMボーイが喜んでくれて、おばちゃん嬉しかったわ(笑) あとは惰眠惰眠の休日でした。
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