Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEX|past|will
連休二日目、土用の丑の鰻につられてやって来たげんこつ山に、辻邦生の著作がいかに素晴らしいかを、つらつらと語って聞かせる。これはまあ、地面に穴を掘って、そこへ向かってしゃべるのと大差ない行為ではあるのだけれど。
すると、げんこつめ、「そのツジっていう人の本、ブックオフにはないんですかね。実はブックオフの100円割引券持ってるんですけど」なんて、なかなか良い提案をするではないか。辻邦生があるかどうかはともかく、何か面白い本が安く買えるかも。「よし、行こ!」とさっそく出かけてみた、その結果の購入本。 「賢いオッパイ」 桃井かおり(集英社be文庫) 「ヘンリ・ライクロフトの手記」 ギッシング(岩波文庫) 「河童の対談 おしゃべりを食べる」 妹尾河童(文春文庫) 「夕顔」 白洲正子(新潮文庫) 「安土往還記」 辻邦生(新潮文庫) 「海馬 脳は疲れない」 糸井重里/池谷裕二(新潮文庫) 「わたしは驢馬に乗って下着を売りにゆきたい」 鴨居羊子(旺文社文庫) …これ全部で千円くらいだった。辻邦生も買えたし。めでたいめでたし。 -- ところで、先日amazonのユーズドで購入した「霧の聖マリ」の頁の間に、ふたつに畳まれた薄っぺらい紙が挟まっていた。DPEの仕上り明細表で、ワセダセイキョウ コープセブンと印刷されている。日付は、040911。まえの持ち主は早稲田の学生だったのかも。
古本を買うと、たまにメモ(走り書き)や、手紙はがきの類いが挟まっていることがある。何かちょっとロマネスクな感じがするものだ。私が手放した本にも何か挟まったままになっていたかもしれない。せいぜいがレシートか、おせんべいのかけらくらいのものだと思うけれども。
しばらく海外へ出ていない。今年中はちょっと微妙だけど、来年はイタリアへ行きたいな、などと考えていた折も折り。
夜、布団に寝そべって「須賀敦子のアッシジと丘の町」という、いつ買ったのかも忘れてしまった写真本(文/写真 岡本太郎)の頁を捲っていて、中の一枚に目が釘付けになった。 それは夕暮れ時、薄ピンク色に染まる空気のなかにたたずむアッシジのサンタ・キアーラ聖堂を写したもので、冬の冷たい空気の下で、まるで空に向かって胸をひろげているように見える。 こ、これは!と愕然とする。どうしたことか、行ったこともないのに懐かしくて、涙が出そうになった。この空気を確かに私は吸ったことがある、と思うのだ。こういうのを「帰りたい風景」と呼ぶのだろうか。
かくして「旅の準備は完了した」という確信(だけ)はしっかりと出来上がった。しかしながら浮き世の枷が、やんわりと袖をつかんで離してくれない状況なのだ。 そんなこともあってか、今週の購入本は「伊太利へ伊太利へ草木もなびく(たまに英国、仏蘭西へもなびく)」というようなラインナップになってしまった。 「地図のない道」 須賀敦子(新潮文庫) 「須賀敦子のローマ」 文/写真 大竹昭子(河出書房新社) 「霧の聖マリ ある生涯の七つの場所1」 辻邦生(中公文庫) 「神々の愛でし海 ある生涯の七つの場所7」 辻邦生(中公文庫) 「日の名残り」 カズオ・イシグロ(ハヤカワepi文庫) 「知の編集工学」 松岡正剛(朝日文庫) 「地図のない道」と「須賀敦子のローマ」はamazonで注文。カチッとクリックしてサッ!と送ってもらった。辻邦生の二冊はもう新本では手に入らない。amazonのユーズドで。「霧の聖マリ」は昔、父の書棚に箱入りの単行本があった。この頃になって、父と、辻邦生についてただのひと言も話さなかったことを、悔やんだり不思議に思ったりするのだが、要するに私がまだ育っていなかったということなのだろう。今年の後半はこの、ある生涯の七つの場所シリーズを読めると思うだけで幸福感が胸に満ちてくるチマリスである。 「日の名残り」と「知の編集工学」は会社帰りに、青山ブックセンター丸ビル店で。カズオ・イシグロも松岡正剛も書籍という形では一冊も読んだことがなかったという事実に我ながら驚きつつ、購入。「知の編集工学」を店頭で立ち読みしているときに、こんなフレーズにぶつかった。 “…ワクワクする面白い話というものがもつ特徴は、そこにあらわれる出来事や知識たちが、それぞれ「自分自身に関する知識」のハイパーリンク化をもってそこに出入りしているということなのである。” 難しくてよくわからない。でもすごく面白そうなのだ。少なくとも「自分自身に関する内部状態のハイパーリンク化」に関しては、購入本(読む以前の本)というのもかなり大きなウェイトを占めている(間違いなく!)と思う。 そういえば須賀敦子にも「本に読まれて」という著作があったな。 唐突に、面白い、ワクワクすると感じるものから離れないでいよう、死ぬまでしがみついていようという決心がドーンと降ってわいた。
きのう。 夕方からいとこの結婚式で都内の式場へ出かける。 新郎は母方の叔父の三男坊。母は八人兄弟の長女だったので、まだこれから結婚といういとこが何人かいる。これまでこういう席にはあまり積極的に出かけて行かなかったのだが、両親がいなくなって自分にお鉢がまわって来たと感じたからか、魔が差したとでもいうのか(おめでたい席にこの言葉は失礼か)、たまには若い人の幸せそうな顔でも拝むか、と、出席のハガキを出していたのだった。
控え室に入ると、否、長い廊下を通って控え室へ入るまでの間にも「おおー、チマちゃん!よく来たね!」と何人もの身内から言われる。まさか私が現れるとは思っていなかったのか、皆一様に驚いているのだが、意外にあったかい感じ。叔父叔母もチマちゃんチマちゃんと寄ってきては「元気?」とか「仕事どう」とか話しかけてくれる。うれしいのだけれど、こういうのに慣れていないのでどうしていいのかわからない。控え室にずらりと揃った親類縁者のうしろの壁に目を泳がせる。
それにしても八人兄弟、なのである。叔父叔母のほかにもその娘息子(つまりいとこ)、そしてまたその連れ合いと子供。それらがみんなよそ行きを着てぞろぞろと集まってきている。で、誰がだれだかわからない、かと思うとそうでもない。子供の顔をみれば誰が親だかすぐにわかる。男親と女親、両方の風貌の絶妙なるミクスチャー。遺伝子というのは笑っちゃうくらい正直だな、と変な感心をした。
チャペルでの挙式のあと中庭で食前酒を飲みながら歓談、新郎新婦を囲んでの記念撮影大会。シャンパンがやたらと旨い。披露宴では子供の頃よく一緒に遊んだ従姉妹(二児の母で、美しい長女を伴っている)と、年齢の近い叔母(チマと仲のよい叔父貴のお嫁さん)と一緒のテーブルで、ひそひそと「女同士のはなし」をする。
私が、あろうことか、この頃コレステロール値が高いのだと話すと、従姉妹が「私の友だちにも痩せ型なのに数値の高い人がいて、でも、お医者様には病気ではなくて体質だから大丈夫って言われたんだって」と言う。叔母も「女性は時期的にそういうの出ることあるのよ。あまり気にし過ぎない方がいいんじゃない」。そうよねそうよね、と言いながら前菜の皿にひらりと置かれた一片の生フォワグラを食す。不敵で、ちょうど良い加減にいいかげんで、深刻ぶらなくて、こういうとき、中年ていいなぁとつくづく思うのだ。 この次またいつ会えるかわからない親類縁者と別れて帰る電車の中で、まだこれから結婚する可能性のあるいとこは誰かと考えた。たまに(本当に何年かに一度のたまーに)なら、こういうパーティもいいな。ひそひそ話しながら美味しいものを食べて、着飾った若い人たちを眺めるのも、と、それこそ魔が差したとしか思えないようなことを考えていた。
四万温泉の泉質は、ナトリウム‐カルシウム塩化物硫酸塩泉(弱食塩泉)だそうで、町中に硫黄臭がまったく漂っていないのが少々さみしい。しかし、そのおかげ(?)で飲泉が可能なのだった。ブラボー。飲める温泉へ行くと用法用量を守らずにとにかくガブガブ飲むチマリスである。今回もたくさん飲んだ。
下の写真は散歩途中で立ち寄った飲泉所(Y撮影)。 タダなのを良いことに何杯も汲んでは飲み、「なんか、ほんのりとしょっぱい味がする〜」などとはしゃいでいたのだが、あとで写真をみたらそもそも飲泉所の名前が「塩之湯」というのだった。
四万温泉でもうひとついいなと思ったのは、お湯が熱いこと。ひなびた雰囲気だけど、温泉パワーはなかなか。四万川に沿って白い湯煙があがり、町中には無料で入れる外湯がいくつもある。ブラボー!ブラボー!! ところで、小さな温泉町を流れる渓流四万川は、とてもきれいな薄水色をしている。きれいはきれいだけど、こういう色はあまり見たことがない。はい、これが水色ですよ、というまるで見本のような色と透明感なのだ。川底の色とりどりの小石の色が全部きれいに見える。上流にある積善館のそばの橋の先は普通の水の色で魚が泳いでいたから、あの薄水色は川岸(あるいは川底)から湧出して流れ込む温泉成分と関係があるのかもしれない。
散歩帰りに酒屋で日本酒「水芭蕉」を買った。以前、草津で飲んで美味しかった冷用酒だ。温泉には地酒。これもチマリスの掟のひとつ。「水芭蕉」は人気商品とみえて(旨いもんなぁ!)吟醸だの、純米吟醸だのいろんな種類があった。甘口の純米吟醸の小瓶を選んで上機嫌で宿へ戻り、夕飯前に一風呂。熱めで、柔らかいけどしゃきっとした、いいお湯だった。 内湯で温まったあと、四万川に沿って造られた露天風呂に入ると、すぐそばで小さな段差を流れ落ちて下流へと向かう水のザーッという音がする。立ち上がってみると仄暗い照明の中に白い水しぶきが見える。怖い。ザーッという音がやたら大きく聞こえ出す。 前世で何があったのか知らないが、私は水の落ちる音が怖いのだ。特に、動物の口から水の吹き出る大きな噴水(ヨーロッパの町に多いやつ)は恐ろしくて、近くへ寄ることもできない。 ずいぶん前、会社の友人と大きな温水プールへ行ったとき、ブロンズ製の小さなイルカ(件のヨーロッパ風に造ってある)の口から水が流れ落ちている場所があり、最初気づかずに泳いでいたのだが、そばへ行って水を吐くイルカに気づくと慌てて水から上がった。気分が悪くて、それきり泳ぐ気がしなくなった。 川は人造物ではないし、昼間見る分には何でもなかったのだが、夜も休まずザーザーと流れ続けている(当たり前)。音だけで、暗くて見えない分にはそうでもないのだろうけれど、薄暗い中でしぶきをあげている水を見たら、急に恐ろしくなって露天風呂から出た。よろめきながら内湯へ退避。あー、こわかった。みんなあの中途半端な照明がいけないのだ。夜は暗いのが当たり前なのだから、見えないものは見えないままにしておくのがよろしい! この訳の分からぬ恐怖心についてYに話したのだが、まったくわかってもらえず、不思議そうな顔をされてしまった。うーん。ま、そういうものかもしれません。あきらめて風呂場の外の休憩室でカプカプと飲泉した。
先週末、友人と群馬県の四万温泉へ一泊で出かけた。 土曜の正午、上野発の特急草津で出発。さっそく東京駅GRAN STAで買って来た京風弁当をひろげる。同行のYは高校時代の同級生で、この頃ではパラグライダーで空の高い高いところを飛んでいる。先日、ついに念願のトップアウト(高度2千メートル超え)を果たしたという彼女にそのときの話など聴きながら、これもGRAN STAで調達してきたデザートを平らげる。 食事、おしゃべり、読書、睡眠、なんでも自由にできるのが汽車の旅の良いところだ。
中之条駅で下車して、バスに乗り換え、四万温泉までは四十分ほど。 交通渋滞とは無縁ののどかな風景の中をバスはスイスイと走る。梅雨時ゆえ曇天、小雨は覚悟のうえだったが結局一度も雨にあわずに済んだのは幸運であった。 四万温泉は四万川の渓流沿いに旅館の点在する静かな町だった。 今回の旅を計画してくれたYによると、この温泉街には「千と千尋の神隠し」に出てくるお湯屋のモデルになった積善館という旅館があるという。宿の部屋に荷物を置くとすぐ、散歩がてら出かけてみた。(下はYの撮った積善館の写真)
2009年06月10日(水) |
知能指数が100以下 |
出勤前、テレビで村上春樹の新刊、100万部突破というニュース。 100万部には驚かないけれど、その書名を聞いて一瞬かたまる。 …ずっーと IQ84(アイキューはちじゅうよん) だと思ってました。 そう思い込んでいるものだから、amazonからメールが来ても、書店に告知が貼ってあっても、とにかく全部、IQ84(アイキューはちじゅうよん)と読んでしまう。つい先日も友人と電話で話しながら「ああ、アイキューはちじゅうよんねー」なんて言っちゃってました。
春樹とあたしの間の溝もここまで深くなったんじゃもう修復不可能かもね、とかなんとか、書いてみたところで虚しい。 あたしのIQ、ほんとに84くらいかもなぁ… -- ところで、この100万部という数字を見て思うのは、村上春樹、孤独だなぁということだ。 だって、内容もわからないうちから何十万部も新刊の予約が入って、発売数日で100万部が売れちゃうんだよ。ゲームソフトじゃなくて、純文学が。 これが孤独じゃなくて、なにが孤独なのさ。
春樹がコミュニケーション不全(決して他人の心に立入らない)の、わけわからん小説ばかり書いてたとしてもそりゃ当然、という気がしてしまうよ。
久しぶりに八重洲のダバ・インディアへ食事に行く。 出がけにものすごい雨が降ってきたけれど、めげずに出かける。 ダバ・インディアは人気店なので、ちゃんと予約も入れておく。こんなお天気でも、まとまった人数の予約が入っていたりすると、残った席は奪い合いになるからだ。
ダバ・インディアでは豆とタマネギの辛いサラダとタンドーリチキン、マトンのカレーとマトンビリアニを友人と分けあって食べた。もちろんバスマティ米のごはんとナンも注文した。 私は玉ねぎはあまり好きではないのだが、ここのサラダならいくらでもいける。タンドーリチキン、どういうわけかまだこの店のを食べたことがなかったので「きっと旨いに違いないぞ!」と注文。予想に違わずジューシーで旨旨だった。マトンがふたつ重なっているのは、私が羊肉好き故。ガルル、ガルルルルー
-- 帰路。 なんでダバ・インディアあんなに旨いかな、また行こうね、梅雨明けてインド並みに暑くなった頃にね。あ、ちょっと、ちょっと待った、ちょっとだけ此処寄って、すぐ済むから! …てな感じで立ち寄った八重洲地下街、金井書店での購入本。 「からだの見方」 養老孟司(ちくま文庫) 「カミとヒトの解剖学」 養老孟司(ちくま学芸文庫) 「ヨーロッパの乳房」 澁澤龍彦(河出文庫) 「ふたりの若者」 A・モラヴィア(角川文庫) 「私の二都物語 東京・パリ」 辻邦生(中央公論社)
あと少しで「嵐が丘」を読み終えるので、次は小説以外のものを読もうかと。それで養老先生の本を二冊。なにしろ「嵐が丘」は厚くて重くて過酷(内容も)だったからね。 モラヴィアは昭和46年発行の古い古い文庫本。初版が出たのは前年、一年後には第四版が出ている。また、カバー折り返しに書かれたリストによると、当時、角川文庫からは「軽蔑」「無関心な人びと」等、全部で9冊のモラヴィア本が出ていたようで、その人気作家ぶりが窺える。
昭和は遠くなりにけり、と言いたいところだけれど、実はそうではなくて、昭和は常に私とともにあるようだ。古書店へ行くたびに感じる楽しさや充実感はその証拠だろう。
朝4時過ぎに起きてTVをつける。 CL決勝、バルサ×マンUは開始から5分が経過していた。 フンフン、やってるやってる。まだ点は入ってないみたいだね、しかしさすがに眠いわん、などと思いつつ紅茶をいれていると、前半10分、エトーの鮮烈なゴール!
せ、先制はバルサ! バルサ、1点入れた!!
途端に目が覚めたが、正直、少し複雑ではあった。 だって「4冠狙うなんて強欲すぎる」などと言いながら、年間50試合近く観てるんだもん、マンUの試合。その見慣れた(馴染みの)選手たちが、大一番で先制されて一様にショックを隠しきれない表情してるのを見ると、ねぇ…。「駄目だ駄目だ、優勝はバルサなんだから!」と自らの仏心を封印して観戦。
70分、メッシの2点目が入ったときにはちょっとだけ涙が出た。 これで決まったなというのもあったけれど、メッシ以上に喜んでいるアンリの姿に泣けた。意外なことにメッシがイギリスのチームからゴールを奪ったのはこれが初めてだそうだ。
試合修了のホイッスルのあと、男泣きに泣いてたシルビーニョ。ああいうのも珍しい。よほどプレッシャーが大きかったんだろうなぁ。有終の美を飾ることができてよかったね。おめでとう、シルビーニョ。
-- 早起きして生でCL決勝を観ることにしたのは、準々決勝のリバプール×チェルシー(2ndレグ)のとき、ほとんど試合終了間際に起きて後悔したから。 いやはや、頑張った甲斐がありました。早起きは三文の得とはよく言ったものですな(得でバルサが勝ったわけじゃないでしょうが)。
これまで、そういう意味では大損ばかりしてきた私、いまこそ夢の朝型ライフを実現して、失ったものを取り返してやろうかと真剣に考えております(強欲なのはどっちだよ!)
2009年05月23日(土) |
「ブライヅヘッドふたたび」をふたたび |
気になっていた「ブライヅヘッドふたたび」の映画化、「情愛と友情」がDVDになっていたので借りてきて観た。
日本でいつ公開されたのかも知らないし、評判になったという話も聞かない。そもそもこういう特別な小説の映像化には失望がつきものなので、とにかく期待せずに観始めたのだったが…いやはや、これが傑作!
とくに素晴らしいのが陰の主役ともいえるブライヅヘッド邸。個人所有で、部分的に一般公開もしているというお城の、この大きさ豪華さ素晴らしさが、文章だけでは理解できていなかったのだなぁ、私は。
主演のマシュー・グードは、脚本に書かれた「なんて美しい屋敷だ」という台詞を初めて読んだとき、紋切り型の歯の浮くような台詞だと思ったが、ロケ地へやってきてこの城に入った瞬間に理屈ではなくその意味を理解したそうだ。わかるなぁ、その気持ち。
それと、小説を読んだときにはイマイチよく理解できなかった、英国でカソリックとして生きることの苦悩、カトリシズムの権化みたいな厳格な母親の恐ろしさが、実にわかりやすく描かれていた。それで、セバスチャン・フライト(「パヒューム」のベン・ウィショーが好演)の人生のあまりの無惨さに慟哭しました。ありゃあ可哀想だよ!
というわけで、せっかく吉田健一訳でウォーの傑作を読みながら、要するになーにもわかってない読書をしていた私ですが、これでもう大丈夫です。なんか先月古書店で古い文学全集に収録されたブライヅヘッド(吉田健一訳)と遭遇した理由がわかったような気がする。あたしは確かに馬鹿だけど、幸せ者でもあるかもー。 (こういうダイジェストを観ちゃうのは善し悪しだと思うけど、一応リンク)
忌野清志郎が死んで、妹は悲しくて悲しくて、どうしたらいいのかわからなくなってる。
何十年もまえ、まだ横浜で家族みんなで暮らしていたころ、ちっちゃな木造家屋を震わせて、よく大音量でRCのLPレコードをかけたものだ。 「ダーリンミシン」の、♪ぼくのお正月のコール天のズボンができあがる、というところがとても好きだった。もともと私がかかったRC熱に妹もやられて、その後も妹はずっとずっと律儀にRC&清志郎ファンとして暮らしてきたのだった。 清志郎のお葬式のニュース映像を観ながら、何故か突然、「よし!あたしは不死身になる!!」と決心したのだったが、いつの間にかまた気弱な中年に戻っていて、インフルエンザ予防のための手洗いに気を配ったり、マスクを買って来たりしている。 してみるとあの「不死身になる!」という決心は、お酒を飲み過ぎた深夜に突然降ってわいたグッドアイデアのようなものだったのかとも思うのだが、いや、やっぱりそれは違う。 若い時分には、自分が中年になることが信じられなかった。親が老人になってやがて死んでしまうことも、理屈では理解できるけれど、実感としてはやはり信じられなかった。故に、その頃私は不死身であったのだ。死なないどころか、婆さんにすらなる予定はまるでない。 そうなのだ。私が(再び)目指そうとしたのは、あのきっぱりとした馬鹿さ加減だったのだ。 そりゃあ、もう全部わかっちゃってる。親の葬式も出したし、加齢との戦いだって熾烈さを増している。でもわかりきってることにいちいち悲しみながらこの先ずっと自分が死ぬまで生きて行くなんて、うんざりじゃん。それで、こうなりゃもう、犬猫のように、いつか死ぬことすら知らないつもりで生きたらいいじゃん!と思ったのだった。
だから、妹よ。これから姉が馬鹿に能天気に将来の夢なんか語っちゃったりしたら、「こりゃあ、ちょっと早過ぎやしないか?」なんて心配しないで、一緒に笑ってほしい。何にしろ、姉は、不死身になったのですから。
|