Leonna's Anahori Journal
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一週間くらいまえのこと。
あまりにも長い間更新せずにいたら、パソコン(iBook)が壊れてしまった。 なにやら挙動がおかしいぞと思っていたら、二、三日でたちあがらなくなった。
そしてその翌日。もう一台のパソコン(iMac)も壊れて、ウンともスンとも言わなくなってしまった。PC全滅。
そんなわけで、現在メールをお送りいただいても見ることができません。 携帯のアドレスをご存知の方はそちらへ、そうでない方は電話電報FAX伝書鳩等々によるご連絡をお願いいたします。
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先週新宿のジュンク堂書店で、サイードとソンタグの本を衝動買い。 サイードはジャン・ジュネについて書き、ソンタグはロラン・バルトについて書いており、興奮のあまりボーっとしながら読んでおります。
しかし、この四人も(書くほうも書かれる方も)すでに全員亡くなっているわけで…(こっちも全滅かよ)。
ま、かまへんかまへんてな感じで、へなへなと暮らしております。 サッカーはマンUへやって来たテベスしか目に入らないです。いろんな意味でマラドーナ、です。
九月半ばから終わりにかけて、腎炎で入院した。 毎日毎日点滴につぐ点滴で、トイレその他へ行くときはスタンドに薬液の入ったバッグをひっかけてガラガラと押しながら歩いた。 よく、入院中はすることがなくて退屈だ、一日が長いというようなことをきくけれど、入院中も瞬くような早さで日は過ぎ、何もしていなくても一日は短かった。
途中、福田新総理の誕生なんてこともあった。テレビカードを買って、病室でみていた。 入院した時はまだ夏の暑さが若干残っていたのに、退院する時はすっかり秋めいて洋服が合わず、寒くて困った。
妹と横浜へお施餓鬼(お盆の行事)に行ったときもらった小さな猫の人形。
チャームポイントは不敵な面構え、です。
後ろに一緒に移っているのは妹の猫で、こいつは携帯電話にくくりつけられております。
不敵な兄弟そろって、ファミレスのテーブルの上で記念撮影。
夏の思い出。南伊豆の海岸で。 なんという名前の海岸なのか、調べたけれどわからず。砂浜ではなくて石ころの海岸。
とても暑い日だったけれど、パラソルの下へ入ったら涼しい風が抜けて気持ちがよかった。氷の入ったカンパリソーダを飲んだら、さらに気持ちが良くなった。うひゃ〜極楽、極楽!
私は泳がなかったけれど、友達は沖にある大きな岩のそばまで行って泳いでいた。後日ニュースで、この日伊豆にサメが出たことを知った友達から「だから泳がなかったんだね!」と詰め寄られたが、そんなこと知るわけがない。
ヒドイ、ヒドイと繰り返す友達には「いいじゃん、別に。襲われなかったんだから」と答えることしかできなかった。まったく。ヒドイのはどっちだ。
猫の世界のことはよくわからないのだが、今まで毎日のように来ていた猫が来なくなって、入れ替わりに別の猫が来るようになった。やたら人なつこい奴で、とにかく家の中へ入りたがる。 触られるのも平気で、頭や首をなでてやると気持ち良さそうに目を閉じて、なでる手に体を押しつけてくる。
それにしても今まで来ていた白黒猫は、今頃どこで何をしているのだろうか。新旧二匹の間に何か取り決めや情報交換なんてものがあるのだろうか。 わからない。まったくわからない。
2007年05月20日(日) |
あいかわらずのこいつ |
もらえるまで、鳴きます。
午前中の庭は暖かくて、みつばちの羽音が聞こえるくらい静かでした。
この連休中のメインイベントといえば、何といっても特上和牛を使ったすき焼き、これに尽きるだろう。
5月2日にクール便で届いた牛肉はすき焼きの老舗「人形町 今半」のセレクト。大きく広く薄切りされた特上肉は一枚ずつ薄紙につつまれて、桐の箱に納められている。 感激してしまうのはこの肉が冷凍ではなく冷蔵で届けられたことで、一度も凍らせずに熟成させ、最も美味しく食べられるタイミングで出しているので、到着翌日までには食べてくださいという注意書きがついていた。 そこには、どこの牧場のどういうランクの肉牛であるかまでが書かれていて、蓋には「精肉」と麗々しく墨書…。
え、こんな肉をどこでどうして手に入れたのかって? これは、いとこの結婚祝いのお返しに頂いたグルメカタログに載っていたのです(自前であるわーけがない)。 カタログには他にもたくさん美味しそうなものが載っていて、迷いに迷ったのだけれど、いやー、はずさなかったねぇ、今回は。 で、その肉を使って、せっかくだから野菜や白滝なんかもできる限りいいものを買ってきて、愛用の電気鍋ですき焼きして食べたわけですよ。煮えた肉、溶き卵につけて、ふぅふぅしてね。 そりゃあもう、頭がぼーっとするくらい旨かったです。
その特上肉、300グラムも頂戴したので、少し残して、翌日焼いてタレつけて食べたのですが、このランクの肉になるとどうやって食べても旨いね! すき焼き用とか焼き肉用とかのカテゴライズは、私には無用のものだと思った(もう、とにかく美味しい!としかわからなくなってますから)。 -- 肉が届けられた直後に美容院へ髪を切りに行きまして、そこでいつもの美容師さんに、さっそく今着いたばかりの肉のことを話しました。 「でね、私感激して、その蓋に書かれてる『精肉』の字をデジカメで撮ってしまったのです」。 さらに髪を切り終えて美容院を出る時に、これからお買い物ですか?と訊かれて、「そうです。下仁田ネギを買わなくちゃ!」。
いささか興奮しすぎていたという気も。こういうのを「肉の恥はかき捨て」というのでしょうか。 (『精肉』画像は、あまり面白くなかったので、もう消してしまったのですが)
グレゴリー・コルベールの "Ashes and snow"を観にお台場へ出かける。
最寄り駅の青海でゆりかもめを降りて歩いているうちに、強風が吹いて雨粒が落ち始めた。必死でヴィーナスフォート裏の会場を目指すも、目前で大雨(豪雨と呼んでいい)につかまってしまった。なりふり構わず会場入口へ走りこむ。息を整えつつ前をみると、丘の上に巨大観覧車が鉛色の空に向かってそびえ立ち、海側から射す鉛色の光に下方から照らされて何やら異様(地獄の一丁目みたい)な景色が広がっていた。 会場のノマディック美術館は、貨物用のコンテナを積み上げて作った仮設美術館だ。中へ入ると広くて薄暗い空間に大きな写真がズラリと展示されている。見上げれば、壁はたしかに船積み用のコンテナをドンドンドーンと組んだもの。とっさに、地震が来たら恐いなこりゃと思ったが、この日この美術館を揺るがしたのは、地震ではなく暴風雨。館内に静かに流れる音楽をかき消して、屋根代わりのシートを雨が叩き、風がばたつかせる。いっそ音楽を止めてこの自然のBGMだけでもいいと思ったくらい。そうしたらまるで、本物のジャングルの中にいるみたいだったろう。
映像作品は三本。三ヶ所のスクリーンで、それぞれ繰り返し上映していた。 どの作品にもたくさんの動物が出てきてうれしくなってしまうのだが、しかしこんな映像をいったいどうやって撮ったのだろう。きっと何年もかかって、来る日も来る日もフィルムを回し続けたのに違いない。私たちが目にするのは、そのすべてのうちの何百分の一でしかないのだろう。
動物以上に印象に残ったのは、水(雨、川、海)や砂漠の砂などに直接身をゆだねる人間の姿。どの映像も独特の皮膚感覚に満ちていて、これがコルベールという人の特徴だなと思う。中でも一番長い作品に出てくる、一組の男女の水の中でのパフォーマンスは、最高にエロティックで、素晴らしかった。あの絵は陸に上がっては無理、水中でなければ撮れない。 けっこう長居して、表に出る頃には雨風も収まっていた。湿気がとれて、来たときの蒸し暑さがうそのように空気がひんやりしている。寒さと、広い会場を歩き回った疲れで「コーヒーが飲みたい」と思ったけれど、この仮設美術館にはカフェがないのだった。残念。 -- あとから知ったのだが、この"Ashes and snow"は、2002年にヴェネチアのアルセナレ(海軍造船所)からスタートして世界を巡回しているらしい。 アルセナレは、私と友だちがヴェネチアで滞在していたホテルの運河をはさんだすぐ隣だった。霧の出た夜に、橋を渡って散歩したことがある。水に落ちるのではないかと思うと恐くて、それでもずっと歩いていたかった。
ヴェネチアで"Ashes and snow"って、ちょっと似合いすぎる。きっと、すごく官能的な展覧会だったんだろうな。
少し前に、叔父が本を出した。
夜遅く帰宅して、郵便受けを開けたら書籍とおぼしき郵便物。amazonのユーズドで本を注文したときとよく似た体裁だったので、あれ、何か買ったっけなと思いつつ差出人を確かめると叔父さんからだった。
この叔父は母の五人いる弟のうちのひとりで、大学時代は海洋学部で船に乗って海底の地質調査や地熱の計測をしていた。そうして、卒業後はそのまま大学の出版会に入って定年まで勤めた。去年、法事で会った時に「地球の体温を測っていた時のことを本にまとめているんだ」と言っていたが、その本が出来上がって、私のところへも送られてきたのだった。
メインは観測船に乗ってヒートフロー(地殻熱流量)を調べたときの太平洋航海記なのだが、さわりの部分には、生まれ故郷のことや浪人・予備校時代のことも書かれている。この浪人・予備校時代、上京した叔父は一時東京で、私たち家族(父と母、幼児だった私と途中から登場する妹)とひとつ屋根の下に暮らしていた。
それで、本には三歳児だった私も登場してくるのだった。 姉(私の母)の家から下宿へ引っ越す前日のこと。夕食にはビフテキがならび、それとは別に姉が尾頭付きの魚を焼いてくれた、お小遣いも貰ったとある。そして翌出発の日、昼食に赤飯をいただいた、姪の×××(←チマリスのリアルネーム)は、お花とかつお節を紙に包んでくれた、と書いてあった。
お、お花とかつお節を包んだ…。なな、なんと可愛らしい!とても自分のこととは思えない。この家(私が生まれて最初に住んだ場所)のことはわりとよく覚えているつもりだったが、さすがにこのことは記憶になかった。暫く、子供時代の自分の可愛らしさに鼻まで浸っていい気分になっていたのだが、改めてその前後の光景を読むと、考え込んでしまった。
「姉は背中に○子(←妹のリアルネーム)をおぶって涙を流した」と書いてある。まだ若かった母が、下宿へ越してゆく弟を見送りながら泣いている。ほっそりとしたその背中には、生まれて間もないわが妹がくくり付けられている。その文章のなかに母が生きていた。「書かれる」ということは新しく命をもらうということ、なのだろうか。
目からなにか出てきたあたりで、本を仏壇にあげて「叔父さんの本です。ママもあたしのことも書いてあるよ」と報告した。こんなことを言って何になるのか(誰が聞いているのか)わからない。 しかし、書かれることによって生き返った母は、本の中で、その若さを保ったまま、弟を見送りながらいつまでも涙ぐんでいるのだった。
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