Leonna's Anahori Journal
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どうして、こんな曇天の日に都庁の展望室へなんか上ったのか。見よ、この憂鬱な眺め。まるですでに滅亡したあとの帝都、人のいない廃墟のようだ。
むかし、ノートルダム大聖堂のてっぺんから、石のキマイラと共に眺めたパリの町並みとはずいぶん違うな。 -- 曇天を見飽きた後は、神楽坂で焼肉。 わが行動に一貫性、まるでなし。
本日のテーマは「やっぱり焼肉はロースだろう!」。 で、結論はやっぱり、焼肉はロースだ!間違いない!、と。
神楽坂の町中には、おりしも放映中のドラマ『前略父上様』の大きなポスターが何枚も貼られておりました。
暖冬とひとくちに言うけれど、ここまで暖かいと不安になってくる。といっても、地球温暖化、水位の上昇といった世のため人のための不安ではない。 このまえ何かの本に漫画家の柴門ふみが、自分の大学時代は東京も寒くて下宿の部屋の中でも氷がはった、と書いていた。そうなのだ。私の子供時代にも、朝、水道管が凍って水が出ないなどということがあった。
小学校から中学にかけては、冬の間に数回は雪合戦をして遊んだ記憶があるし、高校時代は黒いタイツをはいた足の指に霜焼けができて、その足でうっかり点字ブロックの凸凹うえを歩こうものならあまりの痛さに悶絶したものだった。つまり、その昔は東京なりに厳冬期というものがあって、私の冬の記憶というのはその寒さと強く結びついている。
ところが、昨今のように冬が暖かくなってしまっては、なにやら自分の記憶の中の子供時代までが薄ぼんやりとしてきて、消えかかっているような気分になるではないか。この頃では、比較的新しい記憶に自信が持てなくなってきていて、せめて古い記憶くらいは大切にしたい、鮮やかであってほしいと思っているのに、これでは困る。
しかし「困る」といくら言っても気温が下がるわけでもないので、不安なような悲しいような、やりきれない気持ちで、バス停から家までの道のりを、ただとぼとぼと歩いた。 -- とはいうものの、夜の道にどこからともなく漂ってくる沈丁花の香り、あの独特の匂いには、ハッとしてしまう。なんなのだろう、あのインパクトは。
しかも沈丁の花の匂いにハッとするのは中年や老人ばかりではなく、十代の若者でも同じらしい。このまえ、バス停のそばの高校から出てきた女学生が「この匂い嗅ぐと春がきたかんじするね」「ほかの花と違ってどこに咲いててもすぐわかる」などと話しているのを聞いて、「そう、そうそうそう!」と心の中でうなずいてしまった。これはちょっと不思議な現象と言えまいか。沈丁花の香りには、人間の記憶を特に刺激するなにかが含まれているのだろうか。
沈丁花には、なにか秘密がありそうだ。それがなんなのかは、わからないけれど。沈丁の花の匂いが、暖冬を憂える私の強い味方であることだけは間違いない。
2007年02月25日(日) |
月に吠える(小声で) |
髪が伸びたので切ってもらいに行く。 いま伸ばしている途中なので、そろえてもらっては伸ばし、伸びたらまたそろえてもらう。性懲りもなく、パーマかけたい。白髪が目立ってしようがないので、白髪でも似合う髪形を模索中である。 担当の美容師さんが「チャンピオンズリーグ、このあいだ、バルサが負けちゃったんですよ」というので、今、ぜんっぜんサッカー観ていないというと、へぇホントですかと驚かれる。リバプール頑張ってますよ、ジェラードも出てるし、なんて話を聞くと、やっぱりスカパーのサッカーセット入り直すかなという気持ちになる。 -- 美容院の隣の書店にて、本日の購入本。
「友だちは無駄である」 佐野洋子(ちくま文庫) 「くもの巣の小道」 イタロ・カルヴィーノ(ちくま文庫) このほかに「文藝春秋 三月特別号」芥川賞受賞作が全文掲載されているのも買った。買ったけれども、受賞作をパラパラと斜め読みした限りでは、どうも若いお嬢さんの感覚について行けない感じなのである。
こういうとき「やっぱ、一番大事なのは普遍性なんじゃないの」と言いたくなるのだが。そして、フランソワーズ・サガン(死んじゃいましたね)てのは「天才少女」というより一種の奇跡だったんだなとつくづく思うのだ。
本日の遠吠え:あたまの白髪は伊達じゃなくてよ
多肉と言っても私の食生活のことではなく、多肉植物のことです。
会社のベランダにある鉢植えの多肉植物がなかなか愛らしい。自分の家にも、ひとつ多肉系がほしい。で、少し前に買ったのがコレ。名前はセダム・テトラ(と札には書いてありました)。 直径10センチほどの、小さな素焼きの鉢に植えております。
休みの日には日光にあてます。影法師がまたカワイイのでございます。
熱を出すまえの晩、友人と一緒にTVで「世界不思議発見」をみていた。 それで、オーストラリアのエアーズロックのことを、いまは「ウルル」と呼ぶのだと初めて知ったのだった。 「ウルル」というのはアボリジニ(先住民)の言葉で「偉大な石」という意味だそうだ。「ウルル」はアボリジニの聖地なのである。
それはそれとして。 発熱の半日前に一緒にいたということは、友人にインフルエンザをうつしている可能性もある。携帯メールで、かくかくしかじかであるから少しでも風邪のような症状が出たらすぐに病院へ行くようにと伝えたら、すぐに返信が来て「心配いらない。まったく何でもないから」と書いてあった。
ーー
本日、電話あり。どう?と訊くので、もう治って会社へ出ていると言ったら、安心したのか急に意地悪な声になって、「あんなことを言うから熱がでたんじゃないの」と言う。
「あんなことって、どんなこと」 「ウルル」 「ウルルゥ???」 「さんざんアボリジニの聖地を馬鹿にしたから、それがたたったんじゃないの」 ひどい。(前回にひきつづき)ひどいよ! 発端つくったのは自分なのに。最初に向こうが言ったのだ。「エアーズロックっていうと巨大!というイメージだけど、ウルルっていうと、なんか小さくなっちゃう気がしない?」って。それで… 「うん、するする!」(…と、ここで私が乗ってしまった) 「ちょっと形のかわった、小高い丘くらいの感じ?」 「最大がそれくらいで、小さいのは手のひらにのるくらいのサイズまである、とか」 「なんか、みやげ物屋さんで売ってそうだね」 「そうそうそう、『あ、そうだ、お母さんに小さいのでいいからウルル買ってきてってたのまれてたんだ!』とか言って」 「それ、ハワイのチョコレート(マカデミアナッツの入ってるやつ)に似てるんじゃないの」 「似てるかも。ちょっと犬の糞と見分けがつきにくい」 「ははははは」 「それで、子供がおみやげのウルルで悪ふざけするんだよ。『やめてよー、おかーさーん、○○がアタシの背中にウルル入れようとするのー!』」 「靴の中に入れたり、」 「イジメだね。学校行ったら上履きの中にウルルが入ってた!」 「ギャハハハハハ…」 やっぱりヒドイよ。誘導してるじゃん、うまく合いの手入れて! で、自分もさんっざんわろてるやないの!(しかしたしかに“犬の糞”は言い過ぎたか) 結 論:馬鹿話もほどほどに。特にそれが精霊のいる場所に関することであるときは。
一昨日(日曜日)の朝、布団の中で目がさめたとき、何がおきているのかわからなかった。 脛や腿の骨が痛い。なにやら関節が痛むなどというレベルではなく、太くて重たい真っすぐな骨が、火がついたように痛む。気がつけば、咽も目玉も熱を帯びてぐりぐりと痛むのだ。
寝たまんま、「そうか、うつされたんだな」と、だんだんわかってくる。 金曜の夜、帰宅後に同僚から携帯へメールが入った。ボスがインフルエンザでドクターストップ。水曜日まで会社へ出て来られない、という内容。はー、すると彼のあの咳は風邪ではなくてインフルエンザだったのだな、などと暢気に考えていたのが先週末。よもや「もらって」いるとは思わなんだ。
日曜の朝、熱はすでに38度以上あり、夜には9度2分まであがった。 月曜日、近所の内科に診てもらうと「ほぼ間違いなくインフルエンザだと思う」とのこと。鼻の奥の粘膜に菌がいるかどうか調べればはっきりする、10分でわかりますと言って、医者は針金と綿棒が一緒になったようなものを用意している。苦手な耳鼻科の雰囲気が漂ってきて内心びびったが観念するしかない。
ところが。結果的に菌は出なかったのだ。しかし、テストがすべてではない、まずタミフルを飲んでみるべしと医者は言う。タミフルは風邪には全く効かないので、それで熱が引けばインフルエンザ、効かなければ風邪ということになる。ちなみにタミフルは発症後40時間以上経つと効かなくなるそうで、飲むなら早く飲まなければならない。 菌は出なかったが、そのかわりに、ちょっぴり鼻血が出たのが余計であった。医者曰く「あー、ごめん、ごめんねー」と、笑いながら。ひどいよ。
結局、熱は呆気なく下がって、インフルエンザではあったらしい。しかし、ほとんど何の前触れもなく発熱して、寒気や発汗、頭痛、何もかも中途半端なまま解熱。ところが、熱が下がり始めた頃から咽の痛みと咳が本格化と、順番もめちゃくちゃで、ゆっくり寝付くこともできなかった。 うつる病気なので明日もういちど医者にかかって、OKが出れば明後日からまた仕事だ。
結 論: 普通の風邪の方が好き。
庭に埋めた球根が芽を出し始めた。↓これは、クロッカス。可憐である。
↓これは、例のヒヤシンス。じつは、冗談ではなく、どこに埋めたのか忘れてしまっていたのだが、生えてきたのを見て「おお、此処であったか!」と思い出した。
つい大きい順に(つまり、前シーズンとまったく同じ成長の仕方で)長男、次男、三男だろうと思ってしまうのだが、埋めるときにマークしておいた訳でもなんでもなく、それを確かめるすべはない。でももし、まえとまったく同じに今度も長男球根が一番葉を伸ばし、次男はその次、一番小さいのが三男だったりしたら…ちょっと怖い(ゾクッとします)。
↓これは、ローズマリー。伸びたい放題に伸びていたので、少し刈り取って乾燥させることにしました。お風呂にでも入れる?
朝。同じバスに乗り合わせたひとたちが気になる。 昨晩、TVで映画「メン・イン・ブラック」を観たからだ。それで、この人、もしかしたら…と疑いのまなざしになってしまう。顔も気になるし、ちょっとした仕草にも、じっと見入ってしまう。
MIBは、もうけっこう古い映画のはずだ。トミー・リー・ジョーンズの若々しい顔からもそれはわかる。というより、今の彼はもう八代亜紀の歌に涙する“宇宙人ジョーンズ”になってしまっているのだ。ウィル・スミスだって、今ではすっかり良いお父ちゃんになって、最愛の息子と共演しては親子で稼ぎまくっている。
この映画、けっこうヒットしたような記憶があるから、当時はこういう「誰の顔をみても探る目付きになっちゃう」みたいな話をして笑う、なんてことも多かったんじゃないだろうか。友達同士で「あの人は、絶対怪しいよ」「ああ!あれは入ってるぽいね!」なんて。
でも、何年も遅れて突然「疑いの目」を持ってしまった私は、孤独に、ヤバイのは世界か、それとも自分なのかと自問するのみだ。 何してるんだろう、あたしは。こんなきれいに晴れた冬の朝に。 -- そういえば去年の秋は、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」の再放送に夢中になっていた(もう、この時点で一年遅れなのである)。
前年の大ヒット曲「青春アミーゴ」がどうして「和也と智久」じゃなくて「修二と彰」なのか、合点が行くのも一年遅れ。留守録をかけて出かけて、夕飯時に再生して楽しみに観ていたのが、途中一回だけ録画し忘れて無念のほぞを噛んだなんてこともあった。
あのドラマのオープニングアニメ(かなしいんだよ)も大好きだったし、よくTVにあわせて♪地元じゃ負け知らずぅ〜、とか歌ったりしてたな。いまでも私にとっては山下智久は彰ちゃんだし、戸田恵梨香はまり子なのだ。妙にリアルで、ちょっと特異な(それは私が昔の若者だからだと思う)、忘れられないドラマ。 ・・・て、なんの話だったっけ。あ!大きくズレちゃってる話か。 どうもね、最近は思い出しながら話してるうちに、勝手にズレて行っちゃうみたいなんですよ。
そのうちズレが大きくなりすぎて、自分は遅れてるんじゃなくて進んでるんじゃないかなんて勘違いし始めたりして。勘弁して欲しいわね!(以下続かず)
きのう、絵をみた帰り道。
いんやぁ、食べた食べた。いつも、古書漁りをした帰りに土鍋に入った鶏ソバを食べに寄る八重洲の中華料理店で、節操なく肉食べた。 ピータン、ラプチョン(腸詰)、餃子、ガツと青菜の炒め物、羊肉かけ御飯。それに、ライチサワー。
ところが、お会計したら、全部で3千2百円だっていう。確かに安い店なんだけれど、ちょっと安すぎやしないか。何かつけ忘れてるんじゃないかなぁ。
払う方としては全然かまわないんだけれど、しかし、こんな食生活してたら私、背中に毛が生えてきそうよ。
夕方まで仕事。
ほんもののルーブルには勿論、こんな中途半端な時間ではオルセー美術館展にもちょっと、という感じだ。 では、ブリジストン美術館ではどうか。いま、MASTERPIECES「じっと見る 〜印象派から現代まで」というのをやっているらしい。ピカソもゴッホも、ルノワールも観られるらしい。それでは、京橋で一時間くらいブラブラ絵でも眺めてみるか、ということになったのだった。
それで。結果からいうと、ちょっと(却って)欲求不満になったのである。 特に、パンフレットの表紙にもなっているゴッホの、まだ特異な色彩感覚と歪みに至る以前の絵にはなかなか納得がいかなかった。これでは普通にキレイな印象派ではないか。私など、もうひとり余り有名ではない同名のゴッホという画家がいてそちらの作品なのではないかと思ったくらいだ。 やはりゴッホは正調ではなく、乱調だろう。どこか不自然に歪められた線と、メタメタの原色。痛ましくもあるけれど、こればかりは仕方がない。
ルノワールもボナールも、よそで観た絵ほどのインパクトはなかった。セザンヌのサント・ヴィクトワール山と、ピカソのサルタンバンクはさすがに素晴らしかったけれど(ピカソって本当に誰にも似ていない!)、佐伯祐三と藤田嗣治はもう少し他の絵もないんでしょうか、とか。どうしても、あともう少し圧倒してほしいという気持ちが残るのだ。 逆に意外な収穫だったのが、自画像。マネ、ドガ、セザンヌ、安井曾太郎、小出楢重らの不適な面構えはなかなかの迫力だった。絵は文章などと違って小手先の操作は通用せず、「見たままドーン」というところがあるから画家も覚悟を決めて描くのだろうか。どれも恐いくらい本気の貌で、画の中からこちらを睨んでいる。特にマネの全身を描いた縦長の自画像(名画、笛を吹く少年と同じ構図である)はすごい吸引力で、しばらく前を離れられなかった。
それから、岡田三郎助というひとの「婦人像」。髷を結い、鼓を打つ女性の上半身を描いたものだが、まるで少年のような、そのくせはんなりとした不思議な女性美なのである。中国でも韓国でも、タイでもベトナムでもない、紛れもない日本人の顔と髪形、衣装。でもその日本はもう(ほぼ完全に)失われている。無茶苦茶エキゾチックだ。
観賞後のラプチョン(腸詰め)につられてメール一本でやってきたゲンコツ山に「この絵、旅行で昨日初めて日本へやってきた外国人のつもりになってみてご覧よ。ニッポンはすごい、なんて神秘的な楽園を隠しているんだろう、なんて思っちゃうよ」と言うと、「はぁ〜、ナルホドー、」と口を半開きにして見入っていた。 -- 帰り道、東京駅へ向かって歩きながら、あーたらこーたら話。
「あのさ。ブリジストンてタイヤ屋さんでしょ。タイヤ1本売ってなんぼの商売よね、基本的に。それがどうして、どうなったら、あんな絵画買い蒐められるようになるんだろう。ちょっとマトモじゃないよ、あのコレクションの質と量は」 「すごいですよね」 「ただゴムの塊売るだけでは、あの画は無理だと思う。あのさ、あれじゃないのかな。投資。」 「あー、トウシ…。それかもしれないですね(←わかってるのか?)」
ルーブル美術館がどこの国にあるのかもようわからんやつと、コレクションの資金源について語りつつ、激安中華料理店を目指す。なにがゴッホは乱調、だ。石橋さん、スミマセン。
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