Leonna's Anahori Journal
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これは、19日にトライセラトップスのライブ(渋谷AX)へ行ったときにもらってきた3Dメガネ。
でも、普通にかけても何もおこらない。視界が少しぼんやりするくらいだ。 最初、このメガネが何のためにあるのか、何を見たらどんなことが起るのか、まったくわからなかった。
ところが、これ、暗いところで光るものを見ると、とんでもなく素敵なものが現れる魔法のメガネだったんだ。
そうと知ってたらもっとたくさん貰ってくるんだった。ロビーや入り口付近にたくさん置いてあったのに。
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え。どんな素敵なものが見えるのか?
それは、ヒミツ(笑)
アマゾンでグリル鍋を買った。 それで、誕生日でもあるので友人を呼んで、昨日今日と連ちゃんで鍋をした。昨日はきりたんぽ、今日は、ほうとう。
きりたんぽには、骨付きの鶏肉、きのこ三種、結び白滝、春菊。先日の学習をしっかりいかして食材をチョイス。最後は冷水にさらしたご飯ととき卵を入れて雑炊で締めた。
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きりたんぽの後、腹ごなしに公園の水鳥をみに行った。池の脇にぶらんこなど遊具のある場所があって、なんとはなしに近づいて鉄棒にぶら下がってみようとした。 子供の頃は鉄棒は得意だったし、懸垂なんか、何回でもできた。それが今では、ちょっと飛びついてつかまることにすら勇気がいる。上腕の筋肉はもちろんのこと、握力もなくなっているので、自分の腕で自分を支えるのが難しくなっている。
そのうち、ひとりが低い鉄棒で逆上がりをした。私も、と思ったが、腕は非力、カラダは重たいで、地面を蹴るタイミングもまるでつかめない。逆上がりはおろか、両腕で支えた上体を下へグルリと回転させて鉄棒からおりることすらできない。握力に自信がないので、頭から地面に落ちそうで恐いのだ。信じられない、実に実にショックである。動物としては、もう駄目駄目ではないか。
小学生の頃、体育の時間に逆上がりのできない子がいると、その「逆上がれない」ということ自体が理解出来なかった。先生が下半身を持ってサポートしたり、周りの友だちが「がんばって、もう少し!」などと声をかけているのを見ると、なんだか不思議な気がしたものだ。
それが。今ごろになって、あの逆上がれなかった子の気持ちを知ることになろうとは…。ほんと人生ってのはわからないもんだねえ。 (てか、どうしてこの歳になって、しかも誕生日に逆上がりなんかしてるんだアタシは!)
その後、家へ戻ってから逆立ちにも挑戦してみた。やっ!とあげた足を友人につかんでもらってなんとか形にはなったが、両手首がミシッと言いそうだったのですぐにギブアップした。超低血圧の頭に、血が上って下がって、目がグルグル〜(二度とやらない)
-- ひとは成長し、逆上がりその他の身体能力とひきかえに、鍋の具の選定に洗練を加えてゆくものなのかもしれない。
そんなことを思いながらの鍋二日目。ほうとうには、白菜、大根、ニンジン、里芋、油揚げ、カボチャ、舞茸、鶏胸肉を入れた。 そうして、太るの覚悟でどんどん食べた。手首や腕の鍛練も大事だけど、いいの、たくさん食べないと風邪引いちゃうもん。風邪引いたら会社行ってお仕事出来なくなっちゃうもん。 --
↑池のほとりに、いつのまにか立てられていた看板。 鳥はこんなこと思っちゃいない、くれるなら貰いますと思ってるはずだよ!(大好きなパン屑投げを禁止されて不貞腐れております)
以前くるみちゃんに教えてもらった新宿の串揚げ屋「立吉」へ久々に出かけてみた。
小さなコの字型のカウンターの中に揚げる人がいて、ひとりで12人くらいのお客さんの注文を聞きながら(もしくは"お任せ"で)、串が揚がるそばからサーブしてくれる。店の中にはこのコの字のカウンターがたくさんある。
私は魚貝が苦手なので、肉と野菜中心に。連れのゲンコツ山は好き嫌いがないのでなんでも。お酒は京都の中甘口(銘柄忘れました)をお燗で。
コの字型のカウンターの外側にはお客さんが座っている。コの字の開いている部分には壁があって(なので実際にはコの字ではなくロの字)壁の向こうは厨房。壁には腰くらいの高さに窓があって、お酒やお茶漬けはそこへ出てくるのを揚げている人が受け取ってサーブしてくれるのだ。
ゲンコツ山は「あの人(揚げてる人)は、どこからあそこへ入ったんだろう」と不思議そうにしている。どう考えても背後の壁(厨房との境)の下部に出入り口があるに決まっていると思うのだが、そう言うと「多分。でも絶対とは言い切れないでしょう」と小さなことにこだわっている。
あまりしつこいので、食事も大方すんでお茶をもらう時に思い切ってきいてみた。「あのー、連れが、どこから出入りされるのか知りたいらしいんです。どうしても気になるらしくて…」。すると、ベンガル似の揚げ職人さん、嬉しそうに(そして、可笑しそうに)口元を緩めながら、厨房の壁の下の方を指して「このうしろに扉があるんですよ」とのお答え。
店を出ながら「ほらみれ、やっぱりあそこだったでしょ」と言うと、ゲンコツ山め、言うに事欠いて「本当に訊いちゃうなんて。少し酔いましたか?」だと。 ばっかもん、次から自分で訊け、私にきかずに、きくべき人に自分で訊きなさ〜い!!
そういえば。私たちと同じカウンターにいた小学生くらいの男の子が、バナナとリンゴを自分でオーダーして揚げてもらっていた。確かにメニューに載っていたのだけれど、そして食べてみたいとも思ったのだけど。結局今回はたのまず終いになってしまった。
次は、バナナとリンゴ、そしてアイスクリーム(あるのだ、メニューに)をオーダーしてもらおう。ゲンコツ山に、二人前。
少し前に、ロンドンのMさんからクリスマスカードが届いた。 アドベンチャーカレンダーといって、クリスマスまで、毎日ひとつづつ窓を開いて楽しむものらしい。 さっそく会社のデスクの前にはって、毎日楽しみに開けております。
これはドイツの友だちからもらったダルマイヤーのチョコレート。きれいな缶入りで、齧ると中にシャンパンの匂いのする、やわらかい生チョコが入っている。 堪え性のない私だけれど、さすがに二日にひとつとか、ちょっとずつ大切に頂いております。
サワ部長と丸の内で、きりたんぽ鍋。 最近仕事でタイへ視察旅行した部長から、おみやげにお香とお菓子を頂く。かたじけない!
実はこのまえ食べたもつ鍋屋さんへ行こうと思ったのだけれど、満席で入れず。しかたなく東北鶏料理の店へ入ったら、ここは、狭い高い量少ない、だった(泣)。でも、上品で美味しいきりたんぽ鍋には何を入れたらいいのか学習することが出来たので、まあ良しとする。 だって、鍋って、チゲとかちゃんことか寄せ鍋とか、それぞれの鍋の特徴(入れる野菜やなにか)がいまひとつよくわからないので、差別化がはかりにくいんだもん。
食事を終えて外へ出ると、クリスマスイルミネーションが。丸の内は退社時間のピークを過ぎると人通りが少なくて少々さびしい。でもイルミネーションだけではなく、最近できたブランド店のショーウィンドウもとてもきれいなのだった。
帰宅して、さっそくタイみやげのゴマ入り菓子を頂いた。うまー!(相変わらず堪え性ゼロ) あー、今年ももうじきおしまいか…
横浜のお寺で父の一周忌のお経をあげてもらう。 年末の、しかも土曜日ということで、集まったのは私と妹を入れて七名。ほとんどミニマムサイズの法事である。しかし、お経のあとで一緒に食事をしながら近況など話すときの気の置けない感じは、このサイズならではだ。これが結構楽しい。
私も妹も紛う方なき中年、そして、その叔父叔母いとこが集うのだから、話題は自然に体調、健康法、保険、年金といった方面へ集中する。 私がつい先日入院保険に入ったことを話すと、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。みんな真剣なのだ。
それから、九月にテニスで年若い初心者(運動能力高し)を相手に少し無理をしたところ、それきり腰痛が治らないと話したら、「若者相手にムキになる時点でもう駄目だ」とバッサリ斬り捨てられてしまった。たはは。 -- 今年は1月に父の納骨をして、夏は初盆でお寺のお施餓鬼に参加した。今日で一周忌も済んで、感覚的には、これでやっと、本当に忌が明けるという感じだ。
「もう一周忌だもん、早いね」と、皆決まり文句のように言うけれど、一年が信じられないくらいの早さで過ぎるのは今に始まったことじゃあないもんなぁ、というのが本音である。
本日、風は強いけれど陽射しはあたたかかい、良い一日だった。
出勤の土曜日は勝手に遅く出て、勝手に早めに切り上げて帰る。 これならウィークディに集中して仕事して、土曜は休んだ方が効率的だと思うのだが。もう少し実績を作ったら提案してみよう。
今日も勝手に四時で切り上げて、友人と丸ビルのもつ鍋屋で食事。 この頃は休日前に外で食事することが増えた。普段は朝家を出て、夜帰宅して、食べて入浴して寝るだけ。ひとりで食事するのが嫌だとか何とか言う前に、疲れたな、早く寝ないと明日会社で眠いぞ、という世界。 なのでせめて週末くらいは誰かと会って、食べつつ話す、話しつつ食べる、というのをやりたいわけです。
さいわいこれからは鍋の季節。もつ鍋なんか安いしあったかいしで、ちょうどいいんだな。今日食べたもつ鍋は、なんだかいまひとつ上品すぎて迫力に欠ける気もしたけど、まあ美味しかった。
そうだ、電気鍋買うってのはどうかな、「グリル鍋」っていうやつ。そしたら材料買ってきて家でいろんな鍋を楽しむことができるではないか。鍋って材料そろえたら切って煮るだけだから楽だしね。
帰り、コンランショップに寄って、大きくていいにおいのする石鹸を買って帰る。お風呂場の使いかけの石鹸を洗面所へ移して、さっそく新しい石鹸を開けてしまった。こういうときの私は、堪え性ゼロだ。
そして、ナカータが引退を表明したのだった。(前回、W杯のはなしから気分は引き続き、という感じで書いております)
別にショックというわけでもなく、なるほどそうきたかと納得するより他なかった。それに、プレミアへ移ってからのナカタには内心忸怩たるものがあった(これは決して私だけの思いではないだろう)。 ビッグクラブでやれなくなったナカタはみたくない、そもそも、どこでもいいからできるところでサッカーを続けるというタイプの人ではないとも思っていた。 普段からナカタとつきあいのあったデル・ピエロは、驚いて「やめるのは、やめろ」という電話をかけてきたという。しかし、こういう親交のある選手同士ならばまだしも、クリティカルな立場から仕事として発言する人たちの中にも「もったいない」「まだ続けられる」と発言するひとがけっこうあって、意外だった。
その、もったいない、まだ出来るという意見を見聞きして思い出したことがある。
-- 倉橋由美子は、かつて三島由紀夫の死を「もったいない」とする人々について、こう書いていた。 "ひとつの稀有な文才の消滅を惜しむのはよいが、生きていればまだ良い作品が書けたのにといういいかたには、金の卵を生む鶏の死を惜しむのに似たけち臭さがある。”(『毒薬としての文学』所収「英雄の死」より) まっこと倉橋由美子らしく、痛烈というほかない。 私は、中田英寿を"英雄"だとは思わない。しかし、これまで多くのスポーツ選手の引退を耳にし、そしてお決まりの「まだできる、もったいない」発言を聞いてきたが、この鶏の話をありありと思い出したのは今回が初めてだった。
ナカタについて肯定的な発言(擁護するつもりでも何でもなく)をするたびに、何度バッシングを受けたかわからない。特に男性にナカタの話を持ち出すときは要注意で、小野、中村ならば波風立たなくても、ナカタの名前を出した途端に妙な雰囲気になる。女性の場合は、プレーの質の話をしていても、要するにナカタ=好みのタイプととられることが多かった。
しかし、それもこれもお終いだ。なぜなら私はサッカー選手をやめた、試合でボールを蹴らなくなったナカタには、興味がないからだ。 7月の引退の時点でそう思ったことはやはり間違いではなくて、その後テレビや雑誌で(もう蹴らない)ナカタを見ても、まるで食指が動かない。
2006年11月01日(水) |
少しだけ、ドイツW杯のこと |
そういえば、ドイツW杯についてはほとんど何も書かずじまいだったなあ。 ドイツ大会は、やっぱり欧州開催のW杯はいいね、違うね、ということを再確認した大会だった。
だいたい開会式からして違ってた。歴代の名選手がみんなして開会式に駆けつけて、次から次へとカメラの前に登場するのだ。うわー、おおおーてな感じで盛り上がってしまった。中にはレオ様(レオナルド)の顔なんかもあって、うれしかったな。
ところが、そのお歴々の中にマラドーナの顔が見えない、もしかして禁制の品を所持して空港でストップくらってるんじゃないかと真面目に心配したけれど、その後母国アルゼンチンの試合に駆けつけてスタンドから応援。大いに沸かせて(笑わせて)くれたのは周知の通り。こういうのは欧州開催だからこそだ。
で、結局わが心のモナリザ、青衣のプリンス、イタリア代表が優勝してしまった。ケガから復帰したピッポ・インザギまでが今大会ではゴールを決めて"ダーン"ならぬ"バッタシ(膝付いて両手をあげて前にゆっくり倒れた)"を見せてくれて。あれで何だか緊張の糸が切れてしまったのか、以降はセリエの試合をほとんど観ていない(ま、時間がないというのもありますが)。
W杯の会期中、ベスト16が出揃ってから以降は、ゲンコツ山を相手に得点まで含めた勝敗予想をして楽しんだ。チマリスは三つ当てて、鼻高々だった。 あと、フランスはよれよれしながらも決勝トーナメントへ行くよ、行ったら結構強いよっていうのと、イングランドは決勝トーナメントではせいぜい勝てて1試合っていうのもビンゴだった。侃々諤々、でも楽しかったなー。
その後、閉幕後にドイツの友だちと電話で話したら、開催国であるドイツが3位に終わったことについてドイツの人たちは「実力にみあった結果、3位くらいでちょうどいい」と、おおむねそんな反応だったそうだ。 思わず笑ってしまったけれど、それは私自身の感覚(日本代表チームに対する日本人である私の感覚)にとても良く似ていたからでもあった。
携帯電話を二台持つようになったことは以前にも書いた通り。 で、二台目(仕事用)は付いてるカメラの画素数が、以前から持ってる携帯の3倍以上ある。これを活用しないってほうはないだろう。
そんなことを思っていた折りも折り、出マシタ、夜のダイニングキッチンに、壁を這い上がる巨大カマキリ。秋になっても、虫虫大行進だ。
このキッチンの白いタイルは一辺9.5センチの正方形。いかに大きなカマキリであるかがおわかりいただけるかと思う。 こういう事態になると、もう、写さずにはおられぬ性分のチマリス、さっそくダイニングの椅子の上へ立ち上がって新携帯片手に迫ります。 さらに近くで写そうと、左手に持った折込み広告の上へカマキリを誘導するチマリス。ただならぬ気配に歩みを止め、ぐるりと首を回し、ガンを飛ばしてけん制する大カマキリ。
…するとそのとき、大カマキリの三角形の頭と正面から対峙したその瞬間に、手にした携帯が、ブルブルブルッときました。 驚愕のあまり携帯を放り投げそうになるチマリス。携帯ばかりか自分自身が椅子から転げ落ちそうに。同僚のTちゃん、またなんという絶妙のタイミングで業務連絡メール送ってくれるんだ…
このあとカマキリには、気の毒ですが、晩秋の寒空の下へ出ていただきました。しかし、あんな大きな虫が一体いつどこから進入したんだか。 それにつけても携帯で写真撮る時には着信に気をつけないと。特に大きな昆虫に肉薄しているときは、要注意だ。
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